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XANADU  作者: 神宮寺飛鳥
【虚ろなる者たち】
99/123

願望の怪物(2)


「――!」


 遠くから誰かの声が聞こえる。ゆっくりと目を開くと、視界には青い空、そしてそこに浮かぶ神域が見えた。


「……イジ様! レイジ!!」


 体は動かなかった。視線だけを声に向けると、オリヴィアが駆け寄ってくるのが見える。

 レイジはゆっくりと停止していた思考を再開した。景色が、音が、だんだんと近づいてくる。そうして自らの状態を自覚した。

 左腕が根元から吹き飛んでいる。顔も左半分がなくなっているようだ。半身を抉り取った虚幻魔法の一撃により、レイジは一瞬で死に追いやられていた。


「マスター! そんな……たった一撃でマスターが……」

「レイジ……ああ……どうしてこんな……」


 涙を流すオリヴィアを横目に少年は一度小さく息をつき、すぐに歯を食いしばって体を起こした。

 切断面から血が吹き出し激痛が走るが、そんな事はお構いなしだ。今ここで立ち上がれない苦しみに比べたら、何倍もマシだから。


「……驚きましたね、本当に。その状態で生きているだなんて……人間ではありませんよ」


 左の視界がなくなっている。手を当てるとなるほど、確かに空を掴むようだ。息を荒らげながら周囲に目を配すと、遠くに突き刺さった精霊器が見えた。

 あの一瞬、精霊器によるガードができないと踏んでレイジはそれを背後に放ったのだ。そして左腕を突き出し爆心地を少しでも遠ざけつつ自らも回避に移った。その結果がこの有様である。

 お蔭でなんとか精霊器は守り通すことが出来た。ふらつきながら剣を抜きに向かうその鬼気迫る様子にオリヴィアもアンヘルも言葉を失う。


「まさか、精霊器を庇ったのですか? 何故そんな事を……」

「……こいつは、俺だけの物じゃない。みんなの願いが……祈りが詰まってる。俺は、どうなったっていい。だけど……こいつを消させる事だけは、絶対に許さない」


 剣を抜いたレイジの口からは言葉と同時に次々に血が溢れ出す。だがそれもやがて収まった。精霊器に宿ったギドの茨が体の内側を縫い回り、傷口から溢れて蠢いている。

 レイジはまた片腕で剣を構えた。その眼はまるで諦めていない。理解できないそんな人間の様相に、神は見下すように目を細める。


「理解できませんね。何がそこまでさせるのです? 今更私を倒したところで貴方の願いは何も叶わないというのに」

「……かもな。だけど、あんたが神で居続けるよりはいい。あんたはこの世界を憎んでる。だからこんなバカげたことをするんだ。俺は……俺の願いは、叶わなくたってしょうがない。自分の失敗のツケだ、あきらめだってつく。だけど……この世界は関係ない。この世界に生きる人たちには、まだ未来も希望もある。それを摘み取る権利なんて、俺にも……あんたにだって、ない」

「それを貴方が止められるとでも? 所詮借り物の肉体に精神を宿らせただけの、異世界人の貴方が」

「……本物の肉体じゃないから、まだ生きてる……だろ? だったらせめて勇者らしく……世界を、救うだけだ」


 駆け出した勇者を前に神は片手の中に消滅の光を生み出す。

 レイジの肉体は本物ではなく、神が異世界から召喚した精神を定着させる為の模造品に過ぎない。故に神の権能で消去する事が可能なのだ。

 放たれた光弾が爆発し衝撃波を放つ。レイジはその光を雷の速さで回避。迂回して一気にロギアへと迫る。

 防御できないとわかっていればよければ良いだけの事。黒い光を纏った斬撃をロギアは壁を生み出して防ぐが、それごと切り裂きレイジは突き進む。


「おぉおおおおっ!!」

「……全く、人間という生き物は……愚かな!」


 次々に繰り出される剣の嵐を片っ端から茨で弾き逸らしレイジは迫る。刃の一撃がロギアの頬をかすめ、ついに血を流した神は目を見開き怒りを露わにする。

 浮かべた剣すべてに虚幻の力を付与し、白く光を帯びた矢と成して放った。レイジに四方八方から迫る消失の雨は雷になってもかわし続ける事はできない。


「出来損ないの創作物に用はありません。何もせずただ滅びを待っていれば生き永らえられたものを……哀れな」


 命中すれば死を免れられない剣の攻撃は雷化したとしても接触すれば体を消されてしまう。いかに茨の力で命を繋いだとしても、完全に消失してしまえばかりそめの肉体は消え去り、そこに宿ったレイジの精神も消滅するだろう。

 あまりの猛攻に一切反撃もできず逃げ回り、しかしそれでもまだあきらめない。そんなレイジの姿に業を煮やしたのか、ロギアが次に矛先を向けたのはオリヴィアであった。


「貴方はこの世界を守りたいようですが……王が死ねばこの世界は滅ぶ。幸いこの世界に見初められ完全に覚醒したのはその女王一人だけ。では、彼女を殺しても同じこと……未来は絶たれる」

「させ……るかよぉおおおおっ!!」


 オリヴィア目がけ放たれた光弾。少女を遠ざけようと少年は疾走するが、救助には間に合わない。

 結局また同じことの繰り返しだ。光弾の爆発からオリヴィアを突き飛ばしてかばい、その背中に衝撃を受ける。マトイの逸らす力を付与された茨でもそれらを消す事はできない。

 茨が一気に消え去り、レイジの背中がえぐれる。その痛みをこらえ振り返った少年へ同時に多数の剣が降り注いだ。

 一瞬でレイジの体を剣が貫く。少年は両腕を広げ、少女をかばう形で死を全身に浴びていた。それでも倒れないレイジへ、駄目押しにと槍が放たれる。

 槍はレイジの片足を切断し、その体を結晶の大地の上に投げ出した。夥しい量の血が流れ、それでも少年は立ち上がろうと歯を食いしばる。


「レイジ様っ!!」

「オリ……ヴィア……」


 涙を流しながら駆け寄るオリヴィア。その体が横から突き刺された槍を受け吹っ飛んで視界から消えるのをレイジは呆然と眺める事しかできなかった。

 震えながらゆっくりと首を動かすと、視線の先でオリヴィアがぐったりと倒れこんでいる。その体に刺さった槍が持つ消失の力は作用していなかったが、太い槍が胸を貫けば、人間は死んでしまう。


「あ……ああああ……っ」


 広がっていく赤い血の色だけが瞳に焼き付いて離れない。世界の全てが真っ暗になっていく。

 もうロギアの笑い声もアンヘルの呼び声も聞こえない。少年はそれでも尚立ち上がろうとし、しかしそのための足はもうなく、仕方なく這ってオリヴィアへ近づいていく。


「オリヴィア……オリヴィア……!」


 ――あの時と、同じだ。

 あの竜がミサキを殺した時も、こうやってただ見ている事しかできなかった。

 あの時もそうだ。マトイが殺された時も、自分はただ見ていただけだ。

 今度こそ救うと誓ったのに。そのために強くなったのに。なぜこんなにもあっさりと、何もかもが零れ落ちていくのか――。


「レイジ……さ、ま……」

「オリヴィア……しっかりするんだ。今、手当てをする……精霊器の力があれば……」


 しかし精霊器は応えない。クラガノの回復能力も茨の寄生能力も作動しないのだ。

 虚幻魔法のあおりを受けた今、精霊器が保有する魔力は極限まで低下しつつあった。レイジのMPが殆ど無尽蔵と言っても、それをゼロにしてしまうのが虚幻魔法なのだ。

 もう何の能力も発揮しない。うんともすんとも応えなくなった剣にレイジは目を見開き、血がにじむほど強く握りしめる。


「なんでだよ……。なんでだよっ! 応えてくれよ……。ミサキ……クラガノ……! ギド! マトイッ!!」


 軽く剣を振ってみても応答はない。剣の刀身にぴしりと亀裂が走り、力が消えていくのを感じた。


「嫌だ……諦めるのは……嫌だ……。守れないのはもう嫌だ……! 救えないなんて……もう……そんなの……ありかよ……」

「レ、レイジ様……。わ、私……私は……」


 涙を流すレイジの頬に手を伸ばし、オリヴィアはにこりと微笑む。


「だいじょう、ぶ……。きっと……だいじょうぶ……で、す」

「オリヴィア……」

「私は……しあわせ、でした。皆さんと一緒に……いきて、こられて。皆さんのおかげで……おかげ、で」


 途端に口から血を吐き、手から力が抜ける。オリヴィアの目にはもうレイジの顔は見えていなかった。


「あ……だめ、みたいです。時間がもう……。ああ……だから、その……。ありがとう……レイジ様。だいすき……で……」


 ぱたりと小さな手が落ちて、少女は笑顔のまま動かなくなった。俯いたまま前髪の合間からその最期を見ていたレイジの瞳は血走り、震える手は握りしめた剣をカタカタと鳴らしていた。


「死んだ……? 死んだ……のか? こんな……あっさり……?」


 ――いや、レイジは知っている。死とは唐突なものだと。

 誰にも、何の前触れもなく突然やってきてすべてを奪い去っていく。大切なものも、大切にしたかったものも、何もかもを一瞬にして。


「オリヴィア……起きてくれよ。なあ……オリヴィア……」


 剣を手放し、血まみれの手で少女を抱き起す。槍を引き抜いても少女は痛がりもせず、目端から毀れた涙が血と混じり合い、頬を伝っていく。


「起きてくれ……頼む……お願いだよ……」


 一体何が大丈夫なのかさっぱりわからない。

 あんなにも、あんなにも、この世界を救いたいと願っていたのに。死んでしまえばそれはもう大丈夫ではなくなってしまうと、わかっていたはずなのに。

 それなのにどうしてあんな事を言うのだろう。それは全部自分の為だ。レイジの為に、彼の苦しみを少しでも減らそうと、精一杯強がってついた嘘にすぎない。

 何も大丈夫なんかじゃない。むしろその言葉がこれまでの彼女の思い出を呼び出さまし、痛いくらいにうるさく頭の中でリフレインされる。

 いつも大丈夫だと言って支えてくれた。明るい未来を信じてくれた。傍にいてくれた……。


「俺は君にまだ……なにも……。なんにもしてあげられてないじゃないか……」


 世界は、この世界の成り立ちを認めた。

 この世界に生きる人間の王が、感情に目覚め、罪悪に目覚めた事で、世界の未来は切り開かれると確信したからだ。

 だがそれが完全に人々の中に目覚める前に王は死んだ。ならば世界はどうなる?

 ロギアが再び束縛されている様子はない。人間の街を攻撃する天使を世界が罰する事もない。ならばあとは、この世界が滅んでいくだけだ。

 ロギアの言う通りこの世界が確信と共に眠りについたというのなら、人の世が救われる事はないだろう。いや、元より世界にとって自分の上で生きる命など些細な存在だったのだ。そうでなければ、あんな愚かな繰り返しを起こしたりはしなかったはず。


「俺はまた……失った、のか?」


 守ると決めたものが守れない。何度覚悟して決意してもまた失っていく。

 必死に自分を痛めつけても、努力を重ねても取りこぼしてしまう。なぜ……どうして? 手の届かない場所じゃなかった。目の前に彼女たちはいたのに。

 強くなったはずだ。強くなったはずなのだ。それなのにまた取りこぼす。一体どれだけ重ねれば気が済むのか? どれだけ世界は――悲劇を望むのか。

 もう、自分が神になることもできない。過去をやり直す事もできないし、未来もここで絶たれてしまった。

 勇者たちは何事もなかったかのように異世界に戻る事になるだろう。だがそれがなんだというのだ。そんなことで終わってしまうのか。

 現実の世界に戻ったとして。それからの一生をただ絶望し続けろというのか。何も救えなかった己の無力さを、悔い続けろというのか。


「マスター……」

「俺は……何のために……。俺はいったい……何のためにぃいいいいいいいいいいっ!!」


 情けなくまるで女子供のように空に吼えた。涙が止まらなかった。どれだけ叫んでも泣きじゃくっても後悔は消えない。

 生きている限りただひたすらに続くだろうこの胸が軋む様な痛みとどう付き合っていけばよいのだろうか。もう何も見えない。何もわからなかった。


「強くなったのに! ミサキよりもずっと強くなったのに! なんで守れないんだ……なんで、なんでなんでなんで、なんでぇっ!!」


 拾い上げた剣を胸に抱き寄せる。けれど剣は何も応えてくれない。


「ミサキ……教えてよ。俺はどうすればよかったの? 俺はどうすればみんなを守れたの? わからないんだよ……どうしたらもう何も失わずに済むの? 諦めずに済むの!? 誰でもいい、教えてくれよ……教えてくれよ!! 俺の何が足りなかったんだ!! 俺の何が悪かったんだよぉおおお……っ!!」


 背中を丸めて縋り泣くその姿をアンヘルは痛々しい表情で見つめていた。ロギアも眉を潜め、憐れむように息を吐く。


「分相応な願いを抱くからですよ、救世主。貴方は世界を救って、とっとと消えていればよかったのに。それ以上を望んだりするから……願ったりするから、そうなるのです」

「願う事は……いけない事なのか? 分不相応な願いを抱く事は……許されない事、なのか?」


 ゆっくりと振り返ったレイジの目は赤く輝いていた。ぞくりとする程強い憎しみ、怒り、絶望の感情が渦巻いている。


「だったらもう……俺は何も願わない。ロギア……お前を殺す事以外は……」

「私を殺してどうするのです? 何の解決にもなりませんよ」

「そんな事はどうでもいいんだよ……。もう解決とかそんなことはどうでもいい……ただお前は……死ね」


 ――死ね。何度も口の中で呪の言葉をつぶやき繰り返す。

 死ね、死ね、死ね……。そう重ねる度、全ての思考が真っ黒に染まっていく。

 もう何の光もいらない。希望を願う事が悲しみを招くというのなら、もう何もかも要らない。

 ただ一人でいい。その先とかこれまでなんて事は全部どうでもいい。ただ目の前の相手が憎い。殺したい。ただそれだけの純粋な願望で構わない。


「殺してやる……」


 この身の全てを投げ打っても構わない。


「殺してやる――ッ!!」


 そう胸に誓った時、レイジが手にしていた剣がどろりと溶け出し、まるで真っ黒なコールタールのようになって足元に滴り始めた。

 影は沼となりレイジの体を這う。これまで胸に抱き、しかし希望でかき消してきたどす黒い感情の全てが、その枷を放たれたようにレイジを飲み込んで行く。


「……何ですか、それは?」


 闇はすっかりとレイジの体を覆い尽くした。切断された箇所にも闇を継ぎ、少年であったはずのそれは今や黒い怪物と化した。

 獣のように四本足で立ち、唸り声を上げる。その赤く光る眼差しはただ殺意だけを放っていた。


「無駄な努力を……」


 獣のような咆哮は迫力だけではなく、薄気味悪い悲鳴のようにも感じられた。眉を潜め、神は掌に光を集める。


「言葉さえも取りこぼしましたか」


 放たれた虚幻魔法を前に正面から影を突き進んでいく。そうしてその爆発の直撃を受け――それを突き抜け、神へと飛びかかった。

 驚く間もなく片腕で顔を掴まれそのまま大地へと叩きつけられる。ぐしゃりとくぼんだ大地から遅れて血が吹き出し、ロギアは目を見開く。

 ありえない事だ。虚幻魔法はロギアが権限を有する創作物を一撃でなかったことにする魔法。かすっただけならばともかく爆心地に居れば消滅は必至。それどころかこの怪物は傷一つ負っていないではないか。

 虚幻魔法が効いていないのだとすれば、それはこの怪物の存在権をロギアが有していないという事、すなわち古い神が生み出した物であるという事になる。

 だがそんなはずはない。この怪物は精霊器から生じたもののはずだ。古い神は精霊器というもの自体作ってはいない。このシステムはロギアのオリジナルのはず――。

 抑え込んだロギアの体に間髪入れずに拳を振り下ろす怪物。ロギアは地面から槍を生み出し怪物を貫き、その隙にゼロ距離から虚幻魔法を再度直撃させる。衝撃で怪物は吹っ飛んだが、やはり無傷で着地した。


「ありえない……」


 思案する。相手の正体が理解できない薄気味悪さを払しょくしなければ、落ち着いて攻撃もできない。

 そうして冷静に推測を重ねた結果、神は一つの結論にたどり着いた。

 自分の創作物でも古き神の創作物でもないとしたら、残るは一つ。考えてみれば単純な話だ。


「まさか……“世界”が自らの意思で望んで作り出した物……だとでもいうのですか?」


 前例は一つだけある。それは自らの死を願う怪物、“魔物”。

 魔物だけは神が作り出した物ではない。世界が何かを変えたいと願った結果生み出された怪物なのだ。それらの願いは須らく変化という最終結論を引き起こす為の壊死である。

 怪物の頭部がぐにゃりと変形し、そこからふたつ新たに腕が突き出した。耳に見えない事もないそれを振るい、怪物はニタリと赤い眼を歪ませた。

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なつかしいやつです。
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