トータス旅行記㊽ これだから吸血姫は!
『――ハッ、悲劇のヒロインなんざまっぴらごめんですよ』
パワーは力。
パワーこそ圧倒的正義!
魔法を物理で叩き潰し、並みの攻撃なら普通に気合いで耐える。相手が先読みして回り込もうとすれば、凄まじい速度と未来予知で更に先回りして背後を取る。
『宣言しますよ』
暴力という字に〝ぜつぼう〟とルビを振りたくなるような一方的な戦いは、やはり最後の最後まで覆されることなく。
『今の私は無敵です。どんな敵にだって、負ける気がしません!』
その宣言通り、シアの戦いは無敵感が半端なかった。
ポップコーンおいしい。コーラうめぇ。
なんて余計な感想が浮かぶくらい安心感のある戦いであった。
「なんていうか……シアちゃん、より一層魅力的になったわねぇ」
菫が、ポップコーンに粉をかけてバター醤油味に味変しつつ感慨深そうに言う。すると、霧乃や薫子、昭子が頷いた。
「自信に溢れる女は綺麗に見えるものよ。今のシアちゃんは、自分に絶対の自信があるのね」
「ふふ、身も心も充実しているのね。原因は――」
「まぁ、言わずもがなよね~」
母親~ズが揃ってニヤニヤした笑みをハジメに向ける。
ハジメが微妙な顔をしていた。口がもごもごしている。ポップコーンの殻っぽい部分が上顎に張り付いたようだ。あるある。
代わりに隣のシアが反応していた。照れたように、はにかんでいる。
「この時の私は確かに、やっとハジメさんに受け入れられて有頂天だったというか、絶好調だったというか……」
もじもじうさうさ。手とウサミミをすり合わせるシアに、微笑ましげな視線が愁達から注がれる。
そのシアの向こう側で、過去の試練にも決着がついた。
虚像が消えていき、最後に過去のシアが天を仰ぐ。
『……母様。私は、優しい化け物になりたいです』
かつて、私は化け物かと問うた幼いシア。母――モナは、何にだってなれる、シアはなりたい自分になれるのだと答えた。
モナが存命中は、ついぞ答えられなかった将来の夢、なりたい自分。
母は英雄になりたかったと言ったから、自分もと憧れてはいたけれど……
実際、トータス世界の認識では、シアは英雄の一人に違いないけれど。
「みゅ! 素敵な答えなの! 英雄よりかっこいいの!」
「ハジメくんやユエと並び立つのに、これ以上相応しいものはないよね」
「ねぇ、シア。〝なりたい〟じゃなくて、〝なりました〟っていう報告でも良かったんじゃないかしら?」
ミュウがキラキラの瞳でシアの手を握りしめる。香織はとびっきり優しい微笑を浮かべ、雫の言葉にティオ達も満場一致で頷いた。
「魔人の精鋭部隊と戦った時に、化け物って呼ばれたんだろ? 敵にも認められてんだから、雫の言う通り、報告で良かったと思うぞ」
「……えへへ、そうですかね?」
「あのですね、シアさん。そもそも普通の人は、大鎌を首に叩き付けられてカァンッなんて音が鳴ったりしないので」
「むしろ、この時点でもまだ化け物と自認していなかったことに驚愕です……」
愛子とリリアーナが「これで化け物じゃなかったらなんなんですか……」と苦笑い。
「……ん。だからこそ、この後の私のへたれっぷりが際立つ。……どうしよう? 今更ながらに恥ずかしくなってきた。やっぱり見るのやめない?」
試練を終え、出現した新たな通路へ威風堂々、意気揚々と進む過去のシアを見つつ、自分の試練と比較したのだろう。本当に今更ながら黒歴史っぷりを自覚して、ユエが日和った。
ハジメ達は顔を見合わせた。そして、無言のうちに満場一致し、頷き合う。
「直ぐ行こう!」
「「「「「賛成!!」」」」」
「……くっ、殺せ!」
「不死身でしょ」
ほっぺを真っ赤にして羞恥心と戦うユエに、香織が呆れ顔でツッコミを入れる。
シア曰くユエの試練の間までは大した距離ではないらしいが、現実では通路がなくなっているので時間短縮も兼ねて転移で移動する。
まったく同じ部屋だ。ユエがどことなく過去再生を躊躇っている様子なので、香織が代わって容赦なく過去再生を発動した。
過去のユエがきょろきょろしている間に、中央の水晶柱から虚像のユエが出てくる。
『ようこそ、最後の試練へ』
『……私?』
『ええ、貴女ですよ。アレーティア――』
「黒髪褐色肌のユエ!! くっ、なんてフレッシュでキレのある可愛さなんだッ、ふざけやがって! 理性への挑戦か!?」
警戒して目を細める過去のユエと、表情どころか指先まで気品と余裕に満ちた虚像のユエが対峙する緊迫の場面に、パシャパシャパシャッッとシャッターを激しく切りまくる音とフラッシュの瞬きが迸った。ついでに、一瞬で暴走したハジメの大声も。
なんか過去のユエと虚像がしゃべっているが、「2pカラーのユエが並ぶ光景……ここが俺のアヴァロンか!?」「最高すぎだぞっ、反省しろ!」「ですます調のユエも新鮮で大変すばらしいな! ふざけやがって! 俺をどうする気だ!」とかなんとか、テンションマックスどころかぶっ壊れ状態のハジメのせいで、よく聞こえない。
虚像の戯言なんぞに付き合うつもりはないと言わんばかりに、早々に過去のユエが仕掛けるが、その狭間にスライディングで割り込んではパシャパシャッ!
無駄にアクロバティックに跳んで跳ねて、あらゆる角度から虚像とユエをカメラに収めていく!
遂にはクロスヴェルトとグリムリーパーも出動。多角的かつ数多のカメラで捉え、後でユエを中心にぐるりと全方位から映す映画的演出をすべく撮影に本気を出す!
「……ハ、ハジメ、落ち着いてぇ」
ユエさんも、これにはにっこり――なわけがなく、流石にほっぺが真っ赤。熱い両頬を手でぺちぺちして冷ましながら声をかけるが、爆死寸前で最高レアのガチャを引いた課金戦士の如きはしゃぎっぷりのハジメには届かない。
「お、おい、南雲愁! 息子の暴走を――」
「菫! そっちの端にもカメラを頼む!」
「合点承知! 虚像ちゃんは王女様モードなのね! レアだわ! 可愛い嫁のレアな姿、永久保存せずして姑は名乗れないっ」
「いや、お前等もなんかいっ!!」
愁と菫も、色違いなユエ同士の戦いには冷静でいられなかったらしい。まるで、幼い娘の晴れ舞台をカメラに収めんとする親バカの如く。
ユエさんも、これには全身が真っ赤。
「ほぅ、元王族というのは聞いていたが、昔はあのような口調だったのか」
「雰囲気も、今とは随分と違うのだな」
鷲三と虎一が虚像の言動に関して所感を漏らす。激しい戦闘の合間、過去のユエに語りかける虚像の言動は、その雰囲気も含めて、確かに今のユエとは随分と違っていた。
霧乃と昭子も顔を見合わせる。
「ユエちゃんの目元って、元々はキリッとしていたのね? 今は四六時中、眠たげというか、ジト目というか……どこか怠惰な印象を受けるのに」
「表情も豊かだわ。……内面は、今の方が愉快な感じだけど」
「……それ、褒めてますか?」
叔父の真実と過去を受け入れた今、昔の自分を見られても平気だと思っていたユエだが、南雲家が暴走する前で、改めて指摘されるとやはり恥ずかしかったらしい。涙目でぷるぷるしつつ、強烈なジト目を向けている。
なんにせよ、王女時代のユエは誰もが納得するほど、いかにも高貴な生まれの淑女といった様子であった。
実は、この旅行の間のユエの愉快な言動と性格を見てきた南雲家以外の親達は、少しばかり「本当に王族だったのかしらん?」と、思ったりしたこともあったのだが……
虚像のユエを、アレーティアを目の当たりにして、ようやく実感が湧いたらしい。それほどに、昔と今では違うということなのだが。
「レミアさん? どうして今、私を見たんですか?」
「!? あらあら、なんでもありませんよ、リリィさん。うふふ♪」
「誤魔化さないでください! 今、私と昔のユエさんを比べましたよね! 昔のユエさんの方が王女様っぽいって思いましたよねぇ!?」
涙目でレミアに掴みかかるリリアーナ。愛子が後ろから引き剥がそうと抱え込み、必死にフォローする。
「リリィさん、落ち着いてください! 大丈夫ですよっ、出会った頃の貴女はすっごくお姫様でした!」
「語るに落ちてますが!?」
今は!? 今の私も王女なのよぉ~っ!! と言いたげに涙目のまま愛子をぽかぽかと叩き始めるリリアーナはさておき。
「ふっ、私の時との反応の差について」
シアが、どこか遠い目をハジメに向けながら呟いていた。ポップコーンとコーラをお供に、小休止の間の暇潰し感覚で見学されていた自分の時と、今のハジメのテンションの差に思うところがあるらしい。
同時に、なんとも言えない表情の智一達の前を、
「ふっ、一番の魅せ場をスルーされた妾が通りますよっと」
ティオが死んだ目で横切った。シアの隣に並ぶ。二人の周囲に哀愁が漂っている……気がする。ミュウの労っているかのような腰元へとポンポンッが余計に悲しい。
「はいはい、それくらいにして! 後でいくらでもお願いすればいいでしょ! 変成魔法で色どころか体型だって自在に変えられるんだから!」
「お二人も、それくらいに。ほら、様子がおかしいですよ? しっかりユエの過去を見たかったんじゃないんですか?」
ハジメは香織に大剣の腹で頭をぶっ叩かれて、菫と愁は雫にカメラをひょいと取り上げられて、ようやく我に返った。
「おっと、悪い。ユエがあんまりにも――」
「可愛かったんだね、分ったよ。斬るよ?」
「笑顔で首筋に刃を当てるのはやめてくれ。俺はシアじゃないんだ。普通に斬られちまう」
だって、地味に分解魔法を纏ってるし……と、ちょっと引き攣った顔で両手を挙げ降参の意を示すハジメが、大人しく連行されてくる。愁と菫も、雫の言う通り過去映像の内容がシリアスになってきたので、いそいそと戻ってくる。
『ずっと彼の傍にいられるなんて、本当に思っていますか?』
虚像の言葉が、ユエの精神に突き刺さったのがよく分った。
ユエにとって、世界の中心はハジメだった。精神の支柱もハジメだ。
だから、過去の裏切りをどれだけ指摘されてもユエは揺らがなかった。ハジメと出会うために、あの裏切りが必要だったというのなら何度でも同じ道を辿るのだと、何度でも奈落の底で待ち続けるのだと、堂々と言ってのけるほどに。
だから、虚像は切り替えた。
ユエにとっての、もう一つの闇。本人が無意識のうちに心の奥へ沈めた不安。
嫌になるほど的確に内面を読み取る虚像が、そこを突かないわけがない。
過去に揺らがぬなら、未来のことではどうか、と。
「……なぜ、叔父様は殺せたはずの私を殺さなかったのか。この時の私は、そんな簡単な疑問さえ抱けなかった。真実から目を逸らしてた」
三百年の封印と裏切りの事実に心が耐えられなかったから、最も分かりやすく、安易で、心を保ちやすいことを真実だと思い込んだ。
過去映像の中で、記憶違いの可能性に気が付いたユエが愕然としている。
心の最奥に押し込め、目を逸らし続けた未来への不安に瞳を揺らしている。
「……恥ずかしいけど、私はシアやティオのように、自分の負の心を克服して攻略できたわけじゃない」
シアとティオの試練を見た後だからこそ、本当に恥ずかしそうな表情で、あるいはシアとティオへ眩しい者を見るような目を向けながら、ユエは言う。
『……ハジメの傍には、シアがいる。ティオもいる。不本意だけど香織も』
過去のユエが、ハジメとの未来を否定されて返した言葉。
同じ未来を歩めずとも、少なくともハジメは孤独にはならないと。
それより重要なことがこの世にあるのかと言わんばかりに。
それを示すように、不安と猜疑を抱えたまま、しかし、ユエは虚像を弱体化させることまではできずとも強化もまたさせなかった。
「……ごめんなさい、シア、ティオ。それに香織も」
「ユエさん……」
「ユエよ……」
「ユエ……」
かつてシアに怒られた時のように、自分のいない未来を語ったことを、勝手に託したことを、ユエが改めて謝る――
「……本当にごめんなさい。ハジメへの愛だけで試練を乗り越えてしまって!」
「「「は?」」」
わけではなかったようだ。困った人を見るような、でも確かに温かさの宿る眼差しだったシア達の顔が一瞬で真顔になった。たった一言の声音なのに、まるで地獄の底から響いてきたかのようで親達が身震いしている。
絶妙なタイミングで虚像のユエさんが言う。
『どこまでも、貴女にとっての世界の中心は南雲ハジメなのですね』
『……当然』
「……みんなきちんと自分にだけ向き合ったのに! 私だけハジメのことだけ考えているなんて恥ずかしい!」
いやんいやんっと自分を抱き締めてくねくねするユエ様。
シア達の目元がユエばりのジト目になる。殊勝な態度かと思えば、これでもかとマウントを取りに来るなんて、久々にキレちまったよ……と。雫や愛子、リリアーナも一緒だ。
親達は「うわぁ」と、背後に般若が出始めている香織を筆頭に、喧嘩上等と無言でウォーミングアップを始めたシア達に引き攣り顔。
ただ、ハジメとレミアは苦笑していて、ミュウも困ったように眉を八の字にしている。
「ユエお姉ちゃん」
「……ん? なぁに、ミュウ」
「この後、シアお姉ちゃんに叱られるんでしょ? 今、誤魔化しても恥ずかしさが増すだけだと思うの」
「んんぐぅっ」
ぐぅの音が出た。どうやら図星らしい。
とはいえ、それもユエからしたら仕方ないのかもしれない。何せ、そんなユエの背後では、過去のユエが虚像に同等以上の攻撃を受けてボロボロになっていく過去映像が流されているのだ。
相手の攻撃を〝自動再生〟に任せて無視し、カウンター的に極大魔法をぶち込むのがユエの本来の、というか本気の戦闘スタイルではある。
だが、オルクス大迷宮の最終試練以来、ユエが余裕を失い、その戦闘スタイルになったことは、少なくとも過去映像の中では皆無だ。
事実、一進一退の攻防を繰り広げボロボロになっていくユエの姿には、菫や愁達も徐々に驚きの表情になっていく。
シアが無傷で圧倒的勝利を収めた光景を見た後だから、その接戦は余計に際立った。
それは同時に、ユエの心の追い詰められ具合も示している。ということに気が付かない者は、この場にはいない。
「ま、ミュウの言う通りだ。誤魔化すと余計に恥ずかしくなるんじゃないか? 現実でも喧嘩して、これから見る過去のシアとの戦いから皆の意識を少しでも逸らす……ってのは悪手だと思うぞ?」
「……うぅ。まさかシアもティオも、あそこまで圧倒的にクリアしてるとは思わなかった。対比がつらしぃ~」
ハジメの背後に回り、背中に顔を押しつけて隠すユエ様。「正妻なのにぃ~正妻なのにぃ~」と、顔をグリグリ押しつける。
過去映像の中で、どうにか虚像を押し切って勝利を収めたユエ。
敗北すれば、少なくとも今ハジメに会えなくなるという一心だけで虚像の強化を最後まで阻止し勝利したことで、一応、攻略は認められたらしい。
だが、ボロボロになった服装のまま、ぽつんと一人、広い部屋の中に佇んで考え込む姿からは、〝試練を攻略した〟という印象はあまり感じられない。
ユエ自身に喜びが皆無だからというのもあるだろう。誰もが知る自信に満ちたユエとはかけ離れた姿だ。驚きを隠せない。
もっとも、「うぅ」と唸って顔を隠している今のユエの可愛らしさにハジメの表情がでれっとだらしなく崩れれば、それを皮切りに怒っていた香織やシア達ですら「もぉ~」と、ちょっぴり頬を染めて悶えてしまったが。
「ユエちゃんをここまで追い詰める試練が凄いのか。それとも、大迷宮の試練をハジメへの想いだけで乗り切ったことが凄いのか。なんとも言えないわねぇ」
「親としちゃあ嬉しいことではあるんだけどね」
菫と愁の言葉に、ユエはのそりと顔を上げる。優しい眼差しに照れながらも「と、当然です」と胸を張る愛らしさに、つい二人の手がユエの頭に伸びる。なでなで。
「ミュウじゃないんで!」と慌てて離れる姿に、誰もが思わずくすりと笑みを浮かべてしまう。
「まぁ、俺も似たようなもんだ。きちんと自分の心と向き合ったかと言われれば、否と言わざるを得ない。目的のためだけに負の感情なんざ踏みつけにしたからな」
それでも、虚像は倒せた。そして、攻略は認められた。
己の負の心と向き合うのが、この氷雪洞窟のコンセプト。
それは間違いないが、本質はもう少し先にあったのだろう。
「ふむ。結局のところ、この試練の本質は〝己の負の心と向き合った後〟にあったのかもしれんな。どんな形であれ、理由であれ、己の弱さに屈しないことこそが重要だったのじゃろう」
ユエの攻略を見てティオが言うと、鷲三が「なるほど」と頷く。
「克服だけが人生ではない。耐え忍びながら立ち続けることも、抱えたまま譲れぬ想い一つを胸に突き進むことも、立派な生き方だ」
「むぅ、私は少し複雑ですけどね。それで、ユエさんが自分は一緒にいられなくても~なんて考えのまま攻略しちゃったんですから。まったく、虚像ちゃんは根性が足りません。へたれた本人くらい、もっとぼっこぼこにすれば良かったですのに」
シアがむんっと腕を組み、唇を尖らせている。虚像に根性を求められても……と、ここにヴァンドゥルさんがいたら嫌そうに顔をしかめそうだ。
「……ん~、でも、私は虚像よりシアに叱られて良かったと思う」
もっとぼこぼこになんて言われて、しかし、ユエのシアを見る目は優しかった。
虚像の語りは、結局のところ自問自答だ。だから、大事な親友にして妹分からの言葉の方が、ずっと深く心に響いたと。
「……シアの気持ち、いっぱい聞けたし、伝わったし」
「そ、そうですか?」
「……ん。過去映像を見直すのはやっぱり恥ずかしいけれど……うん、友達との初めての大喧嘩。自己完結するよりずっと良かった。自身のことだけじゃなく、シアの気持ちも改めて分ったから……嬉しかった」
「ユエさん……へへっ」
見つめ合うユエとシア。
女性陣から「あらあらまぁまぁ!」と尊いものを見たような声音が漏れ出す。ハジメとミュウも「てぇてぇなぁ」と仏のような顔に。レミアが「また知らない言葉が娘の口から……」と困り顔だ。パパの、否、南雲家の英才教育はママの知らないところでも着実に実を結んでいるらしい。
「ハジメくん、そろそろ次に行こう? 早く見てほしいよ。ユエとシアの大喧嘩――」
「ああ、そうだな。今、ゲートを開く――」
「が、私の試練をめちゃくちゃにしたところをね!」
「エモい空気の中でも、自分の欲望ははっきり口にする香織、流石だぜ」
「香織ぃ~」
「この子ったら……」
見つめ合うユエとシアを指さして、お構いなしに「ほんっとに酷かったんだよ!」と声を張り上げる娘の姿に、智一は困った表情に、薫子は頭痛を堪えるような表情になっている。
苦笑しつつ、ハジメは羅針盤で位置を特定し、再び〝ゲート〟を開いた。
広い通路に出る。香織が早速過去再生を発動すれば、悩ましげなユエと、真剣な表情で問い詰めるシアの姿が映し出された。
話に聞いていた通り、ユエがハジメを託す言葉を口にする。シアの心配そうだった表情から感情が抜け落ちたのが分かった。
湧き上がった激情を抑えて、何かの冗談でしょ? と、そうであれと願うように確かめている。
そうして、パァンッと。
『撤回してください』
誰もが、ハジメでさえも「お、おぅ」と思わず声を漏らしてしまった、いっそ見事なほどの平手打ちがユエの頬に炸裂した。
過去のユエが信じられないといった様子で唖然呆然としている。信頼しているが故のお願いに平手打ちを返されたから、というより、目の前で紛うことなき怒気を放つシアの姿にこそ驚愕しているようだ。
無理もない。シアが本気で怒っている姿なんてそうそう見られるものではないから。天真爛漫の権化のような者が見せる真顔の怒りは、だからこそ、それだけで肝が冷えるほどの迫力があった。
そこからは怒濤の展開だ。
万が一、自分がいなくなった時の未来を託したいユエと、断固拒否するシアの、自他共に認める一番の親友だからこそ平行線とならざるを得ない、初めての大喧嘩。
なのだが……
「……ぅ、この時のシア、ほんとに怖かった……」
「ユ、ユエさん、そこまで震えなくても……」
「……だって、魔法が効かない! 結界がワンパンで壊される! ウサミミを付けた鬼神と戦ってるのかと思った!」
「言い過ぎでは!?」
いや、過言ではないだろう、と誰もが思った。
だって、ユエの魔法の尽くが戦槌ドリュッケンの一撃でかき消され、氷結魔法で拘束しようとも拳を地面に打ち付ければ、それだけで地面ごと消し飛び、最上級防御魔法〝聖絶〟でさえも紙くずのように粉砕されるのだから。
ユエが為す術なく吹き飛んで、背後の開通しかけの壁を粉砕しながら試練の間に出る。
『え、えぇ!?』
『な、何!? なんなの!?』
鍔迫り合いしている過去の香織と虚像がギョッと目を剥いている。
わけがわからずとも、ユエとシアが喧嘩していることだけは理解して声をかけるが――
「酷いよね。私なんて眼中になかったんだよ」
過去の香織が完全スルーされて涙目になっている! 試練のはずの虚像さんが思わず慰めてしまうくらい哀れを誘う姿だ。
香織の据わった目がユエとシアをジッと見ている。
二人の視線は泳いでいた。確かに、改めて見ると酷い絵面だ。
しかも、この酷い絵面はここから先、更に酷くなるのだ。
「……ひ、酷いといえばシアも酷い! いくら喧嘩中だからって言って良いことと悪いことがある!」
香織の視線から逃れるように、ユエが指摘した直後、
『――万年おチビ! 半端乳!』
「「「「「うわぁ」」」」」
そんなこと言ったのか!? と親達はもちろん、ハジメ達もドン引き顔をシアに向ける。
「い、いやぁ、この時の私は我を忘れるくらい怒り心頭でして……はい。つい普段から思っていたことがぽろりと」
「ちょっと待って、シア。〝普段から〟? え? えっ!? 普段から思ってたの!? 喧嘩だからあえて口にしたんじゃなく!?」
「あ」
しまった! と言いたげな顔になるシア。思っていたらしい。ユエがショックを受けた顔でふらりっとよろける。
「違うんですよ! あんな悪い言い方じゃなくてですね、あくまで〝やっぱユエさんって小さいなぁ〟とか、一緒にお風呂に入ってる時とか、私の胸を時々じっと見つめてくるので〝成長しないのかわいそう……〟って、ちょっと思っちゃう時もあるというだけで!」
「語るに落ちてるが!?」
思っていたらしい。まぁ、小さいのも成長しないのも事実ではあったのだけど。
「時効! もう時効ですよ!」
「……私はユエ。たとえ親友でも、吐かれた暴言は忘れない女!!」
「正妻なんですから! そこは寛容に!」
「正妻なので! しつけはしっかりするっ」
「落ち着けよ、お前等。結局、喧嘩が重なってるじゃねぇか」
珍しくも、普段は香織とやってる取っ組み合いがユエとシアの間で勃発した。
一瞬、止めなければと思う愁や菫達だったが、どったんばったんと暴れるユエとシアの向こう側で、
『憤怒ぅううう!! 温い! この程度で森のウサギを倒せるかぁっ』
『こ、このバグウサギめぇっ。とまれぇええええっ!!』
過去のシアとユエが繰り広げる破格の激戦が流れているので、正直、それに比べれば子猫同士のじゃれ合いにしか見えず、手が止まる。まぁいっか、と。
何せ、本気のシアってば重力魔法を気合いとパワーで無視し、〝雷龍〟を気合いとパワーで殴り飛ばし、空間震動さえ気合い防御で耐えて進撃するのだ。これにはユエも引き攣り顔である。
もっとも、それも喧嘩が進むにつれて、
「……なんだか、あんまり変わらなくなってきたわね」
「もう小学生の喧嘩みたいになってるわ」
昭子と薫子が顔を見合わせ苦笑する。
魔力が尽きてきて、ついでに語彙力も尽きたようで、過去のユエとシアは『ばぁかばぁか!』とか『あほぉ~!』なんて幼稚な言い合いをし始めたのだ。傍らで取っ組み合いしている今の二人と大して変わらない。
仲違いするわけでないことは、これが過去映像であることから自明のことだが、それでも親友同士の本気の戦いには知らず緊張していたようで、あちこちからほっとした吐息が漏れる。
「うぅむ、予想以上に凄まじい喧嘩だったな」
「なるほど。普段温厚な森のウサギを怒らせると、こうなるのか。ハウリアの方々との付き合いには気をつけよう」
「お爺ちゃん、お父さん。でも、カムさん達は普段からキレッキレよ? いろんな意味で」
鷲三、虎一、雫が感想を口にすれば、
「ねぇねぇ、パパ。本気で戦ったら、ユエお姉ちゃんよりシアお姉ちゃんの方が強いの?」
なんて、ミュウの純粋な疑問も飛び出す。喧嘩しつつも、ユエの耳とシアのウサミミがぴくりと反応しているのが分かる。
「いや、本気の喧嘩ではあるけど全力じゃないぞ、二人共。ちゃんと致命的な攻撃はしないよう手加減してる」
「でも、気になるわよね? 物理最強と魔法最強ではどっちが勝つのか」
「義母上殿よ。今のユエは神の魔法も会得しておる。シアはバグっておるが、流石にユエの全力には勝てんと思うのじゃ」
「だな。仮にシアが多彩かつ強力な魔法も使えるようになったら分からないが……流石に、そりゃないだろうしな!」
「確かに、鬼に金棒どころの話じゃなくなるものね」
まさか、この先の未来で神霊を味方につけ、神装武具を使った多彩かつ広域の殲滅力まで手に入れるとは思いもしない。
そうなったら、もう手がつけられないな! あははっと笑い合うハジメ達。
そこへ、智一が我慢の限界だぁ! と咆えた。
「いやいやいや、他にもっと言うべきことがあるだろ!? うちの娘が大変なことになってるんだが!?」
「そうだそうだ! お父さん、もっと言ってやって! 皆して過去の私から目を逸らすなんて酷いよ! 酷い有様の私――の虚像が目に入らないの!?」
喧嘩を止めようとして、ユエとシアがもたらす絶大な力に巻き込まれ、むしろ砲弾代わりや盾代わりにされ、なのに存在自体を意識されてさえおらず。
ぼろ雑巾みたいな姿で香織のもとへ転がる虚像さん……
皆の心は一つだった。目に入ってるから、そのあまりにもあんまりな有様に、「もうなんも言えねぇ……」という状態になっているんだよ。マジで哀れすぎて言葉が見つからないんだよ……と。
「リリィ、肩をぽんぽんするのやめてくれる?」
「ふふ、大丈夫ですよ、香織。気持ちは私が一番よく分かってますから。親友じゃないですか!」
「慈愛のこもった目で見るのもやめて!」
リリアーナの手をぺいっと払いのけつつ、香織はユエとシアのもとへ。
いつの間にか喧嘩をやめて、二人共、立ち上がっていた。よくよく考えると、今は変成魔法で自分のスタイルくらいどうにでもなるので、もういいやと思ったらしい。
「で、ユエ、シア。特に最後まで非を認めなかったユエ! 過去を振り返ってどうですか?あの時は言えなかった私への言葉、何かあるんじゃないですか!」
「「もう時効なので」」
「ふ、二人揃ってッッ」
こいつらぁっと額に青筋を浮かべる香織。今の今まで喧嘩していたくせに、一瞬で仲良しに戻るのやめてくれるぅ!? と拳を握っちゃう。三つ巴の喧嘩になっては困るので、雫がさりげなく香織の腰を掴んでいる。流石は親友。
が、香織も精神的に成長しているらしい。溜息を一回。気を取り直し、しょうがないなと肩を竦める。
「ま、もういいけどね。実際に何があったのか見て、シアがあんなに怒った理由には納得したし。私でも、きっと同じように怒りで頭がいっぱいになってたよ」
「香織さん……」
「ふふ、そうじゃな。聞いておるだけで妾も腹が立ったのじゃ。とはいえ、もはや過去のこと。ユエも反省し謝ったことじゃしな」
「……ん。二度と、こんなふぬけた姿は見せない」
ユエが力強い眼差しでシア、香織、ティオの順に目を合わせる。シア達からも力強い頷きが返された。
そこには、旅の中で培った四人の確かな絆と親愛が見受けられた。
「……こういうのを見ると、ちょっと寂しい気持ちになっちゃいますね」
「分かります。途中から旅に同行したとはいえ、私もハジメのパーティーというわけじゃありませんでしたから」
「私達には私達の役目がありましたから、仕方のないことではありますけれど……少し羨ましいです」
愛子、雫、リリアーナの呟きが聞こえていたのだろう。ユエが振り返り、ハッとするほど優しい笑みを浮かべた。
「……だから、こうして一緒に旅行してるんでしょ?」
共に旅の軌跡を追って、当時の気持ちを感じ合って、お互いが、そして家族が知らなかったことを知っていく。確かめていく。
この旅行は、ただの異世界旅行ではない。より深く絆と信頼を紡ぐためのもの。
だって、
「……ここにいるのは、みんな家族なんだから」
それぞれの家庭ではないのだ。もう、みんなで一つの家族なのだ。
観光の間、ある意味一番子供っぽくはしゃいでいたように見えたユエが、誰よりも大人びて見えた。深い深い親愛の情が波となって伝わってくるようで、自然と視線が吸い寄せられる。
「なんというか、ずるいだろ? こういうところ」
ん? と首を傾げるユエに目を細めながら、ハジメは、まるで全面降伏でもしているような雰囲気で言えば、ユエに目を奪われていた皆が我に返ったように目を瞬かせ、「なるほど」と納得の表情になった。
「ふふ、そうですね。ユエさんの言う通りです」
「グリューエンや西の海で、香織達がどんな旅をしたのか……なんだか凄く楽しみだわ」
「ええ、ええ、まったくです! 何はともあれ、まずは香織の試練から見直しましょうね」
愛子と雫、リリアーナのしんみりした顔も一気に晴れやかに。
親達の表情も少し変化しただろうか。元より、異世界で子が経験してきたこと、ハジメ達のことを知りたいという気持ちがあって、覚悟もして旅行しているわけだが、改めて〝家族だから〟と言われると、見学する心構えも少しばかり変わるのだろう。
智一が瞳の奥に温かさを宿しつつも、どこか茶化すようにやれやれと肩をすくめる。
「娘の試練が、あんな酷い結末になると分かっているなら、先に乱入前を見せてほしかったよ」
「そうねぇ。香織のことだからすっごく頑張ったんでしょうけど……最後には結局、虚像さんを欺し討ちするみたいに止めを刺すんだって分かっていると、ね?」
「最後は忘れよう! 結果より過程だよ! この試練に関してはね! ね!」
弁明混じりに、必死に言い繕う香織。その姿に笑い声が上がる中、
「見せ方、見せる順番というのは重要じゃな!」
ティオは輝く笑顔でそう返した。もちろん、
「うるさいよ!」
香織が涙目で抗議したのは言うまでもない。




