トータス旅行記㊵ 戦えッ、ゴブナイツ!!
「大樹の周囲は特別に濃い白霧で覆われていて樹海の住人すらも惑ってしまう。まさに、天然の迷宮だ」
「そ、そうか」
「そ、そうなのね」
都の見学を終えて、樹海最後の観光地――大樹ウーア・アルトへと向かうハジメ一行。
説明しながら先導するハジメに、しかし、愁と菫は納得の表情ではなく腫れ物を扱うような表情になっている。
「だから本来は、十日に一度、濃霧が薄まる時を狙わないと近づくこともできない」
「えっとだね、ハジメ君。説明はありがたいんだが……」
「あのね、もう少し休んでからでもいいのよ?」
智一と薫子の白崎夫妻も、まるで重傷の患者が無理をして仕事を果たそうとしている姿を見ているような雰囲気で気遣いの言葉を送る。
それに対しハジメは、肩越しに振り返りながら「はて?」と小首を傾げた。
「休む、ですか? 特に疲れてはいませんが……どうしたんです、突然」
あたかも、何事もなかったかのような様子。ついさっきまで、見ざる言わざる聞かざるの極致に達しようとしていたとは思えない。外界の情報をシャットアウトし、誰が呼びかけても体を揺すっても、一切反応しないというヤバイ状態だったのに……
「ハジメ君……さっきのことは気にすることはない」
「ああ、そうだぞ。実に見事な戦いだった」
鷲三と虎一が見かねたようにフォローするが、ハジメはきょとんとした顔に。
「戦い? なんのことです?」
「遠藤君との過去の戦いのことよ」
霧乃さんのドストレートが放たれる。真剣な眼差しだ。あるいは、探るような視線である。ハジメの記憶状態を確かめたいのだろう。
意図を察して、誰もが固唾を呑むようにしてハジメを見る中、果たして結果は。
「えんどう? えん……どぅ? ……じょんどぅ? ジョン・ドゥがどうかしました? 正体不明の人物とか、名無しの権兵衛的な意味合いですよね?」
「やっぱり記憶が飛んでる!? ハジメ、しっかりしてちょうだい!」
「おいおい、血相を変えてどうしたんだ、雫。俺はいたって正常だぞ?」
「ついさっきの遠藤君との戦いを忘れてる時点で異常でしょう!?」
「え? なんだって?」
「突発的難聴まで!?」
そんな雫とハジメのやりとりを少し離れた後方から心配そうに眺める昭子が、思わずといった様子で呟く。
「なんと言うか……ああもぴっかぴかに輝いているのに、それにすら気が付かずに正常な反応をされると……異常が際立つわね」
「あらあら……先導していただく分には目立つので助かりますね?」
「レミアさん、なんのフォローにもなってないわよ。目も思いっきり逸らしてるし」
そう、昭子の言う通り今のハジメは輝いていた。
「……ハジメ、あわれ」
「頑張ってっ、ハジメ君! きっとよくなるから!」
「困難を乗り越えてこそのご主人様じゃろ!」
「くぅ、もう魔力が……」
ユエ、香織、ティオ、そして愛子の四人がかりでの魂魄魔法〝鎮魂〟を受けて。
四色の光で燦然と輝く姿は、さながらミュージカルスター。
広場でシャットアウトの極致に至らんとしたハジメが、どうしてこんな状態に陥っているのか。
それは、もちろん現実逃避の絶技というべきギル戦士長の技が、それほど効果を発揮しなかったからだ。
彼の奥義は、見たくない聞きたくないものの情報を都合良く遮断する技ではあるが、あくまで新規の情報を遮断する技である。
つまり、既に記憶に焼き付いている情報を、再確認の時点でシャットアウトしても効果は薄いのだ。目をつぶっても耳を塞いでも、記憶が喚起されてリピート再生しちゃうから。
とはいえ、だ。
そこは黒歴史の痛みに幾度も耐えては乗り越えてきた歴戦にしてエリートのオタクである。両親から伝授された〝心の痛みを、別の記憶で塗りつぶして現実逃避する術〟は当然習得しているし、お手の物である。
なのだが……
ここに強力な伏兵がいたとなると、話はまた別だったのだ。
「パパ? ごめんなさい……」
ハジメを囲うユエ達の後ろ側で、シアに手を引かれるミュウがしょぼくれていた。
シアが苦笑い気味にミュウの頭をぽんぽんする。
「ミュウちゃんのせいじゃありませんよ。諸悪の根源はハウリア。悪ノリしたうちの家族です。断言しますよ!」
「みゅ……でも……」
――ククッ、我こそはサウスクラウド・ザ・ファースト!
香ばしいポーズとキメ顔でそう言ったのは、パパの心痛の原因をかっこいいと感じちゃったミュウである。
愛娘が自分の黒歴史を(正確には、ハジメのコスプレをしたアビィの所業だが)、嬉々として再現する。
文句なしの致命的一撃である。
そして、それをその場にいたカム達ハウリア一味が完璧にシンクロした動きで真似れば、ミュウはますますキラキラ笑顔でパパの真似をしちゃうわけで……
結果、シャットアウト技による無反応状態から現実に戻ってきた途端に膝から崩れ落ち、心の痛みに苦しみ、かと思えば突然すんっと真顔になって、直後には穏やかな表情で立ち上がり、何事もなかったみたいに先導を始めたのである。
ヤバイ。
それが全員一致の見解だった。
そりゃあ記憶が飛ぶのも仕方ない――
「パ、パパ! 本当にかっこよかったの! アニメに出てくるダークヒーローみたいだったの!」
「……え? なんだって?」
「ミュウちゃんっ、気持ちは十分に伝わってますから、もうそのくらいで!」
「そ、そうだぞ、ミュウちゃん。黒歴史というものは、他者がどう見てるかじゃないんだ! 今の自分と過去の自分の戦いなんだ!」
難聴系主人公みたいな発言をしながらも、菩薩みたいな表情にしっかりと亀裂が入ってプルプル震え始めたハジメ。
シアが慌ててミュウを抱っこして制止し、愁がオタクの繊細な心を語る。カオス。
ちなみに、ここにはカム達はいない。大量のサウスクラウド・ザ・ファーストが出た時点で、シアが全員を殴り倒した。後はギル戦士長と彼の部下達に任せてある。まるで、爆発物でも扱うような嫌そうな顔で都に移送してくれていることだろう。
「ハジメ、しっかりしろ」
「父さん?」
愁がハジメの肩に腕を回した。
「お前も、昔は俺の黒歴史を散々掘り返してくれただろう? わざわざ屋根裏部屋の奥にしまい込んだ俺の黒歴史ノートまで掘り起こして、あんな満面の笑みで再現を……それも、町内イベントに参加している時に……うっ、頭がっ……」
「父さん!?」
歴史は繰り返し、親子は似る。ということなのか。
「だが、だがしかしだ。ハジメ!」
「お、おう?」
「あの時の父さんはどうだった? 自失したか? この馬鹿やめろっと焦ったか? あるいは怒ったり誤魔化したりしたか!?」
「…………いや。むしろ、まだまだ甘いって、より完璧な言動を取ったな。あまりの痛々しさに、町内会の人達が死ぬほどしんっとしたけど、やりきったな。それ以降、ちょっと変わった人として認識されて、腫れ物を扱うみたいな態度を取られていたけど、開き直って堂々としていたな」
「そう、その通りだ。それが、親というもの。そして……」
「そして?」
「オタク道というものだっ」
「……父さんっ」
がっと肩を組み合う南雲親子。
「え、なんだこの茶番劇。というか、南雲愁。そこはむしろ、息子が黒歴史を作らないよう注意してあげるところじゃないか? 世間から白い目で見られないように」
「正論パンチはやめてもらおうか! それは全てのオタクに効くっ」
「お、おお、すまない?」
カッと見開いた目で智一を睨む愁。その勢いに押されて、智一はなぜか謝ってしまう。
何はともあれ。
「ミュウ、すまん。心配をかけた」
「パパ……」
「ミュウは全く悪くないから気にするな。ただ、ちょっと恥ずかしかっただけなんだ。でも、ミュウが格好いいって言ってくれたのは嬉しかったぞ? だから、な?」
「……それじゃあ、パパもやってくれる?」
「無茶ぶりはやめてもらおうか! それはパパに効くっ。特効レベルでっ」
「みゅ!?」
未だ愁レベルには至らない……のかもしれない。「至らないで……」とユエ達の小声が聞こえてきて、愁は胸を押さえた。
俺は……俺は間違っていたのか? いいえ、あなた。最高にかっこよかったわ! 菫! あなた! みたいな無言のやりとりをする南雲夫妻。
ひとまず、父親の慰め(?)と、四人がかりでの〝鎮魂〟により、ハジメの精神はどうにか復調したらしい。それを見て取って魔法をやめるユエ達。ミュージカルスターハジメが輝きを無くす。
と、そんなことをしているうちに、いつの間にか目的地の直ぐ近くまでやってきていたらしい。気が付けば一寸先すら見えない濃霧に包まれていた。
思わず足を止める一行。虎一と霧乃が眉間にシワを寄せて言う。
「これは……凄まじいな」
「ええ。正気のまま前後不覚にでも陥ったみたいだわ」
「俺たち攻略者は、もう迷わないんですけどね」
「……ん。攻略の証があれば意図的に晴らすこともできます。昇華魔法を、神髄である情報干渉レベルで使いこなせるなら、それで白霧自体に干渉することも」
この白霧自体が大樹によって生み出される認識阻害の魔法のようなものだから、と説明しつつ、ユエがふっと軽く手を振り払った。
すると、ユエの言葉を証明するように白霧が揺らぎ、直後には空気に溶け込むようにして濃度を下げていった。
ハジメが視線で促して、刻一刻と晴れていく大樹までの最後の道のりを進んでいく。
そうして、見えてきたのは――
「「「「「……」」」」」
親達が一人残らず絶句した。
最初は、それが何か認識すらできなかった。ただ、城壁じみた巨大な壁があるのだと、もしかして、大切な場所だから壁で囲って保護しているのかと、そう思った。
だが、より近づいて完全に白霧が及ばない領域に――大樹の領域に入った途端、ようやく理解できた。
その壁こそが、大樹の幹だったのだと。
視線が吸い寄せられるように根元から空へと上がっていく。高層建築など見慣れた彼等をして、ぽかんっと口を開けるしかない巨大で勇壮な姿。
途中で白霧の天蓋に覆われているのが、まるで雲を突き抜ける霊峰のようで、より雄大さを感じさせる。
枯れ木であることなど関係ない。地球上には存在しない自然の偉大さ。ファンタジーの象徴。それを弥が上にも実感する。
「ユエ」
「……ん!」
圧倒されている親達に頬を緩めつつ、ユエはハジメに応えて木の幹へ歩み寄り再生魔法を行使した。
途端、更なるファンタジーと自然の神秘が披露された。
黄金の光がほとばしり、幹から天辺へ、そして太い枝へと広がっていく。まるで水を吸い上げるように。
ひび割れた幹は途端に瑞々しさと力強さを取り戻し、圧倒されるほどの生気が溢れ、枝からは鮮やかな葉が次々と生まれていく。白霧の天蓋も今や完全に晴れ渡り、青空の下、大樹は威風堂々たる姿を世界に見せつける。
燦然と輝く黄金の中から再生する大樹。
「絶景とは、まさにこのことだな……」
驚いたことに、鷲三の目元からつ~っと一筋の涙が流れた。ユエやティオを除けば、最年長の彼だからこそ感じ入るものも大きかったのだろう。人生の終盤にかかって、まさかこれほどの光景に出会えるとは、と。
そして、その言葉に異論のある者はおらず、その姿を茶化す者も一人とていなかった。
ただただ、全員が魅入られたように、大樹ウーア・アルトを静かに見つめていた。
ハジメが、戻ってきたユエにニッと笑って掌を向ける。ユエもまた、菫達の様子にフフッと笑ってハイタッチに応じた。そのまま、同じような顔をしているシアや香織達ともハイタッチ。
その顔が見たかったんだ、とサプライズが成功した子供のような無邪気さで笑い合う。
それからしばらくして、ようやく感動の渦から解放された親達が、深い吐息をこぼして現実に返ってきた。
鷲三が、余韻に浸っているような表情でハジメに向き合う。
「素晴らしい景色だ。感謝するぞ、ハジメ君」
鷲三の言葉を皮切りに、愁達も次々に子供達からのサプライズプレゼントに感謝の言葉を口にしていく。
「なかなかの演出ね、ハジメ。これは確かに、上空から見たり、あらかじめ話を聞くより、このサプライズが一番だわ」
「満足してもらえたようで何よりだ、母さん。俺達も、最初に見た時は本当に圧倒されたからさ。あの感動を味わって欲しかったんだ」
「ええ、圧倒されたし感動したわ。一生忘れられないくらいね」
「そりゃあ良かった」
せっかくだからと、大樹の前で集合写真も撮るハジメ達。近くに寄ると、なおさらその大きさに圧倒される。
建築士の智一が天頂を見上げたながら目を細める。
「トウキョウタワーと同じくらい……いや、それより高いかな? 信じられない大きさだ」
「だいたい四百メートルくらいですね。ですが、智一さん、実はこれ、一部なんですよ?」
「なに?」
細めた目が点に変わる。愁達も「どういうこと?」と目を丸くする。
ハジメは悪戯でもするような表情になった。
「大迷宮は幹の中や地下に続いているんですが、その地下空間を貫く幹からも道路並に広く太い枝が伸びてまして……」
「ちょっ、ちょっと待ってくれ。それじゃあ何かい? 本当の根元はもっと地下にある?」
「ええ。正確なところは調べてないので分かりませんが……少なくとも倍の高さ、あるいは……千メートルくらいはあるかもしれません」
「……ん。元からか、大迷宮創造のために手を加えたからなのかは分からないけど、深く沈下しています」
「五百年以上生きる妾達竜人からしても、衝撃の事実であったのぅ」
「……はは。本当にファンタジーだなぁ」
どこか呆れにも似た雰囲気で額に手を添える智一。一キロメートルもの樹高を誇る大木など想像すら難しく、他の親達も似たような表情になっている。
「神山が崩壊した今、まさに異世界を象徴する存在ですね。さっき言った地下空間は諸事情、というか精神衛生上非常に良くないので避けますが、途中まで内部を観光して、その後は天辺にある庭園に転移します」
大樹の外観見学はもういいだろうか? と視線で問うハジメに、愁達はもう一度大樹の威容を仰ぎ見てから頷いた。
しかし。
ようやく驚愕と感動の大波を乗り切って平静を取り戻した愁達は、また直ぐに驚愕で口を半開きにすることになった。
「話には聞いてましたけど……本当に大樹の中に森があるんですね」
「……大樹の中のどの辺りなのかは分かりませんけれど、空間が広すぎるような?」
「レミアさん、たぶんだけど空間を拡張してると思うよ。空間魔法で」
大樹の幹が亀裂を広げるようにして出現した洞。その中にあった転移陣に乗った先に広がる光景は、さっきまでいたのと同じ森の中だった。
一瞬、親達は大迷宮に入れなかったのかと錯覚したが、同じく大迷宮の中にまで踏み込むのは初めてである愛子とレミアの言葉で、ここが本当に大迷宮の中なのだと理解して、更に驚愕せずにはいられない様子だ。
なお、ミュウだけは神話決戦の後の一ヶ月の間に、ハジメにおねだりして散歩がてら連れてきてもらったことがある。
「私も、初めての大迷宮挑戦だったから凄く緊張してたし、木の中に森があるなんて思いもしなかったから本当に驚いたわ」
「しかも、さぁこれから進んで行こう!っていう時に、ハジメ君ったらいきなりユエを撃つんだもんね」
「あれは驚きましたねぇ。ハジメさんがおかしくなったのかと」
「え、えぇ!? ハジメがユエちゃんを撃った!? それ、どういう状況なのよ!」
雫、香織、シアの会話内容を聞いて、呆けていた菫が一瞬で現実に帰還した。他の親達も一緒だ。あり得ない話に目を見開いてハジメを見る。
「いや、ユエじゃなくてユエの偽物だぞ、母さん。最初の試練は、転移と同時に仲間の数人が偽物と入れ替わるというものだったんだ」
「偽物?」
「普通は分からないと思うんですけどね。……私も雫ちゃんも、それどころかシアですら見抜けなかったんですから」
と香織が補足しつつ、過去再生を発動した。
「……ん。話は聞いたけど実際には見てないから気になってた」
「そうじゃのぅ。妾と龍太郎も魔物の姿にされておったからなぁ」
「魔物の姿? ティオ君、それはどういう?」
「虎一殿よ、ゴブリンという地球のファンタジーでも有名な魔物はご存じかな?」
「指輪の物語なんかで有名だね。映画を見たことがある」
「うむ。妾とユエはあれに変えられておったんじゃ。龍太郎はオーガじゃな」
「……すまない。ちょっと想像できない」
虎一の困惑も当然だろう。ユエもティオも超がいくつあっても足りない美人だ。それが、醜い生き物の代名詞とすら言える存在に変身していたと言われても、確かにイメージするのは難しいだろう。
ティオの解説の間に、香織が過去の時点を探り当てた。
そうして映ったのは、ボーラでユエ、ティオ、龍太郎を拘束し、困惑するユエに銃口を向ける冷たい表情のハジメだった。
そして、銃声。ユエの肩に容赦なく直撃。
「ちょっとハジメ、あんた躊躇いもせず!」
「だから、母さん。偽物だって」
どこからどう見ても偽物には見えない。記憶と人格すらコピーしているのだ。雰囲気がおかしいということもない。癖すら転写している。菫達が動揺するのも仕方ない。
だが、偽者であることは直ぐに証明された。ユエの傷口から血が流れず、表情が抜け落ち、ハジメの尋問にも答えない。人間味が一瞬で消失して異様さが際だった。
当然だ。正体はスライム系の魔物による擬態なのだから。見抜かれれば人形の如く無機質になってしまう。
ハジメは冷めた表情のまま、偽のユエの頭を撃ち抜き、飛び散る赤錆色の粘体を以て、それがスライムであることを証明した。
「うっ……偽物なのは分かったけれど……あんた、それでももう少し躊躇ってもいいでしょうに。見た目は完全にユエちゃんなのよ?」
「……ですよね、お義母様! 私もそう思います!」
「いや、偽物に躊躇う必要はないだろう? 本物が操られているとかならまだしも――」
「……は? ハジメは撃ちますが? 本物が操られていても普通に撃ちますが? 奈落でのことをお忘れで?」
「……」
ハジメはスッと視線を逸らした。確かに否定はできない。今や蘇生も可能であるからして、躊躇いはより一層ないだろう。敵と交渉はしない! たとえ(味方が)死んでも! それがハジメクオリティー。
ハイライトの消えた瞳でじぃ~っと見上げてくるユエから、ハジメは抱っこしたミュウによる視線ガードを試みた。抱っこ大好きなミュウだが、パパの意図を察して「もぅ、パパはしょうがないなぁ」と言いたげな呆れ顔をしている。ちょっぴりお姉さん。
だが、そんなユエのままならないモヤモヤも……
過去映像の中で『どうやって気が付いたの?』と尋ねた鈴に対し、ハジメがきょとんとした表情で、
『どうって言われてもな。見た瞬間、分かったとしか言いようがない。目の前のこいつは
〝俺のユエじゃない〞って』
なんて言葉を返した時点でひゅるんっと笑顔に変わる。いや、ニヤニヤ顔だろうか。口元がもにゅもにゅしている。
理屈や根拠なく、ただ直感だけでユエを見分けるハジメに、映像の中のシアや鈴達が一斉に呆れの顔を見せているが、現実でも菫達が呆れ顔になっていた。
「この後、私のことも見た瞬間に気が付いてくれますかって尋ねたんですけど……」
「見た瞬間は無理じゃないか?って普通に返されたよねぇ」
シアと香織の目が遠くを見ている。実際、過去映像の中では期待の眼差しをハジメに向けるも、あっさり無理と返されてがっくりと肩を落とすシア達の姿があった。
「パパ~、ミュウは? ミュウのことは分かる?」
抱っこされたまま、ミュウがハジメの頬をペチペチする。お目々は期待にキラキラだ。
「おう、分かるに決まってるだろう?」
「えへへ~、そっかぁ、分かるんだぁ~」
シア達が「うぅ、ミュウちゃんはそう答えますよねぇ。ええ、いいんですけどね!」「その優しい気持ちを、当時の私達にも少し向けて欲しかった……」などと呟き合っている。
ハジメは苦笑いを浮かべた。
「当時はああ言ったけどな。……実は、内心ではシアなら分かると思ってた」
「えぇ!? そうなんですか!? なら、なんで言ってくれなかったんですか!」
「香織がダメージを受けると思って」
「そうだね! きっと受けてたね! 涙目になっちゃうところだったよ! お気遣いどうもありがとう!」
やけくそ気味にお礼を口にする香織。ユエ様が絶妙なまでのドヤ顔で香織を見ている! いや、指を差しながら仰け反った。某見下しすぎな海賊女帝のポーズだ。香織が飛び掛かった! ファイッ。
ぽかぽか、どったんばったんっ、ピチュンッ、バリバリバリッ。
二人の喧嘩にすっかり慣れてしまっている一行は特に気にした様子もなく観光を進めていく。
粘液塗れで多足大型のハチの群れとの戦い。
サルモドキによる挑発と、キレたハジメによる森林大火災。
「ねぇねぇ、パパ。鈴お姉ちゃんは、どうして虫さんを怖がってるの? 虫のお姉さんなのに」
「……それ、谷口には言ってやるなよ。未だに気にしてるんだから」
「もうすっかり虫の女王とか呼ばれているのにね」
雫曰く、神話決戦の記録を取る歴史家達からは、鈴はその二つ名を与えられているらしい。なお、本人はまだ知らない。
「虫の女王? 女の子は確かに嫌がりそうな名称だけど、なぜそんな名称が?」
霧乃が雫に尋ねる。雫は微妙な表情になった。
「決戦前に、鈴は変成魔法で奈落の魔物を従魔にしたんだけど……どういうわけか、虫系の魔物しか従えられなかったのよ」
「最後にはイナバとも契約できたんですが、あれは従魔契約というより雇用契約。あるいは傭兵契約か……とにかく、主従という感じではないので」
「巨大な蜘蛛やムカデ、アリの群れなんぞに囲まれて、めちゃくちゃ引き攣っておったのぅ。元々、虫系全般が苦手らしく、なぜよりにもよって……と目が死んでおったわ」
「あらまぁ」
ハジメ、ティオの補足説明を聞いて、霧乃のみならず他の者達もなんとも言えない表情になった。
業火に包まれる森と、大量の鴉型偵察機を周囲に飛ばし、凶悪な雰囲気を撒き散らすハジメのことは見ないようにしながら。だって、普通に怖いし。
「で、この後ですね。ユエが……ああ、ややこしいので仮称ユエゴブとしますが、今の爆撃に気が付いたユエゴブと合流します」
『ぎゃぎゃっ!』
斬りかかろうとした光輝がハジメに蹴り飛ばされて吹き飛び、誰もが「え? あれがユエちゃん!?」と目を白黒させて、ユエが恥ずかしそうにしている間にも流れる映像。
その中で、
「これ、未だに本当に謎ですよね」
「うん。本当に謎だね」
「ハジメ君は、ユエさんに関することではちょっとおかしいですね」
「愛子お姉ちゃん、全ては愛の力なのっ。昼ドラで言ってたの! 愛さえあれば不可能はないって! 国も家も捨てて幸せに生きられるって!」
「ミュ、ミュウ? 昼ドラを教材にするのはやめましょうね? ママ、反省するから、ね?」
ミュウの教育方針はともかく、ハジメとユエゴブは普通に会話していた。
もちろん、グギャ! ギギッ! みたいなユエのゴブ語と。〝言語理解〟の能力を超えているのか、単純にゴブ語を解する時間が足りないだけかは分からないが、勇者ですら解せず、当然ながら香織達も分からない言葉をフィーリングだけで理解するハジメの愛。重い。
「目は口ほどにものを言う。って言うくらいだしな。ユエの瞳を見つめれば、なんだって分かるさ」
「……んもぅ、ハジメったら。でもぉ、私もハジメと見つめ合えばなんでも分かるぅ」
「ユエ……」
「……ハジメ」
「はいはい、二人っきりの空間を作らないの!っていうか、ハジメ君。ユエの瞳じゃなくてゴブリンの瞳だよ。濁りきったヘドロみたいな瞳だよ。それで分かるとかおかしいよ」
「……ん。分かってもらえない香織がなんか言ってるぅ」
飛び掛かる香織――を、智一パパが後ろから羽交い締めにして止める。薫子ママも、この子ったらユエちゃんにだけ直ぐに手が出るんだから! とメッしている。
「それにしても恐ろしいわね。大迷宮に挑戦しただけで、こんな姿にされちゃうなんて……。ユエちゃんが無事に合流できて良かったわね」
昭子が軽く身震いした。なんとなくコメディ的な雰囲気だが、よくよく考えれば確かに恐ろしい試練だ。
何せ、ユエは本来の戦闘能力を喪失している。正しく、ゴブリンレベルなのだ。
合流する前に魔物と遭遇していたら最悪もありえた。
「昭子さんの言う通りね。合流が間に合って良かったわ。その前に魔物と遭遇していたらと思うと……」
「……ん? お義母様。私、魔物と遭遇してましたよ?」
「え?」
菫だけでなく、ハジメ達も「え?」となった。無事に合流できて、ユエにも外傷一つなく、何よりユエが何も問題としていなかったので特に聞いていなかったが、まさかゴブリン姿で戦闘していたのかと瞠目する。
「……ゴブリン仲間? に囲まれたけど、なぜか襲ってはこなかった。鬱陶しくはあったけど……今思うと、むしろ守られた、かも? 早くハジメと合流したくて気にする余裕もなかったけれど……」
「そ、そうなのか?」
「……ん。なんなら見てみる?」
ということで、一行はゴブティオの方へ行く前に、合流する前のユエゴブを見に行くことにした。
その過去再生に映っていたのは、困惑と少しの焦りが見えるゴブユエと、それを囲む十数匹のゴブリン達。
だが、確かにユエゴブに襲いかかる様子はない。というか……
「………………あいつら、ユエゴブのこと見つめすぎじゃね?」
「う、うん。なんか呆然としている、ね?」
「あっ、サルモドキの魔物です――えっ、ゴブリン達がユエゴブさんを守ってます?」
「確かに守ってるように見えるわね……」
「いや、どう見ても守ってますよ! ほら、負傷したのに跪いてユエゴブさんを見つめてます! あれ、私がよくデビットさん達にやられるやつですよ! この勝利、愛子に捧げる!的なやつです!」
「お、おかしいのぅ。ユエゴブなのに、まるで普通にお姫様のように見えるのじゃ」
その通り、過去映像の中のユエゴブは、最初こそゴブリン達を警戒していたものの襲ってくる気配がないと分かるや否や、半ば無視。ハジメを見つけることに注力しだしたのだが、そんなユエゴブの障害になりそうなものを、周囲のゴブリン達が積極的に排除していくのだ。
我が道を黙々と進んで行く、ゴブリンを従えしユエゴブ。その姿、確かにゴブ姫とゴブナイツの如く。
ゴブリン達の献身に、しかし、ユエゴブは気が付いていないのがなんとも泣ける。
「みゅ? あのゴブリンさん、木の実を差し出してるの。顔を逸らしながら……知ってるの! あれはツンデレ系男子のあるある! 『ほら、これやるよ。勘違いすんなよ。持ってても邪魔なだけだ』的なやつなの!」
「ミュウ、なぜそんなことを知ってる――」
「あ、パパ! あっちのゴブさんは俺様系だと思うの! ユエゴブお姉ちゃんが無意識に殴り飛ばしてるけど、『いいから俺のものになれよ!』って腕を掴もうとしたこと、ミュウの目はしっかりと見ていたの!」
「昼ドラか? それも昼ドラ知識なのか!?」
「いえっ、あなた! 私はもっとドロドロ系が好きなので違うと思います!」
「そうか。そんなにドロドロ系が好きなのか」
「あっ!?」
「次は無邪気ワンコ系ゴブ君! あっちはヤンデレ系ゴブ君に違いないの! あっ、ユエゴブお姉ちゃんが流れるようにスマッシュしたの! 投石のキレがすごいっ」
「いや、本当に。ミュウ、どこでそんなカテゴリーを覚えた――」
「菫おばあちゃんが少女漫画のなんたるかを一から教えてくれたの! ミュウちゃんなら、将来いろんなメンズを手玉に取れるわって!」
「「……」」
「ち、違うのよ、ハジメ、レミアちゃん。ミュウちゃんにね、男の子のタイプを教えて将来あしらえるように、ね? 敵を知り己を知れば~ってやつよ! 断じて、少女漫画の沼に落とそうと思ったわけじゃないのよ? 小学生のリアル逆ハー見せてくれないかなぁなんてことも思ってない――」
家族会議不可避。
とにもかくにも、そこには確かにゴブ逆ハーレムみたいな光景があった。
ユエはただ黙々と探索しているだけで、周囲の魔物などによりゴブナイツは刻一刻と数を減らしているのだが……
彼等は、ユエゴブ姫の進む後ろ姿に自己満足して果てていく……
「いったい、どうなっているんだい? これは」
「大迷宮のお助け機能的なもの、かもしれないな」
智一と鷲三の考察に、ティオが頷く。
「この大迷宮は、姿の変わった仲間、夢想世界での理想の体験、感情反転など絆を試すコンセプトと推察されるのじゃ。故に、変身させた挑戦者が絆を試す前に果てることを避ける、という措置は確かにあるやもしれん」
「いや、お前は思いっきり殴る蹴るの暴行を受けてたじゃねぇか」
「むっ、確かにそうじゃな。予測が外れたか……」
「あ、そうか。それで喜ぶ変態ってことも読み取られてたのかもしれないな。ゴブリン共でさえドン引きの様子だったけど」
「……」
ゴブティオの業の深さはひとます置いておいて。
「でも、それだけなら普通に護衛するだけでいいんじゃないかしら? 明らかに好意が見えるわよ?」
「そうだな……もしかして、リューティリスの趣味? 少女漫画脳だったか? それで、配備する魔物にも変な性質をつけた?」
「なにそれ、親近感湧くわね」
リューティリスさんに風評被害……ではない可能性もなきにしもあらず。
「いや、待てよ。そうか! もっと単純な話という可能性もあるな!」
「ハジメさん? 何か分かりました?」
「ああ。おそらくだが、ユエは超絶美人なんだ」
「ハジメ君、今そういうのはいいから」
「……んぅ、ハジメったら!」
「ユエも、そういうのはいいから」
香織が蛮族化しそうなので「違う、誤解だ」とハジメは言葉を続ける。
「いいか、お前等。普段のユエを見てみろ。何をしていなくとも、ただそこにいるだけでキラめいているだろう? まるで女神のように。あんまりに綺麗で、しかも超絶に可愛くて、万人が目を奪われずにはいられない」
「離してっ、雫ちゃん! ハジメ君の目を覚まさせてあげるの! 今は惚気の時間じゃないって!」
「分かったからジタバタしないで! ハジメも真面目に!」
「いや、真面目に話してる。つまり、だ。たとえユエゴブになっても、いや、ユエゴブだからこそ、ゴブリン達から見てもあり得ないほどの美人に見えているんじゃないかってことだ」
「輝いて見えるほどに、ということかの?」
「そう。日本でも、認識阻害なく歩けばすれ違った人々の視線を吸い寄せて事故を多発させてしまったり、ナンパ共やスカウトの連中がゴキ○リの如く湧き出すように」
「す、すごいの、ユエお姉ちゃん。種族も世界も超えてみんなが認める美人さんなの!」
全員の視線がユエに向く。
過去映像の中で、ついに全滅したゴブナイツ。身命を賭して守った姫が、一人の男のもとへ駆け出す姿を視界に収め、最後にフッと笑って果てていく。
まるで、愛するが故に、幸せになってくれれば満足だと思っているかのように。
薫子が目をこする。
「おかしいわ、あなた。ゴブリンさん達のことかっこよく見えてしまうのだけど」
「そ、そうだな。献身的な騎士に見えるな……」
霧乃がじんっときたように微笑む。
「漢ね」
「うむ。……ユエ君が全く気にしていないのがなんとも言えないが」
「視界にすら入ってないからなぁ」
昭子と愛子が少し引き攣った表情で呟く。
「一目見ただけで命も投げ出すくらいって……まぁ、ユエちゃんの美貌を見ていたら分からなくもないけれど。ちょっと怖いわね。魔性の美って、こういうことを言うのかしら?」
「大人モードのユエさんは、更に凄いことになるからね。時代が時代なら、まさに傾国の美女とか呼ばれそうだよ」
そんな感想の中、注目を集めるユエは、自分を守って果てたゴブナイツとハジメ達を見回し、一拍。
「……フッ。モテすぎて辛たんです」
ちょっと香ばしいポーズを取りながら、そんなことをキメ顔で言ったのだった。
憎たらしいのに、思わず息を呑むほど可愛らしいので、それがまたなんとも言えない。
そして、過去を振り返っても身命を賭したゴブナイツには特に何も感じていないようなのが、またなんとも言えない。
大迷宮の救済措置説、あるいはリューティリスの趣味説も確かにありそうだし、むしろ、その可能性が一番高いので、確かに何かを思う必要はないのだが……
「……でも、ユエさんがモテたいのは世界でたった一人!」
「! ユエ!」
「ハジメ!」
ひしっと抱き合う二人に、各々せめて一言くらいゴブナイツへの感想があってもいいんじゃないかなぁと思いつつ、親達やシア達は「まぁ、これが〝ハジメとユエ〟か……」と苦笑いを浮かべたのだった。
なお、その後にゴブティオさんがゴブ仲間からリンチされ、なのにハァハァしてる光景も見に行ったのだが。
「信じられるか? 酷い顔してるだろう? これでも同じ姫なんだぜ?」
「……て、照れるのじゃ」
ユエゴブとのあまりの違いに、そしてなぜか嬉しそうにモジモジしているティオに、誰もが哀れむ眼差しを向けずにはいられないのだった。
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