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ありふれた職業で世界最強  作者: 厨二好き/白米良
ありふれたアフター最終章
550/550

たとえ明日、世界が滅びるとしても





 小鳥のさえずりと小川のせせらぎが優しく心を撫でる。


 緑が豊かな場所だった。木漏れ日は幻想的で、喧噪もない。


 そんな森の中に、木の柱と、その枝葉の屋根で作られた休憩所のような場所があった。ガゼボ、あるいはパーゴラと呼ばれるようなあれだ。地面から生えてきた木の根で編んだようなベンチもある。


 そのベンチに一人、腰掛けている女性がいた。


 白のブラウスに紺色のタイトスカートという如何にもレディーススーツのような服装の上に白衣を羽織っている。


 首の後ろで無造作にまとめた白い髪に、苦労を刻んだような深いシワのある容貌。六十代くらいだろうか。〝美しく歳を重ねた〟と表現すべき綺麗な女性だった。


 だが、どこか非人間的というか、生気が薄いというか……


 足を綺麗に揃えて、膝の上に両手を重ねて、背中に板でも差し込まれているみたいに姿勢よく座って微動だにせず。


 木々や花々を愛でるでもなく、自然の音に耳を傾けるでもなく、何か飲み物に舌鼓を打つでもなく。


 ただ、ぼぅっと正面を見つめている姿は、まるで博物館に飾られている(ろう)人形のよう。


 その視線の先には、逆に活気に満ち満ちた光景があった。


 ワンピース姿の小さな女の子だ。掌のエサを(ついば)む小鳥をキラキラした瞳で見つめている。まだ十歳にも満たないだろう銀髪の、天使のように可愛らしい子だった。


 小さなリスが少女の体をよじ登りエサの横取りを企む。くすぐったそうに身を捩りながらも、小鳥の邪魔をさせないよう慌てて止めようとしているが、リスは小馬鹿にするように肩やら頭の上やらを走り回り。


 もぉ! と怒って手を振り回せば、驚いた小鳥が飛び立ってしまい。


 あ~~っと手を伸ばしたかと思えば、しょんぼり肩を落とし。


 そんな少女に「してやったぜっ」と言ってそうな雰囲気で、子リスが見事に奪い取ったエサを頬張って、少女は顔を真っ赤にしてお説教を始め。


 何をやってるんだと、頭上の枝から見守っていた黒ネコがポフッと少女の頭の上に着地して、肉球でおでこをポフポフしながらなだめにかかり。


 肉球の魅力に敗北した少女の表情が瞬く間にふにゃ~~っと崩れて……


 かと思えば、少女の視線が急に白衣の女性の方に向いて、パァッと輝くような笑みを浮べて……


「……」


 だが、白衣の女性に反応はなく。死んだような目で少女を見つめ返すのみ。


 少女が白衣の女性のもとに歩き出す。白衣の女性の反応のなさなんて、まるで見えていないかのように。


 そうして、少女の伸ばした手が、白衣の女性に触れる……という寸前で。


「主任」


 不意に白衣の女性に生気が戻った。茫洋としていた瞳に理知の光が戻り、人形説を否定するように肩越しに振り返る。


「お邪魔でしたか」


 同じ白い髪でボブカット。シンプルな白いV字シャツとズボンという違いはあれど、同じ白衣姿。


 美しいというよりは可愛らしい顔立ちの三十代前半くらいの女性が、手を伸ばしたまま動きを止めた少女を見て眉を八の字している。


「いいえ。問題ないわ。ただ、ぼぅっとしていただけよ」

「……大丈夫ですか? 最近、よくここに来るようですが……」

「もう歳ね」

「歳ってそんな……」

「人生をトシてきただけに――ってね」

「……」


 二人の女性は見つめ合った。シンッとした空気が流れた。お互いに無表情である。


 チュンチュンッ。小鳥のさえずりが、やけに響く。


「今のは年齢という意味での歳と、人生を賭けるという意味での賭すをかけた――」

「説明は結構です」

「…………そう………」


 心なしか悲しげな雰囲気を感じなくもない。0.1mmくらい眉尻が下がった気がしなくもないし。


 ボブヘアの女性は呆れた雰囲気を隠しもせず、これ見よがしに溜息を吐いた。


「それで何用かしら?」


 居たたまれなかったのか。傍目にはまったくそんな風には見えないが、微妙に視線を逸らしながら話題も逸らす主任さん。


「そろそろ観測結果が出そうなので念のため」

「それを先に言いなさい」


 弾かれたように立ち上がる主任。変化は劇的だった。無機質にも感じた瞳に強い意志の光が宿ったようだった。白衣を翻してサッサと歩き出す。


「わざわざ直接伝えに来る必要もなかったでしょうに」

「……それはまぁ、そうなんですが」


 ボブヘアの女性は何も言わず、主任に続いて(きびす)を返した。その際に、チラッと視線を向ける。


 そこには、手を伸ばしたままの少女の姿が。


 そう、微動だにせず、笑顔もそのままに、手を伸ばした状態で固まっている少女だ。


 あたかも動画を一時停止したみたいに。


「貴女は……幸せな人生を送れたのかな?」


 そうであれと願うような小さな小さな呟きは、空気に溶けるようにして消えて誰にも届かず。


 ボブヘアの女性が少女に背を向ける。


 直後、少女が消えた。まるで完成したパズルがバラバラと落ちていくが如く崩れるようにして。周囲の自然も同じように消えていく。


 後に残ったのは無機質な真白の空間だった。


 先程までの自然も少女も極めて高度な幻影の類いだったらしい。


 部屋の一角に半透明かつ扉サイズの壁が出現する。そこに一瞬も振り返らず踏み込み姿を消す主任。


 その後ろ姿を見つめるボブヘアの女性の表情には深い敬愛と同時に、どこか言いようのない悲しみが宿っているようだった。











 スクリーンのような〝ゲート〟を抜けた先は、広いが天井は低めの円柱形の部屋だった。やはり全てが真っ白だ。


「来たか、主任。今、結果が出たところだ」

「報告して」


 部屋の中央に身長二メートル超で筋骨隆々の男がいた。真白の漢服のような衣服の上から白衣を羽織っている。禿頭で側頭部に幾何学模様が特徴的だった。


「時空の乱れが広がっている。第一段階だ。……主任、遂に始まったぞ」

「……そう」


 部屋の中央にキラキラと輝く直径一メートルほどの光の球体がある。それを見つめる巨躯の男の表情は険しく、声音は低く唸るようだった。


 一見するとただの光球なのだが、どうやら何かしらの情報媒体らしい。主任とボブヘアの女性もそれを見つめている。彼女達には情報が読み取れているようだ。


 ボブヘアの女性は何かを堪えるように口元を真一文字に引き結んでいる。


 主任の表情は相変わらずないに等しいが、その目つきは鋭い。目は口ほどに物を言うと表現されることもあるが、まさにそれだ。今の彼女の瞳には様々な感情が確かに渦巻いていた。


「〝旅人〟から信号は? 時空が乱れている今なら、あるいは……」

「いや、ない」

「……結局、一機も帰っては来ませんでしたね。他の世界では多くの時間が流れたはず。計算上では万年単位、少なくとも数千年は経っているはずです。なのに……我々の研究も進捗は……このままでは、もう……」

「落ち着け」


 巨躯の男が、(うつむ)くボブヘアの女性の肩に手を置く。しんっとした空気が漂った。真綿で首を絞められているような重苦しい空気が。


 少しして、主任が静かに口を開いた。ゾッとするほど無感情な声音で。


「…………あの日」


 光の球体から主任へ視線を転じる巨躯の男とボブヘアの女性。


「何もかもが狂い壊れた日」


――お母さん! どうして!? 私は最期までお母さんとっ


 主任の脳裏に浮かぶ、あの銀髪の少女。否、成長した美しい大人の女性。


 虹色の光と、彼女を羽交い締めにする者達に阻まれながらも必死に手を伸ばしている。美しい顔をくしゃくしゃに歪めて、泣きながら。


「あれから、およそ百年。けれど、まるで昨日のことのようね。あの日の光景が脳裏にこびりついて一瞬も離れないのよ」


 輝く球体を見つめながら独白のように言葉を零す主任。巨躯の男もボブヘアの女性も黙ったままジッと主任を見つめている。


「百年。よく持った方だ……と、かつての中央の連中なら、全能の神みたいな賢しらな顔をして言うのでしょうけれど――冗談じゃない」


 主任の視線が返ってくる。過去と輝く球体から二人の部下へと。


「我々には果たすべき義務がある。諦めることは、かつて犯した大罪よりも重い罪。やり遂げるためなら……犠牲を厭わない。どんな手も使う」


 部下二人へ細めた目を向ける主任。冷酷と表現したくなるほど、その瞳は怜悧な光を放っていた。


 一拍おいて、主任は言った。


「人柱を増やすわ」


 その言葉に、二人は言葉を返さず。


 ただ主任と睨み合うようにして見つめ合い、やがて黙って一歩引き、目礼した。


 と、その時だった。けたたましく警報が鳴り響いたのは。


「こんな時に襲撃? 最近、やけに多いわね」

「ゴーストチームが既に迎撃に出ていますね」


 ボブヘアの女性が光の球体に手を添えて何やら操作しながら言う。なら問題ないだろうと主任も巨躯の男も頷き合う。が、直後、主任達の脳裏に酷く焦燥の滲む声が響いた。


『報告!! 大規模襲撃! 数、不明!! 最低八十……いや、百体以上!! なお増加中! 全チームの出撃を要請!!』

「なんですって?」


 あれほど表情に乏しかった主任が目を見開いていた。巨躯の男とボブヘアの女性もだ。唖然とした様子で硬直してしまっている。


 無理もない。この百年で一度も起きたことがない異常事態が起きたのだ。


無神(むじん)の大量出現? そんなことがあり得るの?」


 襲撃者の正体は分かっている。この終わった世界で自分達を襲撃できる存在など他にいない。


 無神――世界の果てより襲来するおぞましき存在。終わった世界であってもなお、存在を認められない完全なる異物。


 侮れない相手だった。散発的に襲い来るそれらは一体一体が凶悪なまでに強力で。


 理に干渉し、それどころか理を超越した領域にさえ手が届く自分達でも油断すれば敗北し兼ねない強敵だ。


 いったい、この百年の間にどれだけの同胞を失ったか……


 だが、襲撃はあくまで散発的で、今まで一度だって集団で襲い来るなんてことはなかった。分裂や増殖の能力持ちという例外もいたにはいたが、十分に対応可能だったのだ。


 それが、百体以上?


「時空の乱れと何か関係が? いえ、それよりも第一級防衛態勢に――」


 考察は後回し。まずい事態だ。場合によっては総力を以て対応する必要がある。


 そう考え光球に手を伸ばす主任。


 だが、事態は更に混迷へと突き進んでいるらしかった。


 脳内に響く更なるアラート。


 警報ではない。この響きは……


「うそ……〝旅人〟からの信号!?」


 ボブヘアの女性が大声を出した。驚きすぎて思わず咳き込んでしまう。


「主任! 〝旅人の間〟に反応あり! ……帰ってくる。帰ってくるぞ!!」

「ッ。この場を任せるわ。防衛態勢を最大に!」

「了解した!」


 指示を出すや否や横目を向ける主任。ボブヘアの女性は動揺を呑み込むようにして深く頷いた。


 次の瞬間、二人の姿が消えた。


 施設の転移機能を利用しない彼女達自身の転移。驚くべきことに、それは〝ゲート〟すら使用しない、ユエが〝天在〟と呼称する最高クラスの転移魔法だった。


 いとも容易くそれを行った二人の転移先は、〝旅人の間〟と呼ばれる部屋だ。百年前、世界を閉じる寸前に送り出した希望の探索者達。その帰還を可能とする異世界間転移専用施設である。


 刹那のうちの切り替わった視界に映るのは真白の空間だ。


 天井と床で対となっている複雑精緻な魔法陣。縦に五十列、横に十列、総計五百。


 その一角、部屋の奥のナンバリングでは四百番台という後半の位置に、この百年、待ちに待ち続けていた帰還者の姿が。


 薄汚れて、あちこちにヒビの入った――黒い金属製の三角錐が転がっていた。


「ああ……本当に……」

「全滅……してなかったのね」


 ボブヘアの女性が口元を両手で覆い身を震わせる。主任もまた僅かに声音を震わせ……


 しかし、感動と驚愕が入り交じったような感慨に耽っている余裕は、どうやら与えてもらえないらしかった。


『な、なんやねん、いきなり! ワレぇ! なんやよう分からん場所に連れて行く思うたら問答無用に転移させよって! やんのけっ、おぉおん!?』

『異世界召喚ってやつか? ……やれやれ、勇者の坊主じゃあるまいし。まぁたカミさんにどやされちまうぜ』


 三角錐の向こう側からひょこっと顔を出したのは、


「うさ、ぎ?」

「……変な乗り物(?)に乗った人面魚もいるわね……」


 どう見ても、チンピラみたいにキレ散らかすウサギと妙に濃い容貌の魚だった。


 別に、だ。しゃべるウサギや人面魚という点はいいのだ。かつての世界には、そういうのもいたし。というか創られていたし。


 だが、だがしかしである。


 三角錐の浮遊体――他の八つの宇宙から希望を持ち帰るために送り出された通称〝旅人〟達には、明確に設定がされていたのだ。帰還条件が。


 その条件とは、次のどれかを見つけること。


 一つ、この世界の技術水準を超える技術を有する者、あるいは技術そのもの。


 二つ、文明の転換点をもたらすことが可能なレベルの才人。


 三つ、この世界の過去に存在した者を超越する、あるいは特異な力を保有する〝勇者〟。


 大雑把に言えば、この三つだ。


 この三つ……なのだが。


『あん? 人がおるやんけ。おうおうおう、姐さん方や。あんさんらが召喚者か? 事情説明はしてくれるんやろうなぁ? 事と次第によっては――』

『だぁかぁら! てめぇはどうしてそう喧嘩っぱやいんだ! 頭、魔物かよ! ……いや、魔物だったな』


 どう見ても該当しているようには見えない。チンピラウサギと風来坊気取りの人面魚にしか見えない。


「こんな時、どんな顔をすればいいのか分からないのだけど」

「いつも無表情じゃないですか」


 何はともあれ、まずはコミュニケーションだ。


 〝旅人〟がどんな選定基準でこの珍妙な二人(?)組を選んだのか分からないが、何か傍目には分からない重大な要素があるに違いない。まだ機能停止はしていないようであるし、修理すればいろいろ確認できるだろう。


 ならば、敵対するわけにはいかない。

 なので、とりあえず両手を広げて敵意はないことを示しながらご挨拶。


「ようこそ異世界の方々。お会いできて心から嬉しく思うわ。……生憎とあなた方にとっては不運以外の何ものでもないでしょうけれど」

『あぁん?』

『ほぅ?」


 ボブヘアの女性は思った。


 白衣を翻し、無表情で、身長差故に自然と見下ろす視線になって、両手を広げながらツカツカと近づいていくその姿……


 主任……完全に黒幕の登場シーンです、と。


 実際、ウサギさんと人面魚さん、臨戦態勢になってますしっ、と。


 後ろで部下が何か言いたげに手を伸ばしているのにも気が付かずに、主任さんは実行した。自身が考えうる最高の〝友好を示す方法〟を。


 そう、〝笑い〟は世界共通にして最強のコミュニケーションツールだから!


「本当に飛び跳ねるほど嬉しいわ。ウサギや打ち上げられた魚のように!……ってね」


 しんっとした空気が漂った。


 ボブヘアの女性が天を仰いだ。


 ウサギさんと人面魚さんは顔を見合わせた。物凄く戸惑っているのが分かる!


「……今のは、ウサギがぴょんぴょん跳ねる姿と、陸に打ち上げられた魚がびったんびったん跳ねる姿を、飛び跳ねるほど嬉しいという気持ちに掛け合わせた――」


 ボブヘアの女性が両手で顔を覆ってしまった! 穴があったら入りたい! みたいな雰囲気だ。


 なので、取り敢えず。


『冗談、下手くそかっ!!』


 ウサギ――イナバさんはビシッと前脚を突きつけてツッコミを入れておいた。


 主任さんは、酷くショックを受けて固まった。













『つー感じやったな。ワイ等が来た時は――っとぉ!!』


 〝念話〟を発動しながらも空中回り蹴りを放つイナバさん。


 その直撃を腹に受けたのは、濃緑色のゼラチンめいた質感の人形(ひとがた)の怪物だ。


 触手で編まれたような頭部に適当に付けたような無数の目。退化したような胴体と足、その栄養の全てを孕んだような異様に肥大化した両腕。


 姿だけでも強烈な違和感と吐き気を覚えさせ、見ているだけで発狂しそうなほどの異質さを感じさせるそれが、


――ッ※※※※ッ


 アーティファクトの脚甲の効果か。それとも単純なイナバの技か。


 土手っ腹が破砕でもしたみたいに崩壊し、更に衝撃波によって体をくの字に折って、声にならない絶叫を上げながらぶっ飛んでいく。


 着地と同時にウサミミをファサッとしつつ、会話の相手に視線を向けるイナバ。


『おぉ!』


 思わず感嘆の声を漏らす。


 静かな戦場があった。


 ゆらりとゆらりと木の葉のように揺れる人影。そこに殺到する全方位からの無数の触手。


 その全てが人影から一定の範囲に入った途端、サイコロ状にバラバラになっていく。


 人影を囲む人形の怪物の一体が腕を突き出せば、空間振動だろうか。歪む空間が人影へと迫り。


 斬ッ。


 空間の歪みそのものが、人影が右手に持った眩しいほどの輝きを放つ剣によって両断され、瞬く間に歪みが収まっていく。


 今度は二方向から黒く渦巻く砲弾が放たれた。おそらく重力球だ。


 だがそれも。


 斬ッ。


 人影が踊る。そう錯覚するほど美しい回転だった。右手の剣と左手の木剣が、それぞれ剣の長さにかかわらず、斬線上の重力球二つを到達前に割断してしまう。


 その隙を突いたつもりか。三体の人形の怪物が一瞬のうちに三方向から肉迫。剣を振り終わった直後を狙った完璧なタイミングでの奇襲だ。


 その両手の鉤爪――僅かに空間がずれて見える。おそらく空間切断が発動しているのだろう――を目にも留まらぬ速度で振るった。


 そして、空ぶった。


 冗談みたいにするりっと、人影は鉤爪の包囲網を散歩でもしているような足取りで抜けたのだ。かと思えば、人形の怪物三体が一斉に斜めにずれた。


 同時に、先程魔法と触手を放っていた三体も一緒にずれた。


 斬られたのだ。離れた位置にいてなお。


『ほんま、何度見ても惚れ惚れする斬撃やなぁ。いや、ワイの目でも追い切れへんねんけども……』


 感心と興奮と、たっぷりの悔しさがこもった称賛を口にするイナバ。


 正面に出現した人形の怪物の頭部をサマーソルトキックで吹き飛ばし、返す脚で斬撃を放つ。上手く両断できた。自画自賛しても良い見事な切り口だ。


 だが、それでも……


『勇者のあんちゃんには及ばん、な。へっ、滾るやないか』


 全てを見ているようで、どこも見ていない。光のない茫洋とした瞳。なのに、その剣閃は見ているだけで、否、目で見えないからこそ背筋が凍る。


 〝有念無想〟――〝死んでも守る〟という妄念にも近しい強烈な私心はそのままに、無我の境地に至るという(スキル)。矛盾に満ちたそれは、ある意味光輝らしいスキルである。


 だが、その効果は本物にして絶大だ。


 攻守の最適解を常に選び続ける。見切りを超えた見切り。流れる水の如き自然な動き。視界に入っているのに意識にも残らない路傍の草の如き、著しく反応し難い剣閃。


 あまりに周囲と調和していながら、あまりに速い斬撃であるが故に。


 斬る、という過程を認識できず。


 斬られた、という結果だけが認識できる斬撃。


 それはウサ毛も逆立つというものだ。


『何より面構えが違う。しばらく見んうちに漢になりおったなぁ』

「ごめんっ、イナバさん! 返事できなかった!」


 敵に包囲されて咄嗟に使ったのだろう。〝有念無想〟を解除した光輝が駆け寄ってくる。


 途中、飛来した光線のような攻撃を見事に聖剣の腹で反射するようにして逸らし、返す刀で〝天翔閃〟を放ちながら。その〝天翔閃〟も音速クラスの速度だ。


 それを見事に転移でかわすついでに背後を取ってくる人形(ひとがた)の怪物も流石だが、それを見越して弾丸のように圧縮形成した光弾を背後に放っていた光輝も、イナバが感嘆するに十二分な百戦錬磨の戦士だった。


 胸部に光弾を受け、更に内部で破裂したそれで爆散する人形の怪物には振り返りもせず、イナバと背中合わせになる光輝。


「で、そのあと直ぐに戦い始めたってことかい?」

『せや。少しは事情説明してもろたけどな。詳しいことはよう知らん。何はともあれ襲撃をなんとかせな帰る手段も失われかねへんから志願したんや。なんせ、ほら、この世界、こんな有様やし』

「そう、だね……ほんと……凄い光景だ」


 戦場の騒音が激しい大合唱を繰り広げる最中、光輝は一息を吐きながらも改めて周囲を見回した。


 草木一つない荒野の大地。


 地平線まで視線が通る。それほどに何もない。


 そして、その先にも何もなかった。


 大地が断崖となって途切れているのだ。その下に大地の続きがあって死角になっているから見えないというわけではなく。


「まさか、手を伸ばせば届きそうな場所に宇宙があるなんてね……」


 そう、宇宙である。


 ここは星ではない。言ってみれば宇宙に浮かぶ島。中心部から四方に数十キロ単位程度の広さしかない、地球平面説を地で行くような平面の大地なのだ。


 上を見上げれば虹色の輝きを帯びたドーム状の天幕がうっすらと見える。高さは千メートルを幾らか超えるくらいか。それが浮島全体を覆っている。


 宇宙空間と浮き島を隔て、人類の生存を可能としている結界だ。


 否、より正確にはこういうべきか。理が崩壊した世界で、と。


 そう、この場所こそが、イナバとリーさんが召喚され、更にその後に光輝達が召喚された場所――滅んだはずの厄災界にして、この世界における唯一の生存圏だった。


 厄災界には生き残りがいたのだ。異形の怪物ではない。確かな意志と心を持った〝人〟の生き残りが。


 かつての母星は砕け散り、もはや存在しない。この大地は、地球で言うところの月と同じ衛星だ。正しくは、同じく砕け散った衛星の一部だ。


 宇宙空間には幾つかの星々の他にも無数の漂流島や岩石群が見える。


 更に、銀河の如く渦巻く巨大な光の渦も。


 だが、長くは見ていられない。頭がおかしくなるからだ。


 まず距離感がおかしい。ずっと遠くに見えていたかと思えば、瞬きした直後には結界の直ぐ外に見える。時には、両方の感覚にも陥ることも。


 それどころか見えているのに存在していないようにも感じるなんて奇妙な感覚まで。


 しかも、それらは普通に形や体積までランダムに変わるのである。


 先程まで直径十メートルほどの歪な形だった岩石が、唐突に真球になったり。


 何百メートルもの巨大な岩石になったかと思えば、礫の如く縮小したり。


 そんなのはまだ序の口で。


 金属の質感になったかと思えば液体や粘体になり、気が付けば水蒸気のように霧散していったり。そうして消えたと思ったら、何事もなかったみたいに元の光景が広がったり。


 極めつけは、どう見ても人や動物にしか見えない姿にまで。


 何かがおかしい。何かが決定的に狂っている。


 なのに目が離せなくなって、時間の感覚も忘れ、狂った認識の世界に溺れて――


『シャオラッ!!』

「!!」


 ハッと我を取り戻す光輝。イナバさんが殺到した無数の空間を飛び越えて出現した触手の群れを蹴りの薙ぎ払い&衝撃波で吹き飛ばしてくれていた。


 どうやら一瞬、意識を奪われていたようだ。


『ボサッとすんなや! 勇者のあんちゃん!』

「ごめんっ、イナバさん!」

『あんま(そら)を見んなってゆうたやろ。安全圏やからって油断できん。理が崩壊してるちゅーのは、そういうことや。って、ワイもここに来た最初の頃は何度も主任の姐さんやリィーの旦那にドヤされたで』

「はは……概念魔法の結界の内側からですら人を狂わせる、か……外に出たらどうなってしまうのか……恐ろしいね」


 聖剣を刹那のうちに伸長し、その理が崩壊しているはずの宇宙空間から虹色の結界を素通りして侵入してくる人形の怪物をまとめて両断しつつ、光輝は頬を引き攣らせた。


 言葉としては理解していた〝理の崩壊〟。


 だが、実際に目の当たりにすると言葉もない。ただただ恐ろしく思う。


『しっかり頼むで。今は比較的に襲撃の波も落ちついとる。連中の強さもクラス3ばっかりや』


 会話はそのままに一瞬で姿を消すイナバ。超音速の領域に軽々と入り、何か強力な魔法を使おうとしていた人形の怪物を蹴り穿つ。


 もちろん、光輝も止まらない。


 直上から隕石の如く落下してきた、おそらく超重力場を纏っているであろう人形の怪物へ聖剣の切っ先を向け、伸ばす。回避の暇も与えず刺し貫く。


 だが、数が減らない。


 人形の怪物は際限なくやってくる。光輝達が決して手を出せない、理が崩壊しているはずの宇宙空間から滲み出るようにして。


 先程、〝有念無想〟も使って五十体以上を削ったというのに、それで残り数体まで削ったというのに、もう元の数に戻りそうだ。


「神代魔法を普通に使ってくるのに、これで最弱か……」

『ほんま、来てくれて助かったで。悔しいが、ワイではクラス2で手こずる。クラス1以上ともなればお手上げや』


 主任達は解析の結果、人形の怪物の強さには個体差があることに気が付いた。そして、ランクを付けたのだ。


 クラスが上がるごとに単純に全てのスペックが上がる。それも昇華魔法でも受けたみたいな爆発的な上がり方だ。


 クラス3ならイナバの本気の一撃で必殺になる。


 だが、クラス2では有効打は与えられても一撃必殺とはいかず、それどころか瞬く間に再生までしてしまう。


 クラス1ともなればじり貧だ。死に物狂いでやって時間稼ぎがやっと。


 それが複数体となれば死を覚悟しなければならない。


『この世界の理法術師っつー連中も化け物揃いや。それこそ最高位の連中は勇者のあんちゃん等に負けず劣らずやった。それでも、ワイ等が召喚されてからおよそ二週間、たったそれだけの間に半数が逝ってもうた……』

『うん……少し聞いたよ』


 トータスの時間軸では、イナバ達は二ヶ月以上前に失踪している。だが、この世界ではまだ二週間程度しか経っていないらしい。


 そして、襲撃が始まったばかりの当初は、もっと酷い状況だったのだという。イナバとリーさんでは手も足も出ないクラスの人形の怪物が複数体いたとか。


 厄災界の生き残りの中には、複数の神代魔法――ここでは理法術という――が使える猛者や、一つの神代魔法に限れば神髄の領域にまで至っている者が何人かいたらしいが……


 流石はエヒトの元の世界というべきだろう。だが、そんな彼等・彼女等も刺し違える覚悟で戦い半数が死んだという。


 そのおかげでクラス1を全滅させることに成功し、襲撃の勢いは減じ、個体の強さもクラス3がほとんどになったが……


 襲撃自体が終わらないことに加え、一週間前にもクラス2が複数体出現。


 死闘に次ぐ死闘の結果どうにか撃退するも理法術師側は更に疲弊し、昨日、更にクラス2が出現したことで絶望的状況になった。


 そんな時だ。光輝達が召喚されたのは。


 なので、光輝達も詳しい話は聞けていない。ただ、イナバ達の危機は確かで、このままでは世界が滅ぶと言われて、とにもかくにもと戦場に出てきた状態だ。


 だからこそ、光輝がクラス2を一掃して少し余裕が出た今、こうして少しでも情報をと思いイナバと話しているわけだが……


 そのイナバ達も大して事情を聞いていない、というより聞く暇がないほど連戦に次ぐ連戦状態にあるという事実が重くのし掛かる。


 この世界は、それほどまでに追い詰められているのだと。


「俺が召喚された直後に戦ったクラス2は……確かにヤバかった。モアナの〝加護〟、カーラの幻術のサポートがなかったら……ゾッとするね」


 魂を直接掴み取られたような感覚を思い出して身を震わせる光輝。〝限界突破〟を封じられた時は流石に少し焦ったが、それ以上に、だ。


 あの時に感じた総毛立つような忌避感と根源的な恐怖は筆舌に尽くし難くて……


 思い出したそれを振り払うように〝天翔閃・百翼〟を放つ。


 新たに侵入してきた人形の怪物が光の斬撃の嵐に呑まれ、あるいは耐えようと防御しているのを見つつ天剣を大地に刺した。


 周囲に肉迫あるいは転移してきた人形の怪物十数体が、地面から突き出した樹の根に絡み取られて拘束される。


 植物なのにビクともせず。空間切断で斬り裂かれても凄まじい速度で増殖・再生して拘束し直すので脱出に手こずり。


「もちろん、アウラもね」


 その致命的な隙が見逃されるはずもなく、聖剣の輝く斬撃がまとめて撫で斬りにした。天剣モードのアウラが『そうでしょうとも!』と言いたげにペカッと輝く。


『ほんま感謝やで。特にモアナの嬢ちゃんのおかげでワイも一段上がっとる。クラス2相手でも善戦できるくらいにな』


 また一体、蹴り砕きながらチラッと背後を見やるイナバ。


 まず見えたのは、巨大な蛇が身を捻りながら天に昇っているような造形の白亜の建物だ。その周囲を幾つのもの白亜のキューブが周回している。


 キューブは大小様々だ。六畳一間くらいの大きさのものもあれば、港にあるような巨大倉庫クラスのものまで。


 厄災界の生き残り達が暮らす建造物だ。


 その建造物と光輝達の中間地点にBD(ブラックドラゴン)号が滞空している。全力戦闘モードだ。あらゆる武装を起動し、ハリネズミの如く攻撃を放っている。


 操船しているのはモアナだ。同時に最も防御力の高い場所から、彼女は天恵術〝加護〟を使ってくれている。


 砂漠界の化身たるフォルティーナの助力を得た今の彼女のそれは、もはや方式が違うだけで効果は昇華魔法と遜色ない。


 しかも、この戦場、建造物を中心に三方向に迎撃部隊が展開しているのだが、たった二人で一方向の戦域を担う光輝とイナバどころか、カーラがサポートしている他の二方向の理法術師達、およそ百数十人も同時に強化している。


 今、この終わりの見えない戦場を支えている大きな要因の一つは、間違いなくモアナの〝加護〟だった。


 が、そんなイナバの視線の先で。


 閃光、衝撃。


「『!!?』」


 何をされたのか分からない。だが、強烈な衝撃波が一キロメートルは離れていた光輝とイナバのもとにまで届き、それどころか魂に走った痛みで一瞬、意識を攪拌されるほど。


 閃光が収まると同時にBD号が傾きながら地に落ちていく。


 マストなど一部が砕け、更に黒い炎に巻かれていた。船体を覆う結界が突破され、あれほどの強度を誇った船体にダメージが入ったのだ。


 だが、その事実に戦慄する()()はない。


 青ざめる光輝。ひゅっと喉が鳴る。だって、あの中には――


「モアナっ!!」

『平気だ! 狼狽えるな! 警戒!!』


 今は懐かしくすらある〝女王の口調〟が迸った。その言葉を証明するようにBD号が横滑りしながらも体勢を立て直し、更に結界も張り直した。


 頬を張り飛ばされたような気がして、沸騰しそうだった意識が一気に冷却される。それどころかより一層、〝加護〟の輝きが強まった気がして苦笑すら浮かぶ。


 いつだって、モアナは光輝の心を支えてくれる。


 それが情けなくも嬉しくて。


 だからせめて、二度は許さない。


「――〝神威〟ッ」


 詠唱破棄。だが、その威力は従来の全力よりも強力だ。しかも、フォルティーナにより解放された勇者の特性――どんな世界でも、どんな相手でも必ず力が通じる――が、より強力に発動している。


 千メートル以上先の虹色の天幕まで、一切の減衰を許さず破壊の力を届かせることも可能だ。


 だが、


『……勇者のあんちゃん、やばいで……予想はしてたけど、遂に来よった……』

「ああ……そうだね……」


 〝神威〟が呑み込まれた。まるでブラックホールに呑み込まれていくかのように。


 その先にはいたのは、同じ人形の怪物。


 だが分かる。


 今まで相手にしてきたクラス3とは隔絶した吐き気を催すほどおぞましい存在感。クラス2ですら比べるのもおこがましい圧倒的な力の気配。


 クラス1の再来だ。


 しかも、それが三体。いや、


『勇者殿、ちょっと手助けがほしいッス』


 どうやら向こう側にも出現しているらしい。カーラの声に隠しようのない緊張が感じられる。


「ごめん、カーラ。直ぐには行けそうにない。なんとか持たせてくれ」

『ふふ、そうやってあわよくば私を亡き者にしようという魂胆ッスね? クソ勇者って言ったから腹いせに! このクソ勇者!! ばぁか! ばぁか! 生き残ったら絶対に告げ口してやるッス! 御屋形様に! ないことないことぜぇ~~んぶっ!!』

「百パーセント捏造の告げ口ってタチ悪いな! このクソ悪魔めっ」

『漫才してる場合かいな! 来るでっ!!』


 そこからは、薄氷の上でタップダンスをするような戦いだった。


 二体の人形の怪物は天井付近から動かない。直立不動のままピクリとも。


 だが、その力は凶悪の一言。


 一体目のせいで〝限界突破〟が使えない。魂に直接攻撃を叩き込まれる。それどころか、油断すれば肉体から魂を引き剥がされそうになる始末。


 二体目の能力は完全座標攻撃だ。空間魔法なのだろう。だが、その発生速度と座標指定の速度が尋常ではない。予兆なく一瞬前までいた場所の空間が割れるのである。


 そして、そんな最悪の攻撃の嵐の中、味方の攻撃を食らいながらもお構いなしに近接戦を仕掛けてくる三体目。神速使いだ。だが、その練度が尋常ではない。


 おまけにとんでもない再生能力だった。速すぎて胴体が分かたれた瞬間にはもうくっついていて、まるで斬撃が素通りしたようにさえ思える。


 〝有念無想〟状態かつ昇華魔法が付与されたアーティファクトの起動、更に各種タリスマンによる防御と、周囲のクラス3をイナバとモアナが一手に引き受けてくれているからこそ、どうにか凌げているが……


(まずい……タリスマンの耐久力がそろそろ……)


 そんな思考が生まれる時点で〝有念無想〟が解けかけている。今のところ無傷ではあるが、今の光輝でも即座に仕留めるには至らない強敵の連携。


 カーラ達はどうなったのか。無事なのか。敵が与えてくる本能的な忌避感も合わさって、焦りが精神を蝕んでいくかのよう。


(せめて魔力があれば……)


 後遺症は酷そうだが魔力さえあれば強引に〝限界突破〟を使える気がする。勇者の直感だ。だが潤沢だった貯蔵魔力は、とある事情から今は使えない。


(もう少し……もう少し耐えれば、隙が見えてくるはず……)


 耐えろ耐えろ。クラス1が三体なんて他の戦域が瓦解してしまう。自分が引きつけ、どうにか倒さないと大勢の人が死んでしまう。


『勇者殿! こちらにクラス2が複数体! 申し訳ないッス!! 何体かに突破されたッス!!』

「――ッ。イナバ! ここはいい! 対応を頼む!!」

『! 漢やなぁっ、勇者のあんちゃん! 任せぇ!』


 守れ、守れ、守れッ――


 ギリギリの戦闘の中で神経と思考が研ぎ澄まされていく感覚。イナバが戦場を離脱した分、クラス3が殺到してくる。


 それを斬って斬って斬って斬って――


 遂にタリスマンの一部が砕け散って――


 と、その時だった。


 戦場を貫いて脳内に直接響いた女性の声。主任だ。


『待たせたわね。解析と術式の構築が終わったわ。貴方の言う〝最強〟への扉、開けるわよ』

「うわぁああああああっ、早くぅ! それなら早く呼んできてぇ! お願いだからぁ!!」


 光輝は泣き言を漏らした。


 先程までの研ぎ澄まされていく感覚を放り捨てて、恥も外聞もなく助けを求めちゃう。


 某魔神が聞いたら「やっぱり死地こそが人を成長させるんだな。甘やかしはダメだ」と白けた目を向けるだろう。某深淵卿なら「その気持ち、超分かるぅううううっ」と激しく同意したことだろう。


『リーマンを向こうへ送るわ。総員、もう少し耐えてちょうだい』


 大蛇が捻れたような建造物の先端に光の渦が出現した。別の宇宙へと繋がった転移門だ。


「頼むッッ、急いで――あぶなぁっ!? 死ぬ! いや、死なないっ」

『ギリギリなのね。それでもクラス1三体を相手に一人で対応できているのは凄まじいわ。記録にある勇者の中でも貴方は最強クラスよ。そんな貴方が最強と認める者……興味が――』

「嫌がらせ!? ギリギリだって分かってるなら早く呼んでくれぇ!!」

『……ちなみに、今日の私はセーターを着ているわ」

「そ、それが!?」

『昨日もセーターを着ていたわ』

「……」

『つまり、またセーター――ってね」


 〝有念無想〟は解除されているのに、ストンッと表情が落ちる光輝くん。


『今のは〝待たせたわね〟と〝またセーター〟を掛け合わせた――』

「ぶっ殺すぞぉおおおおっ!! 早く救援を呼べぇええええっ!!」


 勇者にあるまじき罵倒が飛び出した。友人達が聞いたら目を丸くすること間違いなしだろう。


 微かに『完全に繋がるのに四十秒ほどかかかるから……その間に精神的負荷が少しでも和らげばと思ったのだけど……』と少し落ち込んだ感じの声音が響くが、光輝も必死だ。フォローはない。


 というか、なぜだろう。むしろ心を乱されまくったのに、その隙を突いてきたクラス1達の連携攻撃を今までで一番上手く(さば)けた気がする。


 最善行動をとり続けることが可能な代わりに、他の思考が困難になる〝有念無想〟。もしや、進化した? 通常状態でも同じ境地に? いやしかし、それではもはや〝有念無想〟という字面に欠片も掠らない状態では……


『まずいわね。突破したクラス2の一体が転移門に到達したわ。クラス1に近い強個体ね』


 いつの間にか、本当にいつの間にか人形の怪物が屋上の近くに佇んでいた。


 光の渦に手を伸ばす。途端に、中心部から黒く染まっていく光の渦。


 更に、カーラ達の戦場を突破し到達したクラス2が七体、そこへ飛び込もうと急迫する。


『やらせるかぁーーーっ!!』

『邪魔すんじゃねぇっ!!』


 強個体にはイナバが跳び蹴りを、クラス2の群れには屋上の一角から飛び出したリーさんがトリアイナの武装を放った。


 だが、少し遅かったようだ。


 クラス2は僅かに足止めに成功したものの、強個体はそのまま黒い霧に包まれると吸い込まれるようにして転移門に入ってしまい、イナバは虚しく通り過ぎてしまう。


『チッ、イナバ! 俺が行く! こいつらの足止めを――』

『――なに無視してくれとんねん』


 それで頭に血が上ったらしい。イナバが目をギンッと釣り上げる。そして、空中に飛び上がり、反転。激しく波紋を広げる空中の足場でググッと踏ん張る。


『あ、おいっ、待て! ちょっと冷静にだなっ』


 リーさんの言葉は届かなかった。パァンッと〝空力〟の足場が砕け散る。と同時に白い流星と化して転移門に飛び込んでしまうイナバさん。


 そのタイミングで、イナバ達を厄災界に導いた〝旅人〟たる三角錐の浮遊体が、屋上に出現。こちらと向こう側を繋ぎ止めるアンカーの役割として一緒に行く予定だったのだ。


 つまり、準備完了ということだ。


『だぁーーーっもぉーーーあの馬鹿野郎はよぉ!!』


 クラス2が迫ってくる。猶予はない。リーさんは盛大に自棄になったような雰囲気で頭を振ると、〝旅人〟を引き連れ転移門に飛び込んだ。


 その後に続いて、七体のクラス2が転移門に入っていく。


『どうにか侵食を解除するわ。術式は維持してみせる。魔神とやらが、本当に貴方のいう通りの強さだといいのだけど』


 クラス1に近い強個体とクラス2が七体、向こう側へ行ってしまった。


 そのことに懸念と不安を漏らす主任。


 光輝は笑った。


「向こうは家族旅行中だ。つまり、一家が揃ってる」

『?』

「なら、万が一もないよ。魔神だけじゃない。あいつの奥さん達も化け物揃いだからさ」


 ハジメ達は突然現れた人形の怪物共への対応に少し時間を取られるだろう。それまで、なんともしても自分が踏ん張らなければならい。


「大丈夫。それまでは俺が守る」


 そう独り言ちて、光輝は気合いを入れ直したのだった。


 まさか、五分もかからずやってきて、肩透かしを食らうとは思いもせずに。



いつもお読みいただきありがとうございます。

感想・意見・誤字脱字報告もありがとうございます。


最終章開始です。

一応お伝えしますと、第六章はプロローグだと前回のアトガキで書きましたが、あくまで最後のお話の前に今まで登場した異世界の人達との関わりを描きたかったのと、伏線回収や前提となる設定を出しておきたかったから長くなっただけでして、最終章自体がプロローグより長くなることはありません。

ともあれ、最後まで楽しんで書きたいと思いますので、お付き合いいただければ幸いです。

よろしくお願いいたします!!

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― 新着の感想 ―
勇者くんが雑念無想を会得しましたw
To Cold Water for the Elderly Except this being is powerful enough to invade other dimensions and …
その魔神はん、「無神?神で無いと言うのに神と言う名称が付いてるのか?」と言えそうなくらいヤバくなってるんですが………。バケモノだった奥様達よりもよっぽどヤバい存在に………
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