呪縛(1)
あの魔王との戦い、フェーズ3の終焉の翌日。フェーズ4の開始初日に合わせ、俺達はクナンダール古戦場にログインしていた。
フェーズ3と4の間には既に時が経過しているのか、俺達の感覚では翌日であるにも関わらず、古戦場は静寂に包まれていた。元々古戦場は本来ならば魔物の出現しない聖域である。だからこそフェーズ3では三軍会議の場所として選ばれたはずだった。何故あの時魔物が大量に出現したのかと考えてみれば、魔王の存在にしか行き当たる所はない。
ともあれ、フェーズ4の古戦場は既にアークとしての機能を取り戻しているように見えた。ログインポイントに集まったのは俺とJJとシロウ、それからマトイの四人。昨日あの会議に使った遺跡の一室にて顔を合わせ、俺達は暫くの間遠藤さんの到着を待っていた。
「あのオッサンきやしねぇな。メールにも返信なしだし……ったく、何やってんだかよ」
ここにログインする事になったのはJJから提案があったからだ。フェーズ4に移行したザナドゥにおいてJJが何よりも優先したのは、ギドが残したこの世界に関する情報だった。ギドは自由革命軍の拠点であった北大陸の最果ての町、ヒュールバイフェに手がかりを残していったらしい。このフェーズ3と4の間にどれだけの時間が流れたのかはわからないが、まず急いで確認すべきはその資料がまだ無事かどうかで、もしも無事ならば何よりもその入手を急がねばならない……そんな旨のメールを受けたのは昨日のログアウト直後の事だった。
勿論メールは遠藤さんにも行っているはずだったのだが、幾ら待てどもここに彼の姿は現れなかった。アンヘルは元々連絡先を知らないので、今日の所は何をしているのか不明。フェーズ4になってオリヴィア達がどうなっているのかも不明……。それでもJJはまずヒュールバイフェを目指すべきだと判断した。こういう時はJJに従うのが正解に近い気がしていたし、何より今の俺は……あれこれと頭を回転させている余裕がなく、判断を人任せにしたいという甘えた考えがあった。
「……時間の無駄ね。とにかく今はこのメンバーで北大陸を目指すわよ。ここからならそう遠くないとは言え、それでも一日のログインで到達できるかは怪しいわ。ここでモタモタしている時間はないのよ」
「そう……ですね。遠藤さんなら、きっと大丈夫ですよ。ね、レイジ君?」
横からマトイが話しかけてきているのが分かったが、正直答えるのが億劫だった。俺が腕を組んだまま俯いているとマトイは空気を読んだのか愛想笑いを残して俺の傍から離れていった。普段ならそんな顔を見れば居た堪れない気持ちになったと思うが、今は自分でも驚くほど興味が沸かなかった。
「出発するわよ。今のマトイならシロウとレイジに移動速度についてこられるはずよ。シロウは多少ペースを落としてもらう事になると思うけど……」
と、JJが出発を切り出した所でこの場にログインする光が見えた。全員がそれに目を向けたが、現れたのは予想していた人物ではなかった。
「やあ、全員お揃い……ではないみたいだね。遠藤さんがいないようだけれど」
「ケイオス……? 来てくれたのね?」
姿を見せたのはケイオスだった。彼は相変わらず笑顔のままJJに歩み寄る。
そういえばJJはフェーズ3の時点で勇者連盟の主要メンバーと連絡先を交換していたらしい。それで今回のヒュールバイフェ調査に関しても連絡を渡していたのだ。今となっては勇者連盟は全く無関係な他人と言うわけでもない。ケイオスの話によれば、カイゼル達はオルヴェンブルムに向かって世界の状況を確認し、オリヴィア達の様子を見てきてくれるという。ケイオスは勇者連盟側からの増援として俺達への同行を志願したのだそうだ。
「それはありがたいけど、あんたってバトルタイプだっけ?」
「生粋の戦闘型ではないけれどね。まあ、足手纏いにはならないと思うよ。邪魔だと思ったら置いていってくれても一向に構わないしね」
「そう。ならお言葉に甘えさせてもらうわ。全員ブースト全開で移動開始! 私は正直ついていける気がしないから、シロウ辺りに抱えてもらうしかないわね」
「おー、構わないぜ。チビガキ一人抱えてもお前らに抜かれるような俺じゃねえよ」
こうして俺達は西大陸北部にあるクナンダール古戦場を出発し、北大陸を目指した。道中魔物に遭遇するという事もなく、順調に大陸の境界線へと辿り着く。そこには西大陸より上空に位置している北大陸の下部にある洞窟へと続く道があった。ここが北と西の大陸を繋いでいる唯一のルートなのだという。ソドラの迷窟と呼ばれるこの地下道を延々と進めば北大陸の地上へと出る事が出来るという。
「ここからじゃ北大陸の様子は見えないね……」
「この絶壁が北大陸の地下部分ってわけか。こりゃ地上に出るまで長そうだな……」
「革命軍はこのルートを使って北大陸から進攻してきていたはずだ。NPCでも突破可能なルートだから、勇者が進むならそこまで危険はないだろうね。さあ、行ってみようか」
先陣を切って進むケイオスに皆がついていく。その最後尾を歩きながら、俺はずっと昨日の出来事を思い返していた。
正直、ヒュールバイフェにどんな秘密が眠っていたとしても……俺にとってはあまり関係のない事のように思えた。昨日見た魔王の素顔、あれは間違いなくミサキだった。このゲームの世界から、そして現実の世界からも姿を消してしまった筈の笹坂美咲……それが仮面と鎧を纏い、魔王として……俺達の倒すべきラスボスとして登場したのだ。その現実を俺はまだ受け入れる事が出来ていなかった。
昨晩も結局ろくに眠れないまま。なんだか身体がすごく疲れているように感じられた。心配事はそれだけではない。昨日のフェーズ3最後の戦い、そこにはあの深雪の姿もあった。どうやら彼女は俺に隠して頼子さんからダイブ装置を受け取っていたらしい。結果、彼女は俺の忠告を一切聞かず、この危険なゲームに参加してしまった。
それは彼女の責任だが、同時に俺の責任でもある。俺がもっと早く何かをつかんでいれば、彼女の好奇心を抑える事が出来たはずだ。こういう結果を選択したのは確かに深雪だが、俺には幾らでもそれを止める機会があったはずだ。なのに俺はみすみす彼女を巻き込んでしまった。こんな事になるなら、ザナドゥの事を話すべきじゃなかったんだ……。
ソドラの迷窟は基本的に一本道だが、洞窟内にある巨大な空洞を幾つ物道が交差するようにして成る立体的な構造で、その気になれば幾らでもショートカットが出来そうなのに、どこが出口なのかわからない為に下手に動けば大幅に元来た道へ戻されるという厄介な構造をしていた。結局の所ただ只管に真っ直ぐ進むのが最短であると判断し、俺達はただただ真っ直ぐに道を進んで行く。同じ様な景色、無音の世界……。考え事をしながら進んでいると時間の感覚まで薄れ、自分が何をやっているのかわからなくなってきそうだった。
「だいぶ地上に向かって登ってきたと思うけど……ここがどのあたりなのかさっぱり検討がつかないわね。確かに危険はないけど、精神的に疲れるわ……」
「進むのに飽きて来ちまったぜ……ったく、敵も一匹もわかねーしよ……つまんねぇ」
JJとシロウがぶつぶつ言いながら進んでいるのが聞こえてくる。そう思いながら顔を上げて驚いた。ゆるいカーブになっている道に気付かず、危うく道から外れて縦穴を落下するところだったのだ。慌てて背後に倒れると、そこへマトイが駆け寄ってくる。
「レイジ君、大丈夫!?」
「あ、ああ……。ごめん、ちょっと考え事してて……」
当然ながら道に手摺やら柵のような気の利いた物は設置されていない。只管に続く石造りの道、踏み外せば北大陸の中腹から西大陸までまっさかさまだ。この高度から落下すれば、流石に勇者でも無傷というわけにはいかなかっただろう。背筋に寒いものを感じながら一息ついていると、マトイはなぜか俺の手を掴んで言った。
「レイジ君……疲れてるよね? 危ないから、ここからは手を繋いでいてもいい?」
「いや、別にそこまでしてもらわなくても……子供じゃないんだし……!」
「いいから……ね? 私がそうしたいだけだから……お願い」
そう言われてしまうと強く反論も出来ず、そもそも気にするような事でもないと思い了承した。そこからは最後尾を歩く俺の手をマトイが引いて歩くという、ちょっとばかし気恥ずかしい状態になってしまった。だが直ぐにそれも気にならなくなり、美咲や深雪の事を考えては上の空になる。そんな俺がどこかへ落っこちてしまわぬように、マトイはずっと手を引いて俺を導いてくれた。
結局その日のログイン時間をまるまる使いきって俺達は迷窟の突破に成功した。北大陸は雪と氷に閉ざされた大地で、洞窟から出た俺達は再ログインの目印になるような場所を探して移動し、その日は探索を中断。明日こそヒュールバイフェを目指す事になった。
ログアウトしても俺の頭の中はミサキの事でいっぱいだった。HMDを外してさっさと眠ってしまおうとベッドの上に大の字になっていた時、ケータイに着信があった。発信者はマトイだ。俺は無視しようと暫くケータイを放置していたが、それはいくらなんでも態度が悪すぎると考えを改めてケータイを手に取った。
「……もしもし?」
『あ……ごめんね、こんな遅くに。レイジ君……その……大丈夫かなって思って……』
「……俺の何が大丈夫だって? 俺はいつも通りだよ」
『気になってるんでしょ? 昨日の……その、ミサキさんの事』
思わず溜息をついてしまった。ミサキの事が気になって他のことが疎かになって、マトイに心配かけて……そんな自分の情けなさに心底嫌気が差した。だけどこの重苦しい気持ちは自分にはどうにも出来なかったのだ。これまで上手く感情を制御してきたと思っていたが、それは俺の思い上がりに過ぎなかった。少し揺さぶられただけでこんなにダメになってしまう自分……その弱さや未熟さは、所詮高校生のガキに相応しい程度だったという事か。
『話だけなら聞いてるよ。レイジ君が……ミサキさんの事を凄く大事に思ってたって事。ミサキさんの為にこのゲームを続けていたと言っても過言じゃないんだよね。それが敵として……魔王として現れたんだから、混乱するのは仕方ないよ。だから……自分を責めなくていいんだよ?』
「…………まるで俺の気持ちはお見通しみたいに言うんだね」
『そういうつもりじゃないけど……でも、わかるよ。大切にしていた人が、あんな事になれば……誰だって辛いから……』
「――ミサキをクラガノと一緒にしないでくれ! ミサキは別に好きで俺達を裏切ったわけじゃない! ミサキは……ッ!」
電話口に叫んで、直ぐにしまったと思った。俺はなんてアホなんだ。感情に任せて彼女にとって一番言われたくない筈の事を言ってしまった。なぜなんだ? なぜそんな事をするべきではないと頭ではこんなに冷静にわかっているはずなのに、身体が言う事を聞いてくれないんだ?
まるで泥のように重く、息苦しく、眩暈がしそうだった。もう夏もすっかり終わりに向かっているのに、じっとりと嫌な汗が全身にまとわりついている。ごくりと生唾を飲み込んで、謝らなければ、発言を取り消さなければと焦っていると、そんな俺に彼女は優しい口調で言った。
『……そうだね。クラガノさんとミサキさんは違う。きっとミサキさんには何かどうしようもない事情があるんだよ。だから魔王だろうとなんだろうと、ちゃんと話し合おうよ。どうしてこんな事になってしまったのか確かめよう。それで……ミサキさんがちゃんと帰ってこられるようにするんでしょ?』
「……うん」
『大丈夫だよ! レイジ君はこれまでもどんな時だって前向きに希望を模索してきたんだから。諦めないで一緒に頑張ろう? ミサキさんを取り戻す為に、私も出来る事ならなんでもするから……!』
「マトイ……その……ありがとう」
それからもマトイは電話を切るまでの間、ずっと俺に励ましの言葉をかけてくれた。通話が終わって直ぐ俺は深々と溜息を着き、うつ伏せにベッドに倒れこんだ。今の自分の不甲斐なさを思うと消えてしまいたいくらいだった。
「何やってんだ、俺……」
そうだよ。今までちゃんとやってきたじゃないか。マトイの言う通りだ。俺はこれまで希望を信じて突き進んできた。ミサキともう一度出会う為に、その時胸を張って努力してきたんだと言える自分である為に……。
だけどミサキは魔王で。居なくなったと思ったらこんな形の再会で。頭の中がもうぐちゃぐちゃで何をどうしたらいいのかわからなかった。俺がこれまでしてきた事ってなんなんだ? 魔王を倒してゲームをクリアする……そのために戦ってきたのに、ミサキが魔王だとしたら、ゲームをクリアするって事はミサキを倒すって事じゃないのか?
そもそもあれは……本当にミサキなのか? 見間違えるはずはない、見た目は確かにミサキだった。だけどあの喋り方、それに胸にあったコア……クピドの愛の力が効かなかった事実。ヤタローとは全く異なる大剣と炎を扱っていた事。考えれば考えるほど意味不明で、どうしてもその現実を直視したくなくて、何かに不安をぶつけたくなってしまう。
ゲームの世界で、俺は確かに勇者になったはずだった。お姫様を助けて、仲間たちを纏めて魔王と戦う正義の勇者だ。そういう思い上がりがあったのは事実だ。でも現実の俺は違う。結局俺は何もかもミサキの代役に過ぎなかったのに。本当にあの世界の勇者であるべきだったのはミサキで、俺は彼女の真似事をしていただけだった。そんな俺の中途半端で煮え切らないものの考え方が、覚悟の甘さが……ここに来て俺自身に跳ね返ってきているんだ。
「何やってんだよ……俺は……」
繰り返し自問自答する言葉。それでも当然、答えは見つかる筈もなかった。
翌日。俺達は北大陸にログインし、そこからヒュールバイフェを目指した。その道中の事は正直あまり記憶に残っていない。実際ヒュールバイフェに到達するまでにそれほど時間を要さなかった事もある。北大陸には殆ど人の住む町らしい町はなく、山の麓にあるヒュールバイフェが最大規模の都市だったらしい。ログイン時は夜間であるにも関わらず、雪景色の中は月の光に照らされて明るかった。ヒュールバイフェの町は既に人の住まぬ廃墟となっており、雪に埋もれるようにして俺達の前に姿を見せた。余計な場所は調査せず向かったのは街の奥にある古城で、恐らくは革命軍が拠点として使っていたであろう場所だった。
「人が一人もいねぇな……? 幾らギドが死んだからって革命軍が全滅したとは思えねぇんだが……?」
「フェーズ3から時間が経過して、そのせいで無人になったのかもしれないわ。魔物に襲われたとか……或いは革命軍のトップが死んだ事でこの街を放棄したとかね」
シロウとJJの話を聞きながら、半ば崩壊した城の通路から俺は街を眺めていた。どこも崩れかかっており、恐らくは魔物と……それも大型の魔物との戦闘があった事を覗わせる。それが革命軍結成後の事なのか前の事なのかはわからないが、ここでも多くのNPCが命を落としたのだろう。何と無くそんな事を考えていると、JJが手を叩いて俺達を集めた。
「早速だけどギドが残した手がかりを探すわよ。ギドは“書き記した”と言っていたから、恐らく紙媒体で残している筈よ。本とかメモっぽい束とか、あんたらはとりあえず分かりやすそうな所を探して頂戴。私は本命を漁るから」
「本命? JJには手がかりの在り処に検討がついているのかい?」
「ん……まあ、ギドのおかれていた状況を考えればね。ともあれ捜索開始! 出来れば今日のログイン中に探索を終えたいの。残り一時間切ってるし、きりきり働く事!」
そう言ってJJはなぜか一人で地下へ向かった。残された俺達は崩れかけた城の中でも比較的保存状態の良い、居住に適したエリアを探索する事にした。しかし探し始めるとすぐに気付いた事がある。部屋の中が何者かの手で既にひっくり返されていたのだ。
規則正しく本棚に納められていたであろう本の数々が床に無造作に散乱しており、机の引き出しなんかも片っ端から引っ張り出されている。中には露骨に何らかの魔法的な力で破壊されたような痕跡もある。JJは恐らくこういった証拠隠滅を恐れて出来るだけ早くこの場を訪れるべきだと言っていたのだろう。だがこのゲームの中では既に長い時間が経過しているらしい。俺たちにとってはたった二日後という感覚だが、彼らにとってここに手を加える事は簡単な事だったはずだ。
「これをやったのは十中八九GM……ロギアだろうね」
俺の考えを代弁するように焼け焦げた本を片手にケイオスが呟いた。ギドが言っていたこの世界の秘密、それを知られたくないと考えているのは恐らくGMのロギアをおいて他にない。俺たちプレイヤーがログイン出来ない一日の間に彼女はこの世界で証拠隠滅を図ったのだろう。それを考えると、今更ここで手がかりを探す事は無駄な事のように思えた。
「GMが知られたくないような事をギドさんが知っていたという事ですよね……」
「ギドはセカンドテスターの一人だったようだからね。そもそもこの間の魔王の出現はタイミングもあまりに唐突だったし、何もかもが不自然だった。それもこれもGMがギドの存在を容認しようとしなかったが故であると考えれば辻褄が合う」
「もしもギドさんが、魔王の秘密を解き明かす手がかりを残してくれていたのなら良かったんですが……。いえ、諦めるのはまだ早いです! もっと徹底的に捜索してみましょう!」
マトイの声に頷くケイオス。二人は残されている書物を手当たり次第に捲り始めた。シロウはもう探索に飽きているのか、そもそも何をどう探索すればいいのかわからないのか、しかめっ面で腕を組んだまま唸り声を上げている。俺は……内心もう手がかりは残されていないと諦めながら、なし崩し的に本を眺めていた。
俺がGMだったら、ギドの手がかりなんてほうっておくわけがない。真っ先に抹消していた筈だ。まあそもそもGMがギドの存在を最初から関知していたのだとしたら、フェーズ3終盤であんなに慌てて魔王を出す必要もなかったはずだけど。だからロギアはあの時点までギドの存在を知らなかったのか、知っていてもギドを生かしておいて構わないと判断していたのだろう。だがギドが秘密を暴露するぞと堂々と宣言してしまったものだから、慌ててその手がかりを探しに来たのだ。それにしては手口が乱暴と言うか、雑な気もするのだが……。
そうやって暫く四人で探索を続けていた時だ。地下からJJが姿を見せ、俺達を手招きした。首を傾げる四人を連れて彼女が向かったのは地下牢である。ここは建物の状態が良く、殆ど破損していなかった。恐らく元々勇者のような存在を閉じ込める事にも耐えうるような構造になっていたのだろう。その牢獄の一室に、JJの見せたい物が待っていた。
「これは……壁に刻まれた文字? 日本語だね?」
ケイオスの声に頷くJJ。狭い部屋の中に壁一面びっしりと何かが記されているのが分かる。確かに書き記した様子だが、なるほど……紙ではなく壁に、という事だったらしい。
「恐らく上の資料はフェイクね。書き記したって言ったのも多分フェイク。あいつ、あの土壇場で証拠隠滅される事まで考えながら喋ってたんだとしたら、相当なキレ者よね」
「ここなら最悪城ごと吹き飛ばされたとしても残るだろうね。しかしJJ、よくわかったね?」
「ギドはヒュールバイフェに行けと言ったんだから、手がかりはこの町にある。かつ、私達が見付けられるような場所……つまり探す可能性が高い場所、この城の中だと考えるのが妥当。そしてあの場で私達と同時にGMにも聞かれているであろう状況でヒントを残し、GMにはミスリードを誘いつつ、城そのものを破壊するという解決策を取られた場合にも残せる場所と考えれば、まあある程度限定されてくるじゃない」
それでも地下を彼方此方探しちゃったけどね、と付け加えながらJJは牢屋の中心に立って壁をぐるりと見渡し始めた。解読と言う程のものではないが、壁に無理矢理刻まれた文字は読みづらく、かつ文章と言うよりは手がかりになりそうな単語をめいっぱい書き残したという様子で、ざっと見ただけでは意味不明だった。俺達は大人しくJJがギドのメッセージを理解するまで牢獄の通路で待つ事にした。
「……なるほどね。やっぱりそういう事だったか……」
JJがそう呟くまでに五分と掛からなかった。JJはもう興味を失ったといわんばかりに部屋から出ると、上着のポケットに両手を突っ込んだまま小さく溜息を吐いた。
「とりあえず、ギドが一体何をしていたのか……そしてセカンドテストで何が起きたのか。この世界がどのようなもので、誰がこの世界を作ったのか。そして……アンヘルが何者なのか。そんな事が書かれていたわ。一応、推論ではあるけど……大体当たっていると思う」
「え? どうしてそこでアンヘルさんの名前が出てくるんですか?」
「マトイも見たでしょ? ギドと行動を共にしていたアンヘルそっくりの女……確かグリゼルダ……とか言ったかしら。結局魔王に殺されて殆ど何も分からないままだったけど……。ギドのメッセージを読んだ今ならわかるわ。そもそも、ヒントはこれまで幾らでも明示されていたわけだしね」
眉間に皺を寄せながら目を逸らすJJ。そうして俺達に向き直すと、落ち着いた口調で告げる。
「……そうね。まずアンヘルの事から。彼女は……私達と同じPCではないわ。彼女は“天使”という役職を担う、特殊な“NPC”だったのよ」
そんな言葉を皮切りにJJはセカンドテストの最中に起きた出来事、ギドの目的と真意について俺達に語り始めるのであった。




