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 10『役目』②

 ✡


 今、再び、この講堂へと足を踏み入れようとしている。あれが遠い昔のようだ。

 荘厳なあの石の扉は、片方が外れて横たわっていた。巨神アトラスの姿を踏み越えて、二人の皇子は唾を飲んだ。

 すでに講堂は見る影もない。天空を描いていた天井には大きな穴が空き、床は半分が崩落し、あの白く磨かれた美しい床は砕かれ斑に残るのみ。柱は倒れ、アトラスの虚像も打ち倒されて砕けている。しかし、二人が動揺したのはそのありさまにではない。中央に鎮座する禍々しい黒鉄の奇像と、その前に座り込む、老人の亡霊の姿だ。

 背を向け、奇像を見上げている姿は、拝礼の姿にも似ている。しかし奇像に飲み込まれつつある『それ』に、兄弟は恐怖ではないものに震えた。


「……あれがアルなのか? ほんとうに? 」


 ヒューゴが小さく問う。返された無言の肯定に、ヒューゴは今にも叫び出しそうな衝動に耐えた。ヒューゴは震えながら、自分のやるべきことのために、兄から遠ざかって扉の陰に戻る。


「――――父上! ここで何があった! 」


 グウィンの問いに、レイバーンは応えない。体を構成する青い炎が吹き込む風に揺れているだけだ。グウィンは一人、レイバーンに向かって瓦礫の上を歩きだした。兄の背を見送るヒューゴは、歯を食いしばって耐える。戦う術も身を守る術もないヒューゴは、見届けることが与えられた役目だった。


「スート。ソード


 グウィンがそう口にすると、彼が歩いた跡から、『皇帝』のあかしである小アルカナ兵が、瓦礫の中から身を起こす。その身は鏡のように磨かれた武骨にして優美な鋼鉄。身の丈はケヴィンの腰ほどしか無く、顔立ちは庭先の置物のように愛嬌があり、武器よりも楽器を持って踊り出しそうだったが、先頭からグウィンを追い越して隊列を組むと、彼を守るように横へ並ぶ。


「……私は間違えた」


 頑なに振り返らない背が言う。


「間違えてしまったのだ……最後の最後になって、ようやく気が付いた……」

「……気づくのがずいぶん遅くなりましたね」


 グウィンは父の横に立った。


「父上。あなたは父親としては確かに物足らない人ではありましたが、王としては何一つとして間違わなかった。人は間違います。赤ん坊から繰り返し、数え切れないほど間違える。そこから何を学ぶかは、人によるのではないでしょうか」

 グウィンの厚い掌が黒鉄の奇像に触れる。一瞬にして黒鉄の奇像を、赤い錆が覆った。


「ダッチェスが逝きました」

「……そうか」

「笑っておりました。父上のすべてを書ききったと」

「そうか……」

「……私は父から学び、妹と弟からも学びました。父上。あなたはアルヴィンから学んだのではありませんか。正しく人が育つには、愛情とやらが必要だと。想うだけでなく行動が必要だと」

「……憎んでいるか」

「いいえ……怒りを覚えております。この事態を招いた貴方と、自分に! 」


 グウィンの固められた拳が、錆にまみれた奇像を殴りつける。レイバーンはゆるゆると顔を上げ、親子は今日初めて見つめ合った。


「素晴らしい王であったから、皇子としての僕は貴方に何も言えなかった。もっと早く、僕は兄としての怒りをぶつけるべきだった。愚か者は僕も同じ! 貴方の父親としての心を知ろうとしなかった僕にも罪がある! 貴方の寂しさを埋めようとしなかった僕ら兄弟全員に罪がある! 貴方も死ぬまで王のまま、この子のことを知ろうとしなかった! でも、そんなこと――――」


 錆付いた奇像が崩れる。抱き上げた弟の身体はずっしりと重く、冷えた鉄のように冷たい。「――――すべてはもう、遅いのです。貴方は死んでしまった」


「そう……だな……」

「だから貴方は、もう王ではない。レイバーン皇帝は死んで、貴方はもう、ただの僕らの父さんです。……もう父さんには、全部遅いのかもしれないけれど、この一時、忘れないでほしい。僕らは一度だって、父さんへの尊敬を忘れたことは無いんだ。貴方は僕らを守ろうとしてくれた。僕らはいつだって、父さんへの憧れを抱いて進んできたのだから」

「グウィン……」

「『魔術師』に、今だけ感謝したい。皇帝ではない貴方と、こうして話ができた」

 冥界の炎を纏う父に、生身のグウィンは触れることは叶わない。代わりに、グウィンの鋼鉄の兵がひとり進み出て、レイバーンを強く抱きしめた。

「王よ。我が子たち……わたしは、悔しい。悔しくてたまらん。悔いばかりの人生だった。立派になったお前たちを、もう見られないなんて……」


 レイバーンはその背中に手を回し、目蓋を閉じた。


「……あとは、お前たちに任せたぞ」


 消え行くその姿を、見届けるもう一対の眼があった。


(ああ……僕は)


「……アルヴィン? 」


 手を伸ばしても、もうそこには誰もいない。『王』は最後に笑っていた。


(そうだ。僕は……あの人は)


「――――陛下! アルヴィン殿下からお離れください! 」


 冷たかった体に火が灯る。自分を抱える男を突き飛ばし、アルヴィンは瓦礫の上で体を丸めて起き上がった。


「ア――――ア、ァアアア」

(そうだ声だ。これが僕の声だ)体が軋む。溶けた金属が食い込む体は、もう取り返しがつかないと自分で分かる。(そうだ。これが痛みというものだ……)


 よろよろとアルヴィンは男から――――兄から遠ざかった。


 ずっと声は聞こえていた。その言葉の意味も、頭の霞が晴れた今なら分かる。血が巡るように熱が回っていく。痛みが遠ざかり、頭はまた働かなくなるだろう。


「……に、二イ、兄さン、ぼくは」

「アル……! 」

「来ないで! 」


 ケヴィンだけでなく、扉の向こうから飛び出そうとしていたヒューゴも動きを止める。


「あとで、リリオペの丘で」


 アルヴィンはそれだけ告げて、床を蹴った。天井に空いた穴を抜け、空へと向かう。いつしか雨が降っていた。


(好都合だ。頭が冷える)


 そこには変わらず、あの青い騎士――――ジーンがいる。


「……なんだ。もういいのか? 」

「はい。ジーン大伯父さん。僕には他に、やるべきことがある」


 アルヴィンが返答したことに、ジーンは眉を上げ、剣を握りなおした。


「あとは……貴方の持つ、僕の頭蓋骨を取り戻す」

「そうか。やってみればいい。出来たとして、それからはどうする? 」

「この空の先へ進みます! 僕は、ミケとの約束を果たす! 」


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