終焉へと至る事情 中
重苦しい空気が漂っていた。
ユエ達だ。例の崇拝者組織〝我等〟の拠点たる建物の屋上で、ハジメと別れた時のまま光の渦を見上げている。
街の雰囲気は、早朝から時間が経った故の日常的な喧噪を感じるだけで、当初の混乱は既に沈静化していた。
念のため周囲数ブロックは引き続きMCBとデトロイト警察が封鎖しており、マスコミ対応も行っている。表向きは潜伏していたテロリスト集団を制圧、爆発物などの処理や現場検証などのため封鎖していると説明がされているはずだ。
封鎖を突破して真実を知ろうとする者もほぼいない。ハジメが出発前に大規模なニューラ・○イザー・ニュー・サテライトを発動したからだ。文字通り、衛星型アーティファクトである。
もちろん、照射範囲外の者もいるだろうが、そういった者も、そもそも現場に踏み込もうという気になれる者が存在し得ない。
〝光の渦〟自体も既に認識できなくなっている。
香織が周囲一帯を囲む強力な認識阻害結界を展開したからだ。
かつて飛空挺フェルニルでハルツィナ樹海上空に初めて赴いた時、大樹ウーア・アルトを認識できなかったのと同じ状態にしているのである。
なので、重苦しい空気は超常現象が発現しているデトロイトの混乱のせいでは当然なくて。
また、ハジメがどうなったのか心配だからでもなく。
「世界の……崩壊……だと?」
「長くても百年後には滅亡する……? はは……なんの冗談だ……」
健比古と清武の親子が片手で口元を覆うというそっくりな仕草で呟いた通り、そう、世界の滅亡が原因だった。
実は、ハジメとマーキュリース主任の会話は全てユエ達にも伝わっていたのだ。端的に言えば〝盗聴〟である。
流石に異世界間通信機だけでは〝神樹の核〟がある空間に入った瞬間にノイズが酷くなってしまったが、その繋がりを魂魄魔法で補強する形で、言わばハジメをマイク代わりにすることで会話を聞くことに成功したのだ。
魂魄魔法を使える者だけが鮮明な会話を聞ける状態なので、更に愛子が全員に繋げる形で聞いている状態だ。
なので、屋上には現在、傍目には全員が黙りこくって立ち尽くしている光景が広がっていた。念のために出入り口を警備しているMCBの部隊員二人が、奇妙な光景かつ何やら尋常でない雰囲気に顔を見合わせて困惑している。
「……ダメだ。まったく話についていけない」
「そんな映画じゃあるまいし……ね、ねぇ?」
エージェントJが両手を挙げて降参を示す。Kは引き攣り顔で何かの間違いだろうと周囲へキョロキョロと視線を彷徨わせている。
無理もない。
――世界の滅亡
口にすると、もはや陳腐にすら感じる。エージェントKの言う通りだ。使い古された映画の設定でも聞かされている気分で、あまりに現実感がなかった。
それはヴァネッサやクラウディア、それに陽晴や朱ですらも同じで、話のスケールに未だ意識がついて行っていないような、どこか呆けた様子を見せている。
だが、スケールは違えど〝滅亡〟という危機に直面したことがある者達――トータスでの決戦を経たユエ達は当然、実際に滅びかけた妖精界の緋月は迫る現実の重さを理解し、その表情を険しくしている。
意外なのはバスガイドの甘衣杏寿が顔色を真っ青にして頭を抱えていることだろう。外なる神、異形の怪物共の異常性を知る彼女には、〝世界滅亡〟という荒唐無稽なワードが実感できるのかもしれない。不幸なことに、というべきだろうが。
「世界が滅ぶ時は、きっと外なる神の仕業だろうと思っていたが……そんな、どうしようもないことだとは……」
同じく外神の脅威を誰よりも知る不定形神話生物娘――サスラが玉虫色に輝く瞳に諦観にも似た感情を滲ませて呟いた。
どうしようもないこと。
確かにそうだ。何せ頼みの綱である神代魔法が使えない現象なのだ。ユエ達の力の根源が全否定されているのである。
そんなもの、いったいどうしたらいいというのか。
サスラの呟きを受けてか、更に深刻な空気が濃さを増す。誰もが言葉を失っている。
と、そこで
『受け入れられない』
大樹の如く揺らぎのない声音が魂に響いた。端に魂魄魔法による効果という意味ではない。重苦しい空気を吹き飛ばし、直接、魂に届くような声音だったのだ。
ユエ達がハッとした様子で一斉に顔を上げた。
『いつでも、どんな状況でも、手は必ずある』
絶望も諦めもない。そんな概念は存在しない。と言わんばかりの強力な意志の力が乗った言葉。
ユエ達は顔を見合わせ、自然と笑みを浮べ合った。
呆けていた陽晴達も表情が引き締まり、健比古達も息を呑みながらも動揺から立ち直り始める。
まさに、魔法の如き言葉だった。
そうして、ハジメの言葉にマーキュリース主任が合意し、手を取り合ったと理解すれば、
『へっ、ハー坊の野郎……やっぱ、てめぇこそ真の漢だぜ』
「スルーしていたんだが、その生き物はいったいなんなんだ」
より詳しい状況説明のために残っていたリーさんが、水空両用飛空挺トリアイナ改のコックピットの中でドヤ顔をし、その言葉にユエ達もまた我が事のように誇らしげにドヤ顔をして、エージェントJもツッコミができる程度には落ち着いたようだった。
一拍おいて、ハジメとマーキュリース主任が改めて話し始めたのを聞きながら、ユエが視線を巡らせた。
「……愛子、ライラに繋いで。一緒に聞けるように」
「! そうですね、直ぐに!」
「……ん。シアは星霊界のルトリアと箱庭のエンティに、ティオは天竜界のメーレスに、雫はG10に、香織はフォルティーナに、リリィは……一応、アドゥル殿に連絡を取って」
「合点承知です!」
「あい分かった」
「任せてちょうだい」
「ゲートを繋げられるようにしておいて良かったね」
「確かにアドゥル殿は通信機をお持ちですし、大樹の化身なきトータスでは、あの方に伝えておくのが一番良いですね。分かりました!」
世界共通の危機だ。事態を各世界の頂点にいる者達と共有するのは必須事項だろう。
ユエの指示の意味を理解して、即座に対応を始めるシア達。
「ミュウ、るしふぁー達は今の話、聞いてる?」
「みゅ? んん~、みゅ! 聞いてるって言ってるの!」
ミュウが視線を背後に向ける。レミアがきょとんっとするが、視線を向けたのはママではなく自分の影だったようだ。
ミュウの影がぐにゃりと揺らいだかと思えばスゥッと伸び、明らかにミュウとは違うシルエット――翼の生えた大人の人間のような姿――を形作ったところを見るに、どうやらルシファーさん、万が一に備えて生体ゴーレムから抜け出し、影に潜んで護衛していたようだ。
その影から腕が真横に伸びてグッとサムズアップを作る。ちょうど顔面あたりを踏む位置にいたレミアが「きゃっ」と可愛い声を上げて飛び退いた。
少女の影が明らかに人外の姿を取る……という光景に優花達は思わず苦笑を浮べ、エージェント達や甘衣はギョッとした表情になる。聞き覚えのある魔王の名も合わさって「こ、これが魔神の娘……」と戦慄に声を震わせている。
「……それから、遠藤」
「分かってるよ、ユエさん。妖精界だろう? エミリーに繋ぐよ。直ぐ傍に漢女神もいるはずだし」
ん、と頷くユエ。その様子を見て朱がスマホを取り出し、しかし、少し考える素振りを見せると頭を振って懐へ戻した。
「我々も組織に連絡を……と思ったが、まずは話に集中すべきだな」
「はい、シウさん。話についていくだけでも精一杯です。聞きながら要点を伝えるのは難しいでしょう」
「ですね。魂魄魔法による伝達のようにリアルタイムで聞けるなら別ですが……」
ヴァネッサが少し期待の籠もった目をユエに向けるが、話の内容には当然、それだけでは説明できないくらい常にない集中した様子を見せている。
実は、〝虹の橋〟の補強的干渉以外にもやっていることがあるのだ。
警戒である。
それこそユエ達が、否、ハジメがユエをこそ残した最たる理由だった。
もちろん魔法特化のユエであるから厄災界で無力化状態にされる危険性も考慮には入れてのことではあるが、それ以上に〝門の神〟、あるいは他の〝無神〟が、ハジメの地球不在中に行動を起こさないとも限らない故、最強の魔法使いを残しておきたかったのである。
羅針盤ですら居場所を特定できない相手だ。だから、ユエはハジメの信頼に応えるべく、今この瞬間もあらゆる魔法を駆使して、全力で警戒網を広げているのである。
たとえ〝無神〟自体は感知できずとも、連中が行動を起こした時の事件や事象は見逃すまいと。
なので、流石に各組織のリーダー単位にまで魂魄魔法による伝達を使ってくれとは言い難い雰囲気だ。というか、マグダネス局長達も、いきなり世界滅亡の話を用語もよく分からないまま垂れ流されても困惑するしかないだろう。
「そもそも聞いたところで……悔しいですが、一組織がどうこうできるスケールの話ではないのです……報告は必要ですが、まとめてからがいいでしょう」
困り顔のクラウディアの肩をポンポンしつつ、ラナも頷く。
「ボスなら解決手段まで行き着くかも知れないわ。少なくとも百年の猶予があるのだし、まずは話し合いを聞き届けましょう」
ラナの言葉に、組織に属する者達は揃って頷いた。そして、今も進んでいる話に改めて集中する。
どうやら、〝一から全部〟というハジメの言葉通り、マーキュリース主任は〝厄災界の歴史〟から話しているようだった。それはつまり、崩壊に至る歴史だ。
それが結局、〝無神〟や〝世界滅亡の本当の要因〟の詳細に繋がるらしい。
「……こうは言いたくねぇが、流石はエヒトの野郎が生まれた世界だぜ。とんでもねぇな」
「そうだね……」
腕を組んで仁王立ち状態の龍太郎が眉間に深い皺を刻みながら呟き、隣の鈴も苦笑気味に頷く。
その姿に、淳史と昇、それに奈々と妙子は同意しつつも思わず顔を見合わせた。
昔の龍太郎なら「難しい話はよく分からねぇ。どうすりゃいいかだけ教えてくれ!」とでも言って早々に匙を投げるところだろう。
なのに、今のどっしりと構えて全てを受け止めるような雰囲気は、その鍛え抜かれたたくましい肉体と相まって何とも頼りがいがあった。
まるで、そう……メルド・ロギンス騎士団長を彷彿とさせるというか。
「神樹の化身を倒して成り代わるなんてな……化身ってのは、その世界の存在に対しては絶対的なアドバンテージを持ってんだろう? それを倒しちまうなんて……」
「神の権力を手にした証〝神王権証樹〟――略して〝神樹〟ね。想像とは違って酷い意味合いね」
龍太郎の言葉を引き継ぐように優花も顔をしかめて呟いた。
マーキュリース主任曰く。
厄災界の歴史は魔法技術の開発競争の歴史といっても過言ではないらしい。
長い歴史の中で魔法技術は発展し、やがて理法術へと至った。体系的に整理され、技法が確立され、会得難度は著しく軽減された。
もちろん、適性や才覚の影響からの完全脱却は、まだまだ研究段階だったようだが、少なくとも〝人類は進化した〟と言える程度には高度な魔法文明が築かれた。
その最たる成果が人類種の長命種化だ。一部の超越者などは不老不死も実現していた。もちろん、事故や病気で死亡するリスクも激減した。
厄災界の人類は、半ば死という概念を克服していたのだ。
その結果、何が起きるか。
人口の爆発的な増加である。星一つがあっという間に許容限界を迎えるのは当たり前で、宇宙進出への流れもまた当然だった。
宇宙進出の研究も進み、星から星へ、宇宙に流れる魔力の流れ――起源流に乗ることで星間移動も容易に可能だったので、人類は瞬く間に星々へと進出していった。
なお、この起源流に乗る技術を使うと、起源流から転移者を保護し行き先を指定する魔法の影響で一時的に虹色に輝くことから〝虹の橋〟と名付けられたらしい。
光の渦が虹色でなかったのは、素子に近いエネルギーに変換されていたからのようだ。
「ご主人様が言っておった」
話を聞きながら、ティオがポツリと零す。全員の視線がティオに注がれた。
「妾達はいずれ、己の終わりを選ぶ時が来ると。その通りじゃ。始まったものには終わりがなくてはならん。それが自然の摂理じゃ」
それが出来なかったのが厄災界ということなのだろう。
宇宙進出は人口飽和という問題の先送りに過ぎない。幾千年という時の中で、当然ながら厄災界は再びその問題に直面することになった。
これまた当然の流れの如く、厄災界は戦乱の時代に突入した。資源を巡って、あるいは人口を減らすためなんて直接的な理由や、今一度、死の概念を取り戻すために超越者や技術を葬ろうとする戦争などなど。
だが、お互いに理法術を使い、お互いに死に難いのだ。
戦争は終わらない。終わらないから更なる技術的優位を取らんと研究が進む。
そうして、人類は遂に概念魔法に至り、更には任意に概念魔法を発動する技法まで確立してしまった。
シアが溜息交じりに言う。それは呆れではなく、どこか自分達を戒める響きが含まれているようだった。
自分達の保有する力の強大さを思い、他人事ではないと感じたのだろう。ティオ達も同じ様な表情をしている。
「それで概念魔法が乱発されるようになって、遂に理が狂い始めたんですね」
「でも、致命的じゃなかったのね。神樹と化身が健在で世界の狂いを修正していたから……」
あら? 待って? と、そこで雫が疑問顔になった。それだと理壊現象って大樹と化身がいれば食い止められる? というか、そもそも〝神樹の核〟だけで局所的ではあるけれど理壊現象の影響を防げているわよね? と。
口に出した途端、ハジメも同じ疑問を抱いていたようで問いかけているのが伝わってきた。
そう言えばそうだと、ユエ達も顔を見合わせている。
その疑問は後で解消されるからと話を進めるマーキュリース主任。
どうやら〝世界の滅亡〟は理壊現象だけが原因ではないようだ。
「取り敢えず、概念魔法が乱発されて理に狂いが生じても、神樹と化身の力で修正は可能。アーティファクトのように、本来は永続的効果を持つ物も効果を十分に発揮できなかった。っていうことなんだね」
「これって、その概念魔法のエネルギーの種類が、あくまで化身の管轄する世界と合致している場合って条件付きよね?」
香織に、少し自信なさげに優花が確認する。香織も話についていくのがやっとなので、やっぱり少し自信なさげにユエを見た。
「……ん。そういうことだと思う。そして、その事実はつまり、厄災界において、どの陣営も決定打を打てなかったということ」
ならば、当時既に存在を認知されていた〝異世界への進出〟はどうか。
しかし、それもまた当然ながら化身が許さない。
ルトリアと同じだ。異世界への干渉を許さず、異世界からの干渉も許さない。世界は、その世界だけで完結するべきという考えと。
「人は生まれて、そして死ぬ……という自然の摂理を、もう一度、受け入れられたら良かったのでしょうね……」
リリアーナが頭を振りながら言う。無理だろうと思っている顔だった。
確かにそうだろうと誰もが思った。
例えばの話だ。環境に重大な問題が生じているから文明的生活を捨てて原始的な社会を形成し直そう。電気も電化製品も捨てて、中世以前の生活に戻ろう。
そう言って地球の人類が一致団結し実行するだろうか?
個人あるいは小集団ならあるかもしれない。そうすべきだと理解を示す者もいるだろう。
だが、大多数は拒否するに違いなく、己が不便な生活を実践しても少数であるが故になんの効果もないと分かれば、理解者達も〝そうすべき〟と分かっていても便利な生活を続けるだろう。
それが〝長寿〟や〝不老不死〟なら、なおさら手放せるはずがない。
「……私達とは事情が異なるとはいえ他人事じゃない。自分達なら大丈夫とは、きっと、思うべきじゃない」
ユエの呟きは重かった。神代魔法を手にする前から不死身の吸血姫である。否応なく自戒の念が誰よりも色濃く滲み出る。
反面教師というわけでもないが、シア達も神妙な表情で頷いている。
「わっちには縁のない心情でありんすなぁ。終わるまで存在する。それだけで良いと思いんすが?」
「はは、まぁ、妖魔はそうだろうなぁ」
「でも、人は……分かっているでしょう、緋月。そこまで物分かりが良くないのです。故に厄災界が辿った道は、ある意味、自然な帰結だったのでしょう」
緋月に苦笑する浩介。陽晴も同じく苦笑を浮べ、しかし、聞こえてきた話の続きに重苦しい溜息を吐く。
人類が本気で化身打倒を掲げたことだ。
己の世界の存在に対し、化身は絶対的なアドバンテージを誇る。厄災界の住人が如何に強大な力を振るおうとも、その力の源が〝魔力〟である限り、化身には絶対に勝てない。
それが、どの異世界においても変わらぬ絶対のルールである。
だが、その〝絶対〟を乗り越える力を持っているのもまた〝人類の可能性〟というやつなのだろう。
化身打倒のための研究が、あらゆる国家で行われ始めた。
「〝神樹を制する者、世界を制する〟……神樹の化身は、どんな気持ちだったんでしょうね」
シアが沈痛な表情で言う。ルトリアの悲痛な叫びを思い出したのだろう。
「神樹の神様は、どうして止めなかったの?」
困り眉になっているミュウの疑問に、誰も答えられなかった。ハジメも同じく疑問に思い質問したが、マーキュリース主任も、それは分からないという。
愛すべき人の子に手を下すことができなかったのか。
それとも、人の子が成すことに興味がなく、そして己が敗北するはずがないと慢心していたのか。
今となっては、神樹の化身――人型の美丈夫、男神であることしかマーキュリース主任も知らず、健在だった時の詳細を知る者は全滅しているため、彼の者が何を考えていたのか確かめる術はないとのことだ。
ともあれ、人類の下剋上は成った。とある惑星を支配する国家が、遂にその方法を手にした。
魔力の素子化と、素子干渉技術である。
直接、自在に操れたわけではない。ただ、化身に対し大きなデバフをかけたり、人類の魔法が十分に効力を持ったり……というレベルなら可能だった。後は数の暴力だ。
結果として化身は敗北し、戦勝国は神樹と化身の肉体の一部を手に入れた。それを元に、人工化身を作り上げた。
それがホロウの前任者ともいうべき存在であり、理の管理端末として作り上げられたシステム――理管補助システム、通称〝理管者〟だ。
〝者〟と呼称されているのは、前任者が人型だったからである。
人型なのは当然に理由がある。憑依だ。理管補助システムとは、空っぽの器たる化身に憑依することで成り代わることが可能なシステムだったのだ。
化身に成り代わることに成功した戦勝国の王は自らを〝神王〟と称し、神樹の星を〝選ばれし者だけが住める神の国〟として新たに国を興した。
そして、直ぐに重大な問題に直面した。
「あ~、結局、人の身には過ぎた力だったってことかぁ」
「さもありなんってやつだなぁ」
これが地球くらいの文明レベルなら問題なかったのかもしれないなぁと、淳史と昇が思わず声を上げる。
厄災界と地球の違い。文明レベルの違いだ。
地球は宇宙に影響を及ぼせない。だが、厄災界は違う。既に概念魔法乱発の影響や、今なお効果を有する特級魔法具の類いが存在していて、宇宙の果てまで、それらの影響を無効化し、環境を管理していたのは他ならぬ神樹の化身だった。
それが、神王にはできなかったのだ。
単純に処理能力の問題である。宇宙全ての管理をするには、化身の身を奪っても、どれだけ理法術や概念魔法で補おうとも、人の身には、より正確に言うなら人の精神では足りなかったのである。
たとえ権能を振るわずとも精神の摩耗は少しずつ進み、不老不死の身でありながらも数百年単位で代替わりが必要になってしまうほどに。
妙子があちゃ~~っと言わんばかりに頭を抱える。
「その結果、理壊現象を止められなくなって、その影響もどんどん広がっちゃったわけだ……」
「っていうか、神樹の星を中心に限られた範囲なら理壊現象の影響に対抗できるからって、宇宙の辺境を丸ごと見捨てちゃうって……神王マジヤバい奴じゃん。戦犯すぎでしょ」
奈々が引き攣り顔で言う通り、神王は一種の開き直りともいうべき決定を下したのだ。
増えすぎた人口問題を、ある意味、解決できるじゃないかと。
加えて、宇宙の隅々まで把握することができないなら、いつどこで新技術が開発されて化身の二の舞にならないとも限らない。それなら世界など対応可能な範囲まで縮小してしまえばいいと。
そして、時間をかけて処理能力の問題も解決し、再び宇宙全域を取り戻せばいい。
自分は前の神とは違う。有能な者だけを選別し、しっかりと人口も管理できると。
端から聞いても、それは浅はか極まりない判断だった。
そして、案の定だった。
「……〝む〟?」
別にユエは「むぅ?」と唸ったわけではない。魂魄魔法越しにハジメも同じように「む?」と小首を傾げているのが伝わってくる。
マーキュリース主任が頷き、再度、口にする。何もないという意味の〝無〟だと。
そして、それこそが〝無神〟と〝世界滅亡の本当の要因〟だと。
「……九つの宇宙の更に外? 〝可能性の世界〟との隔たり?」
ユエがあからさまに困惑しながらマーキュリース主任の言葉を反芻する。見れば、シア達も龍太郎達も、そして浩介達も揃ってなんとも言えない微妙な顔を見合わせていた。
魂魄魔法を通じて、ハジメが「そっちか……」と呟いているのが伝わってくる。
何か心当たりがある様子だ。確かに、この建物の中で〝外神〟の正体について推測を口にしていた時、ハジメは〝理の崩壊の影響を受けた厄災界の生物ではないか?〟と口した。
だが、「あるいは……」と、直ぐにもう一つの可能性も口にしかけていた。
どうやら、そっちの可能性が当たったらしい。
ユエ達が聞いていることを意識してか、あるいは困惑していることも予想してか、ハジメが敢えて一つ一つを確認するように、かつ理解し易いように言葉を選んで問いかけを重ね始める。
ユエ達はより一層、話に集中し出した。
そして、甘衣さんはスッと離れて屋上の端で黄昏れた。これ以上は本当に話についていけないと悟って降参したらしい。
というかなんで私、こんな物語の終盤で主要メンバーが集結しているみたいな場面に交ざっているんだろう……魔王城を前に作戦会議する勇者パーティーに村人が混じってるようなものですよ、場違い感半端なくて辛いんですけど……お家に帰りたいんですけどぉ……と、三角座りしながら目の端に涙を滲ませる。
その左隣にスッとトリアイナに乗ったリーさんが並んだ。その目は『一人は……寂しいだろう?』と言っているようだった。
おっさん顔人面魚の接近に、一瞬、頬が引き攣る。
ちょうど真下に段ボールがたくさん入った大型のゴミ箱があるなぁ、四階くらいの高さならワンチャンいけるか? と普段のクセで逃走経路を確認してしまうが、おっさん顔の人面魚はとても優しい眼差しだったので思いとどまり、コクリッと頷く甘衣さん。
その右隣にスッと緋月さんが並んだ。その目が「これ以上、小難しい話を聞いていては世界が滅ぶ前に死んでしまいんす」と言っていた。
額に生える角と人外特有の空気感に、一瞬、頬が引き攣る。
今度こそ本能的かつ条件反射的に某アサシンの如くイーグルダイブを決めそうになるが、共感と慈愛が伝わってくる眼差しだったので思いとどまり、コクリッと頷く甘衣さん。
一人と、一匹と、一体。
話についていけね~ズ達は、揃って仲良くシリアスムードに背を向けたのだった。
「〝無神〟は、理壊現象により変異した厄災界の生物ではなく、平行世界の存在ということなんだな?」
そう確認しながら、ハジメは〝宝物庫〟から椅子を二脚、取り出した。流れのままに話していたが、一筋縄ではいかない問題なのだ。腰を据えて話し合わなければならない。
ホロウは未だに魔力を吸い上げているし、ユエ達も困惑を深めているだろうことは容易に想像できるので、気持ちは逸るが己が落ち着くためにも……ということだ。
差し出された椅子に素直に座ったマーキュリース主任は深く頷いた。
「平行世界の存在も知っているのね?」
「ああ、女神から聞いた。フォルティーナは彼の存在を〝厄災〟と呼び、〝九つの宇宙〟の更に外側から来た存在だと教えてくれた」
砂漠界を襲った悲劇の黒幕と厄災界を襲撃している存在は同じだということだ。
「奴等は〝無〟とやらからやってくると言ったが……その〝無〟とはなんだ?」
「そのままの意味なのだけど……そうね。敢えて表現するなら〝何も存在しないということが定義づけられた空間〟とでもいうべきかしらね」
完全なる暗闇であり、完全に物質一つ存在しない空間らしい。
そして、その空間に入り込んだが最後、肉体も精神も〝無〟に塗り潰されるようにして消えるのだとか。
何も存在しないし、存在することも許されない。
一種の〝何も存在しない〟という概念的空間とでもいうべきか。
「さっき私達と貴方の転移方式の違いを説明したわね?」
「ああ」
「貴方は私達と同じく世界の構造を〝世界樹と、そこから生える枝葉〟でイメージしているようだから、そのまま説明するけれど」
起源流は世界樹を巡る、言わば水や養分を運ぶ道管だ。一本の枝葉、すなわち〝九つの宇宙を内包する世界〟では相互に道管が伸び、流れがある。
その流れに乗るか、道管の中を無理やり進むか。
それが厄災界とハジメの転移方式の違いだ。
だが、それは〝同じ枝〟の範囲内だから可能なのだ。
〝異なる枝〟、つまり平行世界へは起源流の流れがない。もちろん、元は世界樹から伸びる同じ木の枝ではあるので起源流は繋がっているが、それは流れに逆行して大本の枝を通り、迂回するようにして別の枝に行くということになる。
「……人の身に耐えられることじゃないな」
「ええ、不可能よ」
圧し固めた砂糖の塊を、単に水流に流した場合と、逆行させた場合、どちらが長く形を保っていられるか。イメージとしては、そんな感じだろう。
「じゃあ、枝を無視するのはどう? 枝と枝、葉と葉の間には何がある?」
「普通は空気だな。ああ、そういうイメージか。空気の代わりに〝無〟があるってことか」
「そう。そして、常人では耐えられるはずのない〝無〟に耐えてしまう者がいる。貴方や勇者殿も、きっとその一人ね」
「しんだい――理法術や概念魔法を扱える者なら耐えうると」
つまり、〝無神〟とは〝無〟に耐える力を持った平行世界の強力な存在ということだ。
「……生への執念、何かへの怯え」
サスラが言っていたことを思い出す。強大な存在でありながら、その俗物とも言える感情。なるほど、と思う。
「好き好んでそんな場所に行きたい奴はいないだろう。行かざるを得なかったか、事故か。いずれにしろ、極限の状況の中で生きたいという極限の意志を抱いていたことだろうな」
「それこそ平行世界では既に滅亡を迎えていて、だから別の枝界――ああ、平行世界のことね――に、逃げ出そうとした。ということかもしれないわ」
いずれにしろ、だ。たとえ生き延びることはできても、直ぐに別の枝界に行けるわけではない。何せ、何もないのだ。右も左も上も下も、方向という概念すらもない。
何も感じない。何も見えないし聞こえない。そんな世界で、どこかの枝界に辿り着くことを祈りながら、永遠に等しいかもしれない中を漂流する。
無事で済むはずがない。身も心も。
「〝無神〟は別枝界の強者の成れの果て、ということか」
「魂自体が変質するようね。ほとんど思考力はなく、極めて本能的になるようよ。もちろん、漂流期間にもよるのでしょうけど」
〝無〟の世界から来た神の如き力を持つ存在。けれど、本来の体も心も無くした存在。この世界線に存在するはずのない存在。故に〝無神〟ということらしい。
「そうすると……今、厄災界を襲っている連中も異世界に脱出したいのではなく、別枝界に逃げ出したいということか……いや、待て、だとしたらおかしいな?」
〝無〟を漂流し、そして厄災界に漂着した。なら、入ってきた場所から出ていけばいいだけだ。どう考えても一度、異世界に渡ろうとしている。それはなぜ?
「言ったでしょう。起源流に逆行するなんて自殺行為だけれど、それでも繋がってはいるのよ」
いつ漂着するか分からない。永遠に辿り着かないかもしれない。そんな〝無〟を漂流するより起源流を逆行した方がいい。
その逆行とて大本の枝に辿り着くまでだ。そこから別の枝への確かな流れがある。
と考えると、〝無神〟の目的は異世界の大樹なのかもしれない。ゲートとして使い起源流に入りたいのだ。
「〝無〟に耐えられる存在だ。確かに、それができるならそうしようとするな……」
「ええ。ただ、本当に植物のように道管があるわけじゃない。激しい流れに逆らいきれず、多くは弾き出されて、結局、〝無〟に放り出される。逆に、漂流中に起源流へ入り込むこともあるでしょうけれど」
「なるほど……だとしたら……天竜界の壁画は……そういうことか」
マーキュリース主任が小首を傾げる中、ハジメは思い出す。
天竜界の壁画には竜樹を囲む黒い影と、その更に外側を包囲する白竜や戦士達の姿が描かれていた。
てっきり侵攻を抑え切れず竜樹が襲われ、それを外側から必死に倒そうとしている図だと思っていたが……
逆だったのかもしれない。
〝無神〟と成り果てたものが竜樹から出て来ようとした。だから立ち位置が逆だったのだ。そして、侵入を完全に阻みきれないと悟り……
きっと、白竜が竜樹を破壊し天核にして世界に降り注がせたのは、〝無神〟を打倒するためではなく侵入口自体を破壊するためだったに違いない。
「ちなみにだけれど、宇宙の果てと〝無〟の間には隔たりがあるわけじゃないわ。だから、理壊現象に関わらず、〝無神〟が宇宙の果てに漂着するということも十分にあり得る。それでも、大海原の中で小さなボートに辿り着くようなものらしいけれど」
「どの世界に、どれだけ流れ着いているかは分からないってことか……」
少し考える素振りを見せたハジメは、
「なら、状況が状況だ。各世界の大樹も警戒レベルを引き上げないとな」
「そうね?」
殊更に強調するように、そう言った。今のはマーキュリース主任にというより、この会話を聞いているはずのユエ達に向けての言葉だった。
それだけでユエが上手く指示を出してくれるだろうと。
「さて、話を戻しましょう」
〝無〟も〝無神〟の正体も厄災界の歴史を辿る中での前提の話だった。
神王は理壊現象を放置した。そして、それは別の現象を呼び込んだ。
それが〝無の侵食〟だ。
そしてそれは、理壊現象に付随して進行する現象ではなく、理壊現象をトリガーに発生する新たな現象だった。
「? どういう意味だ?」
「……私達はこれを〝剪定現象〟と呼んでいるわ」
「せんてい? 枝葉を取り除くって意味のか? それは……いや、待て。待ってくれ。それはつまり……そういうことか?」
どういうこと? とユエ達が困惑しているだろうに、ハジメはそれにも気が回せないほど考えに没頭した様子を見せる。口元を片手で覆い、少し体を丸めるようにして視線を落として。
そこから独り言のように推理を口にしていく。
「本当の滅亡要因は理壊現象そのものじゃない。そう、理壊現象が起きている枝界とは言わば〝腐った枝葉〟なんだ――世界樹にとって」
枝葉の一部が腐食したり病気になったりした場合、それが木の本体にまで及ばぬよう切除することを剪定という。
もし、だ。世界樹が、壊れた世界が他の平行世界に波及しないよう自ら枝葉を切り落とす機能を有していたら? それが世界樹という根源世界における〝理〟だとしたら?
「そうか。だからアンチ概念なんだな? 〝理は壊れた〟という事実に〝理は壊れていない〟という概念を作ったのは、単に理壊現象を止めるためだけじゃない。世界樹に誤認させるためだ。まだ厄災界は健在だと。剪定する必要はないと」
「……呆れたわ。一言、口にしただけで説明することがなくなったじゃない」
正解、ということらしい。
事実であった。
銀河数個分という範囲は確実に神樹と神王で守れると計算されていたが、実際は広がり続ける〝無〟が理壊現象の範囲を追い越して神樹の守りをも呑み込み始めたのだ。
〝剪定現象〟の前では、大樹でさえも抗えないのである。
「実際に、理壊現象アンチ概念によって〝無〟の進行は止まっているわ。それが、世界樹には〝剪定機能〟があるという何よりの証左でしょう」
「ということは、世界を立て直すには……」
「ええ。理壊現象そのものを修正するか、もっと上手く誤魔化すか、ね。それも永続的に」
アンチ概念魔法は理壊現象を完全には止められない。よって、いつか限界を迎えれば厄災界が滅ぶ。
そうなれば、もう〝剪定現象〟を止める方法はなくなる。全ての異世界が〝理壊現象〟を防げても〝無〟に呑まれることになる……
それが〝滅亡の本当の要因〟ということらしい。
ふぅ~っと、ハジメから深い溜息が漏れ出した。流石のハジメもいろいろ整理しないと直ぐに言葉が出てこない。
タバコを嗜む者なら、ここらで一服するところだろう。父親の会社の喫煙ルームに頻繁にこもってはスモークとガラス越しに手を振ってくるおじさん社員達が不意に思い出された。特に納期が迫る中で芋づる式に不具合が見つかった時のおじさん達の姿が。
悲愴感と達観と覚悟が入り交じったような表情、そしてエナジードリンクが決まりすぎていて、優しい表情なのに嫌に目だけがギラついている姿とか。
ある種、現実逃避だろうか?
だが、今ならその心情が良く分かると、ハジメは〝宝物庫〟からエナジードリンクを取り出した。なんのラベルも貼られていない剥き出しのスチール缶だった。逆にヤバそうだった。
「どうぞ」
「あ、どうも」
ご厚意を反射的に受け取るマーキュリース主任。少し戸惑いつつもプシュッとな。一口、二口……こ、これは!? 一気にグイッ!!
「異世界は素晴らしいわね!」
マーキュリース主任の目もまた、無表情なのに嫌にギラついた。
「……ハジメぇ」
旦那のギリギリ合法(?)飲料の布教に、頭を抱える正妻様の姿があった。また一人、エナジードリンク信者が生まれた予感がヒシヒシとする。
「あはは……ま、まぁ、飲みたくなる気持ちはわかりますし、ね、ユエさん」
「私達だって一息入れたいくらいだしね?」
ユエの肩をポンポンして苦笑しているシアと香織だが、単に宥めるための方便ではなく本心だというのが雰囲気から分かる。
実際、圧倒的な情報量に誰もが一息入れたそうだ。
ミュウやレミアはそろそろお目々がグルグルしてきているっぽいし、エージェントJやKは理解を諦めて、とにかく情報を得ることだけはしておこうと必死にメモを取っていた。
龍太郎達や浩介達は、ハジメのエナドリ交流とユエの頭を抱える姿を見て、知らず入っていた肩の力が少し抜けたようだが。
その様子を見て同じく少し力が抜けた様子の愛子がくすりっと笑みを浮かべる。そして、視線を虚空に彷徨わせた。
「それにしても〝無神〟ですか……ライラさん、そちらは大丈夫そうですか? 変わりないですか?」
魂魄魔法で繋いでいる王樹のライラに、念のため確認しようとしているようだ。
『ええ、問題ないわ。忠告通り警戒網も広げているけれど特に異変は――』
「ん? ライラさん?」
不意に途切れたライラの言葉。魂魄魔法で念話的に繋がっているので、それは全員に伝わった。
顔を見合わせるユエ達。
その直後だった。
「……!!」
ユエがバッと顔を上げた。その目を見開いて〝虹の橋〟を凝視する。
「ユエよ、いったいどうしたのじゃ――」
「……全員、警戒して! 妨害されてる!」
頬を引っ叩くような鋭い声音が響き渡った。
誰もがハッとし、同時に困惑する。一斉に〝虹の橋〟を見やるが、傍目には何も変わりがなかったからだ。
「……〝虹の橋〟そのものを覆うような結界だと思う。凄く巧妙。橋自体には一切影響を与えてない。でも、通信が途切れてる。直ぐに解除は難しそう」
「見ても私達じゃ分からないわ。最初から〝虹の橋〟に干渉していたユエだから分かったのね。だとすると……〝門の神〟? それとも他の〝無神〟? 動き出したのね?」
雫が簡潔に状況を口にしたおかげで、既に臨戦態勢になっていたシア達や浩介達はともかく、呆けていたエージェントJ達は辛うじて状況を理解できたようだ。
あの怪物がまたやってくるかもしれない。そう理解して顔を青ざめさせている。甘衣さんも屋上の端から凄まじいダッシュでユエの傍に滑り込んできた。
どこから来る? どうやって襲撃を? 王樹の方はどうなっている? 誰もが周囲を見回しながら警戒する中、
『ライラよ。聞こえるかしら? 襲撃を受けているわ! 間違いなく〝無神〟よ!』
ライラの声がようやく届いた。
「……門の神?」
『分からないわ! ただ――』
ライラが何かを伝えようとするが、それに被せるようにして別の声が大きく響く。
『こちら機工界、G10本体。現在、襲撃を受けています。正体は不明。黒い霧のようなものを纏っています』
それが皮切りだった。
『天竜界、メーレス。おそらく〝無神〟だ。二体、確認』
『シア、聞こえるかしら? 何者かの軍勢が迫っているわ。話に聞く〝無神〟のようね』
『フォルティーナより異界の者へ。どうやら、あの厄災は滅びきっていなかったらしい。すまない。力ある者よ、救援を頼めるか?』
『リリアーナ王女、私だ。アドゥルだ。念のため大樹に向かっていたのだが、北の山脈側から何かが樹海に迫っている。黒い靄でよく分からん! だが、とてつもない力を感じる!』
『こうすけ! ブラウから伝言! 東の小天樹が失われたって!! こっちにも何かが迫ってるみたい!』
「ふぇ? あ、ユエお姉ちゃん! るーちゃんが……えっと、地獄界が凄い地震に襲われて、それから、何かが大地の中を動いているって! 部下の悪魔さんから報告が来たって!」
次々に、世界各地から怒濤の報告が入ってくる。
生きるために隠れ潜んでいた〝無神〟達が一斉に動き出したのだ。まるで、生きるためには今、動かねばならないと必死になっているかのようだった。
「なんだよ、どういうことだよ。南雲が無限魔力を注いでるから百年は安泰だろ? 〝無神〟はそれが感知できないのか? 感知できていたからタイムリミットが迫っているって、〝門の神〟も伝えてきてたんだろ!?」
「外なる神にとっては、数年も百年も変わらないのかもしれないな……」
浩介が困惑した様子で声を張り上げると、サスラが推測を口にする。だが、どこか困惑した雰囲気なのは一緒で、己の推測に半信半疑な様子だ。
「というか、出ていきたいっていうなら出て行かせてあげるんじゃダメなの?」
優花が焦りを見せつつも意見を出す。今出現している〝無神〟がどれほどの個体かは分からないが、女神でさえ敗北し得る個体が過去に居たのは事実。
戦うよりさっさと出て行ってもらった方が……と思うのは当然だ。
「いや、それは危険ではないかのぅ? 門の神とやらは平行世界へ渡るために大量の魂を求めた。聞けば崇拝者とやらは崇める神は違えど同じ様なことをしているとのことじゃ」
「なるほど、そういうことね。果たして今、襲撃している〝無神〟達にそれだけのエネルギーはあるのか。もしなかったなら何からエネルギーを得る?」
「大樹そのもの、あるいは化身から……かもしれないってことだね、雫ちゃん!」
「待てよ。もし形振り構っていられないってんなら……普通に街中に出て魂を直接食いまくる奴だって出んじゃねぇのか!?」
龍太郎の懸念は最もだ。少なくとも誰も否定できない。
今のこの状況とはつまり、全ての異世界で、どこにどんな〝無神〟が出現し無差別に襲撃するか分からない状況だということだ。
「は、はやく、なんとかしないとなの! クーちゃんを助けにいかないと!」
「くそっ、襲撃範囲が広すぎる。最初から深度マックスで分身を出して――」
「妖魔や悪魔達の協力も取り付けなければ……」
「私達も組織に連絡して――」
「しかし、〝無神〟の戦力が――」
「まずは彼とどうにか連絡を――」
屋上が喧噪に包まれた。
とてつもなく厄介で強力な平行世界の怪物達による全世界同時襲撃という事実を前に、そして、この先更に酷くなる可能性に誰もが浮き足立つ。焦りの中で自分達のできることは何か、何をすべきか、言葉が飛び交う。
魂魄魔法越しにも各世界から報告や疑問、要請が飛んでくる。
その時だった。
パァアアアアアンッと澄んだ音色が響いた。同時に、魂に直接張り手をされたような衝撃が走った。
ハッと視線を転じる。
そこには柏手を打った後のように、胸の前で両手を合わせているユエの姿があった。
閉じられていた目がスッと開く。紅玉の瞳から放たれる王威とも言うべき迫力に誰もが息を呑んだ。
「……うろたえるな」
〝神言〟だろうか。と思うほど、スッと染み込むような声音だった。
焦りも、揺らぎも、不安もない。王の如き泰然とした声音。
「……なんのために私達がいる?」
決まっている。信頼されているからだ。
ユエ達なら、仲間なら、万が一厄災界からの帰還が難しくなっても一切を任せておけると、他ならぬハジメに。
「……私が采配を振る。異論のある者は?」
無言。だが、それはユエの雰囲気に呑まれたからではない。
ザッと音が鳴る。全員が脚を揃えてユエの方を向いた音だ。その表情に浮き足だった雰囲気は、もはや微塵もなかった。女王の命令を待つ忠実なる臣下の如く。
魂魄魔法越しからも伝わってくる。ユエの言葉を待つ雰囲気が、そして、その命に従おうという意志が。
「……よろしい」
ユエの姿が変化した。大学生くらいの姿から大人モードへ。服装も白を基調としたドレス風に。
「……証明しよう。ハジメ一人が何もかもを背負う必要はないということを」
ふわりっと浮く。背負う輪後光が美しい。だが、女王の如き威厳を見せる姿は、もっと美しい。
その圧倒的な美しさと、感じる絶大な力を前にして、
「……これより全世界を守護する。みんな、よく私の声を聞くように、ね?」
ハジメの不敵な笑みとは少し違う、けれど、同じように絶対の安心感を与えてくれる妖艶の極みのような笑みを向けられれば、できる返事など決まっていて。
取り敢えず、一番大きな『はいっ』は星霊界のルトリアさんから返ってきたのだった。
きっと、あちら側では「ち、違うのです! 今のは! ついっ!」と顔を真っ赤にして弁解していることだろう。周囲の神霊達に。
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