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ありふれた職業で世界最強  作者: 厨二好き/白米良
ありふれたアフターストーリーⅥ
549/550

勇者の地獄の夏休み 下

すみません、少し遅れました!





 〝ウサギの大穴〟を使った自由落下により、第六階層まで大幅にショートカットしてやってきた光輝達。


 大穴を自由落下している時はまだしも、キロメートル単位の高さがある各階層の天井から出て、再び地面の大穴に突入する瞬間は割とドキドキだ。何せ、天井の大穴を抜けた時点では、地面の大穴は点にしか見えないから。


 感覚的にはジェット飛行しながら岩の隙間を通り抜けるような感じだ。


 減速すればいいじゃない。と思うだろうが、カーラの頭に減速の二文字はないようで。それどころか、案内役(ガイド)よろしく各階層の説明までしながら自由落下に任せているものだから。


 階層の大穴の手前でいちいち減速するなんて……なんか負けた気がする! カーラ相手に、それはなんか嫌だ! と半ば意地になったのだ。


兎妃(とひ)様のおかげで第六階層までの移動が楽ッスねぇ」

「あ、ああ」

「そ、そうね?」


 流石にモアナは普通に怖かったようで、光輝の片腕に抱きかかえられている。流石は元女神というべきか、アウラロッドは平気なようだったがモアナが羨ましいので、こちらも反対側の腕の中。


 まさに両手に花といった様子で、大穴の直下にある瓦礫の山の上に光輝は着地した。


 風属性魔法により減速したので風が渦巻き、周囲に漂っていた火の粉が花びらのように舞う。


 如何にも勇者らしい、実に絵になる着地だった。


 対して、カーラの着地はちょっと気持ち悪かった。


 地面すれすれの位置で、上下逆さまのままピタリッと静止していたから。髪も衣装もまったく乱れず、重力が反転したいみたいに美しい姿勢のまま。


 なお、カーラはずっと上下逆さまのまま落下し続けていた。そして、地面まで百メートルを切って、流石に減速を始めた光輝達がギョッとする中で、そのまま地面へ一直線。


 まさか、そのまま頭からギャグ漫画みたいに突き刺さるのか! と思われたが、なんと慣性の法則に真っ向から喧嘩を売って、ピタリッと完全静止を決めたのである。


 それが当たり前であるかのように上下逆さまのまま話しかけてくる不気味さといったら……


 まるで、映画などで悪魔に取り憑かれた人が天井に張り付いて、逆さま状態でこちらを見てくるシーンのようというかなんというか。


 こういうところは、実に悪魔らしい。


「どの階層も、風景はあまり変わらないのですね」


 相変わらずの景色――地獄の業火と稲光、溶岩の川に血風の嵐を見渡しながら感想を零すアウラロッドには、特に驚いた様子はない。きっと妖魔ならこの程度のこと日常茶飯事だからだろう。


 ちなみに、兎妃様とはシアのことだ。ユエは正妃、ティオは竜妃、香織は聖妃、雫は剣妃……といった感じで、ハジメの親しい相手に対してはカーラ独自の敬称があるようだ。


 初めて聞くと困惑してしまうので止めてほしいところなのだが、「私如きが、いと尊き方々の名を呼ぶなんて……万死に値するッス!」ということらしい。


 上下逆さまのまま、車輪に縛り付けられた人のようにグルンッと回転して今度こそ着地するカーラさん。カーテシーを決めるような優雅な着地だった。


「階層を繋ぐ正規のルートは階層ごとに遠く離れているッスし、転移阻害も働いているッス。爵位クラスや転移系の権能に特化した悪魔なら問題ないッスけど……ともあれ、ここから第七階層までは少し距離があるッスよ。」

「ああ、シェルターでもあったんだもんな。一直線に下りられる構造じゃないのは当然か……」

「ッスゥ~。案内役を仰せつかりながら、転移系の力を持たない無能……蔑んだ目で見下されても仕方ないッス……」

「蔑んだ目は向けてないし、見下してもないよ」


 光輝の腕から少し名残惜しげに下りたモアナとアウラロッドが頭上を見上げる。


「それなら自分達で直通の穴を開ければ良かったんじゃないの? 大悪魔ならできそうな気がするけれど」

「シェルターとしての役目も、もうないわけですしね」


 この大穴がなければ、そもそも第七階層の屋敷の管理者であるカーラの迎えも、もっと大変だったに違いなく。


 一朝一夕に出来ることでなくとも、気の遠くなるような年月があったのだから誰か一人くらい直通路を作っていそうなものだ。


 なぜ、そうしなかったのか。と二人は不思議そうに首を傾げた。


「移動が簡単になるということは、下等生物共であっても簡単に来られるということッス。悪魔って縄張り意識、強いんッスよ」


 それを防ぐために結界の類いを設けたなら、今度は同格の悪魔達が黙っていない。


 誰に断って勝手に通行妨害しとんねん、と。


 あるいは、なんで通る度に結界を張った奴の了解なんぞ取らなあかんねん、と。


 もちろん、勝手に壊せばそれはそれで、何してくれとんねんと争いになる。


 で、今度は通行権を巡って戦争になるか、それを避けるために「ここ、俺の専用通路~!」と大穴が乱立するに決まっているのだ。


 なので、七王が禁じたのである。正規のルート以外で勝手に直通路を作るの禁止! と。


「まぁ、確かにラスボスの居城まで一直線に行けたら興ざめですものね! 様式美ですね!」

「おお! よくお分かりッス! そこも大事ッス!」


 ゲーマー適性が高いアウラロッドが理解を示した。そういうものか……? と微妙な顔になる光輝とモアナ。


「っていうか、それならなんで塞がなかったんだ?」

「悪魔は強い相手には敬意も示すッス。あと、娯楽も大好きッス」


 自分達を見事に降して脱出したシアへの敬意から、大穴を残しているらしい。そして、悪魔達にとっても、ある種の観光名所的な感じになっているらしい。


 仮に下級悪魔共が分不相応にも下層へ土足で乗り込んできたのなら、視界に入り次第やっちまえばいいし、実際、直通路、便利だし……というのもあるようだ。


「さて、く――勇者殿」

「あえて、〝く〟の続きは追及しないであげるよ」

「ごほんっ。勇者殿、移動手段はどうするッスか? 一応、この子なら全員をお乗せできるッスけど」


 カーラの肩に乗っていたオウムが飛び立ち、かと思えば最初に見た時のサイズに戻った。カーラ一人を乗せるのにちょうどいい大きさに。


 やろうと思えばまだまだ大きくなれるようだ。


 見るからにふわっふわな羽毛だし、巨大なオウムに乗るというのも少し興味をそそられるところだが、光輝は首を振った。


「いや、第八階層以降を考慮した移動手段を南雲が用意してくれてて……」

「流石は御屋形様ッス」

「う、うん……それはまぁ……一応、BD号が入り込めないような狭い場所での移動手段でもあるから、どこでも使えるはずなんだ。だから、第八階層に入る前に試運転しておこうかと思うんだけど……」

「? 何か問題ッスか?」


 なんとも歯切れの悪い光輝。モアナとアウラロッドも苦笑気味だ。


「いや……問題は……ない。うん。ただ、最初に言っておくけど、デザインは俺の考案じゃないから」

「???」


 ますます不思議そうなカーラを前に、光輝は、なぜか恥ずかしそうに耳の先を赤く染めながらも宝物庫に魔力を注いだ。


 そうして、BD号よりも手軽な移動手段として用意されたはずなのに、今まで一度も使われたことがなく、ずっと船倉の奥に仕舞われっぱなしだった小型の移動手段が召喚された。


 ズズズッと虚空に波紋を広げながら出現する流麗な反りが特徴的な小舟。ヴェネツィアのゴンドラのような見た目である。


 ただし、だ。


「ふむ」

「……」


 カーラは、そのゴンドラをじっくり眺め、言った。


「大変、結構なご趣味ッスね」

「違うって言っただろぉ!!」


 何かのアニメだろうか? ゴンドラには魔法少女風の美少女イラストが描かれていた。


 魔法のステッキを片手に完璧なスマイル&ウインク。そんな彼女を彩る星やハートを散りばめた見事な魔法のエフェクト。咲き乱れる花々……


 ゴンドラ全体もピンクと白のカラーリングで、ゴンドラの先端には七色に点灯する星型のモチーフも。もちろん、操船のためのオールは魔法の杖風だ。柄には羽だって生えてる。かわいい。


 そう、このゴンドラ、痛車ならぬ痛船デザインなのだ!


「ミュウちゃんがどうしてもって言うからぁっ」

「あはは……流石に、あんなドヤ顔されちゃったら断れないわよね」

「わ、私は好きですよ! とても可愛いと思います!」


 なお、考案はミュウだが、実際に描いたのは、なんとあの大人気少女漫画家のスミレ大先生である!!


 まさか自分達の作品が否定されるなんて微塵も思っていないドヤ顔でのお披露目だった。


 そして、愛娘と母親の共同作品を、まさかてめぇ拒否ったりしねぇよなぁ? という魔神の圧力も凄まじいお披露目だった。


 もちろん、光輝は笑顔で受け入れた。めちゃくちゃ引き攣っていたが。


 今まで一度も出さなかった理由から、その内心は推して知るべし。


「? 何を恥ずかしがっているのか分かりかねるッスが……問題ないなら出発するッス?」

「え、あ、はい……」


 どうやら嫌みでも誤魔化しでもなんでもなく、そのままの意味だったらしい。結構なご趣味というのは。


 悪魔的に、サブカルチャーも他のカルチャーも特に区別なく、両方、人間が生み出す素晴らしい文化ということなのかもしれない。


 とはいえ、そんな心底不思議そうな顔をされると……


 この悪魔より懐の狭い人間と言われているような気がしないでもなく、光輝はなんとも言えない表情になってしまった。


 複雑そうな雰囲気で、地面から数センチほどの宙に波紋を広げて浮くゴンドラの船尾に乗り込む。モアナとアウラロッドも苦笑しつつ船の中央部分に設置されている椅子に並んで腰掛けた。


 オウムモドキに騎乗するカーラを横目に、光輝は気を取り直してオールを手に取った。


 長さ約二メートル。白の柄。先端は七色に輝く星と、それを囲む桃色の三日月のような装飾。


「どう見てもオールの意味をなしてない件」


 別に水を掻いて推進力にするわけではないので、確かにオールである必要はないのだけど、こんなのどう見てもただの長杖である。それもすこぶる付きでファンシーな。


 とっても恥ずかしい……が、今からもっと羞恥心に駆られることになるので心を虚無にする。


 光輝は魔法ステッキ型オールの柄を額に当てた。あたかも、魔法少女が変身する前に魔法のステッキに祈るように。


 そして、言った。音声認識による起動ワードを!


「――〝さぁ、行くよ。起きて、ウンディーネ〟!!」


 途端に魔法ステッキ型オールから星がキラキラと舞い散った! 痛ゴンドラが輝きを帯びる! 特に意味はない! ただのミュウのこだわりだ!


 なお、柄を額に当てる仕草と、起動ワードをはっきり一定以上の声量で言わないと起動しないようにしたのはハジメパパだ! 特に意味はある! ただの勇者への嫌がらせだ!


 お願い、見ないで! こんな俺を見ないでっ、モアナ! アウラ!


「大変結構なご趣味ッス」

「次に同じこと言ったら、ウンディーネの三十ミリ・ガトリング魔砲が火を噴くぞ」


 船首の一部がスライドし、ガションッと凶悪なフォルムの兵器が「呼んだ?」と言わんばかりに顔を覗かせた。


 素直に褒めただけなのに、解せぬ……と困惑しつつも口を噤んで前を向くカーラさん。


 ガトリングさんが「呼んでないか……」と肩を落とすように銃口を下げて、ガションッと船内に戻っていく。


「ええっと、確かこうやって……」


 気を取り直して、操船に集中。


 このオール、実は機工界製のデバイスである。握ってさえいれば思考するだけで思い通りに動く。いわゆる(ブレイン)(・マシン・イ)(ンターフェイス)技術が使われている。


 工房でドヤ顔説明するハジメにイラッとしつつも、その時の練習を思い出しながら念じれば……特に問題なく、まず結界が発動して球体状にゴンドラを囲み、更に、そのまま宙を滑るように進み出した。


「うん、行けそうだ。カーラ、先導を頼むよ」

「はいッス」


 オウムモドキが羽ばたき宙に上がる。


 そうして遂に、光輝達は第七階層へ向けて、日本縦断レベルの地獄の空(地底)の旅へ出発したのだった。















 道中、オウムモドキや、本来ゆったり進むのがお似合いのゴンドラが超音速飛行するという違和感しかない光景があったりしつつも、光輝達は無事に第七階層の入り口に辿り着いた。


 一時的に痛ゴンドラをしまい、地面に降り立つ。


「それにしても、本当にちっとも悪魔に会いませんでしたね。少し身構えていたのですが……」


 大理石のような滑らかな質感の、だからこそ異様な〝山〟の麓。否、一枚岩というべきか。エアーズロックをもう少し山形にした白亜の巨岩だ。


 その一部を掘り抜く形で作られた荘厳かつ巨大な門の前で、アウラロッドは背後を振り返った。


「爵位クラスは大体、御屋形様の〝箱庭〟に移住したッスね。大人気なんッスよ? 箱庭への移住。移住権を巡って戦争にもなったッスから」

「ほんっとに争ってばっかりだな」

「初期の頃と違って、今は他の世界の連中と箱庭内での縄張り争いがあるッスからね。戦力が必要ということで、余計にッス」

「ほんっっっっっっっっっとに争ってばっかりだなぁっ」


 身体が、否、本能が闘争を求めている。そんな悪魔共にとって、神格すら持った異世界の連中とやり合うのは楽しくて仕方ないのだろう。


「ま、まぁ、それなら納得ね。つまり、ほとんどいないのね?」

「ッス。第五階層も同じく。なので接触してくるとすれば第四階層以上の中途半端な連中なんッスけど……」

「そっちはカーラさんの幻を堪能していると」

「フヒッ、そういうことッス」


 なんて会話をしつつも巨大な白亜の門を通り抜ける。


 途端に視界が切り替わった。転移だ。階段としての機能も当然にあるが、第七階層へは門を起点にした転移での移動が可能らしい。


 その切り替わった視界に映った光景を見て、光輝達は目を見開いた。


「これは……結晶で出来た空間?」

「なんて綺麗なの……」


 光輝とモアナが思わず声を漏らす。アウラロッドも感想こそないが見惚れている様子。


 無理もない。第七階層には、これまでとは様相を一変にする景色が広がっていたから。


 一言で表現するなら〝クリスタルの世界〟だろうか。


 壁、天井、地面、全てが色とりどりの美しい結晶で覆われた空間だ。


 高さは三キロメートル、地平の彼方まで、否、この場合、天平の彼方までと表現すべきか。ともかく、見える範囲は全てクリスタルで覆われていて、しかも、その全て微光を帯びており、まるで星々の輝く夜空に見えた。


 天井から地上まで大樹の如く繋がったクリスタルの柱もあれば、天井からそびえる上下逆さの山脈の如きクリスタルもある。


 壁から七色に輝くクリスタルの柱がアーチを描いて地上に突き立っているなんて光景も。まるで虹が物質化したかのようだ。


 地上も凄まじい。クリスタルで出来た花園が階段周辺を囲い、同じく美しい透明感のある木々が街路樹のように立って道を作っている。


 植物が存在し得ない地獄において、あたかも様々な造形と色合いのクリスタルこそが自然の代わりと言わんばかりだ。


 地獄の業火も稲光も血風の嵐もない。静寂に満ちた幻想の地下世界。


 それが第七階層。


 七大罪を司る魔王達の住み処にして、新たなる地獄の君主――南雲ハジメの屋敷が設けられた場所だった。


「まさか、南雲のために……?」


 光輝が思わずといった様子でカーラを見やる。


 上階まで如何にも地獄らしい地獄だったのだ。突然の変わりようを思えば、わざわざ作ったのでは? と疑ってしまうのも無理はない。


「いいえッス。ここが結晶の洞窟だったのは元からッス。造形物は七王や召使い達が手を加えたからッスけどね。ほら、見えますッス? あれ」


 カーラが右の方向へ指を指した。


「クリスタルの山? いや、城か!」

「イエッス。七王はそれぞれ、この第七階層に七角形を描いた時の頂点の位置に居城を構えているッス。昔は自分の領地の特色を出すために造形合戦とかしてたッスね。」

「なんて平和な争い! 上階とは大違いだ……」


 戦隊ポーズを取ってご満悦の様子を見せていたデモンレンジャーズを思い出し、仲良しかよ……となんとも言えない表情になる光輝。


「中央を空けているということは……つまり、円卓のようなものかしら? 誰が一番とは決めない的な」

「さぁ? 七王が考えていることは、今も昔もよく分からないッス。まぁ、今はその中央にも屋敷があるッスけどね! 御屋形様のクリスタルパレスが!」


 なんとも誇らしそうなカーラさん。圧倒的ドヤ顔だ。が、それも束の間、窺うような眼差しを光輝達へ向けた。


「やっぱり、お屋敷には立ち寄らないッス? デザインとか装飾とか、後は御屋形様が好きそうな仕掛けとか、いろいろ頑張ったッスから、ぜひ報告してほしかったッスけど……」

「あはは……それは本人に直接、見てもらった方がいいんじゃないかな」

「だって、来ないッスよ。屋敷自体、勝手に作ったものッスし。勇者殿からの報告で興味を引ければと思ったんッスけど……」


 なんというか、ちょっと健気。どことなくしょんぼりしているので、なおさら。


 ハジメを堕とそうとしている悪魔というより、気になる相手の気を惹きたい普通の女性のようにも見えてしまう。


 光輝達は思わず顔を見合わせた。自然と苦笑が浮かぶ。


「やっぱり、天竜界に戻る前に少しだけ見ていくのもあり……かな?」

「せっかくの機会だものね?」

「ええ。観光の一つもしないのは勿体ないです」


 カーラは驚いたように目を見開き、次いでニッコリと微笑んだ。それは、やっぱり悪魔とは思えない自然で可憐で純粋な笑みだった。


「感謝ッス! 勇者殿一行に二言はないと信じるッス!」


 無邪気に声を弾ませるカーラ。先導をするために意気揚々とした足取りで前に出る。


 クスリッと笑みを零し、その背に微笑ましそうな眼差しを向ける光輝達。


 という雰囲気を感じ取りつつ、背を向けたまま、カーラは自分の顔を軽く撫でた。あたかも仮面を取るかのように。


 その過ぎ去った手の後に表れたのは……


(フヒッ、計画通りッ)


 某死のノートで神になろうとした彼のような笑みだった。純粋可憐な笑顔は幻だったらしい。所詮、悪魔は悪魔だった。


「さて、勇者殿。七王の召使いや部下の悪魔に見つかる前に行くッスよ。第七階層と第八階層の出入り口は例外的に、そう遠くない場所にあるッスから徒歩で行くッス。魔力は出さないようにッス!」

「え? まぁ、綺麗な景色だし別にいいけど……」

「やっぱり他の悪魔達に手柄を立てさせたくないのね」

「あはは、手ぐすね引いて待っていると言っていたので、ありがたいと言えばありがたいかもですが」


 さもありなん。一応、第四階層レベルでも転移系の固有魔法を持った悪魔はいるのだが、というか実際、光輝達が襲撃を受けている時も転移で接近してきた悪魔はいたわけで、移動に彼等を利用しなかったのは、つまりそういうことだった。


 苦笑しつつも、しかし、クリスタルの森の如き絶景の中を散歩するのは悪くない。と、光輝達は半ば観光気分でカーラの後に続いた。


 実際、第八階層への出入り口はそれほど遠くなかった。実際は二時間近く歩いていたのだが、幻想的な地下世界をカーラのガイド付きで巡ったり、雑談しながら堪能していればあっという間だった。


 薄い黒色の遮光ガラスのようなクリスタルの柱が剣山のように乱立する場所の中程で、カーラは足を止めた。


「勇者殿。改めて忠告ッス。第八階層以降は魔力が霧散するッス。特に第九階層(コキュートス)での長時間の滞在は自殺行為ッスよ?」


 七王ですら一日もいられない。耐えられるのはせいぜい半日と少しか。ハジメですらも当時即席で用意できる対策を全て行って、それでも数日が限度と判断した領域である。


 実際、調査するならしっかりと準備しておかないと逆に面倒だと、〝禁域〟への入口の場所だけ確認して引き返したくらいだ。


 常にホワイトアウトしているような視界の悪さ。衰弱効果。


 うっかり迷いでもしたら終わりである。


「本当に大丈夫ッスか?」

「そこは南雲を信じるしかないなぁ」


 と言いつつも、その顔に疑念は微塵も浮かんでいなかった。そんな光輝の横顔を見て、モアナとアウラロッドがクスリッと笑みを零している。


「……愚問でしたッス。愚問を愚問と気づけない者を愚者というッス。つまり、私のことッス……」


 またナチュラルに落ち込みながら、ふらりっと直ぐ後ろの一際大きい黒色クリスタル柱――直径十メートルはあるだろうか――に、ふらりっと頭をぶつけるカーラ。


 また自罰か……と思いきや、なんとクリスタルは波紋を打ち、カーラは中へと入ってしまった。


 どうやら、この黒色クリスタルの中が第八階層への道らしい。


 戸惑いつつも、光輝達も恐る恐る黒色クリスタルに触れてみる。やはり波紋が広がって、そのままなんの抵抗もなく手が入った。


 中に入ると、中央にぽっかりと大きな穴が開いていた。


「ああ、大穴を隠すように、後からクリスタルの柱を設置したのか」

「そういうことッス。第八階層は、一応、聖域でもあるッス。本来は七王の許可がないとクリスタルも反応しないッスが、以前に御屋形様が見学に来た時に、私にも許可権限が与えられたので使えるッス」

「なるほど……」


 大穴を覗き込む光輝。第八階層への道は、どうやら道なき道のようだ。歪な縦穴の側面から無作為にクリスタルの柱が突き出している。それを階段代わりに飛び降りていく感じらしい。


「間違っても魔法で下りようとはしないことッス。魔力霧散効果の範囲は割といい加減というか変動するというか……たまに上の方にも及ぶことがあるッスから、悪魔ならともかく人だと落下ダメージも馬鹿にならないッス?」

「まぁ、流石にそこまで柔じゃないけど……忠告はありがとう。地道に下りるとしよう」


 そんな言葉を交わして、カーラに続く形で光輝達も大穴へと飛び降りていった。


 途中、足を滑らせたアウラロッドが落下し、そのまま一つ下のクリスタルの足場に跨がる形で股間を強打するという事故が発生。


 跨がったままプルプル震えて動けなくなり仕方なく光輝が背負って下りていく……なんてこともありつつ辿り着いた第八階層。


 ここもまた静かな空間だった。ただし、第七階層と違いあまりにも不気味で、人を寄せ付けない異様さと恐ろしさがあった。


 光源がまったくなかったのだ。


 比喩でも何でもなく一寸先も見えない。縦穴の最下層にだけ、ほんのり足場のクリスタルの輝きが届いているだけ。


 おそらく第八階層の壁際なのだろう。前方だけ壁がなく、その先は真の暗闇だ。まるで黒い壁でもあるかのよう。


「……確かに魔法は使えないな。ライセン大峡谷よりも霧散効果は強いみたいだ」

「それに、事前に教えられていた通り、やっぱり天恵力も霧散するわね」

「私も同じです。天樹と離れているとはいえ、私の力は妖力よりずっと根本の力に近しいのですけど……霧散してしまいます」

「使えたとしても暗闇は変わらないッスよ。これは一切の光を否定する闇ッス。魔法はもちろん、物理的に起こした火も燃えるには燃えるッスがそれだけッス」


 この闇の中に足を踏み入れれば最後、自分の体も見えない。炎は周囲を全く照らさず、故にその存在も確認できず、しかし、ただ熱だけが伝わる。


 常人なら五分と持たず前後不覚となり、その圧倒的な暗闇と静寂を前に気が狂い始めるだろう。


 一応、ハジメはあらゆる世界の固有エネルギーを試したり、化学反応による発光――ケミカルライトの類いも試したのだが結果は同じだった。


 そして、この効果は当然、悪魔も例外ではない。肉体の五感など遙か昔に捨てている悪魔は、人間とは異なる、それでいて遙かに優れた知覚能力を獲得していて闇夜も障害とならないが、この闇は別。


 人間と同じように彼等の視界を閉ざし、発狂へ追い込む。


「概念魔法かもしれないって、南雲は言ってたな」

「この〝地獄の九階層〟そのもの、あるいは星自体のアーティファクト化とかなんとか……なんだか凄いこと言ってたわね。話のスケールが大きすぎて、私は途中からギブアップしていたけれど」

「この暗闇を見て、私はむしろ納得しました。ただの権能――神代魔法クラスの力だけでは説明がつきませんから。そもそもの話、悪魔の魂や血風も含めこの世界で事象の永続化を望むなら、ええ、妥当な推測だと思います」


 かつて、ユエは星霊界で似たようなことを成し遂げた。星霊界の人々から霊力を取り上げた件だ。


 だが、ルトリアが言っていたように世界には自浄作用がある。いつの日か、霊力も人々の中へ自然に戻っていくと。


 なら、己の死後も、その効果を永遠のものとしたいなら、どうすればいいか。


 アーティファクト化だ。


 そして、神代魔法クラスの権能を行使できる七王や大悪魔達なら、如何に超越者達の魔法が超越的であったとしても、いつかは干渉できたはずで。


 それが今に至ってもなされていない事実を踏まえれば、自然と一つの可能性に思い至る。


 悪魔の不死性も、超再生をもたらす血風も。


 そして、この第八階層の異様な事象と、その改変を何者にも許さない強固さも。


 神代魔法を超える力――すなわち、概念魔法なら説明がつく、と。


「羅針盤で探したけど、概念魔法の核となるアーティファクトは探知できなかったらしいね。同格の魔法だから探知できなかったのか……けど、凄く範囲が広くて曖昧な感じだけど全く反応しなかったわけでもないらしいから、まぁ、そうなんだろうなぁ」


 〝地獄の九階層〟自体、場合によっては星自体を〝世界のシステムを変える概念魔法〟を付与するアーティファクトの素材としたなら、しかも、それが自分達の不死性にも関わっているなら破壊どころか干渉も難しいだろう。物理的にも、精神的にも。


 場合によっては自殺行為になりかねないのだから。


「魔樹を復活させたとしても、やっぱり前途多難って感じだな」


 もし、この推測が合っていたとしたら。


 果たして、魔樹を復活させただけで地獄の在り方は変わるのか。元の世界に戻るのか。


 それによって悪魔達はどうなってしまうのか。


 地獄が後回しにされた理由は多い。考慮すべき内容も多さも他の世界とは段違いだ。最も時間をかけるべき世界というのも頷ける。光輝の言う通り、前途多難だ。


「ま、だからこそ徹底的に情報を集めるんだけど」

「そうね。頑張りましょ? 光輝」

「ひとまずは魔樹の跡地発見と、拠点の確保ですね。できることを一つずつ、ですよ! 光輝様」


 モアナとアウラロッドが光輝の肩に手を置いて力強い笑みを向ける。それに、光輝も励まされたように微笑んで頷いた。見つめ合う三人……。そして、


「そうして、カーラの存在は忘れられるのであったッス……別にいいんスけどね。所詮、カーラですし」


 直ぐにキリッとした顔に戻った。


 カーラが「私を気にかけてくれるのはお前だけ……」と肩に乗ったオウムモドキにハイライトの消えた目を向けていたから。


 そして、オウムモドキちゃんは、そんな主人が怖いのかめちゃくちゃ目を逸らしていたから。


 え? どうして? どうして目を合わせないの? ねぇ、どうして? こっち見て? と言わんばかりにオウムモドキちゃんの頬を指で摘まんで自分の方を向かせようとするカーラさん。


 オウムモドキちゃん、必死に抗う! ウグググッと堪えている! 如何にも「たすけて……」と言ってそうな目で光輝達を見つめている!


 変わっちまったな、ご主人! こんなご主人は嫌だ!


 今まで気が付かなかったが、そんな思いがヒシヒシと伝わってくる!


「モアナ、アウラ! はいこれ! 第八階層用に南雲が作ったアーティファクト!」


 殊更、声を張り上げて宝物庫を輝かせる光輝。カーラの興味がこちらに向いた! オウムモドキちゃんが、器用にも翼でグッショブ! してくる! どういたしまして!


「これは……サングラス?」

「なぜ、サングラスなんです……? サングラスとマスクは付けると落ち着くので好きですけど……」


 と、暗闇を見つめながら困惑するモアナとアウラロッド。


「メインは機工界製の立体ソナーみたいなものらしい。元は宇宙船とかに搭載されていたものを改良したとか。音とか電波とか……詳しいことはよく分からないけど、とにかくいろいろ反響させて周囲の立体映像を映し出してくれるアーティファクトだ」


 普通の眼鏡ではダメだったのか。どうして暗闇を見るのにサングラスにしたのか。


 モアナとアウラロッドはツッコミを入れたかった。


――貴方の心の片隅に、いつでもいるよ、深淵卿。


 そんな声が聞えたような聞えなかったような……やはり、魔神の心の片隅にもいるのだろうか? いや、いるのだろう。ロマンの魔神だし。似た者同士だし。


「カーラは普通に見えてるんだよな?」

「はいッス。実はこの第八階層の闇、手前半分だけで、その先の半分は薄明かりのある墓場になっているんスけど、そこに墓場の番犬ちゃんがいるッスよ」

「墓場の番犬?」

「ッス。超越者に創られた魔法生物ッスね。この闇に干渉する力を与えられた唯一の存在ッス。墓を荒らしさえしなければ大人しいッスし、七王のような墓守の同志と認めた相手や、頻繁に墓参りに来るような変わり者には、希に見通す力を分け与えてくれるッスよ」

「へぇ~、そうなのか」

「勇者殿達も認められれば見通せるようになるッスね。ちなみに、御屋形様は認められているッス。というか、なんか凄い仲良くなっていたッス。あの子、創造主である超越者の方に絶対の忠誠を誓っていて、七王にさえ懐いたりしなかったんスけど……」

「チッ。そうなのか」

「……ほんと仲悪いッスねぇ」

「やめてくれよ。照れるじゃないか」

「ほんっと仲悪いッスねぇ!」


 悪魔的にはウマウマな感情なので思わず悪魔的な笑みを浮べたくなるのだけど……はて? それにしては、なんだか悪魔心が踊らない。なぜかしらん? と小首を傾げるカーラ。


 モアナとアウラロッドは呆れたような、微笑ましそうな、なんとも言えない生暖かい笑みを浮べている。


 そんな笑みに気が付いてか、ごほんっと咳払いを一つ。光輝は痛ゴンドラを召喚した。痛ゴンドラは、この魔力霧散領域でも問題なく浮遊していた。


「ほとんど科学の力って言ってたけど……うん、機工界式の重力制御までは否定されないみたいだな」

「徹底的に否定されるのは〝光〟と〝エネルギーの放出〟だけみたいですね」

「ちょっと、カーラ。何を歩き出してるのよ。早く乗りなさい」

「エッ、いいんッスか!? てっきりカーラは死に物狂いで走れと言われるものとばかり……」

「誰が鬼畜だっ」

「誰が鬼畜よ!?」

「誰が鬼畜ですか!?」

「御屋形様の時はそうしたッス……」

「あいつは鬼畜だっ」

「あの人は鬼畜よっ」

「あの方は鬼畜ですっ」


 ほらっ、いいんだよ! 先頭に乗って! なんなら膝掛けとかいる? と、モアナとアウラロッドの二人がかりでカーラを一番良い席に導く。


 魔力霧散現象下であっても身体強化くらいはできる。もともと破格の身体能力を持つ悪魔だ。それは普通に走っても自動車並の速度が出るだろうが……


 絵面ッ!! である。


「皆さん、優しいッス……」

「流石に酷いな。ちょっと南雲に反省を促して――」

「御屋形様も、どさくさに紛れて抱き付いたり、御屋形様の御屋形様を触ろうとしなければ同じように――」

「流石に酷いと思う。君の在り方が。反省して?」

「魔が差したッス……悪魔だけに」

「やかましいよ」


 暗闇で、女悪魔に性的に襲われる……


 なるほど。勇者だって「近寄るな。走れ」と言いたくなるだろう。モアナとアウラロッドも「誤解してすみませんでしたっ」と天を仰いで謝罪している。


「で! 方角は! 真っ直ぐでいいのか?」

「ういッス。真っ直ぐ中央を目指すッス。見えていて空も飛べるなら、この小舟なら一、二時間程度で到着できるッスよ」


 やれやれと肩を竦め、光輝はオールを握り込んだ。そして、やっぱり拭えない羞恥心に声を震わせながら、例の起動ワードを唱えたのだった。


 その後。


 まるでアニメの背景画のように映し出される光景のおかげで、光輝達は特に問題なく進んだ。


 いや、問題は……まぁ、なくはなかったが。


 例えば、白い花園が放つ淡い光の粒子によって闇が祓われた〝墓場〟に辿り着いた時のこと。


 光輝達を出迎えたのは例の〝墓場の番犬〟だったのだが、彼を見た途端、アウラロッドが目を見開いて硬直。かと思えば、


――墓を守る灰色の狼……背中に……大剣……うっ、頭が……っ


 と悶え苦しみ始めたのだ。まるで耐え難き精神的苦痛を受けているような、あるいはトラウマがフラッシュバックしているような有様だった。


 もちろん、光輝もモアナも「「何事ぉ!?」」と動揺せずにはいられず。


 一瞬、番犬とやらに何かされたのかと身構えたのだが、そこでカーラが「御屋形様と反応が同じッスねぇ」と苦笑し、事情を説明。


 それを聞いて、アウラロッドの涙腺は崩壊した。悲嘆がこれでもかと滲む大号泣である。


 なぜか?


 分かる人には分かる。某死にゲーの名作。ダークなソウルの物語に出てくる、親友にして主人の墓を守り続ける灰色の大狼と同じだったからだ!


 敵対しているわけじゃない。悪意もない。ただ心から慕っていた主人の墓を守っているだけ。ただ一体で、ずっと、永久(とわ)に。


 だが、それでも倒さねば先に進めないから!


 世界中でいったいどれだけの動物好きプレイヤーが、否、動物好きでなくても、彼または彼女が最期まで、それこそ足を引きずりながらも墓を守り続ける姿に号泣し、トラウマを植え付けられ、そしてゲーム開発側に恨み節を吐き出したか。


 そんなゲームの中の健気な大狼に、この墓守の番犬は事情まで含めてそっくりだったのである!


 そう、彼は超越者に作られた魔法生物。別に第八階層に縛られているわけでも、主人に命じられたわけでもない。


 それでも主人を想い、ずっとこの暗闇の中で墓を守っているのだ。主人の魔剣を背負って。狼なのに番犬と称されているのも、その忠義心故。


 なんて話を聞けば、それはもうゲーマー魔神の目にも滝の涙である。


 そして、「今度こそ! 今度こそ俺はお前を殺さない!! 誰にもお前を殺させはしないぞぉーーっ」と、当の巨狼が困惑しているのも気が付かないでヒシッと抱き付き、ついでにモフモフし、孫を構い倒すお祖父ちゃんの如く世話を焼いたのである。


 ついでに、「すまない。知ってる狼にお前が似ていてな……」と、あたかも現実で体験したかのようにゲームの内容を語り。


 普通に勘違いした墓場の番犬――カーラ曰くスルードというらしい――も、しゃべれはしないのだが言葉は理解できるようで「他にも自分と同じような存在が……」と、いたく感じ入った様子を見せ……


 まぁ、なんか普通に仲良くなっていたという。


 で、死にゲーにはまっていたアウラロッドも当然のように既プレイ済みであり(ハジメにオススメされたのだが、果たして、この状況を想定してのオススメだったのかは……魔神のみぞ知る、である)、ハジメとまったく同じ有様になったというわけだ。


 光輝は思った。高難度ゲームは苦手なんだけど……き、気になるじゃないか! こんな反応されたら! 帰国したらちょっとやってみようかな……と。


 閑話休題(それはそれとして)


 私は残ります! スルードの傍にいます! と駄々を捏ねるアウラロッドの首根っこを掴んで引き離し、第九階層に踏み込んだ光輝達。


「うぅ、やっぱりもう少しスルードの傍にいてあげたかったです……」

「気持ちは分かるけれど……ねぇ、アウラ。ちょっと入れ込みすぎじゃないかしら?」

「モアナは分かっていないのです! 馬鹿みたいに運動ばかりして! 少しはゲームをしなさい!」

「誰が馬鹿よ、失礼ね」

「もうちょっと緊張感を持ってくれないかなぁ」

「同感ッス。御屋形様の守りがなければ即終了なんスよ?」


 なんて気の抜ける会話をしながらも、全てが凍てつき停止する封殺の牢獄(コキュートス)を進む。


 第九階層は魔力が霧散するというより、放出と同時に非活性化してしまい、そのまま自然に還ってしまうので用をなさない、というのが正確なところらしい。


 そして、それは体内のエネルギーも例外ではないらしく。


 その対策の基本は異世界の神霊の力と天竜界の活性化の性質だ。そう、氷雪の神霊バラフと火輪の神霊ソアレの力である。これに機工界の技術、そして神代魔法を総動員することで対抗している。


 それらを付与したタリスマン型のアーティファクトを鍵束のように身につけて、更に魔力が尽きない限りという条件下で、ようやく気兼ねなく活動できるというのだから、まったくもって凄まじい空間だ。おそらく、ここも概念魔法が働いているのだろう。


 痛ゴンドラの対環境用結界との二重の結界で万全を敷くのも納得できるというもの。


 それでも、物理的にも魔法的にも方向感覚を狂わせる猛吹雪には気が滅入る。ハルツィナ樹海の白霧のようなものだからだ。


 ハジメがあらかじめ出口を特定し、〝樹導盤〟――〝世界樹の枝葉〟の場所限定で羅針盤と同等の効果を発揮するアーティファクト――に記録しておいてくれなかったら……


 長時間滞在できるようになったとしても、墓場に戻ってモフモフに癒やされたくなったことだろう。


「というか、カーラこそスルードのもとへ戻って良いのですよ? いずれにしろ、この先は貴女にとっても未知なのでしょう?」

「つまり、役立たずは帰れと……ぐすっ」

「違います!」

「ご迷惑は承知で同行させてほしいッス。いつ御屋形様が来訪されても良いように、拠点作りには口出しさせてほしいッス! 基本的に使うのがクソ勇者殿であるとしても、だからこそ! 御屋形様の好みの空間を、このカーラが用意してみせるッスよ!」

「やっぱり帰ったら? 拠点は俺好みに仕立て上げるから」


 クソ勇者さんの白い目が突き刺さるが、御屋形様に褒めて欲しいクソメイドさんは気が付いた様子もない。


「まぁ、後は好奇心ッス。あくまでメイドッスし」

「使いどころ間違ってないか? メイドは関係ないだろ」


 悪魔が好奇心旺盛なのは自明のこと。未だ見たこともない〝禁域〟に足を踏み入れるチャンスは逃したくないのだろう。というか、たぶんこっちが本音だ。


 そんな雑談も交えつつ、やがて辿り着いたコキュートスの果て。


 そこには大樹にも似た巨大な氷の樹が立っていた。その中が転移用のゲートになっているらしい。


 痛ゴンドラを進め、波紋を打つ樹の幹を素通りする。


 直後、視界が輝く赤に染まった。


「ここが……」


 正常に発動した転移の先、野球の球場のような広さと形状の岩の足場の中央付近にて、光輝が呟きを漏らす。


 モアナの表情は少し引き攣っていた。


「これ、ゴンドラとタリスマンの守りがなかったら……熱波だけで死んでそうね」

「マグマの湖とは聞いていましたけれど……まさか、天地にあるとは思いませんでしたよ……」


 水平線ならぬマグマ平線。見える範囲は彼方まで全てがマグマ。


 そうは聞いていたが、しかし、まさか天井もマグマで埋め尽くされているとは聞いていない。


「もしかして、ここって元々マグマの湖じゃなくて、マグマの中なんじゃないのか?」


 天井を見上げながら冷や汗を掻く光輝。プロミネンスのように立ち上るマグマの飛沫が、しかし、重力に逆らって天井のマグマ湖に戻っていく。


 かと思えば、唐突にドロリッと。


 大量のマグマが天井から落ちたかと思えば、そのまま地面側のマグマ湖と繋がりマグマの柱と化したり。


 逆に火炎旋風の如く巻き上がった地面のマグマが天井側と繋がったり。


 かと思えばあっさり散って、代わりに別の場所で爆発するようにマグマが弾けたり。


 その度に衝撃が発生しているのがマグマの動きから分かる。凄まじい熱波が常に吹き荒れているだろうことも。


 そもそも生物に耐えられる温度ではないことは明白だ。景色が空間魔法でも使ったみたいに歪み続けているから。


 ある意味、地獄界における〝世界の果て〟というべきか。


 光輝達が転移してきたのは、そんな場所にぽつんっと存在する、直径十メートルあるかないかくらいの黒いクリスタルで作られた足場だった。


「この場所を羅針盤で確認した御屋形様も、同じ所感でしたッス。〝まるでマグマ湖の中から一文字に斬り裂いたような空間だ〟と仰っていましたね」

「事実ならとんでもないな。湖と言うけど、パッと見た感じはもう海だしなぁ」


 海中から、海を上下に真っ二つ。そして、その状態を固定……なるほど。実に超越者らしい超越的な所業だ。


「広さは、どれくらいあるのかしら?」

「分からないッスねぇ。そもそも第九階層を超えられる悪魔自体がほぼいないッス。そして、魔樹跡地の正確な場所は七王さえも知らない……仮に辿り着けても、悪魔は魔樹自体に干渉できないらしいッスし」

「そう考えますと、やはり羅針盤は破格の性能ですね……」


 アウラロッドが視線を向けると、光輝は頷き〝樹導盤〟を起動させる。


「よし、ここでもちゃんと機能してるな」


 魔力霧散現象はなくなったが、代わりに他の障害が! ということもなかったようだ。


 〝樹導盤〟を片手に、もう片方の手でオールを操って浮遊する痛ゴンドラを進める光輝。


 潜水艇と同じでマグマの中でも問題なく活動できるはずだが、ここは超越者達が〝二度と触れてはならない〟という極限レベルの意志のもとに作られた空間のはずだ。


 石橋を叩いて渡るどころか、補強しながら渡るくらいの気持ちでいた方がいい。


 改めてそう己に言い聞かせ、一度、黒いクリスタルの足場の縁で停止する。深呼吸を一回。


 モアナとアウラロッド、そして、カーラを見やる。


「大丈夫よ、行きましょう?」

「そうです、早く行きましょう、光輝様。お仕事を終えて、少しでも早くスルードのもとに戻るのです! きっと、寂しがってますよ……」

「いえ、それはないッス。むしろ、鼻水とかつけられて、ちょっと迷惑そうだったッス……」

「え? なんですって?」


 なんて気負った様子のないやり取りに、くすりっと笑みを零して。


 光輝は果ても見えないマグマの湖へ、いざ漕ぎ出し――


 その瞬間だった。


 ドバァアアアッと目の前のマグマが噴水の如く噴き上がったのは。


「「「「え?」」」」


 否、噴き上がったのではない。そびえ立った。


 高さは五メートルくらい。ドロリッとマグマが滴り落ちていく。だが、柱は健在。


 運悪くマグマの爆発、あるいは噴き上がりに当たってしまったのではない。


 なぜ、気が付かなかったのか。


 多重結界の中とは言え外部への探知を阻害するものではない。光輝達もそれぞれの方法で常に警戒はしていた。


 なのに、こんな目の前に現われるまで分からなかったなんて……


「……カーラ……念のために……聞くんだけど……」

「はいッス……」

「こんな場所にも悪魔はいたり……?」

「しないッスよ……というか……」


 流れ落ちるマグマ。その灼熱のベールの奥から、それは姿を見せた。


 生命体などいないはずの、ハジメもまたいないと断言した場所なのに。


――#######


 脳内に直接響くような名状し難い鳴き声。不快極まりないのに、なぜか流麗な詠唱のようにも聞こえる。


 一見すると長大なナマコだ。ただし、頭部であろう部分はバナナの皮のようにめくれ、その奥からは無数の触手が湧き出している。


 マグマを遊泳できる特性、羅針盤の探知を逃れた異常さ。


 だがそれ以上に、だ。


「こ、こんなのとっ、一緒にしないでほしいわ!!」


 口調が元に戻ってしまうほどカーラが動揺している。


 それほどに、目の前の存在は異質だった。何がどうとは説明できないが、ただただ本能が訴えるのだ。これは違うと。ここにいるはずがない存在だと。


 そう、それは浩介達が少し先の未来で感じる異質さと同じで。


 予想外にも程がある出来事に、さしもの光輝達も唖然として反応が遅れる。


 ヴンッと空気が震えたような気がした。いや、あるいは、震えたのは生存本能か。


 己が総毛立っている自覚もないまま、


「――ッ!!」


 光輝は自身が咄嗟に使える中で最強の結界を展開した。ゴンドラとタリスマンの結界があるのに、勇者の直感と経験則が勝手に体を動かしたのだ。


 結果的に、それは正解だった。


「「きゃぁあああっ」」

「おおっ!?」


 パァンッという破裂音と同時に、モアナ達が悲鳴を上げゴンドラの縁にしがみついた。ゴンドラが吹き飛ばされたのだ。


 破裂音は結界が弾け飛んだ音だ。同時に、光輝の結界も粉砕された。


「空間破砕っ、それも尋常じゃない威力ッ」


 船首が持ち上がり、そのままひっくり返りそうになるゴンドラを必死に制御する。


 もし光輝が咄嗟に結界を発動していなかったら、タリスマンの結界はどうなっていただろうか。


 ゴンドラの結界もタリスマンの結界も攻撃に対する防御用ではなく、あくまで悪環境から身を守るための結界だ。もちろん、並みの攻撃ではビクともしない耐久力はあるので耐えたかもしれない。だが、そうでなかったら……


 この最悪の空間で生身を晒すことになっただろう。


「聞いてないぞぉっ、南雲ぉ~!!」


 その文句に反応したみたいに、ゴンドラの結界が即座に再展開された。魔力消費量を考えず対攻撃用結界も同時に。


 直後、あの詠唱のような鳴き声が再び響き、視界から怪物の姿が消えた。空間振動の衝撃によりマグマの津波が発生したせいだ。


 だが、今度は問題なかった。ゴンドラの空間遮断結界はしっかりとマグマも空間破砕の衝撃も防ぎ切った。


 安堵の吐息を揃って漏らす光輝達。


「光輝!! どうするの!」

「流石に想定外が過ぎます! 一度、撤退すべきでは!?」

「ああ、賛成だ! 俺もそう思ってたところだ!」


 黒いクリスタルの足場に戻ろうとして、しかし、躊躇う。怪物がちょうど足場を迂回して背にしたところだったからだ。


 逃げ道を塞いだのか? 戻ってくるのが面倒になるけど、ここはフェアリーキーで地上に戻って南雲への報告を優先して――


 そう判断し、光輝がフェアリーキーを取り出す。が、使用できなかった。


――闘……魂………………奪ッ………渇ッッ


 何か声が聞こえた気がした。同時に、かつ唐突に闘争心が湧き上がった。なんとしても目の前の怪物を倒したい。そして、その魂を喰らいたい――


「っ、精神干渉もか!?」

「タリスマンがなかったら危なかったんじゃない!?」

「これって……もしかして下級悪魔達の暴走って……」

「ええ、かもしれないッスね!」


 カーラの目が妖しい輝きを帯びた。精神干渉を得意とする天魔としてプライドを刺激されたのか。逆に精神干渉を仕返したらしい。


 何を見せているのか。怪物が絶叫を上げ、暴れ始めた。


「勇者殿。せっかくです。ヤッてしまいませんッスか? 御屋形様も知らない存在……手土産にすればお褒めの言葉もモリモリッスよね!」

「欲望に忠実!」


 だって悪魔だもの。


 とはいえ、空間破砕も精神干渉も今のところ防げている。まだ手札があるかもしれないが、フェアリーキーで撤退できる以上、ある程度の情報を得てからというのも悪くない考えだ。


 ハジメが探知できていなかったこと、目の前にした時の本能的かつ強烈な忌避感。


 それに動揺して「ともかく撤退!」と判断したが、冷静になればカーラの言うことにも一理ある。


 という逡巡が、結局のところ撤退の機会を奪うことになった。


 ドバァアアアッとな。マグマの柱がたくさん湧き上がった。


「「「「え?」」」」


 再び響いたお揃いの声。悪夢に苦しむ怪物の絶叫に呼び寄せられたのか、お仲間がやって来たらしい。


 それも、〝群れ〟と表現すべき数で。


 全方位。前にも後ろにも左右にも、それどころか天井のマグマ湖からも。


 大小の違いはあれど同じ触手の生えたワーム型怪物が、パッと見ただけでも百数十体。


 あの詠唱にも似た鳴き声が一斉に放たれた。と、同時にヴンッと全方位の空間がたわんで――


「まず――っ」


 転移――間に合うか――結界も併用して時間を――


 光輝に〝加護〟を――効力を高めて――


 天剣に――光輝様の力を高め――


 三者三様、言葉もなく対応しようとして、しかし、その寸前に、それは飛び出してきた。


 天井側のマグマから凄まじい勢いで。


「なっ」


 今度はなんだ!? と言葉に出す時間もなかった。


『勇――因……ガガガッ――発見――ぷロ、ス――かいし』


 仄かな輝きを帯びた三角錐の浮遊体。それがゴンドラの脇に慣性を無視して停止するや否や不明瞭な機械音声を発した。と同時に、その浮遊体を中心に光の渦が発生。


 直後、全方位からの空間破砕が炸裂した。


 しかし、荒れ狂う空間の歪みとマグマが収まった後には、光の渦も、ゴンドラの残骸も、光輝達がいた痕跡は何一つ残っていなかった。


 後には、獲物を逃した怪物達の怒りに満ちた絶叫だけが響いていた。











「っ、モアナ! アウラ!」

「だ、大丈夫よ。なんともないわ」

「私も大丈夫です。それより今のは……いえ、ここはいったい……」


 視界を染め上げた純白の光。それが晴れるや否や安否を確認した光輝は、変わらずゴンドラの椅子に座ったままの二人を見て安堵に胸を撫で下ろした。


「私も問題ないッス。あ、聞いてないッスね……はい、すみませんッス……」

「あ、ごめん! カーラも無事で良かったっ」

「ス」

「え、え~っと、そうだ! いったい何が……」


 周囲を見渡す。屋内だった。体育館くらいの大きさの白い空間だ。明らかに金属質なのに木目調の壁や天井で出来ている。


 床には天井と対になっているっぽい魔法陣が、規則正しく、かつ部屋の隅までびっしりと描かれていた。


「トータスの魔法陣……? いや、似ているだけ? もっと複雑な……」

「こ、光輝! これ……」


 モアナに袖を引かれ視線を転じる。ゴンドラの脇に、あの三角錐の浮遊体が転がっていた。もう、輝きは帯びておらず、うんともすんとも言わない。


 まさしく、壊れた機械のようだ。


「助けられた……のかな?」

「光輝様。ここは……何かおかしいです。少なくとも、私が訪れたことのある世界ではありません」

「なんだって?」


 元女神の感覚か。それはつまり、自分達が異世界召喚されたことを示していた。


 脳裏に、アウラロッドがまだ行ったことのない世界を思い浮かべる。と同時に、三角錐の浮遊体の正体を考察する。


 南雲が助けてくれたのか? これもあいつのアーティファクト? ここは機工界か、それとも星霊界? ともかく、南雲に一度連絡を――


「勇者殿、そう遠くない場所で誰かが戦っているッスよ」

「え? 誰か?」

「ッス。魔力持ちだったので探知できたッス。そいつらの意識に入り込んで視界を共有してるんッスけど……戦っている相手、あのミミズモドキと雰囲気が似ているような?」


 そう言って、カーラが赤く光る瞳を向けてきた。


「共有するッス?」

「……ああ、頼むよ」


 カーラが見ているものを夢幻として共有できるらしい。ちょっと怖いが頷く光輝。今は少しでも情報が欲しかった。


 そうして見えた、その何者かの視界には……


「リーーさぁぁああん!!?」


 特徴的な潜水艇に乗った見覚えしかない人面魚の姿が!! 鬼の形相でミサイルを放っている!


「お知り合いッス? もう一匹いるッスけど」


 今度はリーさんの視界だろうか。見えたのは宙を飛び跳ね触手を回避しまくる、やはり見覚えしかないウサギさんの姿が。


「ナンデ! ナンデココニ、イナバ=サン!!」

「光輝!? 大丈夫!?」

「なぜいきなりカタコトに!? 光輝様! しっかりしてください!」


 動揺のあまり某ニンジャをスレイヤーする世界風の言葉遣いになってしまう光輝。


 無理もない。転移した未知の場所で、知り合いが未知の敵と激闘を繰り広げているのだから。まさかの事態である。


 と、そこへ追い打ちが。


「あら、驚いたわね。てっきり全滅したかと思っていたのに……」


 唐突に現れた気配、そして響いた見知らぬ女の声。


 ハッと視線を転じれば、少し離れた場所にいつの間にか六十代くらいに見える白髪の女性が立っていた。


 地球でもよく見るレディーススーツのような姿で、けれどジャケットの代わりに白衣を羽織っている。鋭く理知的な瞳と相まって、如何にも科学者といった雰囲気だ。


 苦労が垣間見える深い皺が多い顔だが、それでも美しいと感じる。


 その顔を見て、光輝は既視感を覚えた。


 そして、無意識に言葉を零していた。


「……神の、使徒?」


 そう、もし彼女達が人間で、順当に歳をとっていたのならこうなったのではないか。


 自然とそう思ってしまうほどに、白衣の女性の容貌は似ていたのである。


 ノイントやエーアスト達に。


いつもお読みいただきありがとうございます。

感想・意見・誤字脱字報告もありがとうございます。


これにて、なが~い最終章プロローグの終わりです。お付き合いくださりありがとうございました。次回から、いよいよ最終章本番です。

ただ、その前にプロットの再調整をしたいのと、ちょっと旅行を予定しておりまして、次週はお休みとさせていただきます。(場合によっては二週頂くかも?)

申し訳ないですが、よろしくお願い致します!


※ネタ紹介

・墓守の番犬のモデル

 ゲーム『ダークソウル』のシフ。

・ナンデ! イナバ=サン!

 『ニンジャスレイヤー』より。

・巨大な触手ナマコ

 モデルはクトゥルフ神話系の「クトーニアン」です。


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― 新着の感想 ―
2周目。また追いついてしまった。 何周しても起承転結が綺麗で、展開の進み方に秀でた作品に感じています。またキャラクターも非常に立っており、同一人物が書いたと思えないほどそれぞれが独立した魅力を持ってい…
疑問なのですがもしハジメの推測通り魔力が厄災界由来の力だというのなら地獄、トータスの元の力はなんだったのでしょうか?もし今後物語上でそのことに触れていただけるなら大丈夫なのですがもし触れる予定がないな…
Well this is odd to say the least in various ways the first is that Ehit's world should no longer ex…
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