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2-24 政略的な離婚のはずなのに、その人は誰?

 アゼリアは夫、シュティアから「政略的な離婚」を切り出された。理由も告げられないまま、その提案を受け入れたアゼリアだったが、大人しくしているつもりはなかった。彼の思惑を探り始める。


 そんな中、シュティアが女性と二人きりで話しているところを目撃したアゼリアはシュティアを問い詰める。


「ええっと。旦那様。政略的な離婚といいましたよね? ところで、先程の女は誰ですか?」


 政略的な離婚の理由を知りたいアゼリアと、隠したいシュティアによる駆け引き――に見せかけて、2人がいちゃいちゃしているだけかもしれない。

「離婚をしてほしいんだ」

「……なんとおっしゃいました?」


 事の発端は、アゼリアが夫、シュティアに呼び出されたことだった。いつものように会いたいから呼んだのかと思いながら気楽な気持ちで部屋を訪れたが、空気の重さにアゼリアは首を傾げる。いつもは子犬のように笑うシュティアの表情は強張っていた。


 そんなに深刻な話なのか、と姿勢を正して座ったアゼリアに、シュティアは前置きもなく切り出してきたのが、離婚の提案。


 愛する夫からの言葉に、アゼリアはどうにか笑みを浮かべて言葉を返した。しかし、その胸中は安寧ではない。


 離婚。全く心当たりはない。シュティアの真意が知りたくてじっとその目を見ていると、はっとした彼が慌てたように首を振った。


「ごめん。説明が足りていないね。正確に言えば、『政略的な離婚』だ。簡単にいえば、離婚のふりをするだけ」

「その理由は?」

「今は言えない」


 政略的。つまりは、政治的な事情、あるいは物事を有利に進めるための策略。シュティアの提案には、それらの目的が隠されているが、それを教える気はないらしい。


 シュティアのことは世界で1番信頼している。それでも、本当に離婚されるのは納得ができない。「政略的な離婚」はともかく、シュティアとの離婚を受け入れる気などさらさらないのだ。


 アゼリアはシュティアへ鋭い声で問う。


「それが本当の離婚ではなく、偽りだということは、何に誓うのですか?」

「私の命に誓って」

「……え?」


 一瞬、シュティアの言葉が理解できなかった。じわじわと意味が分かってきたアゼリアは息を呑む。


 自分の命に誓うという言葉の重さは分かりきっていることなのに、アゼリアは尋ねていた。


「本気で?」

「ああ。もちろん。もちろん書状にはするし、屋敷の中でも事情があること()()は伝える」


 アゼリアは眉をひそめた。屋敷の人間にも、本当の離婚ではないと伝えないということか。そこまで本格的にやる理由は?


 アゼリアを見たシュティアはふっと表情を和らげた。その表情は、いつも向けてくるものと同じ。


「本当に君と離婚するくらいなら、死んだ方がましだ」

「……」


 そう。この夫は、アゼリアのことを愛しているはず。それはシュティアを知る人間なら知っている事実で、アゼリアも当然のように知っている。だからこそ、なぜそんな提案をしてきたのか分からない。


 それでも。


「だから、頼む」


 真剣な表情で頭を下げてきたシュティアへ、アゼリアは拒絶の言葉を告げられない。普段は絶対にしないことをしてくる夫。それだけ、彼なりに事情があるということは分かってしまうから。


 しかし、ただ頷くのはこちらばかり譲歩しているようで腹立たしい。アゼリアは少し考えてから口を開く。


「それでは、離婚の話とは違う質問に1つだけ答えてくださらない?」

「君の思うままに」

「ありがとうございます」


 シュティアの目を覗き込みながら、アゼリアは問いかけた。


「私のこと、変わらずに愛していますか?」

「ああ。変わらず。何に誓っても良い。命にはもう別のことを誓っているから……女神に誓う? それとも、君に?」


 その目に嘘はない。もう、アゼリアのほうが折れるしかないのだ。軽く息を吐いてから頷く。

 

「……分かりました。あなたの策に乗って差し上げましょう」


 そう言うと、シュティアは安心したようにふにゃりと笑った。その笑みに、怒りも静まってしまうのだから、アゼリアも夫に甘い。


「助かる。ありがとう」


 こうして、アゼリアとシュティアの政略的な離婚が始まったのだ。


 ◆


 政略的な離婚であるということは屋敷の人間にも告げないようだ。離婚の信憑性を持たせるために、現在のアゼリアは別邸に移っている。


『円満夫婦が離婚か。原因は……』


 アゼリアは、読んでいた新聞を机に放った。そこに書かれているのは、自分たち夫婦が離婚するという内容。嘘か本当か分からないように面白おかしく書かれている記事。


「それがまさか、公表までするとは。本気なのね」


 アゼリアは、眉をひそめて、机の新聞を睨みつける。


 シュティアのことを信じてはいる。しかし、理由も何も教えてくれないのは少々気に食わない。もっとも、説明をしてこないシュティアを愛しているという言葉で許した自分は大分甘いのだろうが。


「本当にするつもりがないのなら、公表までするかしら?」


 シュティアは世間すら騙すつもりで離婚の演技をするらしい。どうやって撤回をするのだろうか。


「何を考えているのかしらね?」


 夫婦仲は良好だったが、シュティアの気持ちはさっぱり分からない。いつものシュティアなら、もっと丁寧に説明してくれるはずだが、それすらないのだ。


 本来なら、このままシュティアから政略的な離婚の終了を告げられるまで大人しくしておくべきだろう。


 それでも、このままぼんやりと過ごすのは性に合わない。


「……言えない、とは言われたけれど。探ったら駄目とは言われていないわね?」


 何も事情を説明されていないアゼリアが大人しくしているとは思わないでほしい。政略的な離婚には頷いたものの、何もしないという約束はしていない。


「あの人が何を考えているのか、調べてみましょう」


 ◆


 そうして別邸から本邸につながる屋敷の庭を歩いていたアゼリアだったが。そこで目撃したのは、夫が知らない女と二人っきりで話し込んでいる姿だった。


「え……?」

「あっ……」


 驚きの声をこぼしたアゼリアに気がついたシュティアも気づいたらしい。アゼリアがじっと見つめると、彼はふいと顔をそらした。


 そんなしまった、という顔をしないでほしい。怪しく見えるから。


 シュティアが一緒に話していた女に何かを告げると、その女はどこかへ行った。


 悪戯を見つかった子犬のようにしょぼんとした顔でシュティアは近づいてくる。あなたが被害者ぶるな、とは言えなかった。その顔がかわいかったから。


 シュティアにだけ聞こえる声で、アゼリアは囁いた。


「ええっと。旦那様。政略的な離婚といいましたよね? ところで、先程の女は誰ですか?」

「それは……」


 はっきりと困り顔をしているシュティアはこの現場を見られたくなかったのだろう。それなら。アゼリアは不貞腐れたような声色を作って言う。


「女遊びをするために離婚のふりをするなら、本当に別れればよかったのに」


 そう言うと、目を見開いたシュティアの表情が焦ったように変わる。彼がぶんぶんと首を振ったため、彼の後ろで結われている長髪も、尻尾のようにぶんぶんと揺れる。


「違う。誤解だ」

「誤解されることをしていたという自覚がおありで?」

「……」


 アゼリアが苛立ったような口調で言うと、シュティアは黙り込んでしまった。


 少しはシュティアのことを揺さぶれただろうから、ため息をついたアゼリアは本音を告げる。


「まあ、浮気をするとは思っていませんでしたが」

「じゃあ……」


 ぱああ、と表情が明るくなるのは、やはり子犬っぽい。そんなことを思いながらも、アゼリアは頬に手を当てて告げる。


「その代わり、何のために会っていたか、くらいは教えていただきたいですね」


 すると、シュティアの表情は一気に強張った。


 この状況はアゼリアの方に有利だ。シュティアがアゼリアに見られたくない現場に居合わせた。それは、交渉の余地がある。


 迷ったように瞳を揺らしたシュティアが、ぼそりと呟いた。


「……少し、集めたい情報があって」

「具体的には?」

「言えない」

「……」


 シュティアがぎゅっと口を閉じてしまったため、アゼリアは聞き方を変えることにした。


「あなたが自分で集めないといけない状況?」

「まあ、そう」

「なるほど」


 やはり言うつもりはないらしい。薄らと笑みを浮かべたシュティアがきっぱりと言った。


「君が気にすることではないよ」

「……へえ」


 少し引っかかる。君が気にする必要はない、という言葉。それは妻を信用していない夫の拒絶にも聞こえる。しかし、今までの関係から、この人がそんなことを言わないということはきちんと分かっている。


 それなら、なぜアゼリアに言おうとしないか。


 彼が隠したい事実に、アゼリアが関わっているからだろう。本当はもっと聞き出したいが、今はこれくらいにしておかないと、シュティアがアゼリアを警戒してしまう。


「……今後は気をつけてくださいね。私の目に入る範囲では」

「はい」


 ◆


 シュティアの部屋。彼は髪をくしゃりとかき上げた。


「ああ、もう厄介だ」


 シュティアの想定の中で、最悪が現実になっている。


 シュティアは下品に書き連ねられた新聞を、投げ置いた。そもそも、シュティアは()()()()()()()()


 それが何を表すか。


「やっぱり裏切り者か……」


 ある意味では、シュティアの規定路線。計画の範疇を超えていない。妻であるアゼリアと共に過ごす時間が減ることだけは気に食わないが、仕方がない。


 それにしても、女にいろいろと鎌をかけてしていたところを、アゼリアに見られてしまったのは失態だった。彼女を巻き込む気はないのに。


 シュティアは、机の引き出しから片手サイズの絵画を取り出した。そこに描かれているのは、もちろん愛する妻。シュティアにとっての女神。絵画を抱きしめながら、シュティアは呟いた。


「アゼリア。君のことは絶対に守るから」

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