愛にすべてを(1)
歪んだ空の鏡面には怪物と闘う救世主の姿が映り込む。まるで水面のように揺らぐその景色を地上から見上げ、JJは胸に手を当てる。
「レイジ……」
「どうやら救世主は無事ザナドゥへ辿り着いたようですね」
「それにしたってあのデカブツはなんなの? ロギア、あんた何か知らないの?」
トリニティ社屋上ヘリポートにて風に髪を靡かせるロギアは首を横に振る。
あれは結局のところ魔物の……すなわち世界の意思の集合体だ。魔物は世界の本能の代弁者。自らの変化を求め人を殺傷したように、その行いは時に遠回りだ。
「世界の壁を超える事そのものが世界の願いではないのでしょうね」
これまで何度も繰り返してきた世界の滅亡。その有り様をロギアは記憶している。その絶望的な景色を忘れる事はないだろう。
本気になった世界の力は人知を圧倒している。仮にあの世界を満たす膨大な数の魔物が境界を超えてこちらの世界へなだれ込んだなら、何がどうなってしまうのか。
もしもこの世界の人類に対し敵対行動を取るようならば、一瞬で東京は死に包まれるだろう。三日と待たずして日本は闇に沈み、一週間もあれば世界はザナドゥの支配下に置かれる。
正直な話、ロギアにとってはどうでもい事だった。この世界がどうなろうと、あの世界がどうなろうと、この生命がどうなろうと、興味の外だ。だがそれも今は少しだけ違っている。
「織原礼司。あなたこそ、本当に世界が望んだ救世主なのかもしれませんね……」
ふっと微笑むロギアの横顔をギロリと睨み、JJは背伸びしてロギアの頬を抓る。
「何やり遂げた顔してんのよ! まさかこのまま見物を決め込もうなんて言わないでしょうね!?」
「ほのふもりへふは……はひは?」
「これだから神様気取りの引きこもりメンヘラ女はイヤなのよ! あいつが救世主だからって! あいつがみんなの願いを叶えてくれるからって! それにおんぶ抱っこであいつに全部の責任を押し付けるなんて、そんなの私はごめんよ!!」
確かにレイジの思う通りにしてやりたいし、レイジの事を信じている。だがそれで傍観者を気取るのは、“仲間”ではない。
無責任に希望を押し付けるだけでは足りないのだ。そんな事はもうわかっている。レイジはきっと一人で何もかもを終わらせるだろう。だがそんなのはダメだ。一人でも救われない奴がいるなんて許せない。そのハッピーエンドの中に、レイジが一緒に居ないなんて在り得ない。
「……JJ。あなたは本当にあの救世主の事を想っているのですね」
「はぁ? 当たり前でしょ。あいつはね……あいつは……」
いつでも誰より傷ついてきた。誰より重圧をはねのけてきた。今も救世主なんて頭のおかしい怪物に祭り上げられて、それを苦にもせず戦っている。
放っておいたらどこまでも行ってしまうバカだから、誰かがブレーキをきかせてやらなきゃならない。あいつがどうしても止まれなくなってしまった時、受け止めてやれるヤツがいなきゃならない。
「あいつはきっと……私の考えの上を行こうとしている。想定の更にその先……。多分、なにか策があるのよ。全部をひっくり返すような、秘策がね」
小柄なJJを見下ろすロギア。が、ふと人の気配を察知し視線をあげる。そこにはメリーベルと共に走ってくるクピドとカイゼルの姿があった。
「JJにロギア! 無事に着陸できたようね!」
「ありがとねクピド。勇者連盟の奴らに情報拡散してくれて」
「精霊器も使えない今の私達にできる事なんて限られてるもの。それに今も情報は拡散中よ。ネットを通じて世界中にこの状況が伝わっている。まあ……それでも当初の目論見通りにはいかなかったけどね」
この世界の人間の意識がレイジに集中すれば、“この世界側”の加護を得られるのではないか? そういう淡い期待もあった。
だが世界は結局何も応えなかった。この世界はとうに神を失い、沈黙を守り続けている。きっとこれから先どんな事が起ころうとも目覚める事もなく、この星が滅ぶその瞬間まで自衛を放棄し続けるだろう。
「私達の世界も大概変よ。こんな状況なのにただじっとしているだけなんて」
「まあ、確かにこの世界に違和感があるのは確かだけれど……そこは世界の個性なんじゃないかしら?」
肩をすくめるメリーベル。そう、世界は一つの巨大な生命体だ。ザナドゥとこの星は対極の存在にある。動と不動、二つの世界はそれこそ完全に正反対だ。
「さてと……さすがに東京から人を完全に避難させるのは無理そうね。このまま境界が破壊されたらその余波だけでどれだけ人が死ぬ事になるやら」
眼下では混雑した車道を複数の車がクラクションを鳴らしながらノロノロと進んでいる。あちこちで発生する交通事故、駅に雪崩れ込む人々……。こんな状況はだれだって想定していない。政府から正しい情報の配信もない。いつまでも空を見上げてスマホを構えている連中は情報の拡散には役立っているが、それが纏めて死に絶えるのはやや忍びない。
「私には何も感じられないけど、魔力の充填は早まっているはずよ。勇者の皆は何か感じない?」
「うーむ……。何も感じないわけじゃねぇが、精霊器を出せる状態じゃねぇのは確かだな。だが、突入した連中が世界の権能を奪い返せば、俺達も精霊器を使える可能性があるんだろう?」
「ええ。全ての勇者にとは行かないでしょうが、その力を何人かに集中させれば可能でしょう。その制御は私に任せてください」
悩むカイゼルにロギアは無表情に呟く。その台詞に場の全員が目を向けた。
「あら? 私に任せて下さいなんて、案外ノリノリなのねぇ、あなた?」
「いいんじゃねぇか、今のほうがよ。やっぱり女はそういう方がカワイイってもんよ」
「それじゃ、力の制御はロギアに任せるわ。私達はいざって時に備えて、出来る事を考えておきましょう」
携帯電話を取り出すJJ。改めて見上げた空に映る遠い世界に虚像に、少女は小さく決意を新たにした。
――世界は死を望んでいる。そして、自らの上に人が生きる事を望まない。
幼い頃は、どんな悲劇も苦痛も、いつかは神によって救済されるのだと信じていた。
死は救いだった。死ぬ事でこの世界の一つになる、それは素晴らしい事だと……そう信じていた。
信じなければ生きられなかった。誰もが当たり前にそうやって都合のいい幻想を抱き、笑って死んでいく。両親が魔物の手にかけられずたずたに引き裂かれた時も、少女はただ笑っていた。
この歪な世界を放浪し。いつかの救いを待ち続ける。そうしてあっという間に終わりはやってきて、何もかもを薙ぎ払った。
あの日、あの時、あの場所に。ダリア村にやってきた双頭の龍がオリヴィア・ハイデルトークの寿命だったのだ。
まどろみの塔でそのリプレイを繰り返し見つめた。村人を庇って前にでた少女を結局神は救わなかった。ばくりと噛み付かれ、腰から上が消えさって、血だまりの中に小さな亡骸が転がった。
パターンは確かに色々あった。炎に焼かれて体中の肌を墨にし、眼球をどろりと溶かして死ぬ事もあったし、巨体に踏み潰され内臓をぶちまけ一瞬で意識が途絶することもあった。
運が悪いと追突しただけで体中の骨が折れ、身動きが取れないままその場で三日ほど生存した事もあった。燃える村、人々の悲鳴を遠くに聞きながら耐え難い苦痛に徐々に感覚を失い、どうしてと繰り返しながら幕を降ろした。
何度も何度も死に続け、何度も何度も繰り返し、何度も何度も何度も何度も……ただ、救いを信じ続けた。
世界のデータベースには沢山の事が記憶されていた。雪と氷に覆われた北の大陸で、ダンテという少年がどんな人生を送ったのかも見た。
堪え切れない吐き気に何度も涙し咽ながら、少女はその死に様を何度も繰り返し確認した。何度も、何度も。そして勇者がやってきた後、彼の身に降りかかった事も。
別にそれは他人ごとではなくて。たまたまで。ファーストテストの時も、セカンドテストの時も、オリヴィアはやはり勇者に囚えられ、奴隷として都合のいいように扱われた。
そんな自分の“過去”も見た。繰り返し繰り返し、ただ膝を抱えて見続けた。
かつてダンテを見た時、彼は自分と同じだと思った。それはたまたまの幸運と、偶然の悲劇。どんな勇者に出会ったか、そんな違いだけでしかなかった。
めぐるめく世界。ロギアが本気で変えようとして、諦めた世界。圧倒的な死の暴力と、人々を進化させない忘却作用の中、少女の瞳はただ闇だけを見つめ続けた。
神になるとはそういう事だ。この世界の責任を背負うとはそういう事だ。あらゆる物事全てを背負い、なんらかの答えを出さねばならない。
誰も助けてなんかくれない。全て自分の責任だ。自分で殺す者を選び。生かす者を選んでも、結局全て死んでいく。
独りぼっちで空の上、神域という安全な場所で世界が終わるのを繰り返し見下ろした。そうやって生き延びたたったひとりの人類は、どうしても選択を余儀なくされる。
このまま全てを終わらせるのか。それとも――あきらめを超えて、全てを犠牲に全てを取り戻すのか。
選ばべずに膝を抱えて時を過ごした。何も考えたくなかった。何も捨てたくなかった。
例え世界がどんなに残酷でも。例え全ての可能性が悲劇ばかりだったとしても。
勇者達と共に過ごした日々はキラキラと輝いていた。つんけんした物言いだけど、いつも親身になってくれたJJ。少しおっかないけど、情に厚く決して他人を見捨てなかったシロウ。一緒にお菓子作りをしたマトイ、怪しかったけどいつも皆を見守ってくれた遠藤。友達という言葉を教えてくれたミユキ。そして、笑って優しく頭を撫でてくれた彼女と、その彼女の意思を受け継いだ彼。
全部偽りなんかじゃなかったから。間違いのない真実で幸福だったから。それがもう戻らない日々だと知っても、彼らと自分は決して相容れないのだと理解しても、それでも捨てられなかった。
ケイオスはそんなオリヴィアを決して急かさなかったし、決断を迫ることもなかった。どっちを選んでもそれが世界の意思だと言ってオリヴィアの世話を焼いた。
どうすることが正しいのかはもうわからなかった。どうしたいのかも、もうわからなかった。
一つだけ確かな事は、オリヴィアは王という役割を背負った人間であり。その性質は、人類の守護者たるものであったという事。
人を守り、人を愛し、人の為に闘う王。これまでの王がそうであったように。これからの王もきっとそうであるように。少女は人類の総意を決断せざるを得ない。
もう誰にも命令を下せないダモクレスの剣に一つだけ命じたのは、この誓いを必ず貫き通すという事だった――。
「ザナドゥを救えるのは私だけ……! この世界の人間にしか、この世界を救う事は出来ないッ! 私は救世主になると決めた。もう、どんなものを犠牲にしたとしても――!!」
「可能性はまだある! あなた一人では出来なかったとしても……誰かと手を取り合って……!」
「あなたに何が出来るのミユキ! じゃああなたはこの世界に残ってくれるの? あなたは私と一緒にこの絶望と戦ってくれるの!? あなたはそんな事しない。あなたにとって大事なのは自分の世界であって……ここじゃない。あなたの大切な人は私じゃない!」
刃を交え、周囲に魔力の光を放つ。二人は互いの得物を軋ませながら目を見開く。
「この絶望も、この世界も、全て私のもの! あなたなんかに背負わせるつもりはない!」
「オリヴィア……どうして……っ」
「ザナドゥが終わるというのなら、それが世界の結末なのかもしれない。もう、それが正しいのかもしれない。それでも私は諦めるわけはいかない。諦めずに未来を信じ続ける事こそ、どんなものを犠牲にしたって前に進み続ける強さこそ、あなた達が私に教えてくれた一番の宝物だからッ!! 私は! 自分の為に……あなたの世界を犠牲に出来るッ!!」
オリヴィアは刀身に虚幻の力を纏わせ、ミユキの構える光の剣を貫通しその体を切り裂く。咄嗟に背後に飛んだミユキだが、その両目からは涙が跳ねる。
「私は……あなたを犠牲にすることなんて……」
「出来ないのならその世界を譲ってよミユキ! 私は……まだ……! まだ、何も……諦めたくなんか、ないんだよぉおおおおおおおおおおおっ!!」
至近距離で放たれた光の魔法の衝撃に空を舞いながらミユキは考える。どうすれば彼女を救えるのか。どうすることが、二つの世界を救う未来なのか。
こうなることを避ける道はあったはずだ。だがそれを選ばなかったのは自分達だ。結局彼女に道を示せず、その絶望に寄り添う事も出来ず、ただ都合のいい未来を信じていた。
これが罰だというのならば、なるほど、確かに適切だ。どちらか一方しか幸福になれないというのなら、そんなものはハッピーエンドではない。これはどう足掻いても全員が救われる事は出来ないように作られた脚本。
大地を打つ背中。そのままミユキは頭上を見上げ続けた。夥しい数の螺旋を描いた棺は、全てが勇者達の亡骸。これだけの数の死がこの世界にはあって、それはごく一部に過ぎない。
救いたい。友を救いたい。奇跡を起こしたい。こんなにも強く願い祈っても、迷いは胸の内側を掻き乱す。
オリヴィアというたった一人の犠牲を以って、全てを守る。それがあの世界で生きる人間としては正しい選択なのかもしれない。オリヴィアを止めても……止めたとしても、絶望が続くだけだ。彼女の言う通り、自分はこの世界を救えない。一体誰が嘆き暴れ狂う世界を諌める事が出来るだろう?
「わからない……どうすればいいのか……。どうすれば……あなたを救えるのか……」
考えても考えても答えは見えない。もしも本当に何も救いのない結末なのだとしたら――選ばなければならないの?
ゆっくりと上体を起こしたミユキの首筋にオリヴィアの切っ先が食い込む。光を背に立つオリヴィアの瞳は迷いなく、己の願いの為に友を殺めるようとしていた。
断続的に放出される巨人の熱線を岩場から岩場へ飛び移りながら回避するレイジ。接近する魔物の群れを剣で薙ぎ払い舌打ちする。
「あまりにも数が多すぎる……いくらなんでも魔力が持たないぞ」
『だが順調に供給は強まってるぜ。こっちもセーフティー解除だ!』
空中をくるりと回転し着地したレイジが刀身を指先でなぞると光が増していく。光は刃を巨大化させ、そしてレイジの周囲に白く光り輝く茨の影を作り出す。
一斉に放出された茨が魔物を貫き纏めて消滅させる。更にレイジは茨で掴みかかった大型個体に自らを引き寄せながら切り裂くと、そのまま魔物から魔物へ茨を使って移動、本体を目指す。
「レイジが行ったか。こっちも仕掛けるかねぇ!」
反対方向から怪物に回りこんでいたシロウは足元に魔法陣を浮かべ、爆発と共に空に舞い上がる。道中に存在する敵は全て貫く赤き閃光は矢となって巨体へ迫る。
背面から炸裂する拳を打ち込むシロウ。爆炎は背中から内側を焼きつくし、腹を破って大量の魔物が分解されていく。レイジは巨人の首を目指し刃を一閃。光は首を切断し、落とされた首はただの魔物の群れに成り下がる。
「キリがねぇな……レイジ!」
背中から炎の翼を生やし空中を舞うシロウにレイジは茨を伸ばし掴みかかる。そんな二人を遠距離からクリア・フォーカスが砲撃。続いて無数の結晶のミサイルが発射される。
旋回し弾丸を避けるシロウから茨を離し、レイジは鎌に持ち替え飛来するミサイルに斬撃波を飛ばし迎撃。くるくると回転しながら空力を制御しシロウに近づくと再度茨で脚を掴んだ。
「くそ、やっぱりあいつを倒しきるには力が足りない……!」
「レイジ、このまま座に迎え! お前は世界から完全に力を取り戻してくるんだ! それまでの間、やつの相手は俺がする!」
「さすがに一人じゃ無理だよ、シロウ!」
「だとしてもやるんだよ! お前はお前の成すべきことの為に……いけぇ……レイジッ!!」
思い切りレイジを神域中枢へ放り投げるシロウ。レイジはマフラーで方向を定めると同時に加速する。
その移動を妨げるように砲撃するクリア・フォーカスだが、そこへシロウが火炎弾を投擲する。遠距離に炎を放つ事はシロウにとっては苦手分野。威力はさほどではないが、獣の注視を引く事は出来た。
「どいつもこいつも纏めてかかってこいよ! レイジの道は! あいつらの未来は! 俺が……切り開いてやらぁあああ!!」
シロウを一度だけ振り返るレイジ。そのまま座へ続く階段へ着地すると、迷わず駆け出した。
「シロウ……すぐに戻るから」
一息に何百段も続く階段を跳躍し、頂点の穴から中枢へ飛び込むレイジ。それを見送り、シロウは笑みを浮かべる。
「そうだ……それでいい。お前の願いは……お前の祈りは。必ず俺が、守ってやるからな」
シロウを見下ろす巨大な悪意の塊は残った竜頭から熱線を放出する。それを片手で弾くシロウだが、その間に周囲から膨大な数の魔物が押し寄せてくる。
これまではレイジが背中を守ってくれたから何とか堪え切れたが、圧倒的な数の暴力を前に背後の守りを失った事実は大きい。それでもシロウは集団へ飛び込んでいく。
「俺ぁバカだからよ! 難しい事は考えらんねえ! 俺ぁ……結局この拳でしか何も語れねぇ! 何も残せねぇ!!」
雄叫びと共に放たれるただの右ストレートが黒い影の塊を焼きつくす。蹴りが空を穿ち、全身から放出される炎が闇を粉砕する。
「今の俺に出来る事……それは、ダチを守る事! そして……愛すべき家族のいる世界を守る事! そうだ、迷ってる暇なんかねえよな! ためらってる余裕なんか……ねえよなあ!!」
全身から迸る強烈な魔力、それはシロウという勇者の命の炎そのものだ。彼はもう迷わない。もう逃げ出す事はない。守るべき物、そしてこの力の使い方を理解したから――。
「……それって、あんたは悪くないんじゃないの?」
脳裏をよぎるJJの言葉。自分がこの異世界から逃げ出した理由を語った時、JJは呆れたように言ったのだ。
「確認するけど、あんたは自分と同格の格闘家を何人も半殺しにしたのよね」
「そうだ……」
「武器持って襲ってきた格闘家を、全員返り討ちにしたのよね?」
「そうだ……」
「いやいや。そうだって、なにそれどういうことなの? シロウ、それは正当防衛なんじゃないの?」
話を聞いていたレイジが慌ててツッコミを入れる。だがシロウはそんな事は承知の上だ。その上で悩み続けてきた。
「確かに、未来を脅しに使われたのもあった。あいつらを守りたかったんだ。だけどよ、俺の拳が他人を傷つけたことに違いはねぇだろ」
「……ふぅん。あんたって思っていたより自罰的なのね。だけど、もし本当にあんたがそこで手を下さずに未来がどうにかされてたら、あんたそれで後悔しなかったの?」
「そ、それは……」
「いい? 生きている限り誰も傷つけないなんて事は不可能よ。あんたの親父が殺人者で、それがトラウマになってるのはわかった。だけど人は必ず誰かを傷つけて生きているの。あんたがそうやって悩んでいる事が、未来にとっても重荷だってわからないの?」
それは考えたこともなかった。確かにあの事件以降、未来はあまり笑わなくなったように思う。元々彼女は心の傷から笑顔の少ない少女だったが、シロウの未来を閉ざす原因の一端になってしまったという事が、彼女にとっても耐え難い重荷だったのだ。
「あんた、守るための強さが欲しかったんでしょう? だったら守りなさいよ。あんたの大切な者を、あんた自身の手で」
そうだ。最初からこの力は誰かを守りたくて鍛え上げてきた。迷ったことも苦しんだ事もあったが、その祈りも願いも確かに純粋だったはず。
勇者の力は祈りの力だ。願いを帯びた拳に砕けない物はない。接近する魔物を拳の乱射で打ち抜き、龍の熱線に拳を打ち込み相殺する。
「俺を変えてくれた仲間たちの為に……! こんな俺をずっと見守ってくれた家族の為に! 俺はこんな所で……負けるわけにゃあいかねぇえんだよ!!」
そこへ唐突に側面からクリア・フォーカスの砲撃が直撃する。爆炎を突き抜け転がるシロウ、そこへ次々にミサイルが着弾した。
クリア・フォーカスの姿はどこにも見えない。今度は背後から結晶の砲弾を受け、体がきしむ。
「ぐ……消えやがったな、野郎……!?」
一瞬でも気を緩めればそこへ魔物が雪崩れ込んでくる。無数の牙と爪に引き裂かれながらもそれらを振り払った頭上へ影がさし、すさまじい速度で巨人の腕が振り下ろされる。
掌の大きさは60メートルを超える。気づくのが一瞬遅れ、魔物に取りつかれ回避運動もできなかったシロウを足場ごと怪物の右手が粉砕した。
吹き飛ぶ破片、舞い上がる砂。体中を魔物に噛み付かれながら、シロウは高速で落下していく。
「まだ……まだああああっ!!」
空中で爆発を放ち静止、すかさず真上に舞い上がるシロウ。怪物はシロウから目を逸し、境界へ向かって腕を伸ばしている。
「行かせねぇっつってんだろ! ここはダチと交わした約束の場所だ! そしてそっちは家族の待ってる俺の世界! てめえを行かせるわけにゃあ……いかねぇええんだよ!!」
魔物の群れを突き破りながら炎は巨人へ向かう。巨人はその上体をぐるりと回転させ裏拳を放つが、シロウはそれを蹴りから放つ爆発で粉砕する。しかしそこへどっと真上から魔物がなだれ込み、近場の岩場へたたきつけられた。
「負けねぇ……! 何があっても絶対に! 俺の拳は人を傷つける為の武器じゃねぇ! 未来を切り開く為の……希望だあああああああっ!!」
火柱が舞い上がるとシロウは装甲の隙間から炎を吹き上げる。両腕に光が収束し、更に一回り巨大な機械の腕を作り上げ、それを胸の前で打ち鳴らす。
「そっちに行きたきゃ俺を殺してからにしな! 世界の願望が勝つか、俺の希望が勝つか……! 根比べと行こうぜ!!」
咆哮する巨人、シロウはそれに負けじと吼える。炎の勇者は血と熱をまき散らしながら、再び死の空へと舞い上がった。




