十七章 狐顔も狸顔も好きなんだが? ネズミ顔とカッパ顔も捨てがたいぞ? 二
コースの最後尾付近の低い丘陵地。
緑巨人は腹と頭に深手を追って倒れ、なおも這っていた。
「どいておれ~若造! その小娘の相手は、わしでなければつとまらぬ!」
新たに現れた赤巨人はゴルダシスよりも大柄で、濃い白ひげにシワだらけの顔だけど、胸板のぶ厚いマッチョ体型。
逆三角形がいくらか極端なほかは巨体のわりにバランスがよく、電柱のような巨大斧を大きくふり回していた。
「青巨人の鬼子を妻とするは、赤巨人の族長であるこのハウモスをおいてほかにおるまグブゲッ!」
ゴルダシスの飛び蹴りが顔に決まり、派手に倒れ転がる。
格闘シロウトのボクにも手加減していることがわかった。
曲げた足を顔につけてから伸ばし、押しやるように倒していた。
本気なら足は頭にめりこみ、首もひしゃげていたはず。
「ごめんね赤じいちゃん。殺したくないけど、今日は遊んであげない」
冷たく見下ろす巨人将軍を前に、赤巨人の族長はあっさりと土下座して手を合わせる。
「かんに~ん! じゃが、ち~とくらいは見せ場をくれても……」
その情けない動作は常人なみに速く、相手がゴルダシスでなければかなりの強豪だったろう。
クマ数匹分の毛皮ブーツがふたたびハウモスの横っ面を張り飛ばして道を開けさせる。
「まじめにがんばろー。わたしたち巨人は欠陥だらけの失敗作なんだから」
ゴルダシスは蹴り倒した同族の老人に目もくれず、でもわずかに眉をひそめ、ふたたび駆け出す。
コウモリモニターは子画面で常にゴルダシスの動きを追いながら、選手村露天風呂の歓声、続いて城門のような大扉を背景とした歓声を大きく映し出す。
扉は白をベースにミルキーカラーの模様が細かく描かれ、青白い炎を灯した街灯ランプが何十も整然と並んでいる。
ひしめき群れているのは厚着をした大勢の小人たち。
山小人のようなズングリ体型ではなく、カノアンくんやドメリちゃんのようにアンティークドールのような子供サイズ。
その真ん中で上半身がとびでている赤髪のネズミ獣人は一礼すると、紫コウモリを手に歩きだす。
「こちら第三区間のゴール、巨人都市からヤラブカがお伝えします!」
キンキン声の女の子はいつものレオタードドレスに短い丈の毛皮ジャケットを羽織っていた。
画面がずれると、巨大な扉は校舎くらいの大きさの建物についていることがわかり、雪かき跡の残る街道には同じサイズの建物が並んでいた。
窓から手をふる青巨人のサイズから、一軒家の住宅街とわかる。
ベランダのぶ厚い柵の上は小人たちの空中通路にもなっていて、小さな手すりや縄はしご、階段、すべり台などもつけられている。
大扉の装飾のように見えた長方形も、よく見れば小人サイズの扉だった。
「二代覇者『巨人魔王』の建国地を発祥とした、千四百年もの歴史がある都市です……けどまあ、三代覇者『聖痕の勇者』に代わってからは巨人族自体が激減して、何度かあった復興も細々としたもの……ぐきゃっ?!」
ヤラブカが突然に跳ねあがり、体毛が逆立つ。
「し、しかし! 『巨人王女』ゴルダシス様の治世からは多くの他種族、特に小人との共存によって、急速に活気をとりもどしつつあり……って続けようとしたんスから、最後まで聞いてくださいよディレクター!」
よく見ればその両腕から鉄紐が伸びていた……電気ショックで管理されているらしい。
リポーターは百メートルくらい幅のありそうな大通りを直進し、その先にそびえる巨大な円形闘技場を指す。
「さ、さて、第三区間からは途中出場がありません。コース上の現地住民のかたはみんな魔獣やダニと同じ障害物あつかい……です。そしてあの闘技場では、青巨人戦士団の誰かが最後の障害となっています。忍び足ですり抜けてもオッケー。とにかくアリーナを横切って奥の扉に入ればゴール認定され……ます」
ヤラブカは電撃を気にしている様子で、話しかたが慎重になっていた。
「ただし、アリーナで青巨人から得た魔法道具はなんでもボーナスあつかい、倍評価です! ここまで来たからには、ぜひ狙っていただきたいですね! 魔王様からにらまれていると、強いのをぶつけられてつぶされたりもしちゃいま……うぎっ!?」
あの迷惑トークは本人にも制御できないらしい。
ふたたびカメラは雪原にもどる。
巨大な……でもゴルダシスと比べたら子供くらいの身長の海獣獣人がふたり、進路に飛び出していた。
肩から頭に焦げ跡がある。
「ゴルダシス様! 私です! 魔王配下十五猛貴のウィーポユです! この先に魔王様に逆らう者どもの群れがおります! 案内いたしますぞ!」
「魔法道具も『虚空の外套』ほか、いくつか隠していますが、我々には分け前など必要ないと思っていただきたい!」
薄水色の巨大少女は視線すら向けず、どんより沈んだ顔をしていた。
「まおー配下『そーへき』で『さんましょー』のゴルダシスちゃんである……道をあけんか、ばかものくんめ」
「けっこうですな! 躁癖でサンマ商……ブボギャ!?」
「話し合いは良いものです! こちらは誠心誠意……ボギャラ?!」
駆け抜けついでの連続シュートが決まり、走る速度はほとんど落ちなかった。
「ダダルバさんや、そろそろあの棚の効果、教えてくんないかのう?」
セイウチ獣人ウィーポユは腕にくくりつけた木の棚ごとグシャグシャにつぶれていたけど、近くに転がってのびるトド獣人スプリンビッグよりはダメージが少ないらしく、血を吐いて這いずりながら、必死で腕の鎖を外そうとしていた。
「ほう……『不都合の棚』は優れた防御性能じゃが、吸収した攻撃を少しずつ持ち主へ返す『棚上げ』の効果……」
木の棚は少しずつ自然修復し、バキンと棚板のひとつが真っ直ぐになると同時に、セイウチ獣人はアバラを抑えて叫ぶ。
「巨人将軍クラスの巨大ダメージでなければ、押しつける時間は十分だったと? あ~、相棒さんにダメージを身代わりさせようと這いずっていたのか。あ、肘も折れたのう。あ~、身代わりがいないと、棚は完全修復されるまでひっつくと。う~わ~」
腕についた棚は血を吸ってふくらむかのようにセイウチ獣人の全身を次々と痛めつける。
トド獣人は相棒の悲鳴で目をさますと、ほんの数歩先まで迫っていた棚から必死に這いずって逃げはじめた。
モニターを見ていたザンナはうなりながらもうなずく。
「ゴルダシスさんはひたすら直進しているみたいだから、ダイカたちはコース中央さえ避ければやりすごせそうだな……だからほら、オマエはもっと眠っておけよ」
ボクはちびエルフふたりを抱えてくっついているので、このまま何日でもいたい気はする。
「少しは眠ったんだけど……疲れなのかな? なんだか現実感がないというか……」
「シロウトでも一日、二日なら気合いや勢いで緊張がもつかもしんねえけど、そろそろ鍛えかたの差が出て当然だ。三日目……いや、もう四日目か。この区間だけでも、もう第一区間の開始から終わりまでの時間がたっている。たるんだ一般人にしちゃ、心身とも変にもちすぎているくらいだ」
ザンナはからかうでもなく、心配しているようだった。
顔が近くて、ブルーベリーのような甘い息が届く……ボクはこんな時でも、性欲だけはしっかりあるみたいだ。
「ラウネラトラのエロ治療のおかげかな? あと、親友の悪影響で厚かましくなっている気はする。一分きりの元カノ様には『進まないとただのブタ肉になる』ってハッパかけられているし」
「メイライか……そういや聞きたがっていたけど、アタシが会ったのは孤児院を出てから一ヶ月くらいか? 宿無し暮らしがきつくて、呪いの沼を探りに行ったんだ。そんで墓場病患者の群れに追われて、そいつらがいきなり同士討ちをはじめたと思ったら、やせっぽちの女が一瞬で勝ち残り、なれなれしく話しかけてきた」
あらためてほかの人から聞かされると、萌えキャラの生態からはほど遠い女性だ。
「無視して逃げたのに追いまわされて、流行の服とか、最近のモテ傾向とか、どうでもいい話に延々とつき合わされて、家に招待されてようやく正体がわかったけど、話の御礼とかでメシや服をもらって……あれ? アタシ実は、メイライには世話になっていたのか?」
「だとしても、その時のザンナにとっては、襲われている意識だったと思うよ」
「だよな。でも母上……ティディリーズにわざわざ御礼の品を届けさせられた理由が今ようやくわかった。あれって別にお仕置きじゃなかったのか……ま、それはともかく、眠れないなら備えでもしておくか」
ザンナの表情は落ち着いていて、急に大人びて見える。
「オマエ、どんな家で育ったんだよ?」
「一緒に暮らす予定でもあるの?」
「戦場で使い捨てる予定があるから、魔法の適性をさぐってんだよ」
ザンナの表情がようやく崩れ、首輪のトゲを押しつけてくる。
「精神鑑定か。ごく平凡な家庭だよ。お父さんは土木関係……なのかなあ? あちこちなんでも仕事を引き受けて、勝手に犬とか猫とかワニとか母さんとかひろって、借金や他人のおばあちゃんまで引き受けちゃう性格だったけど」
「まるきりオマエじゃねえか」
「まるきり違うって。もっと大らかで無神経というか……気分とノリで誰でも殴るし。いや、今にして思うと、節操の無さは似ちゃったのかな? でも清之助くんとか特務神官に比べたら全然、庶民的だよ」
「ますます……いや、まあ、いいや」
「母さんはあまり笑わない人で、いきなり家を出ちゃったけど、月に何度かはボクや父さんに会いに来たし、仲は良くも悪くもなかった……今にして思えば、ツンデレこじらせていたのかな? ボクも父さんも大事にされていたような気がしてきた」
「まあ……そんな風に言えるなら、いい母親だったんだろ」
冷めた顔で何気なく優しいことを言うザンナが一瞬、母さんにだぶって、しかもなぜか色っぽく見えた。
「母さんが事故で死んで、二年くらいたったころにひろわれてきたのが新しい母さん……美人の深名香さんで、前の暴力亭主からかばったついでに、二年後には死んじゃう体だから再婚したとか……どういう理屈だろ? まあともかく、そのころから深名香さんの妹の真日流さんが家事や看病に通ってくるようになったんだ」
「初恋の巨乳おばさん?」
清之助くんがさらっと口をすべらせてやがったか。
「二十歳くらいの色っぽくて優しいお姉さんだったからね。十歳くらいでいろいろ目覚めはじめていた男子はイチコロだったよ。深名香さんが亡くなったあと、父さんまで事故で死んで、真日流さんと、その義理の叔父の総八さんが一緒に住むようになって……総八さんは昔かたぎのダンディで、厳しいけど面白いし、いい人だ」
真日流さんと総八さんのことは無難に紹介したけど、どうしても顔が硬くなってしまう。
「ふーん……っておい。美人の継母、色っぽい義理の叔母と同居って、男子的には普通どころか恵まれすぎだろ? オマエ結局、元の世界でも女運はバカづきじゃねえか」
「否定はしないけど、あれはあれで地獄だったよ」
絶対にふり向かない、片思いの人と同居する毎日は長い。
アレッサやメイライのおかげか、ようやく今、人に話せるようになった。
清之助くんは勝手に調べ上げやがったけど。
「地元じゃ我慢するタイプの性犯罪者か……ところでリフィヌはなんで眠ったふりをしているんだ?」
リフィヌは目をつぶったまま顔をそらし、頬を赤らめていたけど、なぜか不機嫌そうに口をとがらせる。
「いきなり家族紹介をはじめていましたので……おふたりが一緒に暮らす予定を立てているのでしたら、邪魔をするのも野暮かと思いまして」
「中途半端な盗み聞きすんな!」
リフィヌはモニターの状況を聞くと、苦笑いでため息をつく。
「ひきこもっていたいですねえ。巨人将軍もドニスさんもレイミッサさんも『朔月』『遊星』のおふたりもここでやりすごして……しかしそれでは足きりとの距離もギリギリ。コースはまだ半分の半分も届いたかどうか。休憩時間もとれないまま残りの走破は獣人でもなければ難しいですし……」
ザンナはリュックから小さな巾着を出し、クルミ、アーモンド、ピーナッツ、カシューナッツを一粒ずつみんなに配る。
「ゴルダシスさんの様子を見ながら、洞窟の続くギリギリ先まで行くのが妥協案か? しかし同じような発想をする選手は多そうだな。……なあユキタン、ここで棄権するのも悪い判断じゃねえぞ? アレッサを助けるにしても、外部から買収する手がある」
ボクは一粒ずつ、意識してよくかむけど、空腹だったせいか、ものすごい勢いで消化されていくのがわかる。
「そうだね……でも、こんなことじゃ……メイライには『競技祭そのものをぶちこわす!』なんて吠えていたのに……」
「ヒーロー妄想で自殺未遂をくり返していたガキが、まともに周囲の心配するようになったんだ。たいした進歩じゃねえか」
リフィヌが不満そうにゆらゆら踊り出すけど、ザンナが押さえつける。
「よく考えろって。なにをやるにしても、魔王軍に入るのが一番だ。お人よしにとっても悪い場所じゃないし……オマエなんか、配下筆頭のお気に入りってだけで、どれほどおいしいと思ってんだ? メセムスさんやアタシとはすでに組んでいるわけだし、樹人医者だってもう幹部だろ? ダイカも別に反魔王ってわけじゃない。セイノスケやアレッサはオマエが説得すれば転ぶって!」
リフィヌはザンナの営業を聞いている内に、しょんぼりと腕を下ろす。
現実的な案なのだろう。
「……やっぱりだめだ」
ノリノリで営業していたザンナが縮こまってうつむく。
「そんなに……根に持ってんのか?」
小さくつぶやき、虫人娘の名前までは出さない。
「いや、うまく言えないけど、ボクたちと……シュタルガのためにも、かな?」
「……じゃあ、まあ、しかたねえなあ?」
ボクとザンナは疲れ顔でモソモソ立ち上がり、毛布をたたんで出発準備をはじめる。
「え。え? なにがどうしかたなく……おふたりだけでツーカーしないでください!」
「言葉では説明しにくいから、体で触れ合い、感じ取ってください。さあ……」
リフィヌはふくれて、ヌンチャクをつっかい棒にボクの愛をこばむ。
「私はただれた関係に巻きこまれませんよ!?」
「起きたら抱きつかれていましたし……拙者の寝ている間に、おふたりでどんな行為におよんでいたやら」
洞窟の先は意外と短く、リフィヌの文句を聞きながら細い通路を数分ほど歩くだけで広い空洞が見え、その先には地上への出口もあった。
「狭い通路なら狙撃や袋だたきをしのぎやすいし、『自分嫌いの足枷』や『濃霧の頭巾』を使われたって、陽光脚や闇千本でつぶしやすいんだがなあ……」
ザンナはカボチャちょうちんをほうきの先に吊るし、不安そうに広い空洞を入口から見回す。
これまでの狭い通路にはなかった設置たいまつ台があったけど、数十メートルおきにたった四つ。
「洞窟を出れば巨人将軍をはじめとした大型選手や羽あり選手の的だし……アタシらつくづく、ネズミみたいな相性だな」
離れた場所で男のうめく声がした。
「うっ?!」
そして倒れる音。
「ドニスはここだ! 足に傷をつけたぞ!」
別の男の声……マッチョおじさん三人組のひとりだ?!
ドニスと戦った小部屋に、死体は二つしかなかった。
「血が出ていれば足枷のヒントになる……行っていい?」
だましの可能性もあるけど、本当ならふたたび『自分嫌いの足枷』をとらえる大きなチャンス。
リフィヌとザンナもうなずく。
「うおぐ! ぐあ!」
ボクたちが駆けつける間にも、床の高さでおじさんの悲鳴が聞こえた。
やせた長身の男が、暗がりで黙々と両手の短剣をふり下ろしていた。
アゴひげのおじさんは転がりながら、首と腹を守って手足をズタズタに裂かれていた。
ボクが懐からナイフを抜いて袖をまくり上げると、腕輪はすでに蒼い光を噴き出している。
「烈風斬!」
ドニスは目でギラギラと怒り、口ではとても楽しげに笑っていた。
眉の薄い顔がふり向くなりけわしい表情になって飛びのく。
細くとがった目の端、顔の輪郭ギリギリに沿って斬り傷が開く。
ドニスは一瞬だけ驚いた顔をしたあと、とても楽しげに笑う。
「この距離で斬れるのかよ?!」
血の流れこむ左目を何度もまばたきさせていた。
十メートルはある。ボクだって驚きの威力だ。
ドニスの足にはちぎれた粘土のかたまりがまとわりついている……『自分嫌いの足枷』の型が崩れたなら、もう気配を断つ魔法は使えないはず。
「武器を捨てて……」
ボクが言いかけると同時にドニスはすばやく這うようにかがみ、マッチョおじさんの首を持ち上げて盾にした。
「下がれ」
そう言って、のどへ一ミリずつ短剣を刺しこむ。
ボクは思わず一歩さがり、オジサンが叫ぶ。
「わしにかまうな!」
代わりにザンナが飛び出ていた。
「許せよオッサン! 闇・千・本!」
右側いっぱいに針山を広げ、手先の数本だけ、おじさんに当たるギリギリでドニスを狙う。
騎士団四番隊の隊長は即座に人質を捨てる判断をしていた。
黒い針に頬を裂かせながら、低い姿勢のまま飛びこんでいた。
ザンナはとっさにホウキを盾にするけど、おそらく二撃目以降は対応が間に合わず、首か腹を裂かれる……
ボクは無言でナイフをふり下ろしていた。
ドニスの右目からアゴまで斬り傷が走り、ホウキのたたきつけが当たり、短剣は見当違いの方向へ切りつける。
「ちっ、ちっ! 烈風斬は一発きりのまぐれと思ったのによお!」
さすが聖騎士の隊長クラス。的確な分析です。
「陽・光・脚!」
リフィヌはボクのそばを離れないまま、左側いっぱいに回し蹴りを放ち、直径数メートルの光る大盾で空間を薙ぐ。
そうか……ドニスが粘土を使ったということは、足枷を回収してないか……リュノウがまだ生きて潜んでいる可能性がある。
それでザンナもリフィヌも広く周囲を巻きこんで攻撃していた。
「リュノウ! 出てくればドニスを逃がす!」
ボクが叫んだ直後か直前か、リフィヌが陽光脚で払ったばかりの真横へ、顔をしかめて震える女性が現れる。
かっちりそろえた前髪のかかる暗い表情。
歯をくいしばって荒い息をしている。
胴と肩に巻きつけた包帯からは血が大きくにじんで広がり、両足には枷がはめられ、半歩ずつしか動けない。
「油断するな! 腕はその女のほうが上だ!」
マッチョおじさんが叫び、あらためてボクたちは身構える。
「ちっ、ちっ! グルンペルクのおっさん! アンタを甘く見たのは最悪の失敗だったなあ?! 味方じゃてんで役に立たなかったクセによお!」
ドニスは笑いながら、右目の傷の深さを指で探る。
眼球まで届いたかはボクにもわからない。
「神官のお嬢ちゃんたちだって、アンタが『乱暴すんなよ』なんて言わなきゃ、むかついてウッカリ、突き落としながら腹かっさばいたりしなかったのによお……おっと、俺を殺すなら、苦しんでもいいから一分くらいはもつようにしてくれよ。そこのクソ女がどう死ぬかだけは見てえんだよ」
リュノウは足枷をはずして握り、懐から腕ほどに長いナイフを抜く。
にらみながら震えて汗まで流しはじめ、低い構えも不恰好だったけど、どこか獣じみた気迫を感じる。
「俺も人を刻むのは好きだけどよ、そのバカ女ほどいかれちゃいねえぞ? 幼なじみのよしみで尻ぬぐいしてやってきたけど、どこでも考えなしに殺しやがって……健康体操かっての!」
ドニスのおしゃべりは時間稼ぎのような気もするけど、判断は慎重にしないと。
思考の整理を急ぐ……臆病なボクはドニスもリュノウも殺したくない。
リフィヌとザンナも、とどめとなれば動きが鈍る危険がある。
殺し合いたくない。殺したくない。
でも、殺せない……か?
「見逃すから黙れよ。ボクたちだって、仲間に刃物を向けられたら殺すしかない」
ボクは自然と、落ち着いた声を出していた。
ドニスは血で曇る左目だけで笑って見ていた。
リュノウは震えながら、ナイフをゆっくり、背後まで隠す。
「足枷だけ、その場に捨ててください。粘土や連絡道具などは見逃します」
リフィヌが言葉を継ぎ、ボクもうなずく。
リュノウは足枷を置き、ドニスと一緒に通路を引き返す。
「ひどいよドニス……私はあなたをいじめる人がいるから……」
「アホか。あとでなぶり殺しにするつもりだったやつらをてめえが先にやっちまうもんだから、俺のうっぷんがたまって、善良な市民様が犠牲になるんじゃねえか」
そんなやりとりが小さく聞こえ、ボクたちは顔をしかめる。
殺しておいたほうが、世界もボクらも平穏に近づきそうなふたりだけど……
「これは打倒魔王のための体力と精神力の温存。正義の棚上げ先延ばし……」
小さくつぶやくボクに、リフィヌは苦笑いで顔をそらしながらもコッソリうなずく。
「あいつらふたりで殺り合やいいだろうに……オッサン、生きてるか? というかなんで生きてるんだ?」
ザンナは足元に這うグルンペルクを不思議そうに見回す。
首には喉の刺し傷だけでなく、頚動脈を引き切った傷も残っていた。
「仲間にも隠しておったが、祖先にカビ人のいるわしには半不死の魔法体質『死人のカビ』がある……もっとも、あまり深手では仮死からそのまま本死に直行だし、カビ人の血が薄いわしが発動するにはバカ高い薬を前日に飲んでおく必要もあるが」
「遺伝体質かクソー……道具ならいい保険になったのに」
「手足をここまでやられては、復帰の見込みはない。かまわず先に行ってくれ」
「もちろん置き去りにするけど、なんかいいもん持ってない?」
「長年の相棒だった『回転の床板』をくれてやろう。代わりに毛布を一枚……」
「いやそれ、かさばって重そうだし、効果しょぼいからいらない」
おじさんは大きな正方形の盾を外そうとして、ザンナはすぐに押し止める。
「お嬢ちゃんは優しい嘘をつく……では毛布を一枚だけ……」
「え? ほかになんもないの? それなら、その便利体質で寒さをしのいでもらうしか……じゃ、行くか」
ザンナは足枷をひろってさっさと歩き出す。
ボクもリフィヌもしらじらしい笑顔でザンナに従う。
でも十歩ほど歩くと、やはりというかリフィヌがザンナのそでを引く。
「あの……グルンペルクさんは本当に、ほかにはなにも持ってないのでは?」
「だろ? だから置き去りに……おいこら、この先で吹雪にあったらどうしのぐ気だよ?!」
リフィヌは泣きそうな笑顔で自分の毛布を引っぱり出す。
「拙者は鍛えておりますから! こちらも助けていただいたお礼ですから! ユキタン同盟の好感度を上げる宣伝工作ですから!」
自他に言い聞かせるように主張しながら、毛布をぶん投げる。
「あ~あ。それなら干し肉なんかやるんじゃなかった……」
いつの間に。
洞窟から出ると、狭い谷道の先に広い氷原が広がっているのが見えた。
ボクたちがゆっくり進む間に、コウモリモニターでは巨人将軍が船の橋にたどりつき、橋全体を揺らしながら駆け抜ける。
中ほどで火災部分を避けながら、負傷した三匹の恐竜人を蹴散らし、氷の大河へたたきこんでいた。
橋を渡りきると、そのまま正面の急な斜面を駆け上がる……超重量生物は活動時間のほとんどが食事と睡眠になると清之助くんから聞いたのに、どういう体力だ?
あるいは……無理して強さを誇示しているのか?
「やっぱり、ほぼコース中央を直進みたいだな? ここは少しずれているけど、機嫌が悪そうだから視界には入りたくねえな~」
「……休もうか」
なんだかすごく、足が重い。
「なんだよ。まだろくに歩いて……まあ、いいか」
ザンナがすんなり調子を合わせ、リフィヌだけが驚いていた。
「ごめん。さっきの戦い、思ったより緊張したのか、急に気が抜けて……」
足の痛みはひいたのに、足を前に出す気力が乏しい。
「そういや、やっぱりダイカから腕輪をもらっていたんだな。いきなりアレッサみたいな烈風斬を撃っていたけど、どうやったんだよ?」
ザンナはわざとらしく明るく聞いてきたけど、ボクはドニスの血まみれの笑い顔を思い出し、頬がこわばる。
「アレッサに比べちゃ全然、威力がないよ……ごめん、なんだか戦闘の話はちょっと……」
一方的に切り刻まれていたグルンぺルク、一方的に刻んで笑っていたドニス、そんなやつに殺されかけたザンナ……追い払うためとはいえ、本気で殺す覚悟を決めて向かい合った自分……キツいというか、とにかく思考が止まってしまう。
ただ忘れておきたい。
ザンナは頭ひとつ小さい背で強引に肩を組んでくる。
「気にすんな。疲れてんだ。そういうもんだ。……リフィヌ、あの木陰はどうだ?」
リフィヌをひどく心配そうな顔にさせてしまっている。
わかっているのに、顔は固まって動かない。
ボクはどうなってしまったんだ? なんかの魔法効果じゃないのかこれ?
いやな感じに体が冷える。
リフィヌが近くの木立に低い雪壁を作ってキャンプ場を急造する。
ザンナはボクに肩を組んでしがみついたまま、毛布をかぶって腰を下ろす。
「リフィヌもそっち……毛布を捨てたのは自分だろうが。ちゃんとひっつけ」
リフィヌは真顔でうなずき、赤ん坊を抱えるようにしがみついてくる。
なんという天国展開……ふたりの大胆な優しさがうれしいのに、なんだか映画でも見ているみたいに手や視界がろくに動かない。
これが清之助くんのかかっている症状か? うつってやつか?
いやいや、両脇から女の子にしがみつかれてうつとか、ありえないだろ?
「とりあえずさっきは、オマエのおかげで命びろいした。ありがとうな」
ザンナはボクの頭を自分の頬へ押しつけるようにギュッと引き寄せる。
「こんなにしなくても、だいじょうぶだよ……」
自分の情けなさに悲しくなる感情は湧いた。
「そうかあ? まあ気にせず、治ってないふりでもしていろ」
ザンナはボクのこぼれかけた涙までハンカチでそっと吸い取る……どこの過保護おかんだ君は。
こんなに優しくされたら、ボクは『闇の魔女』に転んじゃうぞ?
「オマエはそれでいいんだ。弱くて臆病だからできることがある。弱くて臆病じゃないとできないことがある。アタシが尊敬するシュタルガ様は、そう教えてくれた……競技なんか気にせず、ゆっくり考えろよ」
闇妖精人の少女はささやきながら、ボクの頭を優しくなでる。
「ここで降りるのも悪い結末じゃない。魔王様に仕える一生も不幸じゃない。そういう物語もあっていいだろう?」




