代償(1)
「――こんばんは。お隣、いいかな?」
そこからは世界の広さを間近に感じられた。バウンサーの住まう城。魔を総べる者達の砦。外周をぐるりと囲うように作られた回廊には規則正しく並んだ柱が月光を浴びて影を伸ばしている。その中の一つの傍らに腰掛け、イオは風に目を細めていた。
どこまでも続く空。無限大に広がる世界。雲で作られた海の上、ただ静寂だけが彩を添えている。少女の隣に並んだ男は両手をズボンのポケットにねじ込んだまま、小さな声でつぶやいた。
「イオ……ちゃんだったかな。君はどうしてバウンサーになったんだい?」
「……別になんだっていいだろ。むしろその質問はこっちの方がしたいくらいだ。そっくりそのまま同じ言葉を返すぜ。お前……どうして裏切ったんだ?」
遠藤と呼ばれるその男がこの場所に立っている事、それがすべての答えだった。彼はバウンサーではなかったし、今もそのはずだった。それがこうしてまるで仲間の様に気安く声をかけてくる……それがどうしてもイオには納得できない事だった。
なぜかはわからない。そもそもイオにとってこの男が何をしようが関係のない筈だった。筈だったのだが……いつしかイオは“彼ら”に特別な想いを抱くようになっていたから。自然と浮かび上がる感情が不信、何より怒りに近いものである事を、いい加減少女も認めざるを得ない局面に立たされていた。だから問うのだ。
「どうして仲間を裏切ったんだ」
「仲間……か。僕にはもったいない言葉だね。嘘吐きの、薄汚い大人には」
「はぐらかすな! ガキだと思って馬鹿にして!」
「本当の事を語るのが常に良いとは限らないよ。本当の事なんて……知ってしまったら嫌な思いをする事の方が多いんだ。だから僕は、出来るだけ嘘を吐いたままでいたい」
歯ぎしりをしながら立ち上がり、少女は男と向き合う。そうさせるのが男の目的だったのかもしれない。まんまとご要望通り相対したのか、それも最早どうでもよかった。少女はただ男をにらみつける。
「……よかった。こうして間近で確認して、改めて認識した」
「何がだ」
「君をずっと探していたんだよ。中島葵さん」
驚きを隠せないのも無理はなかった。この世界には、その名前から逃れるために来たようなものだったから。きっと自分の事を知っているのは黒須だけ……そう思っていたのに。それがまるで無関係であるはずの男の口から飛び出した時、少女は何かを悟った。
「まさか……そうなのか? あたしを探すため……そのためだけに、このゲームに……?」
「そういう仕事だったからね」
「……それで、裏切ったのか? バウンサー側にいる私と接触する為に……!?」
「それが効率的だと思ったからね」
「だから撃ったのか……レイジを……仲間を……」
目を逸らしながら力なくつぶやいた言葉に特に深い意味はない筈だった。しかし少女の理想とは裏腹にその胸中は混沌としていた。
ただ逃げる為に、自由である為にここへ来た。そこでずっと自分が切り捨ててきたものを、自分が無関係だと感じていたものを見ていた。そう、ずっと見ていたのだ。この世界で起きた様々な事を、バウンサーの……黒須宗助の友人としての権利を使って。
「あんたがレイジを連れてきたって話はもうバウンサーで知らない奴はいないよ。レイジ向こうの最高戦力だった。それが抜けた今、バウンサーは圧倒的に有利になった」
「そうだね。このままいけば、NPCも彼らも全滅……死ぬしかないだろうね。魔王は強すぎる。レイジ君だって危ないくらいなのに、勝てるわけがない」
「だったら……どうして! 死ぬと分かっていて……見捨てたのか!?」
「僕からも逆に問わせてほしい。どうして君はさっきから、そんなに苛立っているんだい? そんなに……悲しそうな顔をしているのかな?」
「それは……っ」
それは……何故だ? いや、本当は考えるまでもない事なのだ。
ただ、空しかった。ただただ、虚しかった。一人ぼっちで生きていく事が辛くて、何もかもにすっかり絶望してしまって、考える事を手放し、自暴自棄に黒須の救いに乗ってしまった。そこから随分と身勝手に振る舞ってきたけれど、心が自由になることはなかった。
「レイジ君は本当にすごい子だよ。いや、すごい子になった。この世界に来るまではごく普通の高校生だったんだ。そして彼がここに来たのも君と同じ。うまくいかない現実、思い通りにならない世界……自分自身の不甲斐なさから逃れる為さ。そうとも、彼らは逃げる為にゲームに飛び込んだんだ。君と同じようにね」
「……違う……」
「そうさ、彼らは君とは違う。レイジ君はこの世界の現実と向き合おうとした。人の命と、死と、尊さと軽んじられた罪の狭間で足掻き、いちいち向き合い、ぼろぼろになりながらも答えを探し求める事だけは決してあきらめようとしなかった」
顔面蒼白に話を聞きながら俯くイオ。その震える小さな肩を掴み、遠藤は強引に身を寄せる。そうして少女の顔を冷静に、しかし厳しく覗き込んだ。
「本当はもう、怖くなっているんだろう? 自分が無責任にしてきた事の罪の重さに」
「ち……違う……」
「本当はもう、わかっているんだろう? こんな事を続けても何の意味もないのだと」
「あっ、あたしは……」
「現実に帰るんだ。そして君は君のいるべき場所で、きちんと自分と向き合うんだ」
「あたしに……あたしに帰る場所なんかあるかっ!」
遠藤を振り払い飛び退くイオ。その体を鋼鉄の精霊器が包み込む。一瞬で遠藤を見下ろすような巨体に変貌したイオは遠藤に片手で掴みかかった。
『私は強くなったんだ! この世界にいる限りは許される! どこにいても、何をしても、何を望む事でも……! 黒須が守ってくれる! 私の居場所をっ!』
「その力は君のものじゃない。君はただ与えられた玩具で遊んでいるだけだ」
『ああそうだよ、与えられただけだ! でもそれに縋るのはいけない事なの!? あたしは……あたしには何もなかった! 何も、何一つ、私にはなかったんだ! だったらいいじゃないか、遊んだって! いいじゃないか、自分に都合のいい世界に逃げ込んだって!』
――望みは、本当にささやかだった。
強く思い描かなくたって、当たり前に皆が持っている物がほしかっただけだ。
けれどその願いはとうとう叶えられないまま。嘆く事も欲する事も妬む事もしなくなり、何もしない事こそが唯一の救いであると、そう思い込んで生きてきた。
『現実なんてただ辛いだけだ。だったら……だったら、あたしは……!』
「――こんな時に仲間割れですか? イオ、遠藤」
にらみ合う二人は第三者から声がかかっても視線を向けるだけであった。あきれた様子で二人に歩み寄った氷室は眼鏡のブリッジを押し上げながら小さく息を吐く。
「緊急事態です。こんな所でもめ事を起こしている場合ではありませんよ」
「緊急事態……ということは、もしかして?」
「ええ。“敵襲”です。地上から勇者が接近しています。ここ――天空城パンデモニウムにね」
――この世界は、“地球”のような球状ではない。
いくつかの大陸が折り重なるようにして浮遊する、それがこの世界の大地の定義だ。ならば世界の広がりは横だけではなく、縦に向かっていてもなんら不思議な事はない。
天空城パンデモニウム、それが魔王の住まう城塞の名であった。中央大陸と北大陸との間、中空に漂う巨大な城。そこへ突き進むミユキの姿があった。
ミユキは空中に向かって矢を放つ。すると矢から溢れた青白い光が空に氷の柱を作っていく。そこへ向かって大きく跳躍したのは、精霊器ライカンスロープの力で魔人形態に変貌を遂げたファングである。ミユキはそのファングの背に乗り、空中から空中へと移動を繰り返していた。
「見えた……あれがパンデモニウム」
巨大な結晶の大地の上に、アークと同じ材質で作られた城が見える。遥か上空、雲の中に見え隠れする城までの距離感は掴みづらい。が、ここまでくれば最早辿り着いたも同然。ミユキは目を細め、再び城めがけて矢を放った。
作られた氷のアーチの上を跳躍し、城へと向かうファング。その後方から光の翼を広げたアンヘルが追従する。一息に何百メートルもの距離を稼ぐファングの高速移動にアンヘルはついていくのがやっとで、自在な飛行能力があってようやく同行が可能になる有様だった。
「氷の能力でこんな上空にまで舞い上がるとは、驚きでやんす」
『……まったくだな。この氷、砕ける様子もないが……』
「私の能力は厳密には“氷結”ではなく“停止”ですから」
青白く輝く光の結晶。氷結とは即ち分子運動を停止させる能力であるが、何もミユキが停止させられるものは分子だけではないのだ。
“流れ続けるもの”ならばありとあらゆるものを停止させる事が出来る。そんな彼女にとって空間を切り取って停止させることはそう難しくはなかった。流動する事をやめ固定化された空間は足場として十分な強度を持ち、勇者の全力で放たれた矢は一切障害の存在しないこの空に置いて、一射で数キロの距離を稼ぐ。
「とは言え停止させられる領域には限度がありますから、帰り道はもうありませんよ」
空に伸びる氷の道は渡ったところから崩れ去っていく。そう、これは片道のみの移動手段。パンデモニウムに潜入した後、彼らが無事に脱出出来る可能性は低かった。
『元より承知の上だ。それより、どこから侵入する……?』
「パンデモニウムには幾つかの出入口がありますが……」
「――決まっています。正面突破です」
ミユキの声に二人が顔を向ける。少女は冷静に、しかし怒りを露わに目を細める。
「もういい加減こんなゲームに振り回されるのはうんざりなんです。私を守ると言っていなくなったあの人たちのいいつけを守る必要もなくなりましたから。もう後は……私の勝手です」
最愛の姉も、その姉の力と意志を継いだ少年もいなくなった。ミユキはその両方をただ手ぐすね引いてみていただけであった。
守りたかった。少女とて守りたかったのだ。だがそれは最早叶わない。それでもまだ少しでも可能性が残っているというのなら……。
最後の矢を放ち、停止した空間の上を駆け抜けるファング。雲を突き抜ける大跳躍の後、白く煙る海の上に聳える天空の城へと降り立った。ミユキはその背から飛び降り、パンデモニウムを正面から見据える。
「……ここに魔王……姉さんが」
「裏切り者の遠藤、そして生きているのならマスターもここに囚われている筈です」
『生かしておくか? あそこまで強力に進化したレイジを』
「ロギアにはマスターを殺したくない理由があります。確率は五分五分だとは思いますが、或いは……」
「そんな事は、中に入ってみればわかる事ですよ」
長い黒髪をふわりとかき上げ、弓を片手に少女は歩き出す。その視線に怯えはない。ただ一つ、やると決めた事をやり通す決意だけが満ちている。
「清算させてもらいますよ。これまでのツケを」
三人の行く手を阻むかのように大地から無数の黒い影が浮き上がる。大量の魔物の出現にもミユキは一切動じる事はなく、ただ冷静に掌に矢を作り出し構えた。
「……くそっ、この鎖さえ何とか出来れば……っ」
レイジの身体を椅子に括り付ける鎖はさほど強力に彼の身体に食い込んではいなかったが、ただゆるくまかれている、それだけで精霊器の力を押さえつける力を有していた。勇者は精霊器を顕現させその力の恩恵を受けて初めて異能を発揮する。鎖があるからここから脱出出来ないのだが、それは裏を返せば鎖さえ何とかすれば脱出可能であるという意味でもあった。
何とかならないかと必死で悪あがきを繰り返してみるも、身体に力が全く入らない。結局ぐらぐらと揺れた椅子が勢い余って転倒し、頬を冷たい床にぶつけて深々と溜息をついた時であった。扉が開く音と共に、この牢獄に何者かが侵入してきたのがわかった。
「……まさか……遠藤さん?」
しかし姿を見せたのは予想とは異なる人物であった。期待が外れた事に落胆を隠せないレイジであったが、侵入者の異様な外見に思わず二度見する。
そこに居たのはまるで特撮ヒーローのような外見をした長身の男であった。顔はマスクで隠れているのでわからないが、顔とかそういう事以前に何を考えているのかさっぱりわからなかった。唖然としているレイジの前、鉄格子の向こうに立った男はゆっくりと腰を落とし、レイジと視線の高さを合わせて声をかけた。
『やあ。君が織原礼司君だね。思ったより元気そうだ』
「ゲームの世界なのに俺の本名は知られ過ぎじゃないか……?」
『仕方ない事だよ。今となっては君を中心に物語は回り始めているのだからね。俺の名前はカイザー……本名は秘密とさせてもらおうか。この城にいるのだからお察しだと思うが、バウンサーだよ。レイジ……君を助けに来た』
どうにもその自己紹介と最後のセリフが一致していないものだから、レイジはまた二度見する。目を白黒させるその目の前でカイザーと名乗った男は鉄格子を蹴破り、レイジの身体を押さえつけていた椅子の方を粉砕した。そして腕と鎖の間に挟まっていた先程まで椅子の形をしていた木の棒を強引に引き抜き、レイジを立たせその身体に付着していた埃を叩き落とした。
『鎖は見ての通り、身体に“縛られて”いなくても君の力を奪い続けるだろう。まあ要するに君はまだ能力を封印された状態だって事だ。今の君はリアルの君となんら変わらない力しか持たないから、無茶は禁物だよ』
「い、や……? どうして……助けてくれたんですか? バウンサー……でしょ?」
『理由は二つある。一つは“頼まれたから”。もう一つは、それが“俺の仕事”だから。細かい事は気にしない方がいいぜ。なんたって、君は今手段を選べるような立場じゃない。利用できるものはすべて利用するべきだろ? 例えそれが、罠だとしても』
仮面の目元にあるスリットが赤く光を零す。どうにも怪しすぎるバウンサーの言葉だが、それは確かに事実である。今のレイジには何もかもが不足している。こんな千載一遇のチャンス、絶対に逃すわけにはいかない。例えそれがカイザーの言う通り、なんらかの裏を秘めていたとしても。
「……確かにあなたの言う通りだ。俺には手段を選んでいる余裕なんかない。ただ目的を果たせれば……後の事はどうだっていい」
『その意気だ。実は今、表に君の仲間が迎えに来ている。もしも君がこのパンデモニウムから脱出できる機会があるとすれば今を置いて他にはないだろうぜ』
「……どうして……とは聞きません。ありがとうございます、カイザーさん!」
『いいね、その返事。途中までだが、道中案内してやるよ。この城はお察しの通りかなり複雑な構造をしているからな。ただまあ、俺にも色々事情がある。他のバウンサーやロギアに見つかったらまずいから、途中までだけどね』
右手を差し伸べるカイザー。レイジは迷わずその手を取った。次の瞬間カイザーはレイジの腕を引っ張り持ち上げ、抱きかかえるようにして牢獄から走り出した。その速力は精霊器を出したレイジの全力疾走に勝るとも劣らない。一瞬で階段を駆け上がり、城内の通路を突き進んでいく。
「これがパンデモニウム内部……!? まるでアーク……いや、アークそのものじゃないか……!?」
『アークは神が魔物との戦争の為に作り出した過去の遺産だからな。このパンデモニウムも、魔物と戦う為にあったわけだ。本来は……だけどね』
「パンデモニウムが……いや、神が魔物と戦う? それって一体……?」
今レイジの目には、“神が魔物を率いて人を滅ぼそうとしている”ようにしか見えなかった。少なくとも神は魔物と対立するような存在ではないはずだ。眉を潜めるレイジにそれ以上ヒントは出すまいと口を紡ぎ、カイザーは回廊を突き進む。そして眩い光の中へと飛び出すと、城の外周に無数に円を描く、螺旋回廊と呼ばれるエリアに到着した。それは常にパンデモニウム周辺を回転しながら浮力を発生させている飛行装置でもあり、城の外周を移動する為の連絡通路でもある。
雲の中に浮かんでいるパンデモニウムの全貌は螺旋回廊からでもはかり知る事は出来ない。空中に浮かんでいる城、それが魔王の居城であるという事実に圧倒されるレイジをそっと降ろし、カイザーは背を向ける。
『この回廊に乗っていれば君の仲間が戦っている近くにつく筈だ。そこからはダッシュで仲間の元まで行くんだね。んじゃ、あとは頑張ってな。救世主君?』
サムズアップを残し男は大跳躍、一つ下の列を逆送している回廊に乗って遠ざかっていく。その姿が雲の中に消えたのを確認し、レイジは頭を振った。
「……今はあの人が何を考えているかはどうでもいい。問題はこいつだ」
レイジの身体にまとわりついた不思議な光を発する鎖。これは恐らく能力を発動したロギアにのみ解除可能なのだろう。レイジが運よくこの城から離脱出来たとしても、ロギアが能力を解除するとは思えない。そうなればただ戻っただけで、状況は何も好転しないだろう。
「いや。少なくとも、人質に取られているよりはマシか」
両腕をつながれたまま顔を上げるレイジ。螺旋回廊が突き進むその先では巨大な氷の結晶が爆ぜているのが見える。あの城から突き出すように広がっている浮遊する大地の上、間違いなく良く見知った少女が来ている筈だった。
「ミユキ……!」
大量に出現した魔物、それは氷室の精霊器であるコール・オブ・クリーチャーによって操作されているものだ。氷室は城内から侵入者であるミユキ達を確認し、迎撃の為に魔物を出現させたのだ。しかしミユキの戦闘力は氷室の予想を遥かに上回る物であった。
矢の一撃は閃光となって全てを凍てつかせ微塵に粉砕する。それでも矢の攻撃は直線的であり、どうしても予備動作を必要とする。全方位から一斉にかかれば隙を突く事は容易い筈だった。しかし……。
「あの能力……別に弓がなくても発動できるのですか?」
襲い掛かる魔物、それはミユキが片手をかざすだけで空中で制止する。くるりと回転しながら腕を翳し、周囲の空間を停止させる。その有効射程は氷室の見立てでは、弓矢なしでも十メートル程。ミユキの周囲半径十メートルの空間が停止し、その間にミユキは次々に矢を放ち魔物を吹き飛ばしていく。吹き飛ばされた魔物が、氷の軌跡が空間に残り、また彼女の周囲に壁を作る。どれだけ数で周囲を包囲した所で最早彼女に対し有利とは言えない状況にあった。
「強力な勇者だとは思っていましたが、これほどまでとは。このままでは魔物を召喚するだけ無駄ですね」
「……連中を引っ込めろ、氷室。あたしが出る」
氷室の背後から身を乗り出すイオ。しかし彼女の力ではミユキを黙らせる事は難しいだろう。そんな事は氷室に言われるまでもなくイオは自覚していた。
「これまで使ってこなかった、“バウンサー”の力を使う」
「ほう? 良いのですか、イオ?」
イオが取り出したのは赤い結晶であった。それはバウンサーとしての力を得る為に必要なアイテムであり、魔王から魔力の供給を受け、魔物の力を得る為の道具であった。イオはその力をこれまで使ってこなかった。つまりこれまでのイオの力は全て彼女の自力、“勇者”としての力だったのだ。
「“チート”は嫌だったのでは?」
「嫌さ。だけどもう、こいつに頼らなきゃあたしは自分の居場所を守れない。現実にはあたしの居場所なんかないんだ。だったらここで……!」
ぐっと強く握り締めた結晶に映り込む少女の苦い決意。その肩を叩き、遠藤が隣に並んだ。男は少女から結晶をひょいと奪い取り、自らのポケットに収める。
「だったらその力、使わない方がいいんじゃないの?」
「遠藤……!? 返せよ、そいつはあたしの分だ! お前は別に貰ってるだろ!?」
「貰ってるけど、使うつもりはないよ。僕もチートは嫌な性質でねぇ。人生っていうのはままならないものだけど、その時その時の手札で正々堂々勝負した方が面白いんだよ。それに……そうやって真っ直ぐ相手とぶつかって勝てたら、喜びは何倍にもなるんだ」
そう言ってへらりと笑い、イオの頭を撫でる。遠藤はその背後から巨大な蜘蛛の精霊を出現させると、その腕を変化させた拳銃を二丁手に取り前に出る。
「ここが君の居場所だと言うのなら、それを守るのがおじさんの役目さ」
「……仲間だった奴らと殺し合う事になってもかよ」
「それが姫様の願いなら。さえないおじさんの僕だってね。誰かにとってのナイトになってみたいって、そう思う時もあるのさ」
城の通路から飛び出した遠藤に続き、戸惑いながらイオも戦場に向かう。一斉に影のように消え去った魔物の代わりに現れた新手を捉え、ミユキは不機嫌そうに眉を潜めた。
「遠藤……よくもぬけぬけと私たちの前に姿を見せられたものですね」
「やあミユキ。相変わらず……いや、以前より遥かに強くなったね。流石はあのミサキの妹だ。才能がある」
「……その名前を……気安く口にするな……!」
強く歯軋りしながら弓を構えるミユキ。その傍にアンヘルを乗せたファングが立つが、ミユキはそちらに視線を向けないまま指示を飛ばす。
「ここは私に任せてください。たかがバウンサー“二人”程度、どうとでもなります。貴方たちはレイジさんの救出を!」
「……合点承知でありんす。遠藤……まだバウンサー化はしていないようですが、彼の能力は底知れない物があります。くれぐれも油断しないでください」
「あの男を前に油断何てありませんよ。裏切り者にかけるような情けもね」
憎しみを込められた視線を向けられても遠藤の口元から笑みが消える事はなかった。戸惑うイオに強気にウィンクし、男は左右の拳銃をくるくると回し構え直す。
「さぁて、たまにはかっこいいところを見せようか!」
「裏切り者が……言う事ですか?」
精霊器を召喚し、その身を鋼鉄の装甲で包み込むイオ。ミユキが光の矢を放つと同時、それぞれの足が大地を蹴る。遠藤が引き金を引くと同時、イオがその両肩から閃光を放ち、戦いに火蓋が切って落とされた。




