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ありふれた職業で世界最強  作者: 厨二好き/白米良
ありふれたアフターストーリーⅥ
541/550

深淵卿の夏休み編 許せないっ!!



 宝石を散りばめたような輝く夜空に、信じられないほど大きな月が君臨している。


 冴え冴えとした光を受けて煌めくのは地平の彼方まで広がる雲海だ。地上には遥か高き山々が幾つもそびえているのだろう。標高も規模も様々な山の頂上が、あたかも海に浮かぶ孤島群のように突き出している。


 その輝く雲の海には、信じ難いことに、本当に海だとでも言うかのように幾つもの小舟が行き来していた。孤島の如き山頂には、それぞれ古き日本の神殿や五重の塔のような美しい建物が建築されている。


 まったくもって神秘の世界。


 人が想像するような天上の世界そのままの光景が、そこには広がっていた。


 そんな神秘に満ちた天上の世界――妖精界において日本神話の神々が支配する星の中でも一際、位の高い神々がおわす神殿の一角に、


「っていう感じだったんだよ」

「くっ。何よそのホラーパニック映画みたいな展開! ハウリアの大好物よ!? やっぱり一緒に行けば良かった!!」


 随分と悔しげな声音が響き渡った。ラナだった。


 周囲を美しい朱色の欄干で囲まれた展望台のような場所だ。背後には巨大な鳥居があり、その向こうには古代出雲大社で想起される長大な階段がある。


 雲上の標高だが酸素が薄いということはなく、むしろ凄まじく呼吸がしやすい清らかな空気だ。しかも夜だというのにちょうどいい気温で心地よいそよ風も吹いている。


 木製の床には美しい織物の敷物が敷かれていて、これがまた驚くほど柔らかかった。


 もちろん、その敷物の上でくつろぎつつ奇怪な事件の説明をしているのは、戻ってきた浩介達だ。クラウディア達も熱いお茶を口にしながらホッとした様子を見せている。


 ラナが期待通りに神々へ挨拶してくれた結果だ。


 出迎えてくれた神格の方々――なぜか筋骨隆々の武神系の方々が一番多かったが――は、浩介がいないと知り少しがっかりした様子だったらしいが、正妻(ラナ)の敬意ある丁寧な挨拶と事情説明に気を良くし歓迎してくれたという。


 そして、歓迎の宴会が始まるまでの間、緊急事態に関する話し合いもあるだろうと邪魔することなく、こうして最高に見晴らしの良い展望台も提供してくれたわけだ。


 見事な正妻力である。さすラナ!


「まさか、地球にそんな怪物が……浩介さんがいる限り万が一はないと分かっていますが、皆さん達が無事で良かった」

「本当にねぇ。これもヒーローの悲しい運命ってやつ? 浩にぃ、やばい事件に遭遇しすぎぃ~」


 アジズもまた話を聞いて安堵の吐息を漏らし、真実(まなみ)は呆れたような眼差しを兄に向けた。


「で、どうですか、ブラウたん。該当する特徴の妖魔は存在しますか?」

「う~ん、確かにそんな特徴の妖魔は知らないわねん? つまり……想念から生まれた子じゃなくて実在する子ということになるけれど……」


 ヴァネッサの確認に、漢女神のブラウもしゃなりと足を揃えた上品な座り方をしながら、指を頬に当てて首を振った。


「とはいえ、絶対ではないわ。あくまで代理の女神だもの。感知できていない可能性もゼロではないし、全ての知識を引き継いだわけでもないから……ごめんなさいねん? アウラロッド様なら何かご存じかもしれないのだけれど……」

「気にしないでください、ブラウたん。たぶん、いえ、十中八九、妖精界とは関係ありませんから。今のは念のための確認です。ねぇ、コウスケさん」

「うん、まぁ、代理とはいえ女神は女神だ。ブラウに感知できない妖魔の存在なんているとは思えないし」


 意味ありげな視線を向けるヴァネッサに、浩介は頷いた。ただし、なぜだか少し困り顔で。否、半信半疑みたいな顔で、と表現すべきだろうか?


「あれが妖魔でないことは、わっちが保証しんす。というか、あれと同じ世界の存在と思われるのは心外でありんす」


 一人だけ杯で酒を口にする緋月が、如何にも不愉快そうにフンッと鼻を鳴らした。


 そんな緋月に「あくまで念のための確認だって、緋月。怒らないでくれ」と苦笑しつつ、「その様子からすると、獣の怪物の正体について見当がついてる?」と小首を傾げているラナやエミリー達に頷く浩介。


「実は、ヴァネッサに少し心当たりがあってさ」

「あくまで心当たりですけどね。私の知識と異なる点が多々ありますし」


 悪魔や妖魔の専門家ではなく、幅広いジャンルのサブカルチャーを(たしな)むヴァネッサだからこそ気が付いたことが、実はあったらしい。


 とはいえ、あくまで推測だ。好みのジャンルではなかったのもあって原作系は読んでおらず、知識自体も割とあやふや。


 それもあって現場では言葉にしなかったが、実は仲間内だけには一応念話で伝えていたのである。


「サブカルチャー系? つまり、地球の伝承や物語に登場する怪物かもしれない? それが実在したということ?」


 ラナが目をぱちくりする。地球って本当にファンタジーねぇ……と、剣と魔法のファンタジー世界出身者が感心の表情になる。


「そうですね。コズミックホラー系の有名な作品群です。私やマナミさんの好むジャンルではないので、それらを題材にしたアニメや漫画を通して知っている程度なのですが」

「え、あっ、つまりそういうこと?」


 真実がポンッと手を叩いて理解を示し、直ぐに嫌そうに顔をしかめた。


 別にその作品群が嫌いだからではない。その作品群に出てくる怪物――神話生物や神々の類いが実在するかもしれないと理解してゾッとしたが故だ。


 そう、コズミックホラー系創作神話群、俗に言う〝クト○ルフ神話〟を。


「ただなぁ……」

「? 歯切れが悪いわね、こうすけ。ヴァネッサの推測に納得いかない感じ?」


 浩介の隣にぴっとり寄り添う女の子座りのエミリーが小首を傾げる。


「納得いかないというか、半信半疑というか」

「しかし、コウスケさん。あの獣の怪物はあまりに例の〝猟犬〟と似ているとは思いませんか?」

「うん、それはそう。けどさ、もし創作神話の存在が実在するとして、それを南雲が見逃すかな?って考えると……」

「……ああ、確かに」


 そう、そこだ。浩介がずっと引っかかっている部分は。


「クリスマスの時の事件は、みんな覚えてるだろう?」


 ブラウや真実(まなみ)、それに朱なども頭上にクエスチョンマークを浮かべる。そう言えばそうだ、と苦笑する浩介。


 簡潔に説明する。去年のクリスマスの出来事。浩介達のパーティー中に、ハジメから黒衣の男が郵送されてきた事件だ。


 不気味な〝書物〟を巡る、黒衣の男とサンタクロース・フォーの戦い。通りかかったミュウが必殺〝パパに電話〟することで解決を見たあれだ。


 黒衣の男は何かに取り憑かれている様子だったのだが、捕縛した時には既に〝何か〟は存在せず、結果、ハジメはその男の調査を浩介に投げたのである。男を物理的に投げ渡す形で。


 なるほど、と頷くブラウ達。


「結局、あの男は何も知らず……というより精神が崩壊していて何も情報を得られなかったのです」

「再生魔法で回復しても何も知らなかったからなぁ……ただ操られていた被害者って判断したんだよな」


 クラウディアが苦笑いを浮かべる。


 実際、記憶を探っても怪しい点は何も出てこなかった。身寄りなく友人すらもいない一般人。まるで図ったように。逆に怪しくはあるが、ただ何者かに利用されただけの線が濃厚だ。


 なので、念のため保護も兼ねてオムニブスの施設で様子を見ることになったのだ。


 ちなみに、例の〝書物〟を託した運転手や受取人の男にも話を聞いたが、心当たりが多すぎて逆に分からないという。崇拝者が関わっているだろうことは確からしいが。


 ともあれ、黒衣の男の正体より重要なのは神話生物の存在だ。


「南雲も当然、バスガイドさん、確か……甘衣さんだったかな? からも事情を聞いてる。俺にも共有されたしね」


 つまり、その時点でハジメは、連綿と歴史の影で続いてきた探索者と崇拝者の戦いを知り、そしてクト○ルフ神話系の存在が実在する可能性を考えたはずだ。


 甘衣自身は、知らぬ調べぬ何も聞かぬぅ! こそ命を守る最善策と固く信じている人なので、あまり有用な情報を聞き出せなかったようだが、ハジメには羅針盤がある。


「南雲からは、そんな存在は感知できなかったと聞いた」

「ボスの羅針盤で感知できない存在はいない。感知できないなら存在しない。つまり、その創作神話の怪物達も存在しない。ということね?」


 ラナの確認に浩介は頷いた。だから、専門家の集まる自分達に何か分かれば儲けものくらいの気持ちで男を送ったのだと。


「悪魔も妖魔も自己欲求に忠実なのです。南雲様が睨みをきかせる以前は当然、その後も一部の強大な存在が彼と関係のない人間にちょっかいをかけることは十分にあり得るのです」

「それも手法を変え、あるいは姿を変えて。人に恐怖をもたらすことが彼等の存在意義でもございますから……」

「わっち等が人にもたらすそれを、遭遇した者達が面白おかしく肉付けして出来たのが、その創作神話だと魔神殿は判断したわけでありんすなぁ」


 悪魔共は特に大抵が最悪の愉快犯共である。故に、新たな悪夢の語り部を望んで演出したのではないか。とさえハジメは考えていた。


 それがクト○ルフ神話の元ネタであり、探索者や崇拝者が実在を信じているのも、実は悪魔では? と。


 ともあれ、そんなわけだから、クト○ルフ神話系の怪物の実在を、どうしても浩介は疑ってしまうのである。


「妖魔の一種ならブラウが女神の権能で見逃さないと思う。だから、大樹の化身が未だいない地獄の存在という方が可能性はあるんだけど……」

「あるいは……わたくしも、あの獣の怪物を実際に見ていなければ何者かの〝式〟の一種と考えたかもしれません」


 だが、見た。そして実感した。獣の怪物の異常性を。そのおぞましい異質さを。


 創作神話の存在は実在しないはず。けれど、既存の知識に当てはめるには異常すぎる。だから、こうして困惑してしまう。


 溜息を一つ。考えていても埒が明かないと頭を振る浩介。


「結局、南雲に相談するのが一番だな。南雲一家はサブカル知識の宝庫だし、いずれにしろ報告はしなきゃだし」

「そうね、ボスに報告すべき案件だわ」

「うん。正体が曖昧とはいえあの程度ならなんとでもなるし、せっかくの旅行に水を差す気もないから帰ってきてからにするけど。どうせあと数日のことだしな」


 そう言って、浩介は肩を竦めた。


 今回の異世界旅行のスケジュールに間に合わせるために、ハジメがどれだけ忙殺に身を浸してきたか知っているから、そして、そんな忙しい中でも浩介の新生活に配慮してくれていたことも分かっているから、こんな余計なことで煩わせたくないのだ。


 それに、仮に何かあっても対応できるよう対策は打ってきたし……と心の中で呟く。


「まぁ、そうね。その獣のことはひとまず置いておきましょ? なんにせよ、お疲れ様、こうすけ」

「おう、ありがとう、エミリー」

「でも、こうすけが出て行って、まだ二~三時間くらいしか経ってないわよ? ……その地下から出た後、直ぐに戻ってきたってことよね? 大丈夫なの?」


 妖精界と地球の時間軸のズレは、ハジメ達から連絡を受けて直ぐ対策がされたので現在はない。という説明を、実は初日にブラウから受けている。


 事後処理がいろいろありそうなのに……と常識的なエミリーが心配するのは当然と言えば当然だった。


 同時に、そのたった二~三時間でも寂しかったのだろう。エミリーの手がそっと浩介の手に重なる。


 その手を浩介が握り返せば、エミリーの頬もふにゃっと緩んで――


「もちろん、エージェントJに丸投げ――ごほんっ。後を任せて普通にお暇した」

「ダメじゃない!? Jさん、絶対に引き留めたでしょ!?」

「……うん。なんか泣きそうな顔で縋り付いてきたからペイッて振り払って……」

「ひどいっ。まるで南雲ハジメ(例のあの人)みたいにっ」

「最後は四つん這い状態で手だけを伸ばしてきてさ。まるで恋人に別れを告げられたけど未練タラタラな人みたいな有様で……ちょっと引いた」

「彼の気持ち、分かってあげてよぉっ」


――カァムバァーックエンドゥーーーーーーッ!!


 別れ際のJの悲痛な叫びが思い起こされる。


 無理もない話だ。


 地下から無事に出た時のこと。生存を絶望視されていた仲間二人の無事な姿にエージェントKが飛び上がるほど喜び、そんなKの姿にMもHも「大袈裟だ」なんて言いながらも照れくさそうで。


 特務組織のエージェントというには随分と強い絆があるようで、そんな仲間を見つめるJの表情も本当に嬉しそうだった。が、それも束の間である。


 とにもかくにも、MCB本部への報告と応援の要請が必要だと直ぐに行動を開始。


 通信機が通じる森の外まで移動するのは現場保存の観点からも望ましくないということで、清武の異世界通信機を使い、日本経由でMCB本部へ連絡したエージェントJ。


 その直後、響いていてきたのはバリトンボイスの凄まじい怒声だった。スピーカーモードではないし、なんなら仲介している対応課の職員も聞いているというのに、「貴様の鼓膜を破壊するッッ」と言わんばかりの声量だった。


 独断専行の結果なのだ。甘んじて受け止めるエージェントJだったが、あまりの迫力にその顔色は瞬く間に青色に、次いで白く変じ、最後には土気色へ。


――う、うちの局長より怖い……かもしれません……


 とはヴァネッサ談である。鉄血の女の制裁を、保安局で最も受けている常習犯であるヴァネッサが身を竦ませるほど、と言えばその剣幕の激しさが分かるだろうか。


 もっとも、マグダネス局長は静かに笑ってキレるタイプで、MCB局長は烈火の如くキレるタイプという感じだったので、浩介から言わせればタイプが分かれるだけで恐さは同等だと思ったが。


 何にせよ、若いエージェントKが「申し訳ございませぇんっ」と再び腰を抜かして頭を抱えぶるぶる震え始めたのも仕方ない……かもしれないレベルの恐ろしさだった。


 最後にはエージェントM&Hの生存に安堵し、温かい言葉をかけていたので悪い人ではないのだろうが。


 一通りブチギレた後、エージェントJの進退がどうやらヤバそう――ピカッをされた挙げ句、田舎の郵便局勤めになるかもしれない――な話がドスの利いた声でなされ、Jが覚悟はしていたのだろうが今にも灰になって消えていきそうな有様になった辺りで、少し落ち着いたらしい。


 で、何はともあれ各国の協力者方にご挨拶と詫びを入れねばなるまいと、その意識が浩介達に向き……


「局長さんもさ、怒ってる時とは打って変わって平身低頭していそうな声音で何度も謝罪と感謝をしてくれたんだけど……というか、どうか国際問題にだけはって命乞いみたいな雰囲気で懇願されたんだけど……」

「それはまぁ……そうでしょうね」


 苦笑を浮べるエミリー。その反対側で、ラナが浩介の腕を掻き抱くようにして顔を寄せる。なんだか、悪の女幹部のような悪い顔をして。


「どうせ、こうくんのことだから気にしないでって伝えたんでしょ? ダメよ、こうくん。優しいところはこうくんの良いところだし、私も好きだけど……据え膳(よわみ)食わぬはハウリアの恥! よ! 弱みを見せた相手はとことん有効活用しないと!」

「ちょっとラナさん、やめてよ! またそうやって、こうすけを悪い道に!」

「ふふ、魔神一家の側近夫婦になるのよ? 悪逆非道、容赦無用の何が悪い! 否、悪くない! むしろ、これぞ我等の正義!! エミリー博士、貴女もいい加減にこちら側へ来なさいな? クククッ」

「ま、負けない! 私の常識と良識は鋼鉄より固いのよ! 頭をかち割ってでも叩き込んであげるんだから!」

「いや、エミリー・グラント。言ってることが普通に常識や良識からかけ離れているし、そもそも旅行の初日を忘れたのか? 貴様、私に変な薬を躊躇いもなく飲ませたMAD研究者だろう。既に十分、魔神の手先……」


 朱さんがヤバい犯罪者を見るような目つきをエミリーへ向けた。直後、プシュッとな。


 なんと、エミリーちゃん、抜き撃ちのような速さで懐から小さなスプレーを取り出し、まるで変質者を撃退するが如く朱の目に吹きかけたのだ! 完全にMAD! 


「ギャァアアアッ!!? 目がっ、目がぁっ」

「! シウさん!? 大丈夫ですか!? エミリーお姉様! いくらなんでも――」

「目がぁーーっ死ぬほどすっきりしただと!? ここ最近感じていた目の疲れがなくなっている!? いや、それどころか……心なしか視力まで上がっているだと!?」


 転がり回っていた朱さんを介抱しようとしていた陽晴ちゃんも、これにはビックリ。


「誰がMADよ! 健康にするわよ!」

「エミリーさん、それ脅し文句なのです?」


 クラウディアが、否、誰もがなんとも言えない表情になった。


「ちなみに、眼精疲労の回復に即効性があるのは事実だけど、視力自体は回復してないわ。視力というのはね、目の機能だけじゃないの。脳によるイメージ補正も関係するらしいのよね。この薬、副作用で脳にも作用して、その補正力を高めるみたいなんだけど……まだ試験段階だから効果は一時間くらいしかないわ!」


 普通にヤバイ薬だった。効果だけなら良く聞こえるが、目から入って脳に影響が出る薬である。普通にヤバイ。しかも、まだ試験段階……ヤバイ。何より、それを躊躇いなくツッコミ代わりに吹きかける点が一番ヤバイ。マジMAD。


 魔神勢力の研究分野を担う者として相応しい道を邁進していらっしゃる!!


「フッ、流石はエミリーちゃん。私が二番目のお嫁さんとして認めただけはあるわ!」

「どういう意味よ!?」

「わっち、実はこの中で一番警戒すべきはお前さんでないかと思いんす」

「だからどういう意味なのよぉ!?」


 そのままの意味だ。伝説では、酒呑童子は毒酒を飲まされたことが要因で敗北したという。力だけでは対抗できない、げに恐ろしきは人の知恵というべきか。


 伝説の悪鬼に恐ろしい者を見るような目で見られている点、ある意味、本物だ。


「あ、あのね! 誤解があるようだけど、試験段階と言っても自分で使って問題ないと分かってから使ってるからね! 研究してるとどうしても目が疲れちゃうから……」


 エミリーの弁解は、なんとも生暖かい、けれど、どこか畏怖を感じさせる浩介達の眼差しが無意味だと伝えていた。君はね、エミリー。恐ろしい研究者だよ、と。


 味方はいない。うぅっと涙目になったエミリー。


「そ、それより! MCBの局長さんと話したんでしょ? よく引き留められなかったわね?」

「いや、引き留められたよ。既に米国内にいるなら、ぜひMCB本部に来てくれって。流石に事件の内容が内容だからさ、無礼は承知で、少し予定は早まるがぜひこのまま協力願いたいって」

「そうなるわよね?」

「うん。で、言ったろ? Jに丸投げして逃げ――丁重にお断りしてお暇してきたって」

「誤魔化せてないわよ」


 エミリーも浩介の腕をギュッと抱き込んで、至近距離からジト目を送った。そんな状況で問答無用に帰られたら、そりゃあエージェントJも縋り付くでしょうよ、と。


「聞いてるだけでもヤバイ事件なのに、私達、旅行してる場合かしら……タケヒコさん達も残ったんでしょ? 私にも何かお手伝いできることが……」


 直ぐに心配そうな表情になる。基本的に根がお人好しなのだ。エミリーは。


 そんなエミリーへ最初に言葉を返したのは、意外にもラナだった。


「旅行してる場合よ? エミリーちゃん」


 両手が塞がっている浩介の代わりに、他国の事件とその関係者を本気で心配しているエミリーの頭を良い子良い子と撫でる。


 何かとハウリア式に異議を唱えるものの、ラナに撫でられるのは満更でもないらしく、からかわれている時以外は素直に、かつ目を細めて心地よさそうに受け入れるエミリー。


「え、それは……ああ、そうよね。確かに神様達に遊びに行くって約束したし……反故にするのもダメよね」

「まぁ、それは確かにそうね。失礼がないように私も残ったのだし。でもね、それ以上によ?」


 ラナの視線が皆を巡る。家族を見る温かな眼差し、この光景を愛しいと感じていることが明らかな眼差しだ。


「家族と過ごす時間以上に大事なことなんてないわ」


 エミリーの目が大きく見開く。だが、直ぐにラナの言わんとすることを理解して、へにょっと眉を下げた。


 ラナの言葉にクラウディア達も目を細める。理解と同意と、そして温かさに溢れた、幸せを噛み締めるような、そんな目を。


「……うん、そうね。その通りだわ。人助けばかりで、浩介がすり減っていくのなんて絶対に嫌だもん」

「俺だって、今回の旅行はめちゃ楽しみだったんだ。何人(なんびと)にも邪魔はさせないってな」


 健比古や清武……大事な仲間の、そして陽晴の身内のピンチだと思ったから助けに行ったのだ。


 そうでなければ、例えばMCBからエージェントが行方不明だから捜査協力の日程を早めてほしいなどと要請されていただけなら、浩介は旅行を、家族との時間を優先した。


「それに……俺は勇者じゃない。魔神の右腕だしな」


 これが天之河なら旅行を中止して助けになろうとしたのだろう。なんてたって、その他大勢の「助けて」を決して無視できない、しないと決めた奴だから。


 けど、俺は違う。そこまで殊勝なヒーローはできない。する気もない。南雲ほど割り切れるわけでもないけれど、それでも優先順位は明確だ。


 大切な人達が最優先。そこに揺らぎはない。


 そんな言外の想いが、ラナとよく似た温かい眼差しから読み取れた。


「ふっ、ヒーローはヒーローでもダークヒーローというやつですかね?」

「ヴァニーお義姉様、それはちょっと良く言い過ぎじゃない? 浩にぃなんて、せいぜいどこぞの超適当おふざけヒーローくらいで良いと思うよ」

「誰がデッド○ールだよ」


 ヴァネッサと真実(まなみ)のやり取りに、くすりっと笑みを浮べる面々。


 不意に、浩介の頬がプニプニされた。ラナが指先で頬を突いていたのだ。至近距離に、まるで全てを見透かすような、それでいて愛しに溢れた瞳がある。


「けど、こうくん? 貴方が、たくさんの人が慕うヒーローであることに変わりはないわ。そして、ヒーローと呼ばれるからにはヒーローと呼ばれるだけの理由がある」

「えっと?」

「丸投げという表現は……適切ではないわね? ふふふっ」

「あ~」


 浩介は天を仰いだ。え? と小首を傾げるエミリー、そして真実(まなみ)とアジズ、それにブラウ。


 一方、クラウディア達は目をぱちくりさせて、更に顔を見合わせ、一拍。流石はラナと言いたげに苦笑を浮べた。


「早々に帰りたかったから……それも本当なのでしょうけど、半分は〝早々に帰った方が事件の解決に利するから〟と判断したからなんじゃない? ――分身体、こっそり現場に残してきたでしょ?」

「うん、その通りっす。後で、実は~ってドヤ顔で語ってやろうと思っていたのに……」

「あら! それはごめんなさい。でも、私は現場に行けなかったのよ? 事件のさわりだけ、しかも、その端的な事実関係だって他にも何か隠し事をしてるわね?」


 ギョッとしかけるが死ぬ気で表情筋を操る浩介。だが無駄だ。ラナの目はクラウディア達を、特に陽晴ちゃんを見ている。獣の怪物を倒した方法を語っている時の陽晴の僅かな動揺を見抜いていたらしい。


「クレアちゃん達は分かっているのに、私は知らない……ふふ、これ以上()らされたら、どうにかなっちゃうわ?」

「ご、ごめんて! 悪かったよぉ、ちゃんと話すから……」


 耳元に熱い吐息を吹きかけるような有様で囁き、珍しくも軽い嫉妬を滲ませるラナ。大きな胸元も浩介の腕を挟み込んでむにゅりっと素敵に形を変えている。ついでに、ウサミミまでぺたんっとたたまれ、先端がイジイジと浩介の頭に押しつけられている。


 これには浩介も即座に降参だ。


「ラナには隠し事できないなぁ」

「ふふ、当然。だって私は、こうくんの一番目の奥さんなんだから」


 浩介は思った。皆がいて良かったと。でないと、たぶん普通にラナを押し倒していただろうから。それくらい至近距離で見つめてくるラナの破壊力は凄まじかったのだ。


 少なくとも視線を逸らせないくらいに。鼻先が触れ合うほどの近くで見つめ合う……


「ごほんっ!! 妹的に気まずいんで、そういう雰囲気は二人っきりの時にお願いできますぅ!?」


 真実が顔を赤くしながら抗議の声を上げた。アジズも照れくさそうに視線を逸らしている。


 エミリー達ですら、なんとなく邪魔しないようにと、あるいは空気に呑まれてしまって二人の様子を見つめるだけだったのに、流石は実の妹だ。


 おかげで全員がハッと我に返れた。


 ラナが「あら、ごめんなさい?」と艶やかな笑みを浮べて身を離す。対抗心からか、代わりにエミリーの抱き付く力が強くなった気がしたが、それはそれとしてだ。


 実はラナの読み通り、さっさと撤収したのには理由があった。分身体を残してきたのも事実だ。事件を完全に放り出したわけではないのである。


「あはは……実はさ」


 クラウディア達と土御門親子には共有していたその〝理由〟を、ラナ達に伝える浩介。


 しばらくして、「なるほど……」と少しの驚きと理解、そして納得の空気が漂った。


 ブラウだけは「人間の世界は複雑で大変ねぇ……」となんとも言えない顔になっていて、緋月もまた「面倒なのはごめんでありんす」と言わんばかりに酒に舌鼓を打っている。


「そんなわけだから、エミリー。健比古さん達も大丈夫。二人は引き続き捜査協力するようだけど、万が一の時は影ながら俺も分身体で援護するつもりだし。けど……やりすぎも良くないだろうからな」

「MCBも経験値を稼がないといけませんからね。村の封鎖に、グールを収監する施設の用意に、万全の移送……それに、今回のことでヴァンウィッチの存在を知るに至った一般人達への対処。良い経験になると思いますよ」


 協力が介護になってはいけない。と超常的な事件に関わる捜査官としてちょっぴり先輩風を吹かせてドヤ顔するヴァネッサ。


 エミリーはエミリーで、いや、アジズと真実(まなみ)もか。浩介がなんだかんだ手を差し伸べていることに、くすぐったそうな笑みを浮べている。


 そんな様子に、ラナやクラウディア達もほっこりした表情だ。


「無理はしないでね? こうすけ」

「浩介さん、旅行は旅行として楽しみましょう!」

「まぁ、私が口出すことじゃないけどさ、頑張りすぎないでよね、浩にぃ」

「当たり前だろ? 何度でも言うけど、俺はそこまで殊勝な奴じゃないんだ。遠慮なく神々の世界、満喫しちゃうぜ~」


 と、実に良いタイミングで何者かが階段を上がってくる気配が。思わず居住まいを正したくなるような神々しい気配だ。


 現われたのは腰に剣を佩いた美丈夫だった。浩介を見て一瞬、闘気ともいうべき凄まじい気配を発するが、別に戦いに来たわけではないらしい。


「深淵卿たたかおうご一行、宴の準備ができたのでたたかおう呼びに来た。他の神々も既に集まっているたたかいたい。仔細なければぜひお越しになられよ後で戦おう!!」


 どうやら宴の準備ができて、神自ら――自己紹介を受けた時の記憶が確かなら有名な剣の神様だった気がするが……とにかく、その神様が呼びに来てくれたらしい。


 浩介達は顔を見合わせ、頷き合った。もちろん、ダダ漏れの願望も、深淵卿を射貫いてやまないキラキラの瞳もスルーである。たぶん、本人も自覚してないだろうし。


「呼びに来ていただきありがとうございます。直ぐ向かいます」


 浩介は立ち上がって丁寧に一礼した。あくまで妖精界の存在とはいえ、神様だ。礼は尽くすべき――という思いもあるが、ナイスタイミング!! と別の意味でもお礼をしたかったからだ。


 そう、ラナに嘘は吐かない。だが、誤魔化さないとは言ってない。例の黒歴史は知られたくないので、どうにか撤退の真意を語ることで誤魔化せないか……と思っていたのだが、おかげで時間切れが来てくれた!


 それは心から礼を尽くしたくなるというものだ。


 だが、その代償だろうか? 真剣な表情で礼をした浩介に、剣の神様は何を見たのか深く頷いた。


「よいだろう。食前に一勝負といこうじゃないか!!」

「え? なんて?」


 勇者じゃないと言いながら、突発性ご都合主義難聴になる浩介。仕方ないじゃない。武神の一柱が、突然、意味不明なことを言い出したのだから。


 が、浩介の不敬は咎められることはなかった。その前に、離れた御殿から凄まじい闘気が幾つも噴き上がり、その全てが目の前の神様へぶん殴らん勢いで注がれたから。


 たぶん、「は? なに抜け駆けしてんの? ぶっ殺すぞ?」という意味だろう。


 自分に向けられたわけでもないのに、ラナ達が総毛立った様子で身構えた。それほど強大な気配のオンパレードだったのだ。


「し、仕方ないだろう! 鬼達とのあんな戦いを見せられては……熱くなってしまうじゃないか!!」


 そういうことらしい。どうやら日本神話の武神の方々は浩介との勝負をご所望のようだ。


「あんな嬉々とした笑みを浮べながら戦っていたんだ! 深淵卿も力比べが大好きに違いない!」

「違います。勘違いです」

「ならば、我等武神こそがもてなしの最前線に立たなくてどうするか!」

「違うって言ってるでしょうが」

「彼は……彼は今この瞬間も戦いたがっている。いや、今こそ戦いたがっている。俺には分かるんだ! あの一礼、そして眼差し……俺達は確かに通じ合った!」

「むしろ物凄い勢いですれ違ってます。というか、なんで急に難聴になるん?」


 だったら俺でもいいだろ! と言わんばかりに気配があちこちから膨れ上がった。日本神話の武神達が駆けつけてこようとしている! 


 そして直ぐ傍からも闘気が、否、鬼気が! 緋月さんステンバ~イ! 不敵でありながら実に愉しそうな笑みを口元に浮べ、拳をゴキゴキ。やる気満々だ!


 だが、そんな武神達のやんちゃな願望は、あるいは暴走は次の瞬間、夜空に突如として出現した太陽により止められた――否、鎮圧された。


 スポットライトみたいな太陽光が、ピンポイントで幾本も照射され、


「あづぁあああああ!?」


 目の前の剣の神様も燃え上がったから。なんか体内から燃えているのか。目や口や耳から灼熱っぽい光が飛び出すというギャグマンガみたいな有様になっている。


 普通にドン引きである。


 だって光柱の照射は御殿の方にもされているし。おそらく宴会場だろう。その会場では現在、たくさんの武神達がステーキにされているに違いない。


「な、南雲のヒュベリオンより強力かも?」


 周囲に一切被害を出さず、目標だけを体内から焼いている凶悪さ。なんとなく頭に浮かぶのは日本の太陽を司る最高神の一柱。


「こうくんこうくん、アマテラス様よ。他の妖魔の例に漏れず狂ってしまって、でも完全に理性を失う前に周囲に被害を出さないよう洞窟に引きこもっていたらしいんだけど」

「ナチュラルに伝承通りじゃん」


 この世界にも天岩戸(あまのいわと)はあるらしい。引きこもった理由は弟神の乱暴が原因ではないようだが。


「で、天樹が復活して正気に戻って、五千年ぶりに出てみたら……蘇った弟妹神や親しかった神々がすっかり変わり果てていて……」

「あ、ああ。なるほど? 茨木童子ルートの神様がたくさんいると」

「それがショックでまた引きこもったらしいわ」

「ダメじゃん」


――みなが何を言ってるのか分からない! お外こわい……もういや……


 つまり、ジェネレーションギャップを感じまくって話についていけなくなったアマテラス様は、再び洞窟の奥へ、岩戸をしっかり閉めて引きこもってしまったらしい。


 ついでに言うと、昔から何かあると直ぐに隠れてしまう女神様だったし、伝承通り世界が闇に包まれるということもないので、他の神々も「またか」みたいな感じでスルーしがちなのだとか。


 そのせいで、更に引き籠もりをこじらせているとかなんとか。


 という話を、ラナ達が訪れた際、小さな小さな光の球を化身として飛ばして迎えてくれたアマテラス本人と、他の神々の会話から知ったのだとか。


 一人の創作家として真美(まなみ)が終始視線を逸らしていたのは言うまでもない。いつも好き勝手に描いてごめんね、神様……みたいな感じで。


「ただね、浩にぃ。アマテラス様ってほら、創作界隈で人気じゃない?」

「ま、まぁ、そうだな。最高神様だしな」


 とある友人にしてボスの父親のゲーム会社が出しているエロゲを、ふと思い出してしまったなんて口が裂けても言えない。


 いや、別に買ってないよ? 欲しいとも思ってないし? ただ、南雲の家に行った時に自社製品の棚があって、たまたま目に入っただけでさ?


 ただ、うん、アマテラス様が大変すごいことになっていたので……


「こうくん?」

「こうすけ?」

「浩様?」


 ラナとエミリーからジト目が注がれた。二人が女性関係でエスパーなのはともかく、陽晴ちゃんの戸惑い気味の眼差しに凄まじい罪悪感を覚える。


 優れた直感力で何か不快な感覚を覚えたものの、浩介に限って良からぬことを考えているはずがない……という純粋な思いが伝わってくるので余計に。


「浩にぃ? 聞いてる?」

「お、おう! 聞いてる! クリエイターっていつもそうだよな! 神様のことなんだと思ってるんだ!」

「う、うん? いきなりキレてどうしたの? 怖いんだけど……ともかく、想念の絶対量が多いせいで少なからず影響を受けちゃったみたいでね?」

「待って、嫌な予感してきた」


 大正解。ちょっとメンタル弱いけど、太陽神に相応しい輝きと慈愛を持ち、気性も穏やかで決して怒りを振りまくようなことはなかった妖精界のアマテラス様もまた、変わってしまったのだ。


『自分を放って楽しそうに……許せないっ』


 不意に天上から降ってきたような美しい声音が。


『フフフッ、自分を放って楽しそうにしている者達なんて、みんな死ぬがよい』

「なんか幼稚な魔王みたいなこと言ってるんだけど! 怖いって!」


 浩介は思わず身震いした。


 争いを好まず、だからこそ何かあっても引きこもって落ち着くのを待つという選択肢を取りがちだった優しい太陽神は、まるで逆恨み上等の引き籠もり陰キャみたいな性格になってしまったようだ。


 いや、元からその気質はあったのだけど、理性と心で抑えていたそれがジェネレーションギャップのショックと現代の想念で解放されてしまったというべきか?


 しかも、想念のせいで以前よりも遙かに力を増しており、加えて新たな権能も得ちゃっているので対抗できる神々もほとんどおらず、それもあってなんかいろいろ吹っ切れてしまったようで。


『やはり暴力。何にも煩わされずのんびりと日々を過ごしながら、家に籠もったまま暴力で全てを解決する……確か、今の世ではこれを〝りも~とわぁく〟と言ったか。素晴らしい』

「なんということでしょう……」


 劇的なビフォーアフターを目撃してしまった人みたいに、陽晴ちゃんがショックを受けている。日本の最高神様が現代社会の悪い影響を受けていらっしゃいますっ!! と。


 すっかりウェルダンに焼かれた剣の神様がプスプスと煙を上げて動かなくなった。いや、指先がピクピクしている。しかも目に見えて傷が癒えていっている……


 流石は神様。この程度では死なないらしい。


『……異界の客人。失礼した。醜いものを見せて』


 二重人格かと思うほど穏やかで優しい声音が浩介達にかけられた。怖かった。逆に。


『別の者に案内させよう』

「あ、はい。ありがとうございま、す?」

『生憎、自分は参加しないが歓迎の心は同じである』

「あ、はい。十分です。ありがとうございます」

『うむ、心ゆくまで宴を楽しまれよ。では、自分も〝でりばり~〟するので、これにて』


 最後に笑った気配を残して、アマテラス様の神気は消え去った。浩介達は思った。アマテラス様、普通に適応しているのでは? と。というか、天上の世界にもデリバリーってあるんだ……と。


「日本人の業は深いな」

「いえ、朱様。もう日本人に限らないのでは? ……この前、枢機卿のお一人が楽しそうに漫画をお読みになられてましたし。しかも、〝我は神の代理人、神罰の地上代行者……〟とかなんとか、こっそりポージングを取りながら言っていましたし」

「……そう言えば、日本に派遣されてきた影法師の連中、帰国する際に……アニメのグッズを爆買いしていたな……」


 朱とクラウディアは互いになんとも言えない表情になった。


 今やアニメや漫画は世界の文化と言っても過言ではない広がりを見せている。それを思うと、これからの妖精界はどんどん変わっていくのかもしれない。


「変化なく衰退していくより、変わっていくほうがずっと健全よん? たとえそれが痛みや波乱、危険を伴うものであってもねん?」


 ぱちんっとウインクするブラウたん。なんの影響も受けず、なんの変化もせず、ただ衰え、狂い、消えていくしかなかった世界の有様を、それを必死に食い止めようとしていた女神様を何千年も見てきた妖精の言葉だ。


 重く、そして説得力があった。凄まじく。


「つまり――いいぞ、もっとやれ! ということだね!」

「だからって真実さん、神々にBLを布教する計画は……いや、別にいいんですが、くれぐれも失礼のないよう。少しは自重してくださいね?」


 想念経由なんてまどろっこしい。私が直接、神々にサブカルチャーの神髄を叩き込んでくれるわ! そして、あわよくば男神同士の絡みを……ぐっへっへっ。と邪悪な気配をダダ漏れにする真美に、アジズは困り顔になりながら十字を切った。一応、聖水もピッピッとかけておく。


「こうくん、そろそろ行きましょう? 神様達をあまり待たせるのもなんだし、ね?」

「あ、うん。そうだなぁ」


 ラナに促され、浩介達は鳥居の方へ歩き出した。ピクピクしている剣の神様を慎重に避けながら。


 そうして、長大で壮観な木製の階段を降りながら、一番下に羽衣を纏った美女が一礼して待っているのを発見する。彼女が新たな案内役だろう。


 それに一礼を返し、少し足を速める――寸前で、


「ああ、そうでした。渡すタイミングを逃していましたが、今のうちにラナさんへのお土産を渡しておきますね」

「あら? お土産?」

「ヴァネッサ? そんなものいつの間に用意したんだ?」


 唐突なヴァネッサの発言に、誰もが小首を傾げる。それはそうだ。ヴァンウィッチにお土産屋さんなんてあるわけがないし、土産になるような物があったわけでもない。


 まさか、あの奇怪で冒涜的な彫像でもパクッてきたんじゃないだろうな……と、浩介達が胡乱な視線を投げかける中、ヴァネッサは懐からそれを取り出した。


「我ながらナイスショットでした。動画を収めた方は破壊されてしまいましたが、プライベート用は無事だったので贈ります。お土産というより、この場合、正妻様への献上品というべきでしょうか?」


 ラナが視線で促されスマホを取り出すと、ヴァネッサが手を近づけた。


 そう、スマホを持った手を。


 浩介は混乱した!


「…………………………ちょっと待って? え? うん? ヴァネッサ、それ、なんだ?」

「いやですね、コウスケさん。どこからどう見てもスマホじゃありませんか」

「うん、そうだね。スマホだね。俺が壊したはずのね」


 ヴァネッサと浩介の目が合う。がっつりと。


 足は止まり、時間まで止まってしまったかのような静寂が流れた。待ってくれている天女さんが「どうされたのだろう?」と首を傾げている……


 そんな中、浩介は頬を引き攣らせながら改めて確認した。一語一句、くっきりはっきり伝わるように。


「俺、壊した、よね? お前の、スマホ」


 ここまで来れば、クラウディア達とて理解する。そのスマホに保存されている写真が何か。


 何か隠していると察しているラナを相手に、上手く誤魔化したはず(と浩介は思っているが、ラナが空気を読んで見逃しただけ)の、あのちん事件を!!


 空気を読んで自分達も口にしなかった事案を!


 また思い出してしまったのか、陽晴ちゃんの頬がパッと朱色に染まる! ついでに朱さんの頬もほんのり赤みを帯びちゃう。


 真実とアジズ、それにエミリーが妙な空気感に戸惑い、ブラウが不思議そうに目をぱちくり、ラナがニコニコ顔で成り行きを見守る中、ヴァネッサは言った。


 この時を待っていたと言わんばかりに、完璧にして最上級の――ドヤ顔で。


「残念でしたね。トリックですよ!」

「やかましいわ!」


 なんてことはない。ただ仕事用とプライベート用の二台、スマホを持っていただけだ。仕事用のスマホでプライベート用の動画を撮っていた点は、〝所詮SOUSAKAN〟だからと言う他ないが。


 というか、ヴァンウィッチの地下に足を踏み入れた時、普通にスマホのライトを利用していたのに、ナチュラルすぎて気にも留められなかった点、ある意味、深淵卿の妻に相応しいというべきか。


 何はともあれ、だ。


 ピロンッとな。


「あ!? てめっ」


 ドヤ顔の種明かし自体もトリックさ! と言わんばかりに、浩介が愕然としている隙に正妻様への献上品、転送完了。無駄に優秀な無駄のない無駄なスキルだった。


「ラナ、大人しくスマホを渡すんだ」


 ああっ、私のスマホがぁっ。だ、だがしかしっ、正妻様への献上は果たした! 我が人生に一片の悔いなし!!


 ヴァネッサ……そんな人生で大丈夫でありんすか?


 大丈夫です、問題ない!!


 そんなやり取りが聞こえてくるが、今はそれどころじゃない。ラナに向かって手を差し出す浩介。


 きっと、ラナなら素直にスマホを渡してくれるはず――


「正妻として、託された家族の想いをないがしろにはできないわ!」

「俺も家族だけどね!」


 ここまで来れば気になってしょうがないのだろう。救援に駆けつけた先で起きた、浩介がひた隠しにする何かが。


 エミリー達も察して、キラキラした目でラナのスマホを覗き込もうとする。


「アジズ! 真実を押さえろ! 覗き込むのも禁止だ!!」

「え、いや、でも――」

「言うこと聞かないなら、アジズのこと嫌いになるぅっ」

「!!!!? お任せくださいっ、浩介さん!!」

「アッ!? 浩にぃの卑怯者ぉ!! アジズ君、騙されないで! 手を離して!!」

「緋月! 後生だ! エミリー確保ぉ!!」

「愛しの君の頼みとあらば仕方ありんせん♪」

「アッ!? こうすけの卑怯者ぉ! 私だって見たいのにぃ!!」


 矢継ぎ早に指示を出しながらラナからスマホを奪い取らんとする浩介。


 だがしかし、ひょいっとな! 回避された!


 シュバッとな! 先程より速く手を伸ばす浩介。しかしまたもひょひょいっと回避される。


「フッ、甘いわね、アビスゲート。単純な速度では敵わなくても、貴方の動きなら熟知しているわ! この世の誰よりもね! 貴方に限るなら……私の〝先読み〟は既に〝未来視〟レベルよ!!」

「こんなところで実力発揮するのやめてくれるぅ!?」


 シュババババババッと残像の発生するほどの速度で繰り出される浩介の手!!


 それをヒョヒョヒョヒョヒョヒョイッと、目に見える速度なのに無駄を極限まで削ぎ落とした動きで完璧に回避、あるいは受け流すラナの手!


 傍から見ると激しい攻防を繰り広げているようにしか見えない二人に、案内役の天女様がオロオロしていらっしゃる。どうしましょう! どうしましょう!


 が、そんな時間も直ぐに終わった。


 回避しながらスマホを操作し、画像を表示したラナは――一瞬の隙を突いて浩介にキス!! それで僅かに硬直した隙を更に突いてスマホをチラリ。


「あらあらあらあら♪ こうくんったらだ・い・た・ん♡」

「イヤァーーーーッ!!」


 女の子みたいな悲鳴を上げて顔を覆ってしまう浩介。穴があったら入りたい……いや、この階段の手すりから身を投げたい! と言わんばかりに真っ赤になる。


「そんなに恥ずかしがらなくても……いつも見てるじゃない? なんならもっと恥ずかしいことも――」

「そういう問題じゃないし! あと、そういう話を子供がいる前でするのやめてくれるぅ!?」


 ほぅ? と緋月が興味深げに、クラウディア達が「もっと恥ずかしい!?」と頬を赤らめ、朱は全力で陽晴の耳を塞ぎ、陽晴は何かを思い出しているのかぼぉ~っと虚空を見つめ、エミリー達が「なに!? なんなの!? 私にも見せてよぉ!」と足掻く中、


「ラナにはいつでも格好いいところだけ見せたいんだよぉ!」


 なんて本音を漏らして「もぉ、こうくんったら。安心して? いつでも格好いいわよ♪」とラナをキュンとさせる浩介。恨みがましくヴァネッサを睨む……


「私達だけ知っていて正妻様(ラナさん)が知らないなんて、しかも隠しておくなんて許されざるよ。良い仕事をしました!」


 地味に反論できない。確かに、ラナへの隠し事を示し合わさせるなんて、浩介自身もどうかと思う。


 だが、だがしかしだ! 理屈ではないので! 


 一仕事終えた顔のヴァネッサへ、浩介はドッキリ企画やバラエティで芸人顔負けリアクションを魅せつけてくれる某イケメンアイドルばりに、それでもと心の底から叫んだのだった。


「許せないっ!!!」


 もちろん、その後、例の問題シーンはエミリーちゃんにも共有された。


 浩介は再び「そんなの許せないっ」と叫んだけれど、ラナから「でも、それじゃあエミリーちゃんだけ仲間はずれになっちゃうわ……」と悲しげに告げられ、当のエミリーが階段上で膝を抱えて落ち込む姿を見てしまえば嫌とは言えず……


 結局、アジズと真実(まなみ)以外には公開されたのだった。


 顔を真っ赤にしたエミリーから「ヒナタになんてもん見せつけてるのよぉ!」とお叱りを頂いたのは言うまでもない。


 なお、その後。


 無事に(?)神の宴に参加した浩介達は、それはそれは素晴らしい料理や神酒を頂き気分良く宿泊部屋に戻ったのだが、いつの間にか浩介とラナの姿は消えていた。


 大変、情熱的な気分になっていたラナの仕業であることは、やはり言うまでもなく。


 翌朝、浩介はヴァネッサに言った。


「許すっ!!」


 意味が分からなかったが、取り敢えずヴァネッサはサムズアップを返した。


いつもお読みいただきありがとうございます。

感想・意見・誤字脱字報告もありがとうございます。


次回で深淵卿の夏休み編は終わりの予定です。予定です。


※ネタ紹介

・許せないっ

 菊池風磨さんより。あんな格好良くてアイドルで俳優としても活躍していて、なのに芸人ばりに体張ってるの凄すぎる。許せない菊池風磨さん、最高に面白いと思いますっ。

・クリエイターっていつもそうだよな!

 『ゾンビがあふれた世界で俺だけが襲われない』より。

・やはり暴力!

 『金田一少年の事件簿外伝犯人達の事件簿』より。

・我は神の代理人~

 『HELLSING』のアンデルセン神父より。

・残念でしたね。トリックですよ!

 映画『コマンドー』のベネットより。

・我が人生に一片の悔いなし

 『北斗の拳』のラオウより。

・大丈夫です、問題ない!

 ゲーム『エルシャダイ』のイーノックより。

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― 新着の感想 ―
キリスト教関係者に限って、ヒラコーにのめり込む。あると思いますw
クトゥルフ…想念で実体化するなら…"地球"の魔女と世界樹…復帰させた際に…実体化…嫌"繋がった"か? それにしても浩介さん昨夜は"お楽しみ"でしたねぇwww
過去〜現在かけてクトゥルフなのか厄災か何かが関与してる世界に時間軸ズレてない?砂漠界は過去に、星霊界も過去、機工界は旅行編で判明。もしかして妖精界も既に干渉されてる? もしクトゥルフならどう対処するの…
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