54、お兄様との邂逅
「大変申し訳……」
「リアムさん、それ以上の謝罪は必要ありません」
みんなで一生懸命作ったお店を侮辱されたのが悔しくて、気がつくと私はリアムさんを庇うようにお兄様の前に立っていた。
長い赤髪を後ろで束ね、寸分の乱れなく上質な濃紺のフロックコートを身にまとったお兄様の鋭い視線が、私に突き刺さる。
いまの私はこのお店の責任者、そして目の前に居るのはお客様だと心の中で言い聞かせ、営業スマイルを作ってお兄様に声をかけた。
「ようこそお越しくださいました、お兄様。何かご入用ですか?」
「ふざけた専門店の店主の顔を拝んでやろうと思って、寄っただけだ。どんな無能が出てくるかと思えば……ヴィオラ、お前だったのか」
お兄様の言葉で、店内の空気が凍りつく。
私情をお店に持ち込んでしまったことが、みんなに申し訳なくて仕方なかった。
怯んではだめだ。
呼吸を整えて、毅然とした態度で嘲笑を浮かべるお兄様に言葉を返す。
「私がいたらないのは重々承知しておりますが、このお店は多くの方の協力があって完成した私の誇りです。お気に召さない点があれば、どうかお店に当たるのではなく、直接私に仰ってください」
大丈夫、どんな罵詈雑言でも受け止める覚悟はした。
お兄様の目を真っ直ぐに見据えて厳しいお言葉を待つも、なぜかお兄様は苦虫を噛み潰したような顔をして視線を逸らし、ポケットに入れた手をもぞもぞさせていらっしゃる。
「ま、まぁ、いたらない点も多いが…………」
お兄様がそう言いかけた時、「ヴィオ!」って大きな声と同時に正面入口の扉が開いた。
「アレク、どうしてここに……?」
領主の仕事で視察に行ってたはずよね?
なんて私の疑問をよそに、長い足を動かしてこちらに駆け寄ってきた彼は、
「大丈夫? 怪我してない?」
と心配そうに私の頭の先から足のつま先まで細かくチェックし始める。
最後に私の顔を覗き込んで、「よかった、怪我はなさそうだ」とアレクはようやく強張った表情を緩めた。
「えっと……とりあえず、離れてくれるかしら?」
ゴホンというお兄様の咳払いが私を現実に引き戻し、苦笑いしながらアレクに声をかける。
「まったく、そんな愚妹のどこがいいのか……」
呆れたように、お兄様がため息をついた。
アレクはそんなお兄様のほうへ身を翻すと、口に手をあて大袈裟に驚いたポーズを取って口を開く。
「レイモンド卿こそ、その眼鏡が曇って何も見えてないのではありませんか? どうぞこちらでお拭きください」
そう言ってアレクはにっこりと人懐っこい笑みを浮かべ、ポケットからハンカチを取って差し出した。
遠慮なさらずにとハンカチを握らされたお兄様は、困惑されたご様子だ。
「く、曇ってなど、おりません!」
「そんなはずはありません。才色兼備で優れた植物魔法の使い手、社交界では『フレグランスの女神』の異名を持ち、性格も気さくで聖母のように思いやりにあふれる……この場では語りきれないほどある彼女の魅力が、まったく見えていないのでしょう? もしかすると、眼鏡の度数が合ってないのかもしれません。うちの商会で眼鏡を新調しましょうか?」
聞いていて恥ずかしくなるような台詞をさらっと言ってのけるアレクに、お兄様は一瞬言葉に詰まったあと、「……っ、結構です! 度数は正常ですから」と返答しながら、左手の指で眼鏡を押さえた。
顎に手をかけながら「眼鏡に問題がないとなると……」と呟いたアレクは、心配そうな眼差しをお兄様に向けて、さらに言葉を続けた。
「目の病気かもしれません。もしよろしければ、腕の良い宮廷医を紹介しましょうか? 大切な兄上であるレイモンド卿がご病気などされていては、ヴィオが心労で倒れてしまうかもしれませんし、一大事です。どうかご遠慮なさらずに!」
「だ、大丈夫ですから! わ、私はこれで失礼します」
ずずっと詰め寄るアレクに圧倒されたのか、お兄様は後退って商品棚に背中を軽くぶつけると、そう言って逃げるように出入り口のほうへ向かわれた。
その際、お兄様が右手を入れておられた上着のポケットから何かが落ちた。
綺麗にラッピングされた手のひらに収まるほどの小さな箱を拾い上げ、「お待ち下さい、お兄様!」と呼びかけるも、お兄様が足を止めることはなかった。
慌ててあとを追いかけたものの、お兄様はすでに馬車に乗って出発されてしまっていた。
「ごめん、ヴィオ。折角の貴重な仲直りの機会を……! 厄介な貴族のクレーマーが来たって連絡を受けて駆けつけたら、まさかレイモンド卿だったとは……」
追いかけてきたアレクが、申し訳なさそうに声をかけてくる。
「あんなに驚いておられるお兄様、初めて見たわ」
「悪意に大きな善意をぶつけたら、相手は呆気に取られて隙ができるからね。そこから見えてくるものもあるんじゃないかなーって思ったんだけど……ごめん、失敗しちゃったようだ。あんなにレイモンド卿の逃げ足が速いとは、想定外だよ」
そう言って肩を大きく落としたアレクは、私の手に握られているものを見て、「ところでそれ、何だろうね?」と疑問を口にした。
「サイズ的に、アクセサリーとかかしら?」
誰かにお渡しするつもりだったのなら、きっとお困りになるわよね。
「案外、ヴィオへの開店祝いだったりして」
「え……そ、そんなこと! あるわけないじゃない!」
驚きすぎて、思わず変な声が出てしまったわ。
「ここはシエルローゼンだ」
「ええ、そうね」
「王都から少し距離があるし、ついでに来れる場所じゃない」
「まぁ、確かに」
「そこへわざわざ持って来るって、絶対ヴィオへのプレゼントじゃん」
「そうかしら? ここで買ったお土産って考えるのが、自然だと思うけど……」
ちょっと見せてと手を差し出してくるアレクに、小箱を渡した。
じーっと観察して、「この特徴的なアンティークレースのリボンは、ヒルシュタイン公爵領の東部地方に伝わる伝統工芸品でしょ? ここで買ったお土産じゃないよ」とアレクは認めようとしない。
「確かにこれは、セレス地方に伝わるボビンレースね……って、よく知ってるわね」
季節の花々をモチーフにして作られた、細長いリボンのボビンレースは、お母様の故郷セレスでよく作られていた伝統工芸品だ。
お祝いの時に作って贈るものだとお母様が仰っていたし、広くは流通してないはず。
それをなぜ知っているのか……不思議に思っていると、アレクはにっこりと笑みを浮かべてこう言った。
「そりゃあもちろん、ヴィオに関係のあることは何でも知ってるよ?」
怖っ! どうやら感情が顔に出てしまったようで、アレクは慌てて言い直した。
「あ、いや! 母上が公爵夫人と仲良かったからさ、それで見たことがあって!」
「……最初からそう言いなさいよ。とりあえず、お父様にお願いして返してもらうわ」
「待って、ヴィオ。それは直接渡そうよ! レイモンド卿に会う口実として使えるし!」
「でも急がないと、お兄様がお困りになるじゃない」
「明日の議会で、レイモンド卿には僕からやんわりと伝えておくよ。昨日店内に落とし物があったけど、違いますかって。そうすれば、またお店に来てくれるはずさ」
「落としたところを直接見たのに、白々しくないかしら……」
「大丈夫、僕はレイモンド卿が落としたところを直接見てないし、演技力には自信あるから! それに落とし物を勝手に持ち出すのも、よくないでしょ?」
堂々と胸を張るアレクに一瞬騙されそうになったけど、こじつけって言うのよそれは!
騙しているようで気持ち悪いじゃない。やっぱり……と私が言いかけた時、「アレクシス様! そろそろお時間が……」と彼を呼ぶ声が聞こえた。
「やば! 視察の途中だったんだ、そろそろ戻らないと!」
「忙しいなか、ごめんね。ありがとう、アレク」
「すこしでもヴィオに会えたし、むしろご褒美だよ。それじゃ、またね!」
むず痒くなるような台詞を残して、アレクは慌ただしく去っていった。
預けそこなってしまったわね。
入れ違いになるといけないし、結局お兄様の落とし物は、大事にお店で保管しておくことにした。












