NPC殺し(3)
漆黒の騎士は胸の赤い光を揺らめかせながら襲い掛かる。その形は人を模しているが、挙動は人の領分を逸脱している。身体能力にブーストが掛かっている状態でさえ斬撃に対応するのがやっとであり、相手の攻撃にあわせて繰り出した剣は簡単に破壊されてしまう。
火花が散ると同時に眼前で弾け飛ぶ切っ先に目を見開く。歯軋りしつつ背後へ身体を倒すようにして横薙ぎの一撃をかわし、地に手を着いて背後に跳ぶ。その動きの中で追撃をかわし、ミミスケが吐き出した別の剣を受け取って騎士の脇腹へと打ちつけた。
「くっそ……硬い……ッ!?」
ダメージは与えられていない。強度は鎧……いや、それ以上だ。身体に纏った闇の霧は間合いの感覚を狂わせ、揺れるような体躯が滑り込むように近づいてくる。攻撃を弾かれた硬直を狙った一撃……かわせないと痛みを覚悟した直後、俺の背後からアンヘルが飛び込んできた。
彼女は杖、リビーダで剣を受け止めると同時に障壁を展開。光のヴェールが俺達の身体を覆い、闇の一撃を押し返した。呼吸を整えながらアンヘルと肩を並べて構え直す。
「ごめんアンヘル、助かった……!」
「これまでの敵とは違うようですね。まるで意志を持つかのような動き……これは」
目を細めるアンヘル。その視線の先には剣を携えこちらへ歩み寄る敵の姿があった。それも一つや二つではない。計三体の黒騎士が俺達に狙いを定めていた。俺とアンヘルの背後には竦んで動けなくなっているマトイの姿もある。状況はどう贔屓目に見てもよくなかった。
「レイジ、持ち堪えられるか!? こいつらを片付けるにはちっとばかし時間がかかるぜ!」
だが弱音を吐くわけにはいかない。シロウは一人で四体の黒騎士を、そしてハイネは一人で二体の黒騎士を相手にしていた。幸いにも親玉らしき騎士は玉座の前に立ったまま動く気配がない。目の前の敵さえなんとかすれば、まだ勝機は見えてくるかもしれない。
「……なんとかしてみせる! シロウは敵を倒す事だけ考えてくれ! アンヘルとマトイは俺が守る! こんな奴ら……あの竜に比べれば大した事ないさ!」
「へっ、言うようになったじゃねえか。任せるぜ……相棒!」
シロウの信頼が心地良い。これでいいんだ。俺は俺に出来る事を全力で成せばいい。確かに俺は弱い。シロウやハイネみたいに強くはない。だけど――足手纏いになるのはごめんだ。
「マトイは下がって! アンヘルはマトイのフォロー! あいつらは俺が相手をする!」
「無茶でございますレイジさん……一人で三体を相手にするなんて」
「無茶でもなんでも……俺がやる! 俺が……守るんだっ!」
もう仲間が死ぬのを黙って見てるなんてのはごめんだ。それに今の俺には美咲から受け継いだあの力がある。あれは一発逆転の切り札だが、使えば戦闘不能に陥る可能性も高い諸刃の剣だ。こんな所で気絶してしまえば後はない。だから今は……手持ちのカードだけで上手く乗り切るしかないんだ。大丈夫だ、やれる。俺だって何もしてこなかったわけじゃない。勝たなくていいのなら……ただ時間を稼ぐだけなら……!
新たな剣を左右に握り締め前に出る。襲い掛かる騎士達の攻撃をかわし、回り込み、同時に教われないように駆け回る。とにかく撹乱するしかない。可能な限り一対一に持ち込めるように奴らを直線状に立たせるんだ。今の俺じゃ、複数同時攻撃には対応出来ない。
真正面から襲い掛かる騎士の斬撃を剣で弾く。大丈夫だ、一撃で折られたりはしない。ズール爺さんに心の内で感謝しつつ次なる一撃をやり過ごす。側面に移動した第二の敵からの攻撃を別の剣で受け、剣の耐久値が危険になったら直ぐに捨てて持ち替える。いける。あの白いロボットほどの攻撃力じゃない。“勝負”になるっていうのなら――やってやれない事はない。
頭を働かせるんだ。これは本物の戦いじゃない。相手は所詮ネトゲの敵、AIを搭載したからってそんなにお利口なものか。敵を敵の影にして、上手く視界から外れればいい。味方に行かせたくなければ適度に殴ってヘイトをあげる。何も変わらない。基本通りだ。
心臓が高鳴る。呼吸はさっきから胡散臭い。時間の経過が恐ろしく遅く感じられる。自分の力を信じて気力を振り絞って敵をひきつける。だけど……腕が、身体が悲鳴を上げていた。
もうか。もうなのか。限界だというのか。まだたった数回攻撃を防いだだけじゃないか。身体が重い。腕が痺れる。握力がなくなってきた。足が縺れる。まずい――そう予感した時には体勢が崩れていた。まさかターンの途中で自分の足に足を引っ掛けるだなんて――。
「しまっ……!?」
振り下ろされる影の剣。その攻撃を再び光のヴェールが弾いた。俺の代わりに前に出たアンヘルは杖を思い切り両手で振るい、まるでハンマーのように騎士の顔面に減り込ませた。
激しい衝撃が騎士の身体を吹っ飛ばす。銀色の髪を揺らしながらアンヘルは勢いに逆らわずくるりと一回転し、二体の騎士の同時攻撃を障壁で受け止めた。
「レイジさん、一人で戦おうとしないで下さい。いつから貴方様は独りぼっちになったのですか? いつから一人で敵を殲滅できる英雄になったのですか?」
体勢を整え立ち上がる。アンヘルは障壁を張ったまま視線だけで振り返った。
「貴方様は特別な存在ではない。だからこそ誰よりも特別なのです。私は……守る。この世界の希望を……二度と目の前で失わせたりはしません」
その眼差しにはいつになく強い決意が見て取れた。障壁を敵の攻撃が突き崩す。アンヘルが背後に押し返された所へ敵の追撃、これを俺は前に出て剣で弾き返した。更に続けて襲い掛かる騎士の斬撃をアンヘルが杖で受け止め、俺達は交互に敵をいなし、最後に同時に蹴りを放ち、並んだ騎士を纏めて吹っ飛ばした。ダメージは与えられていない。しかし手ごたえはあった。
「アンヘル……ごめん。また一人で熱くなってた。俺の悪い癖だな……」
「自然体で良いのです。心のままに手を伸ばして掴みましょう。一人ではないこの力で」
背中合わせで構える二人。アンヘルの背中は温かく、思ったよりも大きく感じられた。アンヘルはいつでも冷静だ。確かに不思議な奴ではある。だけど……確かに今は熱を感じられる。シロウや美咲と背中を合わせているように、頼りになる力を感じる。
言われるがままに深呼吸を一つ。自然体の自分を引き寄せて行く。俺らしく、俺にしか出来ない戦い方でやればいいんだ。無理はしない。だけど――己を過小評価もしない。
身体に流れる力を感じる。その一つ一つを滞らせないように、力みすぎないように剣を振るう。仲間の動きを感じて、アンヘルの考えを察知する。俺たちは互いの隙をフォローするようにして敵の攻撃を弾き続ける。
動きが軽い。さっきより自由に剣が振るえる。後ろに彼女がいる。それがこんなにも心強い。
「意味や理由はなくても良いのです」
「風の如く、水の如く……?」
笑みを浮かべる。背後で彼女も笑った気がした。ちらりとシロウとハイネに目を向け、そこで驚きを隠せず唖然としてしまった。ハイネは二体の騎士と互角に渡り合っている。そしてシロウはと言うと……たった一人で四体を圧倒している様子であった。
シロウの動きは俺とは比べ物にならないほどスムーズで、力強く素早い。攻撃は片っ端から弾き返し、身をかわし、打ち込む打撃の一撃は炎と共に鎧を貫通する。一発一発の攻撃音がもう打撃じゃない。まるであれは……そう、バズーカか何か打ち込んでいるみたいだ。それを一呼吸の間に三発も四発も捻じ込むのだから、黒騎士達はひとたまりもないだろう。
「……シロウ強すぎねーか……? なんなの……? チートなの?」
見る見る破壊されていく黒騎士達。これなら逆転は間近……そう一瞬だけ気を抜いたのが拙かった。俺とアンヘルに集中していた黒騎士の中から一体がマトイに向かってしまったのだ。
「しまった……マトイさん!」
「えっ? あ……えっと……きっ、きゃあっ!?」
駆け寄り剣を振り下ろそうとする騎士。突然の事にマトイは反応しきれていない。俺は背後から剣を投げつけ黒騎士の腕を打つと、一瞬動きが止まった間にマトイへと駆け寄る。すかさず飛び込むようにしてマトイを抱き抱えると、代わりに騎士の攻撃を背で受け止めた。
「レイジさん!」
背中に熱にも似た痛みが走り身を捩る。二人で倒れこむのも束の間、伏したまま俺は足元にあった剣を拾い上げた。先に投げつけたものだ。追撃を倒れたまま受け止め、何とか拮抗状態を作り上げる。その間にマトイへと視線を向けた。
「今の内に立って……能力を使って隠れるんだ! 早く!」
「で、でも……私……」
「いいんだ……今はそれでも。だから……諦めるな!」
駆け寄ってきたアンヘルが横薙ぎに杖を叩きつけて俺の上に乗っていた騎士を吹っ飛ばしてくれた。冷静に考えてみると凄まじい腕力だ。単純な打撃力だけなら俺より遥かに上のようだ。アンヘルの手を借りて立ち上がると、泣き出しそうな顔のマトイに頷きかけた。
「ごめんなさい……私……私……っ」
立ち上がりこちらへ向きなおす騎士。再び戦おうと構える俺とアンヘルであったが、その直後騎士の腰から上が捻れて吹っ飛んだ。倒れたシルエットの向こうにはシロウが立っており、どうやら蹴りで上半身を粉砕したらしかった。
「悪い、時間がかかっちまった。三人とも無事か?」
見れば既にハイネとシロウの二人が黒騎士達を全滅させていた。こっちは何とか身を守るだけで大騒ぎだったというのに、シロウは無傷でけろりとしていた。
「助かったよ……さすがシロウ、お見それしたよ」
「褒めるのは奴を倒してからにしてくれ。まだボスが残ってるぜ」
振り返るシロウ。その視線の先には玉座の前の騎士があった。他の黒騎士と比べても大柄でいかつい鎧を纏っているそいつは“部下”が倒されたからか、いよいよ動き始めようとしていた。地面に突いていた剣を抜き、鎧を鳴らしながらこちらへ近づいてくる。
「レイジ、お前は十分よくやった。後は俺に任せて傷の治療でもしとけ」
やはり今の俺ではボス相手では歯が立たない。悔しいがシロウの言う通り、俺に出来るのはここまでだ。俯きながら歯を食いしばる、そんな俺の頭をシロウは雑に撫で回した。
「いざって時は頼りにしてるぜ。女共はおめーに任せたからな……相棒」
「……う、うん。二人は俺が必ず守るよ!」
ニヤリと白い歯を見せて笑うシロウ。そうして軽く身体を動かし、放たれた矢のように敵へと向かって行く。炎を吹き上げながら唸りを上げる二対の拳。目で追うのがやっとという速度で距離を詰め、空中から強烈な打撃を繰り出した。黒騎士はその一撃を剣で受け止める。パワーは互角と言った様子で、初手は互いの背後へと引いて様子見の形勢となった。
「……へっ、こいつは面白れぇな。ハイネ、ついてこられるか?」
「あ? 誰に向かって話しかけてんだクソが。テメェの方こそついてこいってんだよォ」
腕を回しながらゆっくりと前に出るハイネ。そうして肩に乗せていた鎌を頭上で回し、鋭く構え直した。二人の戦士を前に黒騎士は前進から黒いオーラを迸らせ、鉄が軋むような唸り声を上げながら飛び込んで行く。
黒い光を帯びた斬撃は周囲に衝撃波を生み、攻撃をかわした二人にも襲い掛かった。衝撃で体勢を崩したハイネに狙いを定め襲い掛かる黒騎士。ハイネは鎌を、騎士は大剣を繰り出して激突させる。激しい光と衝撃が迸り、崩れかけた謁見の間に揺れが走った。
入れ替わり立ち替わり刃を交える二人。その側面からシロウが飛び込み蹴りを繰り出す。騎士を押しのけ、そこから左右の拳を連続で繰り出し、最後に空中へと大きく蹴り上げた。
天井へ舞い上がりながら回転し着地すると、騎士は空を蹴って大地へと剣を叩き付けた。しかしシロウもまた大地を蹴って空へ拳を繰り出していた。擦れ違う二つの影、そして再びの衝撃……。城が崩れるのではないかと本気で心配するような激しすぎる戦いを俺は固唾を呑んで見守る事しか出来なかった。
「きゃあっ!?」
「も、もう少し下がっていたほうが良さそうだね……」
アンヘルとマトイの手を掴んで背後へと身を引かせる。その間も三人は激しい攻防を見せていた。距離を取った騎士が腕を前に突き出すと、赤い光が収束し周囲の闇を巻き込んで行く。渦巻く光と影……それが放出されるという事は俺にも予想が出来た。しかし威力と規模と速度に関しては完全に俺の想定外で、光の渦はまるでビーム砲のようにシロウとハイネを飲み込んで行く。衝撃と轟音……城の壁は更に無残に吹き飛び、俺達の居る場所まで熱は及んだ。
障壁で俺達を守るアンヘル。光の中に目を凝らせば、それでも前進を続けているシロウの姿を捉える事が出来た。シロウは鬼気迫る勢いで雄叫びをあげると、黒騎士の懐に飛び込み、その胸に拳を叩き込んだ。一撃や二撃ではない。目にも留まらぬ速さのラッシュ……そしてその最後に身体を捻り、鋭く槍のように蹴りを繰り出したのだ。その踵が騎士の胸にあったコアに減り込んだ次の瞬間、騎士の全身に赤い紋章が浮かび上がった。それには見覚えがある。シロウが以前開発した技……相手の身体に熱エネルギーを蓄積させ、トリガーとなる攻撃を与える事で大爆発を引き起こす術――。
まるで無数の星の瞬きのように、しかしそんな穏やかなものではない閃光が次々に炸裂した。耳を劈くような凄まじい爆発音。シロウの繰り出した一撃は恐ろしい熱と破壊の力となって黒騎士を粉砕した。目を瞑って頭を低く伏せていたので最後の瞬間は俺にもわからなかったが、城の崩壊が終わってゆっくりと顔を上げた時、シロウの目の前に玉座はなかった。ただ完全に吹き飛ばされた城の外壁に空けられた大穴の向こうから光が差し込んでいるだけだった。
「…………なんじゃい……こりゃあ……」
他に言葉が出てこなかった。今どういう戦いが繰り広げられていたんだ? 俺にはちょっとついていけない……いや、理屈はわかる。あの戦いでどういう事が起こったのか、何を以って決着したのか、それはわかる。だけど……幾らなんでもシロウ……。
「強すぎだろ……常識的に考えてよ……」
爆風のせいか、シロウの髪はすべて後ろに流れていた。破損した服も敵の攻撃で吹っ飛んだのか自分の攻撃の余波で吹っ飛んだのかよくわからなかった。シロウは大きく伸びをすると深呼吸を一つ。ダウンしていたハイネへと歩み寄った。
「おーい、生きてっか?」
「……てめ……マジ……なんだ……コラァ……」
「いやー、全力で戦った事なかったからこんな事になるとは思わなくてよ。悪い悪い」
ハイネが吹っ飛んで瓦礫塗れになっているのは、多分シロウの攻撃の余波によるものだ。上下逆様になったまま瓦礫を背にして煤塗れになったハイネを助け起こし、シロウは俺達のところへとやってきた。俺たちはといえば、まあ大体ハイネとどっこいどっこいの状態にあり、アンヘルの障壁のお陰で何とか無事ではあったが、あれがなければ大怪我していたかもしれない。
「シロウ……もうちょっと考えて戦ってよ! 敵跡形もなく蒸発してるじゃないか!」
「そういうつもりで撃ったからなあ」
「そういうつもりにならないでくれる!? 第一、この城は奪い返したら俺達の城になるんだよ? 姫様があの玉座に座る予定だったの! それを蒸発させるやつがあるか!」
「あーあー、うるせぇなあ。いいじゃねえかよ、勝ったんだからよ」
小指で耳をほじくるシロウ。この男はまるっきり反省していなかった。
「それよりレイジ、お前傷は大丈夫か? 思いっきり斬り付けられてたろ?」
そういえばすっかり忘れていたけどそんな事もありましたね。ブーストの効果なのか、重傷の割りに痛みは大した事がなかった。ただ足元に血溜まりが出来ているのを見るに、あんまり傷の具合はよくなさそうだった。
「アンヘル、治療してやってくれ。リビーダなら出来るだろ?」
「シロウの方こそボロボロじゃないか。アンヘル、シロウを先に治療してやってよ」
「いいや、お前の方が先だ。俺のダメージなんか大した事ねえよ。唾つけときゃ治る」
「治るわけないでしょ……上半身ほぼ裸になっておいてよく言うよ……」
何はともあれ俺達は無事にボスを撃破したのだ。双頭の竜に比べると大分あっさりと決着がついたような気もするが……それもこれもシロウの成長のお陰だろう。一人だけまるで別世界の住人のような強さを持っている。あの黒騎士だって弱くはなかった……むしろ凄い力を持ったボスだったと思う。それを殆ど一人で片付けてしまうなんて……。
「レイジさん……さっきはありがとうございました。それと……ごめんなさい。私、何のお役にも立てませんでした……。それどころか足手纏いに……」
「しょうがないよ。誰だって強い奴は怖いからね。俺だって前のボスの時は身体が震えちゃって何にも出来なかったんだ。人の事は言えないから」
罪悪感に苛まれた様子で頭を下げるマトイ。そんな彼女を責め様とは少しも思わなかった。
恐怖に抗う事の難しさを俺はよく知っている。誰だって痛いのは嫌だし怖いのは嫌なんだ。辛い思いはしたくないし、そういう時こそ自分の力を信じられず逃げ出したくなるものだ。
「だけど……もし今悔しさを感じてくれているのなら……次の時までに、少しだけ自分を信じてやって欲しいんだ。いざという時身体を動かせるかどうかはそれで違うと思うから……なんて、ちょっと偉そうかな?」
「いえ……。ありがとうございます……」
無事終った。ここに来るまでどうなることやらと思ったものだが、終わってしまえば呆気ない。俺たちはアンヘルの力とクラガノさんの治療薬で傷を癒しつつ、別働隊と連絡を取る事にした。戦いに勝利した事を一刻も早く姫様達に伝えてやりたかったのだ。しかし……。
「駄目ですね……応答がありません」
遠藤さんの子精霊に呼びかけるマトイだが、向こうからの返事は幾ら待っても聞こえてこなかった。それどころか見通しの良くなった城から城下町を見下ろしてみても、戦闘が行われている気配は感じられなかった。
「まさか全滅したなんて事はないよね?」
「そりゃあねえだろうぜ。おっさんやJJが一緒なんだからな。手が離せない状況にあるとか……それか、おっさんの精霊が調子悪いとかよ……」
どちらにせよ通信が通じないというのは異常事態だ。別働隊の状況を確認する為に合流を急いだほうがいいだろう……そう考えていた時だった。突然身体に力が入らなくなり、がくりと膝を着いてしまう。
「あ、あれ? なんだ……?」
手足が痺れるような、身体がふわふわとした感覚に包まれている。立ち上がる事はままならず、それどころかどんどん力が失われていく。やがて座っている事も辛くなり、ばたりとその場に倒れてしまった。
「身体が……み、みんな……」
首だけを動かして周囲を見渡すと、そこには次々に倒れている仲間達の姿があった。どういう事だ? 一体何が起こっているんだ?
「アンヘル……シロウ……。マトイ……」
絞り出すように声を出してみるが、誰からも返事はない。あのシロウですら倒れているとはどういう事なのか。あの魔物は倒したはずじゃなかったのか。鈍くなり続ける思考の中で必死に答えを模索する俺の前に誰かの足が見えた。そいつはこの状況の中でただ一人だけ平然と歩き回り、俺の前にやって来たのだ。
「…………ハイ……ネ……」
視界がぐにゃりと歪んでいる。鎌を引き摺って歩いてきたハイネは俺の頭を踏みつけながら何かを言っている……が、最早それを聞き取る事すらままならない。頭の中がぐちゃぐちゃになり、舌が縺れ、意識を保つ事が出来なくなる……。
どうしてハイネだけ……まさかこれは……そういう事なのか? 俺達は……ハイネに……あの事件も……彼が……。
唇を噛み締め悔しがる事も出来なくなった。俺の意識はそこでスイッチを切られたかのように暗転し、そのまま何もかもが深い闇の中に包まれていった――。




