決戦(4)
「……レイジ君、ミユキさん!」
まどろみの塔内部のエレベーターホールにて休んでいたレイジとミユキが同時に顔を上げたのは、目の前に勇者連盟のワタヌキが転送されてきたからだ。
それはつまり、全ての勇者がログインを開始したという事。そしてこのログインを最後に、勇者たちは魔王に決戦を挑む段取りであった。
ゆっくりと立ち上がり、ミユキは振り返る。その視界に収まったレイジとアンヘル、そして出立を見守る為にやってきていたオリヴィアを順繰りに見つめ、少女はその手に白い翼の精霊を召喚する。
「作戦開始時間ッス! これ、選別ッス!」
魔力を使ってパンデモニウムまで到達せねばならないミユキこそ、ワタヌキの料理で魔力を補給する必要があるというのがJJの判断だった。そしてワタヌキは戦闘には参加できない支援タイプ。ミユキを目途にログインし、伝達役として採用されたのだ。
「自分に出来る事はここまでッスけど……皆の事、よろしく頼むッス」
「勿論です。では……」
白い翼を弓と成し、少女は優しげな笑みを浮かべた。それは自分を見送る者達に対する精いっぱいの強がりであり、唯一の誠意だと知ったから。
「篠原深雪、行ってきます」
「ミユキ……必ずご無事で!」
胸に手を当て鼓舞するオリヴィアの声にミユキは小さく拳を作って見せる。少女はまるで舞うように壁に向かって跳躍すると、足元を停止の氷で固定、離脱跳躍を繰り返し、あっという間に塔の上まで姿を消してしまった。最早エレベーターを待つよりこの方が何倍も速いのだ。
「レイジ様……ミユキはミサキ様の顔をした魔王を倒せるでしょうか……?」
「わからない。けど、彼女だって随分と変わったんだ。今だからこそ、姉の姿をしたものと対峙する事が出来るのかもしれないけれど……やっぱり心配だから俺も行くよ。アンヘル、俺を抱えてパンデモニウムまで飛べるね?」
「時間と労力はかかりますが、可能でございます。マスター、早速」
光の翼を構築し、両腕もそれに倣って広げるアンヘル。だがレイジは躊躇した。
「なにその全力でハグするポーズ……」
「しっかりと抱きかかえなければ落としてしまう可能性がありますが……」
「それはそうなんだけど……。オリヴィア、君はワタヌキと一緒にここから離れておいて。これから何が起こるかわからないからね」
レイジの言葉に素直に頷くオリヴィア。だがその瞳は不安で一杯だった。
レイジもミユキも……否。全ての勇者がオリヴィアにとってはもう他人ではない。親しく、尊く、大切な仲間たちだ。世界の垣根でもその想いを留める事は出来ない。だから少女は当たり前のように彼らを信じ、そしてその背中に祈る。
「どうか……どうか、ご無事で……」
ワタヌキに手を引かれ塔を後にするオリヴィア。アンヘルとレイジはその姿を並んで見下ろすと、いざ出発……ではなく、ハグの準備をしていたアンヘルの背中を押し、塔の中央にあるエレベーター装置の上へと移動させた。
「ここから飛んでたら疲れるだろ。飛ぶのは頂上についてから……って、あれ?」
先程まで当たり前に動く気配を見せていたエレベーターが途端にうんともすんとも言わなくなった。慌てるレイジ。しかしすぐにその疑問は払しょくされる。
「エレベーターは動かないよ。そいつは僕の許可がなければ反応しないからね」
頭上からの声に顔を上げると、そこには翼を広げゆっくりと降下するノウンの姿があった。彼女もまた翼を持つ者、天使の一種である。ならば不思議な事もない。
「許可しないって……どういう事だよ? ここ数日何回も往復させてくれただろ?」
「特に問題がない往来ならば阻止する謂れもないけれどね。今回は創造主きっての願いなものだからね……ほら、理由なら直接訪ねるといい」
指先で肩を叩かれる軽い感触に振り返ると、そこにはいつの間にか仮面をつけた神の姿があった。光のヴェールを幾重にも纏った女はうっすらと口元を緩ませ、レイジに顔を近づけている。
「……ロ、ロギア!? ど、どうしてこのタイミングで……!?」
「驚くほどの事ではないでしょう、救世主? この世界は今日、勇者と魔王の激突により終止符を打つのです。今を逃して貴方と言葉を交わせる時はもうないでしょうから」
背後に跳んで距離を取るレイジ。同時にアンヘルも付き従うようにふわりと浮かび、距離を置いた。レイジとアンヘル、そしてロギアとノウン。四人はそれぞれの立場に寄り添い、対峙する。
「出来損ないの天使……まだこの世界に存続していたのですね。目障りですが、まあよいでしょう。今の私は機嫌がよいのです。間もなくすべてが光の中に完結する……天使の一匹や二匹、結末にとっては些末な事」
「さっきから随分な言い様じゃないか。もう負けたつもりでいるのか?」
「負けた? ……何の話をしているのです?」
「俺達勇者が魔王を倒せばあんたの負け…………じゃ、ないのか……?」
声色を変え、不安げに眉を潜めるレイジ。
そう、どことなく気づいていたのだ。先日のカイザーと名乗るバウンサーの言葉……いや、それまでもヒントは沢山あった。
黒須惣助とロギアが一枚岩ではない事、“遠藤の裏切り”や、この精霊封じの鎖……。この世界の物語は間違いなく勇者と魔王による戦いで刻まれてきた。だがそれが神にとってさほど重要な意味を持たないのではないか? その疑問はかねてから燻っていた事だ。
「勿体ぶる必要もありませんね。ここまで来た以上、貴方には真実を知る権利があるのかもしれません。ええ……そうですね。この世界を救済した貴方にだけは……」
そっと仮面に手をやり、素顔を晒すロギア。それは何度見てもやはりアンヘルと……そしてノウンと全く同じものだ。ロギアはゆっくりと歩き出した。そんな彼女が向かったのは塔の外……結晶化した森が広がる静かな空間だった。
「レイジ様……」
「わかってる……けど、今俺が上に行っても出来る事は少ない。だったらここで引き出せるだけ情報を引き出す」
無言で頷くアンヘルを率いて後に続くレイジ。ロギアは青空をじっと見上げていた。その横顔はアンヘル瓜二つで、まるで作り物の様に美しい。凡そ女性として考え得る限り理想的な造形美は、彫像のような……伝承に登場する女神のようですらある。頭まですっぽりと覆っていたヴェールを取り払い、ローブを脱ぐと長い銀色の髪が露わになる。こうしてようやくレイジはロギアを神としてではなく、一人の人間としてとらえる事が出来るようになった気がした。それも計算通りなのだとしたら、大した人心掌握術だとも思う。
「一つ、よい知らせを伝えましょう。救世主レイジ……貴方の仲間達は今日、魔王を討ち滅ぼしこの世界から解き放たれるでしょう」
「え……!? それは……どういう……」
なぜ断言できるのか。確かに今の勇者たちならば倒せるかもしれない。倒すつもりで挑んでいる。だがその確信など誰にも得られる筈がないのだ。勇者たちは勿論、それは神でも同じことの筈。だが女はニコリと笑い。
「魔王の力は今、極限まで衰えています。あれはもう、王の抜け殻……。魔の受け皿としての役割を完遂し、誰が何をしなくても自壊を果たす運命なのです」
天空城の下層、目立たぬ位置から侵入を果たしたのも段取り通りだった。
JJ達は全員上空からパンデモニウムに突入する。だからこそ目立つし、直ぐにバウンサーの迎撃を受けるだろう。ミユキの存在はバウンサーも承知の上だろうが、下方にまで目を割く余力はないと予想されていた。それは的中していたし、そうでなかったならば上空から落下したメンバーの突入が楽になると言うだけの事だったが。
城の周囲を回転するサークルのような通路の上に立ったミユキはその流れに従って城の裏側を目指す。前回上空からの様子を大雑把に把握していたJJによれば、一応この城には正面と裏がある。そして前回主な戦闘が繰り広げられた城前の広場は正面側にあり、JJ達はそこを目指して落下する手筈になっていた。
ならば背面から突入するのが最もローリスクなのは考えるまでもない。ミユキは途中で回転板から飛び降り、空中に足場を作って跳躍。城の背面下部が損傷しているのもJJがアンヘルと共に飛行で近づいて検証済み。後は損傷部位から城の地下に潜りこむ。裏門と呼べるルートは存在しなかったが、これならば不正規な方法で侵入が可能だ。
周囲を警戒しつつ暫く走ると、レイジが閉じ込められていた牢獄の前を通過した。目についた階段を駆け上がると外周に突き出た幾つかの通路のうちの一つに出る。そこは分厚い雲が入り込む視界の悪い場所だったが、広場での戦闘の音は聞こえて来た。
「JJ達は無事に辿り着けたようですね……」
仲間の無事を確認しつつ走り、辿り着いたのは吹き抜けになった螺旋階段のホールであった。敵の姿はないと見て駆け上がるミユキ。そこにきて徐々に不安がこみあげてくる。
ここまで全く敵に遭遇しないなんて。魔物が少しくらい配置されていてもおかしくないはずだ。バウンサーがいたっていいだろう。だがそれもない。
「様子が……おかしい?」
ここにきてようやく無視できない違和感に気づくが、立ち止まる事は出来なかった。罠かもしれないが、そんな事はお構いなしだ。今日ここで全てを終わらせると、そう決めてきたのだから。
階段を駆けあがった先にはいかにもな大きな扉があった。高さ5メートルはある大扉だ。鉄でできている事もあり、ただの少女ならば開く事も出来なかっただろう。ミユキはそれを力任せにこじ開けていく。
ゆっくりと、軋むような音を立てて扉は開かれた。部屋の奥にまで敷き詰められた赤い絨毯はまるで想い人の元へと案内しているかのようだ。ゆっくりと歩くその足音が広い空間に響き渡る。
壁で遮蔽された空間に光は差し込まなかった。それを補うように壁際には松明の炎が揺れていた。優しく迷うような光に照らされ、魔王は眠っていた。ミユキは距離を詰め、そしてその顔を見つめる。姉と同じ顔をした、怪物の顔を。
「――良く来たな、勇者よ。私はてっきり、あの救世主が来る物だとばかり思っていたのだがな……。運命というのは、儘ならぬ物だ。だが、それこそが……そうでこそ……なのだろうな」
息を吐き、鎧の王は立ち上がった。金色の光を炎が鈍く照らしている。不自然に露出した胸元には赤い結晶が淡く光を帯びていた。
「それもまた運命。貴様を歓迎しよう……ミユキ」
「何故……私の名を?」
口から出てしまった言葉に思わず顔をしかめた。
こんな奴と会話をするつもりはなかった。こんな悍ましい化け物と口を利くつもりなんてなかった。こんな、こんな、こんな悪い夢のような怪物と。
姉と同じ声で。大切なあの人の声で。まるで当たり前のように言葉を交わしてしまったら……その全てが想い出を侮辱しているように思えたから。それなのにどうしてまた質問なんてしてしまったのだろう? そんな事、知った所で何も良い事なんてないというのに。
「私の躰には記憶が宿っていた。ミユキ、貴様の姉の記憶だ。貴様との思い出……貴様への想い……私には感じる。痛いほどにな……」
「…………黙れッ! 姉さんを……姉さんはもういない! 姉さんと同じ顔で! 姉さんと同じ声で! あの人を語るなッ!!」
激昂していた――というには少し違っていた。
怒り……ではない。確かに怒りでもある。だがその叫びは自身へ向けられた糾弾に他ならない。どうしても思い出してしまう彼女と、目の前の彼女を重ねる自分。ありもしない理想、都合のいい思い込みに負けそうになる自分への糾弾。
王は穏やかに、しかし確かな疲労を露わに笑った。見れば額には脂汗が浮かんでいる。ただ王座を離れて歩くだけの動作が緩慢で、二年前に見たような驚異的な迫力は鳴りを潜めている。この二年の間に何が起きたのかはわからない。だが目の前の魔王が、今のミユキにはとてもか細い存在に思えた。
「確かに、貴様にとっては目障りなだけであろうな。だが、私も情に流されぬのは難しい。この躰には、ただ愛だけがあった。貴様や、貴様らへの愛……それだけしか残されてはいなかった。記憶も、想いも、何もかもが砂と零れ落ちても、この胸に残された物……それはミサキと呼ばれた救世主の愛だった」
「何を……」
「始めようか、ミユキ。確かに貴様こそこの物語の終わりには相応しいのかもしれぬ。さあ、もう一度終わらせようではないか。漸く私は約束を果たし……使命を終える」
引きずる様にして構えた剣を前に女は微笑む。まるで燃えカスのようだと思った。女に生気はなく、覇気もない。それでも只ならぬ脅威である事に変わりはない。ミユキは迷いを振り払うように精霊器を構え、掌に光の矢を作った。
「魔王が自壊する……? それって、どういう……?」
「言葉通りの意味です。元々、魔王というロールには限界があったのです」
ロギアの言葉が理解出来ず首を傾げるレイジ。だが、確かにそんな話を聞いたことがある気がした。
それはギドからだったか、そのギドの言葉を聞いたJJからだったか。少なくとも魔王はこの世界が終わる度にリセットされる存在だと。だが今ここにきて疑問に思う。
「グリゼルダはリセットを免れていた……? 何故グリゼルダはリセットしなかったんだ?」
「必要がなかったからです。ここにいるノウンもそうですね。ですが、魔王だけは違う。魔王だけは世界をループさせる度に作り直す必要があったのです。それは何故か……? そう、魔王は放っておいても毎回壊れてしまうのです。己の役割の為にね」
背筋がぞくりとした。魔王が……あのミサキの躰が壊れてしまう。それは確かに覚悟の上だったが、不可避の未来として告げられるとまた別の衝撃があった。
「なんなんだ、その魔王の役割って……このゲームは何のためにあったんだ!?」
叫び声に呼応するようにロギアは自らの首に手を当てた。するとそこに先程までは目に見えていなかった白い光の枷が出現したのだ。それは首だけではない。五体にしっかりと巻き付き、鎖でロギアの躰を拘束している。だがその鎖はどこに繋がれているというわけでもない。言うならば中空に浮いているのだ。先端部は目には見えないここではないどこかに通じていて、ロギアの移動と共に追従しているようだった。
「これは世界の呪い……。救世主、貴方にはこれを模した封印を仕掛けてあります」
「呪い……? どういう事だ? なら、あんたも力が使えないんじゃないのか?」
「私が使えなくなっている力は貴方とはまた別の物です。救世主、私もまた貴方と同じ上位世界の住人だったのですよ。尤も、貴方の生きる時代よりも遥かに過去の存在でしょうが」
「ロギアが俺達と同じ……異世界人?」
「私もまた召喚されたのです。貴方達がこの世界に呼び出されたように。下位世界は常に上位世界の導きを欲して生まれてくる。だから私達はこの世界に必要とされているのです。私や救世主、貴方をこの世界に縛り付けているのは他でもない。“この世界自身”なのですよ」
「なら、俺達と同じ……あんたはただの人間だっていうのか……?」
頷き返すロギアにレイジは混乱していた。まさか神本人からこんな話をされると思っていなかったこともあるが、その内容はこれまでの戦いを根本から覆すような重さを持っている……そう確信したからだ。
「異世界から召喚された私は、“世界”の呪縛により神となりました。理解が難しいかもしれませんが、世界とはそういうものなのです。世界の生まれてくる原型となった世界……上位世界。その住人の中から“親”となる者……“神”を見出し召喚する。私はその召喚に囚われ……何年でしょうか。もう時を数える事すら止めてしまいましたが……。きっと、貴方には想像も出来ない程の年月をこの世界で生きてきました。何度も何度も、この世界が繰り返す姿を見つめながら……」
その瞳に宿るのは虚無。神にとってこの世界はただの厄介な存在にすぎなかった。世界は神を束縛し続ける。己が満足するその瞬間まで。
「私はただ……帰りたかった。私が生きたあの時代、あの世界へ……。こちらの世界と上位世界、貴方や私がいた世界の時の流れは違う。それでも何千年もの時が流れたのなら……きっと私の帰るべき場所はもうなくなっているのでしょうね。ええ……間違いなく。それは逆召喚で上位世界に使わせた天使からも聞き及んでいる事です」
ロギア本人は絶対にこの世界から離れる事は出来なかった。だからこそ、逆召喚を使い、一時的にこの世界の存在を上位世界へと飛ばした。これまでのテスターの“後始末”も逆召喚を行えば簡単な事だ。そして、“召喚”を使えば死体を回収する事も、ダイブ装置を回収する事も難しくはない。
「貴方達の暮らす時代には天高く無数の塔が聳え、文明は劇的な進歩を遂げ……。フフフ、私が生業にしていた“詩”も不要になっていると聞きます。そんな世界に私の居場所はもうどこにもない。そう理解していても……私は帰りたかった……」
その声が本当に寂しそうだったから。憎むべき相手である事を忘れ、同情しそうになる。いや、もう同情はしていたのだ。彼女の背景が単純な物ではない事くらい、とっくに理解していたから。
「――この世界は狂っています。貴方は世界のループが人為的な物だと思っていたようですが、それは見当違いです。ループは私が起こしているものではありません。“世界”が望んでふいにしているのです。私はそのループに巻き込まれぬよう、いくつかの物を保持していたに過ぎない。“私”は当然ループの対象外です。私の力の一部を貸し与えている天使や勇者は、ループに巻き込まれなかったようですが」
「世界が……勝手にループしている? ど……どうして?」
「世界が勝手にループする理由……それは、世界の“自死”を望む感情によるものです」
「自死……?」
「この世界はある理由から狂ってしまった。そして勝手に自死とそれを避ける自衛作用であるループを繰り返している……。それこそがこの世界の病、そして狂気の正体。世界は滅びを自ら望み、その滅びを遠ざける為にループし続けている。一度や二度なんて回数ではありません。何十、何百……何千。その間私はずっと抗い続けて来た。“世界を生かす”為に……この無限ループを終わらせる為に」
「ちょ、ちょっと待ってくれ……な、なんだその話? わけがわからない……矛盾してるだろ。死にたがっておいて死を回避して元に戻るって……なんだよそれ……」
混乱しながらアンヘルを見ると、アンヘルもまた話を理解できていない様子だった。これはどうやらアンヘルでさえ初耳の情報だったらしい。それほどまでの核心をここにきて語る理由、それは正に、全てが終わる時以外に他ならない。
「その世界の狂気と俺達の召喚になんの関係があるんだ……?」
「“この世界の中にあるもの”では不可能だったのです。ですから私は変化を求めた。探していたのです。この世界を救い癒す救世主を。その為に私は黒須惣助、あの男と手を組んだ。そして私達はこの世界に手を加えた。さもこれが、神の仕立て上げたゲームであるように。ですが実際の所は全く別。これは私にも管理出来ない史実だったのです」
「でも、あんた達は魔物を操っているじゃないか!? 魔物を使って俺達を襲わせた! だからミユキや、これまで多くの勇者たちが…………っ」
そこでレイジは唖然とする。気づいてしまったからだ。ロギアの表情やこれまでの話で推測が立ってしまった。それならば確かにそう。納得が行く。
「……魔物を操っているのは……神じゃないのか?」
「ええ。私に魔物を操る事は出来ません。操る事自体は試みました。その実験過程で生まれた権能が氷室に貸し与えたコール・オブ・クリーチャーです。しかしあれは既存の魔物を模す能力であり、純粋な意味で魔物を使役しているわけではなかった。だから私達には必要だったのです。“世界の延命”の為……“魔物の王”が」
神は初めに天使を作った。自らを模した事に特に意味はなかった。だが今思えば、自らの力で世界に打ち勝とうと言う意志の表れだったのかもしれない。
天使は魔物と戦う為に必要な力だった。古きループの時代、神は魔物を御する為に天使の軍勢を生み出した。人間よりも強き兵。そして天使に持たせる為にアーティファクトを作り、拠点とする為にアークを建築した。
「魔物は知っての通り人を襲う怪物です。しかし魔物を生み出しているのはこの世界自身。その力の根源は世界の生誕の力にあります。それを御する事は私にも叶わなかった。この世界の人間は魔物に滅ぼされ、人間だけではなくこの星の全てが魔物によって食い荒らされる宿命だったのです。無論、人間に抗う力がない事はご存じですね?」
「……ああ。人間だけで魔物に勝つことは出来ない。当然の事だ」
「ですから私は天使を作りました。人を救い守る兵士です。これは私が権能の力で後付けで作った設定です。アーティファクトもアークもそう。だからループに巻き込まれず、当時の遺物が残っているのです。しかし、私の力で作れる天使の兵はせいぜい五百万体程度が限度。それではこの世界の自死の力を留める事は出来なかった」
「アンヘルが五百万人いてもダメだったのか……!?」
「ええ。今貴方達が戦っている魔物は世界の全力ではありません。本気で死に始めた世界の暴れ方は想像を絶します。黒き魔の力は大地を砕き、天高く舞い上がり、炎となって全てを飲み込んでいく。まるで津波の様に大陸の端から端まで、数える事もままならぬ夥しい数の魔物が雪崩れ込み……全てを消し去っていく……」
それは世界の歴史に残されないリセットされた世界の歴史。数百万の天使が、億の魔物に薙ぎ払われて行く。その圧倒的な絶望を前に、ロギアは繰り返し繰り返し“死”と戦い続けて来た。
「……しかし、ついに勝利する事は叶わなかった。私はこの世界に思いつく限りのありとあらゆる慈悲を投げかけました。人を変えようとしました。ですがこの世界は、人は神の存在を疑おうともしなかった……! 私がどんなに助けを求めても……悲鳴を上げても……誰一人、誰一人……人間らしい返事を返してくれる事等なかった……っ」
肩を震わせながら歯軋りするロギア。その背中をレイジは見つめる事しか出来ない。
一体どれだけの年月、世界の呪いを受け続けて来たのだろう。どうすればその狂気の中で狂わずに居られると言うのだろう。気の遠くなるようなただ死に続けるだけの世界の記憶の中で、ロギアがどれだけの心を取りこぼしてきたのか……想像すらも出来ない。
「……魔王というシステムを提案したのは黒須でした。私は彼によって救われた。彼は自らは救世主ではないと言いましたが……私は彼こそがそれだと思っていました。彼は世界の自死を食い止める為、それを制御する者を生み出そうと言いました。神である私のいう事は聞かない。けれど、後付けの設定とは言え、魔物の中に王を、管理者を作ろうという発想は驚異的でした。私は彼と協力し、魔物を従える能力を持つ天使を作り出した」
「それが……魔王?」
「露骨にそうとはできません。世界の不信を買えば台無しになる。だからこそ、魔王には魔物としての自覚が必要でした。あれは本気で世界を滅ぼそうとしている。ただし、緩やかに……時間を引き延ばして。世界を滅ぼすという魔物としての方向性は消す事が出来ない。だから世界の意志に沿ったまま、そのままで緩慢に動く必要があった。ですがその効果は絶大でした。本来ならばこの時に至るまでに人の大地など燃え尽きていたでしょう。あれは魔物を抑えるリミッターだったのです。ですが、滅びの時は世界の史実に合わせなければならない」
「それが……今……なのか?」
「ええ。ですから言ったのです。これでもう終わりだと――と」
振り返り、安らかな笑顔で呟いたロギアにレイジは返す言葉を失っていた。
滅びの時は避けられない。だからそれまでリミッターをかけ、世界の滅亡を穏やかにさせる。その言葉が真実であるのなら、それは恐ろしい未来を意味していた。
「――滅ぶというのですか? この世界が……今日」
その声は物陰から聞こえて来た。飛び出してきたのはオリヴィアとその傍で焦った様子のワタヌキの二人だ。レイジは慌ててオリヴィアへ駆け寄る。
「オリヴィア……どうして!?」
「帰ろうとしたのですが、何か良くない胸騒ぎがして……心配で戻ってきたのです。そしたら……ごめんなさい。けれど、盗み聞きのお叱りは後程……」
オリヴィアは凛とした表情で神と対峙する。神と人はようやく邂逅を果たした。そして少女は神へと問う。自らが信じ、敬い続けて来た偶像へと。
「この世界が滅ぶというのなら……教えてください、神よ。あなた様はなぜこのような残酷な世界を作ったのですか? なぜ……誰もが幸福に、穏やかに生きられぬ世界を作ったのです!? なぜ……当たり前の未来さえも与えられる! 明日も生きられぬ我らを作りたもうたのですっ!? なんの希望さえもない命ならば……なぜっ!!」
オリヴィアの頬を一筋の涙が伝う。それは理不尽な宿命を呪う絶叫であった。感情に満ち満ちたこの少女でさえ滅多に上げる事がない大声で叫んだ。不幸を。不遇を。だがそれに対する神の答えは、また予想を裏切るものであった。
「それは私の意図した事ではありません。なぜならば――この世界の基礎を作ったのは、私ではないからです」
「……えっ?」
「この世界には、“二人”の神がいました」
唖然とするオリヴィア。ロギアは目を細め、少女の涙を見つめる。その瞳には何故か憎悪にも似たどす黒い感情が渦巻いているようだった。




