黒鎧赤馬の将
今日から新章です!!
要撃を受けた顓項と顓遜は、赤馬に乗った将が、自らを虞の第四王子の臣と名乗ったのを聞いて、驚くより先に疑いを向けた。虞の王子が、騎兵の軍を率いて北岐山脈を越えてくるというのは、あまりにも破天荒なことである。といって、そのような嘘を吐く理由があるとも思えない。
なのでそのことの真偽は今は置いておき、顓項と顓遜が考えねばならぬことは、ここからどうするかということであった。すなわち、軍の進退である。
沃周城を脅かして顓軍を野戦に引きずり出すのが敵の思惑である。そう考えていた以上、敵が待ち伏せていることも想定はしていた。だが敵の攻めは顓遜の想像を越える苛烈さであり、加えて、
――あの黒鎧の将は、尋常ではない。
というのが、逡巡を生んでいる。
黒鎧赤馬の将、盧武成は、まだその戟の鋩が顓軍に届かぬうちから、すでに溢れ出んばかりの闘気を放っている。将として非凡であると、顓遜は一目で察した。
「お前たちは沃周城を救うために来たのであろう!! ならば、俺の戟を越えてゆくがよい!!」
盧武成は馬上で、まだ沃周城は落ちていないかのような――事実、落ちてはいないのだが――そう取れる物言いをした。こういう場合は嘘でも、沃周城は落ちたと喧伝するのが常道である。それだけで、顓項率いる千五百の兵は目的を失うからだ。
しかし盧武成の言葉で、顓遜は一気に窮地に立たされたのである。
兵らはこれで、死に物狂いで敵陣を突破し、味方を救わんと奮い立つ。
しかし顓遜は、
――既に陥落した沃周城へ向かわせるために、こちらの必死を煽っているのか?
と考えてしまった。
敵の話で、自軍に不利な話を信じないというのは当然のことである。しかしそれは、一見すると自軍に利のある言葉も鵜呑みにしてはならないということであり、そういった考え方が出来るのは、この軍中で顓遜一人であった。
ただしここで撤退すると、兵たちは、まだ奮戦している味方を捨てた惰弱者という心情を、顓項と顓遜に向けるであろう。そうなれば向後の戦いさえままならなくなる。
顓項はそういった葛藤は分からないが、馬上で、なにやら逡巡している顓遜を見て、腹を決めた。
――この軍の将は私だ。私が、この軍の進むべき道を決めねばならない。
茨の棘が胸に突き刺さるような激痛がある。その痛みを、血が噴き出すほどに舌を噛んで堪えて、顓項は剣を振りかざした。
「怯むな、敵はこちらよりも寡勢である!! 我らが武威にて押し通れ!!」
顓項の見立ては間違っていない。数においては、盧武成率いる軍は、多くても千というところであり、実数は八百なのである。倍ほどの兵差があり、力押しでもどうにかなる可能性はあった。
ただし――盧武成の武勇は、そんな楽観を瞬く間に消し潰してしまったのである。
無論これは、ただ盧武成が強いというだけの話ではない。盧武成は自身の傍らに、常に、留という少年を並走させていたのである。この少年は敵の力量を見抜くことに長けており、その指示に従って盧武成は、なるべく地位が高く、兵の指揮を担っている部将を優先して倒していったのだ。それも――深手を与えつつも、殺さぬように、である。
殺さないのは子狼の指示である。といって、これはもちろん、徳心からではない。
『上官が手傷を追えば、兵はそちらに気を取られるからな。迂闊に殺しちまうより、足手まといにするほうがよい場合もある。そういうことを考えながら戦えば、敵の半分の兵でもお前と夏羿族なら負けはしないだろうぜ』
子狼は気安くそう言ったが、実際にそれを為す身の盧武成としては、
――くそ、子狼のやつめ。俺をなんだと思っている!!
と、怒り心頭である。盧武成は軍略というものを知らぬが、盧武成から言わせれば、子狼は武術というものを知らない。乱戦の最中で刃物を持ちながら、敵を殺さず、しかも、軍の指揮が出来ぬ程度の傷を負わせるということが至難であると考える頭がないのだ。
盧武成からしてみればそれは、長剣を使い、肌を傷つけずに産毛を剃るようなものである。
実際に、そのつもりがなくとも殺してしまったり、思ったほどの怪我を与えられなかったりもしている。
だが一定の効果は出ており、顓軍は、少しずつ、味方を救わんとする気概よりも、盧武成を懼れる心のほうが強くなってきていた。
「……顓項。いいや、城主どの。退きましょう。あれは、平野で相手取ってはならぬ将です。ですが、石壁があれば防ぎうることは出来るでしょう」
そう諫める顓遜の言葉が正しいと、顓遜は頭では分かっているのだ。
しかし顓項の若さは、沃周城という味方の窮地を前にしての撤退を拒んだ。顓遜を振り切るように喉から大声を上げ、剣を振り上げて盧武成めがけ吶喊していったのである。
顓遜が叫んで制止するが、遅い。
盧武成のほうも、顓項を見つけた。その隣にいる留は、
「若くはありますが、この軍の将であるかと」
と、進言した。
顓項の馬が盧武成の愛馬、饕朱に迫る。同時に、振り上げた剣も盧武成の頭めがけて振り下ろされようとしていた。しかしそれは盧武成の戟の一閃から見ればあまりにも遅く、その刃が届くまでの間に、三度は顓項を殺せたであろう。
しかし盧武成の戟が顓項を貫くことはなく、むしろ盧武成は、戟で剣の一閃を受け止めた。
だが盧武成はそこから、純粋な腕力の差だけで押し返し、顓項の剣を跳ね飛ばす。そして――戟を逆向きにして、顓項の鳩尾を突く。馬上で体が揺れたかと思うと、やがて、棒きれのように地へと落ちていった。




