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2-14 朱(あか)き城が燃え落ちる前に

夫が行っていた『二重外交』の罪を着せられ処刑された王妃アオリヤは死ぬ直前、国を守護しているという竜神に願う。


傀儡にんぎょうのような人生はもうこりごり!

もしも時が戻るなら、誰かの言いなりになんてならない! 今度こそ、私は自由に……!


そしてアオリヤは、5年前へと時を遡っていた。

夫婦生活は絶対ムリだし、無実の罪で連座はお断り!

今度は我慢しません!

 後ろ手に縛られ、よろよろと城から連れ出されたアオリヤは、背後にいた兵士に背を押され、硬く黒い石畳の上で膝をつくことを命じられた。


「そこに跪け」

「っ、……!」

 

 焼けるように熱い膝の痛みに咄嗟に腕に力を入れるも、逃さないと言わんばかりに兵士はアオリヤを縛っている縄を引く。一緒に髪も掴まれたアオリヤは仰け反って、視界に広がる朱に戦慄いた。


(……竜神が、怒りを迸らせている)


 彼女の目に映る竜神の怒りは、これまで見たことのないほどに凄まじく荒々しい。それでいてなお魅入ってしまうほどに美しかった。

 それに引き換え、今の自分は何だ?

 

 まるで罪人だと言わんばかりに、それまで過ごしていた城から問答無用で引き摺り出された。

 臀部を越えるまでに長い黒髪が、城の外へ進むうちに結い上げていた綾紐が解け、風に煽られ乱れている。

 

(私が何をしたって言うの?)


 大陸の最南端に位置する碧陽国(へきようこく)

 海に囲まれた、小高い丘の上にそびえる朱き城――丹龍城(ニライグスク)

 晴れた日には、青い空にぱっと朱が鮮やかに咲き誇る美しい城。それが今や曇天のなか黒煙に巻かれ、あちらこちらから火柱を上げている。

 まるでこの地の神である竜が、命の限りに怒りを振り撒いているようだ。


 岸壁の周りには、夥しい数のガルドニア帝国船。

 強風に煽られて、炎も波も高く舞い上がれば、微かに澄んだ悲鳴が海鳴りに混じる。

 

「……なにが、寵妃よ……」 


 アオリヤの口から漏れたのは、祈りでも嘆きでもなく、乾いた怒りだった。


 城の前の広場に全ての住人が連れ出されている中、アオリヤただ一人が、見張りの兵たちに囲まれて黒い石畳の上にいた。

 そこは、罪人たちに罰を与えるための場所だ。

 碧陽国に降り注ぐ熱い太陽の熱を吸い込んだ黒の石はすぐに高熱を持ち、服だけでなく肉を焼くまでに至る。

 すでに服は焼けこげ、アオリヤの痩せた膝の感覚は熱さを通り越して感覚が無くなっていた。

 

 視界の端には、軍服を着たガルドニア帝国の兵士たちが、無遠慮な足取りで闊歩している。

 先ほどから帝国の指揮官らしき男にさまざまな質問を投げかけられるが、アオリヤはひたすら「知らない」を繰り返し、首を横に振り続けていた。


「だが、我々が見つけた証拠には、其方の名前が記されている」

「っ、そんなの知らないわ!」


 目の前に示された証拠書類に何が書かれているのかわからないのに、なぜかアオリヤの名前が碧陽国の文字で書かれている。

 

 何も知らない。

 なぜ、そんなものがあるのか。

 なぜ、ガルドニア軍が突然攻めこんできたのか。

 なぜ、こんなにも早く火が回ってしまったのか。

 なぜ、『外交の天才』と謳われた夫――国王の尚隆(しょうりゅう)がアオリヤや民を見捨てて姿を消したのか。

 そしてなぜ、その妻であるアオリヤが『国家反逆の共同正犯』として、ここで首を晒されようとしているのか……。


 まったくもって納得できない。

 悔しすぎて涙も出ない。

 

「我がガルドニア帝国を相手に『二重外交』を仕掛けるとは、弱小国の出のくせに、万死に値する」 

「王妃アオリヤ。最期に言い残したいことはあるか?」


 処刑人が事務的な口調で告げる。その手には、遠くに光っている稲光が映りこむほどによく磨かれた蛮刀が握られていた。

 言い逃れはできないと嘲笑う司令官と、視線に熱はなく、ただ業務を遂行するだけといった兵士に、他に何を言ったところで聞き入れてくれるはずがないのだ。


(……もう、言い残すことなど、何もないわ)

 

 アオリヤは顔を上げ、燃え落ちる城を睨みつけた。


 嫁いで五年。無情と無力に打ちのめされ続けた日々だった。

 

 小さい母国を守るため、生まれた時から他国へ嫁ぐことが決まっていたアオリヤには、夫にただ恭順することのみを求められた。

 成人する前に嫁いだにもかかわらず、妻としての勤めを強要された。

 夫となった尚隆からも「王の仰るとおりです」その言葉だけを許されていたために次第に考えることを止め、アオリヤはあっという間にただの傀儡(にんぎょう)と化していた。


 夫婦間に愛情は無かった。王妃としての仕事は人前で舞うこと。ただそれだけだったが、求められていたのは神事ではなく、男たちを喜ばせるための見世物だった。

 それなのに、夫が何をしていたのか、なぜ『二重外交』が悪手なのか、アオリヤは何も知らないし、知ろうともしなかった。


(……それが、私の罪というの?)


「……私は認めない」


 これまで胸に押し殺していた熱が、腹から込み上げ、肩が震える。


「あんな……人間のクズみたいな夫のついでに殺されるなんて、絶対に認めないわ!」


 初めて声に出した叫びは、轟音を立てて崩れ落ちる正殿の音にかき消された。


 ヒュンと、処刑人が刀を振り上げた音がした。

 死の恐怖が過り、一瞬アオリヤの視線が群衆の中からとある男を見つける。


(……その官吏服。帝国の上着で隠しているかもしれないけれど……碧陽国の文官だわ)


 彼は帝国兵にさりげなく守られるような位置で、鋭い目つきでアオリヤを見つめていた。

 首筋に、冷たい風が当たる。


(……あぁ。彼が、密告したのね……) 


 だが、アオリヤが思うのはそれだけだ。

 力なく目を伏せる。


 死の間際に願ったのは、ただひとつ。


(本当にこの丹龍城に竜神がいて、もしも時が戻るなら、誰かの言いなりになんてならない! 今度こそ、私は自由に……!) 


 紫電一閃。


 最期に見えたのもやはり、朱だった。 


 

 ◆

 


「今日という善き日に、竜神に承認されたし新しき夫婦へ、盛大なる祝福を!」


 背後から聞こえる地響きのような歓声に、アオリヤは目を開けた。

 

 そこは城の前の広場ではない。

 正面では、黒の衣装の牧師が両手を掲げている。彼の後ろには金色に輝く竜像。ここは、城の中にある神殿の礼拝堂だ。

 高い天井に響き渡るのは、聴き慣れていた碧陽国の国宝楽器である『竜鱗琴』の澄んだ高い音色。

 祝いの歌を、舞台の袖で外交官が奏でていた。


 視線を上げれば、牧師の両手に見覚えのある誓約書と気づく。自分の母国語の署名もあった。


(……これは、結婚式? 五年前の?)


 首筋に、冷たい刃の感触が残っているような気がして咄嗟に首に手を向ける。大丈夫。繋がっている。熱くない。

 

 自分は処刑されたはずだ。

 一体なぜ? と、戸惑いながらも周りに目を向けようとして、隣人に気づいた。


(尚隆――!) 


 心臓が早鐘を打つ。

 指先が震える。


 彫りの深い顔に、でっぷりとした腹。

 神殿で竜神を前にする時は膝をつく決まりにもかかわらず、膝を曲げられない尚隆は脚の短い台座に腰掛けて、ニヤニヤとアオリヤを舐めるように見下ろしていた。

 

(……っ! そうだった。……以前も気持ち悪い目で私を見ていた……) 


 からだが震えそうになるのを必死で押し留め、幼い頃から訓練してきた微笑みを返す。

 それを見た尚隆は、グッとアオリヤの腰に腕を回して、耳元にくちびるを寄せて囁くのだ。


「……これでもう、其方は私のものだ……」 

「――っ」

 

 なんとか悲鳴をこらえながら、「尚隆さまのご期待に添えるよう、精進します」と答えるだけで精一杯だった。



 日が暮れると、会場を変えて挨拶回りだ。

 婚礼衣装からイブニングドレスに変え、髪飾りを変えて色を振り撒く。


(成人していなくて良かった……。もし成人していたら、このドレスよりももっと肌を出さなければいけなかったのよね……) 


 アオリヤの母国と碧陽国間にある海は、冬になると大しけとなり船が出せない。そのため冬生まれのアオリヤは先に嫁入りをして、碧陽国で成人式を迎えることになったのだ。


(……それなのにこの男は、突然私の部屋に押し入ってきた……) 


 思い出したくもない忌々しい夜をまた繰り返すのかと思うと、何もせずにはいられない。

 結婚式は終わってしまったが、奇跡が起こってあの結婚生活を回避できるのならば、今のうちにたくさんの人に顔を売っておきたかった。


(……この男のことだから、すでに『二重外交』を行なっているはず……。それなら絶対この中にその関係者も……!)


「『絽紗(ろしゃ)公国の舞姫』の噂は、かねがね。この後を楽しみにしておりますよ」

「ありがとう存じます。心を込めて舞を披露させていただきます」 

 

 尚隆と並んで客人たちに笑顔で対応しては、文官や外交官、軍人に、はたまたガルドニア帝国からの客人かと見定めていく。五年間で挨拶を交わした人間を覚えていたのは助かった。


(……こうしてみると、以前の私は本当に傀儡だったのね……。悔しいわ……) 


 アオリヤが考えていた以上に、この国はガルドニア帝国にゴマを擦っていたらしい。国王は来ていないようだが、外交を担当している客人たちは多い。


(……交易文書が読みたいわね……) 


 尚隆の湿った手に素肌の肩を撫でられて鳥肌が立ちそうになる。だが、ぎゅっと手を握りしめ我慢を隠しながら、アオリヤは必死で笑顔を振りまくった。

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