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春秋異聞  作者: ペンギンの下僕
三秧連衡

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171/213

檄文

 滎倉から兵を発するために、三日の準備を要した。

 そして、出陣してから二日目に、北へやった密偵から顓無卹に、ある檄文がもたらされたのである。

 それは制周城から放たれたものであり、内容は、顓無卹を激昂させるものであった。


『制周城主、顓獄(せんごく)。虞領の諸城主に書を拝呈す。

 聖者は徳を以て臣を迎え、不徳の者は貨財を投じて臣民を養う。

 然るに今、顓公の富、北地に届かず。三城の百姓、北狄と戦わず飢えと戦う。

 顓獄、不孝にして臣民を一義とす。苦節を共にした者らの困窮を見るに耐えず、北狄と結びて南進することを決める。これを見た城主は門を開くべし。顓公は享楽のみを好む。卿らもいずれ飢えるであろう。我、たとえ悪名を万世に残そうとも、臣民のため、敢えて父と争わん』


 顓獄は顓項のことであり、獄というのは(いみな)である。顓項は父である顓戯済の政治を詰り、不孝者の汚名を背負うことになろうとも父と競うことを表明したのだ。

 檄文を読み終えた顓無卹は、書簡を引き裂いて地に投げつけた。


「おのれ、恩知らずの妾腹(めかけばら)めが!! 大人しく、北地の城主としての責務を果たしておればよいものを!!」


 その檄文には、制周城の城主としての印璽もおされており、もはや顓項が叛意を剥き出しにしたことは明らかである。異腹といえど弟であり、北狄に攻められて困窮しているのであれば救ってやろうという兄としての憐憫は、もはや顓無卹の中にない。

 それまでは冗長な旅であったが、怒りが旅程を速めた。あと五日はかかるはずであったところを、四日目の夜には、潁段城から五里(約二、五キロメートル)まで迫っていたのである。

 顓無卹はここで夜営をすることに決めた。密偵からの報せで、顓項が潁段城にいることは分かっている。そして、北岐三連城のどこも、ここ数日で戦があったような気配はない。




 実際に、潁段城に逃げ込んだ顓項たちは、少しも攻められなかったので、不審に思っていた。

 ただし顓遜と共羽仞は、これも策ではないかと考えていたのである。

 制周城を奪還するために西に出るか、潁段城を捨てて南に奔るか。そういう行動に出たところを、伏兵を以て叩こうとしているのではないかとの見方である。

 制周城から兵が出たという報せはない。

 しかし、人の往来はある。制周城を手にした姜子蘭は、城からの出入りを禁じることはしなかったので、燃料を集めるために城民が外に出ることもあれば、わずかであるが商人が出入りすることもあった。

 兵を、そういった往来の民の中に隠して城外に出しているかもしれない。それくらいのことはするであろう、と顓遜は考えている。


「こちらにも、共羽仞どのという剛将がいる。今ならば野戦での勝ちも狙えるのではないか?」


 顓項はそう言った。籠城しているだけでは、先が見えない。既に兵糧も少なくなっているし、何よりも、滎倉から援軍が来る様子がない。もし向かっているのであれば、先遣の使者の一人くらいは来なければおかしいのだが、それがないということは、援軍は来ないと見たほうがいいだろう。


「総力を挙げた野戦に命運を委ねまするか。ま、顓族の誇りを守るのであれば、それもよいかもしれませんな。勝てば大功、将兵悉く敗死したとて、こんな小城でひもじく死ぬよりは、戦場にて命を燃やして派手に散るほうが、らしくはありましょう」


 共羽仞は、わずかに酩酊しつつ言った。他の者は禁酒しているが、共羽仞だけは悪びれることなく、酒で喉を潤していた。しかし、この城中に共羽仞より強い者はおらず、故に誰もそれに異を唱えることはしない。


「野戦か……」


 最後まで抗戦し、華々しく散るというのも悪くはないかもしれない。他に打てる手がないこともあり、顓項は、腹を括ることにした。その日の夜には、潁段城中の肉と酒を兵士に振る舞い、英気を養わせることを決めたのである。

 顓項も兵士たちの中に入り、食事を共にした。

 そんな喧噪から少し離れたところで、顓遜と共羽仞は、静かに酒を呑んでいる。


「それでどうだ、軍師どのよ。兵の気力は充分だが、勝てると思うか?」

「戦のことは、私よりも共将軍のほうがご存じでしょう」

「俺は、軍略とやらはわからん。進めと言われれば進み、会敵すれば斃す。その繰り返しばかりで、たまたま、死なずに今日まで生きられただけさ」


 顓遜はそれを、謙虚と自戒の言葉と受け止めた。しかし共羽仞にとっては、ただ本心を吐いたに過ぎない。


「ですが将軍は、私よりも戦場というものを御存じでしょう。その上で、勝機はあると思われますか?」

「ふん、まあそうだな。俺があの赤馬に乗った将――盧武成を討てれば、勝てるだろうさ」


 寡兵、弱卒が大軍に勝つには、敵の将を討つのがよい。とりわけ強き将というのは、軍にとって、柱石や旌旗のようなものである。その一人が欠けるだけで威勢を失うこともありうるのだ。


「ならば、勝てるやもしれませんな。共羽仞どのにとっては、一度負かせた敵でございましょう」

「さてな。一度勝ったからとて、次も勝てるかは分からんさ。あちらにも意地があろうし、あやつは、自分が敗れれば軍が瓦解することを知っている。それでいて、倨傲というものがないのだから厄介だ」


 これが末期の水になるやもしれん。そう言って、共羽仞は、手にしていた瓢箪の中の酒を一息に飲み干した。

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