祈り重ねて(2)
二つの世界の引力の狭間。今まさに世界が変わろうと言う神域の上で、そして東京の空で白と黒のシルエットが交差する。
神域から流れ込み、空中を漂う無数の岩場も世界の融和が果たされれば東京に振って注ぐだろう。レイジは青白く輝く剣を片手に空を舞い、岩の一つに着地する。
彼の持つ剣はミサキが手にした刀ではなく。そして彼が仲間の死を束ねた剣でもない。そのどちらにもよく似た、しかし全く異なるその剣は、未だその本領を発揮できずに居た。
『……レイジ、まさかお前が俺を呼んでくれるとは思わなかったぜ』
はっきりとした声だ。それはレイジの右肩から聞こえてくる。
うさぎの形をしていた精霊は今その姿形を変え、レイジを包み、その身体能力を高め、魔力を防ぐ衣となっていた。声を発しているのは獣の頭部を模した肩当て部分であり、そこからは青い光と共に声が物理的な振動として耳に響く。
「お前が歩み寄ってくれたお陰だよ。お前が俺をあきらめないでいてくれたから、こうしてちゃんと向き合えた」
『ちょっと遅すぎるぜ、相棒。それになんだこの形は? 俺もこんなの知らないぞ?』
「もう“世界”にお前をぶんどらたら面倒だからな。ついでに形もアレンジした。気に入らないか?」
『いんや。だがまだ力が馴染んでねぇ。今の俺達じゃ本来の力の二割も引き出せねぇぞ。どっちにしろ、俺達にとってこの世界はアウェーだ』
ハイネは今や魔物……すなわち世界の本能と融和を果たしている。バウンサーとして極まった今の彼は勇者としての力だけではなく、世界から直接力の供給を受けている。
バウンサーという存在は、ある意味世界を超え力を引き出すための最適解なのだ。故に今のハイネは異世界にありながら、ほぼ全力に近い能力を発揮している。
『前より強くなってるぜ』
「だとしてもやるだけだ。行くぞ――ッ!」
足元に光を集め、一気に跳躍する。レイジの首に巻き付くように伸びたマフラーのような、うさぎの耳のような部分はマトイの能力を引き継いでいる。
空中で気流を操作し、方向転換をするくらいは造作も無い。迎撃するハイネの闇の触腕を交わし、距離を詰めると剣を叩きつけた。
「流石としか言いようがねぇ! 無敵だよなお前! 完全に世界に愛されてやがる!」
魔力を込め、一気に膂力をブーストさせる。ハイネの立っていた岩場が陥没し、一気にめくれ上がった。そのまま力任せに打ち付けると、ハイネは岩を貫通しそのままザナドゥ側の空へ落ちていく。
「ひ、ひひひ……。強ぇ……つぇえよ、お前は……」
落ちていくハイネの瞳から溢れずに舞い上がる雫。レイジは光を背に、凛々しくその剣を握りしめている。
選ばれしモノだけが担う事を許された、救世主の剣。今ならわかる。いや、元々知っていたのだ。あの剣は人一人の想いだけで成された奇跡ではないのだと。
この世界からあの異世界へ旅だち、そこで絶望し心を折られた者達が希望を込めて祈りを重ねて彼に託した一瞬の奇跡。それが強くないわけがないし、そんなもの、主人公だけに許されたものに違いないじゃないか。
「お前は……ヒデェ目に何度も遭って……絶望して……みっともなく泣きわめいて……それでも……それでも立ち上がってきた……」
それは彼が一人ではなかったから。
少年が心折れて倒れそうになる度に、誰かがその手を握り締め、その背中を押し、前へ進ませた。
あの最強の救世主になるはずだった女がそうであったように。自らの弱さを乗り越え、死を前に抗い続けた少女がそうであったように。意思なき作り物に過ぎなかった筈の天使がそうしたように。
死んだほうがマシ、諦めればラクになれるのに、それでも前へ。それでも希望へ。そうした心の輝きがが光を作り、闇を振り払うのだ。
「人は……諦めるヤツを救わない。人は……何かを投げ出して、言い訳をするやつを救おうとはしない……」
誰だって同じだ。例え持って生まれた才能は違っても。そのスタート地点に優劣があったとしても。“諦める者は救われない”。
そうだ、ヒーローはいつだって諦めない。正義の味方は決して挫けない。当たり前なのだ。
優秀だから応援してもらえるわけではない。努力したから認めてもらえるわけでもない。いつだってその行いは、人の心に左右をされる。
人は残酷だ。だから人は弱さを許せない。そして正直だからこそ強さに憧れる。力に憧れる。“ああ。願わくが、私も彼のようであれたなら”と夢を見る。
「そうだよなァ……諦める奴に……光なんか差すわけがねェよなあ……っ」
――ハイネの人生は、諦めと嘘ばかりで塗り固められていた。
自分の弱さを認められなかった。自分はいつでも悪く無いと、きっとどこかの誰かのせいだと、そうやって毎日安い矜持を慰めながら這うように生きてきた。
誰だって憧れた。正しい存在に。どうせだったら脇役より主人公がいい、そんなのは当たり前なのだから。
だけどこの世界にはもう沢山の輝きが満ちていた。才能のある人間。境遇に恵まれた人間。必死で努力をしても彼らには敵わない。孤独な努力は成果を産まない。
自分の努力が足りないのではない。境遇が悪いのだと、才能が悪いのだと、妬み、憎しみを叫べば叫ぶほど人々はハイネを遠ざけた。
“負け犬の遠吠え”……そんな事はわかっていた。けれど認めるわけにはいかなかった。強くなれない自分も、正しくあれない自分も、それらは全てどこかの誰かのせいだったらよかったのに。
髪を染めて、粋がって見せて、自分から嫌われるようにしたってそれは“努力が報われず人に嫌われた自分”を誤魔化す行為にすぎない。だから苛立ちは毎日少年を苛んでいた。
わかっている。ああ、もちろんわかっているとも。こんなのずっと言い訳してるだけだ。頑張れなかった言い訳。結果を出せなかった言い訳。皆に認めてもらえなかった言い訳……。
諦めを正当化する者を人は振り返らない。可能性の見えない者にベットするほど酔狂じゃない。皆光が見たいから、光を見せてくれる者に手を差し伸べる。
希望をもう一度。奇跡をもう一度。諦めを超えて、自分達の諦めを背負って、もう終わってしまった夢をもう一度――。
「それが歪んだ奇跡であったとしても……」
織原礼司は背負う事を決めたのだ。あの少年は“世界”の、そして“総意”の犠牲になる事を自ら選び、貫こうとしている。
あの光は呪いだ。“頑張れなかった奴らの言い訳の塊”だ。キラキラ光ってきれいだけれど、そんなものは見た目だけ。二人のどっちがより醜悪かなんて、議論する余地もない。
レイジは強い。その強さは、自らが汚れる事を受け入れた事によるものだ。もう自分はどうなっても構わない。人の為、世界の為、そして愛する者のために己の全てを燃やし、その命の炎を握り締めて剣を成す。そんなバケモノ、どう考えたってパンピーが敵うわけがない。
「俺にも……」
お前になれた未来はあったのか――?
諦めたままでいいと、弱いままでいいと、その卑屈さを否定しなくていいと、クラガノは言ってくれた。
人は醜い。人は弱い。人は他人にばかり重荷を背負わせ、自分ばかりがラクする事を考えている。全て他人のせい、それは誰かが悪いわけじゃない。“人間はそういうもの”なのだから、“誰も悪くない”。
そう言ったクラガノに救われた気がした。邪悪で醜悪で、それでもいいと言った彼は、それでもあっさりと光の代弁者に駆逐されてしまった。
ああ、人生はクソゲーだ。わかってる。いつだって願いは叶わないし、努力の結果なんて出ない。あっさりと希望は潰えるし――それは全部誰かのせいだ。
負けたのが悔しかったわけじゃない。クラガノという、自分にとって都合のいい結論を壊されたのが憎かったわけじゃない。
でも、認めるわけにはいかないのだ。認めてしまったら……あんな歪な光を認めてしまったら。それこそ、これまでの人生全てを否定するのと同じじゃないか。
弱い者達の、光を浴びる事のできなかった者達の。ああ、もうそれが間違いであっても構わない。醜くあっても構わない。ああやって人々の願いを背負い、それにすり潰されながら燃え上がる光が正義だというのなら、自分は悪で構わない。
「それでも――この意地だけは……通すッ!! テメェだけは……絶対に――!!」
馬鹿げてるんだ。あんなヤツ。
誰にも応援されて、ステージの上で光を浴び続ける主人公。そうさ、自分だってああなりたかった。
だけど、“俺がなりたかった正義の味方”は――。
――あんな、醜悪なバケモノなんかじゃなかった。
「認めるわけには……いかねぇええんだよォオオオオッ!!!!」
涙は露と消える。そして少年の体は黒い闇に覆われた。
ハイネと呼ばれた勇者は今や完全に魔の者と変化する。巨大な闇を纏った鎌を手に、近場の岩を触腕で掴むと軌道を変化させ、レイジへと大きく弧を描き接近する。
「オォオオオオオオオオッ!」
世界の力を肉体に注げばそれだけ人から遠ざかる。ハイネは異世界に魂だけ召喚された勇者ではない。バウンサーと化した時から、彼の肉体はオリジナルだ。
その肉体ももう後戻り出来ない所まで変質してしまった。今や少年は怪物そのもので、きっと英雄に打ち倒されて然るべき悪党に成り下がった。
それでもレイジだけは。憧れと憎しみと、愛情と期待と祈りと、その何倍もの憐憫を込めて倒さねばならないこの光の怪物は。
「テメェは……なんとしても……ここでェ……止めるぅううう――ッ!!」
一呼吸の合間に五度、二人は互いの得物を激突させる。金属音というよりは爆発音に近い剣戟の残響に目を見開き、少年は吼える。
そう、これは負け犬の遠吠え。誰にも認められなかった弱者のあがき。そして、光にさらされ、希望という悪意に体中の全てを奪われた目の前の敵を糾弾する声でもある。
黒い怪物は吼える。自分勝手な理由で、恩着せがましく鳴き叫ぶ。目の前の敵は、きっとそれでも光を諦めないと知っているから。だからこそ、全力で。
鎌の一撃でレイジを大きく吹き飛ばし、空中を舞うその背中に狙いを定める。太陽を背に舞う小さな影へ腕を伸ばすと、ハイネの全身から触腕が赤い光を帯びて敵を射殺せと疾駆する。
これまでの一撃とは違う。ハイネの精霊器、“クリティカル”の力を込めてある。レイジが防ごうが僅かにでも掠ろうが、攻撃が命中するだけでカウントは進み、そのカウントがゼロになった瞬間レイジは問答無用で息絶えるだろう。
最初の一撃を剣で弾いた瞬間レイジの瞳が見開かれた。その体にまとわりつく死の呪いを察知し、二発目も剣で弾くも三発目移行は回避する。マフラーで風を操り、重力の狭間を堕ちながら加速するレイジを黒い槍はどこまでも追跡する。
レイジは空中に手をかざし、そこに光の魔法陣を展開する。飛び出した無数の武具を投擲し追尾する死の槍を迎撃しつつ、回り込み鎌を繰り出すハイネの攻撃に備える。
再び衝突する刃。赤と青の魔力の光が空間を歪め、轟音と共に二人を突き放す。触腕を岩に突き刺し減速するハイネは狂気じみた笑みを浮かべ、ぐるりとまたレイジへ回りこむ。
「万全じゃあねぇな、レイジ! 今のテメエなら俺と互角……いい様だァ!!」
鎌を振るい衝撃波を放つ。円形の斬撃は黒い光となってレイジへ迫るが、レイジはそれをマフラーで逸し、回転してハイネへと撃ち返した。
「ああ、そうさ。俺はテメェより弱い。こんなにズルしてもまだテメェには全然届かねぇ! だが今、この場所なら……世界の境界なら! 俺はテメェを、超えられるッ!!」
自らの攻撃を鎌で引き裂き、襲いかかるレイジの剣に鎌を打ち付ける。至近距離で交差する視線、二人はもう一度刃を合わせ、周囲の岩場は余波で砕け散る。
「ハイネ……お前は……」
「憐れむんじゃねぇっつってんだろボケがァ!! 俺は……俺はなぁ……! テメェとは違う! テメェを認めねぇ!! ヒ、ヒヒ……ッ! テメェがいっくら強かろうがなぁ!! 俺はぜってぇに……諦めねぇええんだよぉおおおッ!!」
自分の言葉に少年は一瞬驚き。それからふっと笑みを浮かべる。
ああ、そうか。今更になってこんな事に気づくなんて。
“諦めない”……ああ、当たり前のことだ。だからこんなに執着した。諦めたくなかった。ただ、それだけの事。
死の呪いを込めて繰り出した刃をレイジはすんでで回避する。その眼差しはまっすぐに敵を捉え、瞬きすらない。ひたすらに力だけを感じるその瞳にぞくりとしながら返す刃、それもレイジにかわされる。
何が起きているのか最初はわからなかった。だが単純なこと、レイジの力が上がっているのだ。ハイネのバウンサーとしての力よりも、レイジ本来の力の方が圧倒的に上。どういうわけだか知らないが、レイジはまだ少しずつ強くなり続けている。
そりゃあそうだ。ピンチになれば皆が応援する。こいつの仲間だって、この戦いを見ている奴らだって――何より、“俺だって”。
レイジの切っ先がカウンター気味にハイネの胸に突き刺さる。救世主は雄叫びと共に魔力を放出、一気にハイネの体を突き崩す。
岩場を超え、二つの世界の境界を落ちていく。レイジの剣はハイネの胸にあるコアを捉えたまま、幾つもの岩盤を貫通してもまだ食い込み続ける。
赤い結晶が砕け散る中、ハイネは自らの行いを冷静に見つめなおしていた。そうして改めて気づいたのだ。そう、自分もまた――この歪な救世主を応援する一人だったのだと。
レイジが強ければ強いほど、打ちのめされれば打ちのめされるほど、少年は自分を認識する事ができた。勝ちたい。負けたくない。諦めたくない……それは間違いなく魂の慟哭。それなのに、心のどこかで目の前のバケモノを応援している自分がいた。
こうやって直に刃を交え、異世界からの供給もまだまだあり余るバウンサーが目の前の敵に奇跡を祈るなら、そんなもの、彼に分があって当然の事。
「ハイネェエエエエエエエエエエ――ッ!!」
悔しい。悔しい。悔しい。
結局自分は負け犬だ。その遠吠えは誰にも届かなかった。けれど確かに諦めなかった。今度は最後まで、本当に本当の最後まで。
結果がでなくても、がんばれたから。そういう自分を認められるから。そんな傍迷惑な強がりを終わらせる救世主の剣は、文句なしに強かったから。
「…………俺、は……」
異世界へと続く境界、そこへ二人は真っ逆さまに落ちていく。白い光はまるで流星のように、闇を引き裂き約束の地へ吸い込まれた。
「レイジ……様?」
片手をかざし、神域内部に外の映像を表示するオリヴィア。そこには二つの世界の境界で闘うレイジとハイネの姿があった。
「どうして……あんな力はもう、ないはずなのに……」
「見ろミユキ、レイジだ! あいつどういうわけか知らないが、やっぱりちゃんとこっちへ向かってる!」
呆然とするオリヴィア。イオの声にミユキは映像へ目を向け、それから少し呆れたように笑う。
「本当、でたらめな人ですね。だけど……今なら少しだけ……わかる気がする」
そう言ってミユキは体を起こす。止めようとするイオを無視し、そのまま立ち上がった。
胸を剣で貫かれた事実はひっくり返らない。ぼたぼたと血を流しながら、ままならない呼吸のまま、一歩、また一歩と前に出る。
「これで……はっきり、した。世界は……まだ、迷っていると」
ケイオスは言った。世界はレイジやミユキ、勇者の影響を強く受けたと。その結果、より深く異世界を理解したいという願望を抱いたと。
「それはケイオス……あなたの欺瞞ですね……?」
傷口を押さえながらのミユキの言葉にケイオスは僅かに笑みを浮かべる。否定も肯定もしない。だがミユキには確信があった。
「あのパンデモニウムの戦いの最後……私達をザナドゥから弾き出したのは……“私達が世界を説き伏せる可能性”を排除する為。世界はまだ、自らの願いを定めていない……」
「は? ど、どういう事だよ?」
「確かに、勇者の行動により……世界が、自らから興味を失ったのは事実でしょう。しかし……その矛先は、異世界という漠然としたものではなく……このザナドゥを劇的に変化させた、彼……レイジさんにあったはずです」
咳き込み、その度に吐血しながらミユキは語る。そうして血に染まった手を上げ、オリヴィアを指さす。
「この世界に本当に絶望したのは……“世界”ではなく、あなたです。オリヴィア……ハイデルトーク……!」
俯いた前髪の合間、鬱屈とした視線がミユキを差していた。それにミユキは熱意と祈りを込めて視線を返す。
そうだ。どちらにしたって同じこと。こんな歪んだ状況を産んでしまったのは自分達の責任。そしてそれはレイジだけが咎を背負うべきことではない。
この少女と、この眼の前の友達と同じ時間を過ごし。悩みを語らい、決意を同じくしたミユキだって、背負い、悩むべき事だから。
「あなたは……世界の心変わりを恐れている。あなたは……ただ自分の願望に沿って、世界を思い通りにしたいだけよ、オリヴィア……ッ!」
だからイオは無視して真っ先にミユキを刺したのだ。何故ならばここは間違いなく世界の中枢であり、ミユキはレイジと同じく世界を変革する存在だったから。
ミユキの意思が世界に響けば、世界は心変わりをしてしまうかもしれない。そうなれば何年もかけて積み重ねてきたこの計画が台無しになってしまう。
「どうして……なぜなのオリヴィア。どうして諦めるの……? どうして……私達に相談してくれなかったの?」
女は俯いたままぎゅっと唇をかみしめている。年下だったはずの友達は、いつの間にか年上になってしまった。だからその二人の間に流れなかった時間は、大きく二人を隔てている。
「――どうして? どうしてって……そんな事決まっているでしょう? 私とあなた達とでは、置かれている状況が違いすぎるからだよ」
顔を上げた女はその両目に涙を溜めていた。ミユキの事が嫌いになったわけじゃない。憎くなったわけじゃない。
大事な友達だ。命がけであの時代を共に闘いぬいた親友だ。それをたかが数年の歳月で嫌いになんかなれるわけがない。
「確かにこの状況は私が願った事かもしれない。それでも私の言葉にも、私の理由にも何も変化はない。私はこの世界唯一の生き残りだから……この世界を、救う義務がある!」
「その為に他の世界を犠牲にする……そんなのあなたは望まなかった……!」
「望むとか望まないとかそういう問題じゃないの! 私達は! この世界の人間は! あなた達みたいに恵まれてない! あなた達みたいに、“生きる事”を許されていない!! あなたに何が出来るの!? あなたには何も出来ないわミユキ! あなたにこの世界は救えない! 私達は救えない!! 何一つ私と向き合ってくれなかったあなたなんかに――この世界は変えられないッ!!」
最初はゲームだった。
でも、そうではないと知って。この世界に取り残されて。孤独と恐怖に苛まれる夜を知った。
いつ終わるともしれない戦いに二年を費やし。この世界を生きる者達の事を知った。それでもミユキは彼女らに何もすることはできなかった。
そうだ、ちゃんと向きあおうとしなかった。世界を背負う、世界を守る、そんな重圧にずっとオリヴィアは晒されていたのに。
大丈夫だと笑う彼女の嘘を信じ続けた。いつだって彼女は本当は救いを求めていたのに。本当は、変化を求めていたのに。
茶化して、誤魔化して、その悲鳴から耳を背けてきた。オリヴィアは世界を再興するため、人類を守るため、あんなにも必死だったのに。
こぼれ落ちた熱い雫にミユキは感情を隠せなかった。ずっと氷のように凍てついていた少女の心はもう溶けた。命がけて溶かしてくれた人がいたから。
だから友のために涙を流せる。こんなにも後悔する事が出来る。何も出来ない自分の無力さを嘆く事が出来る。それでも――諦めずに、まだ足掻く事が出来る。
「確かに私は……友達と言いながらあなたと深く向きあおうとしなかった。この世界が終わった後の事を……何も考えようとしなかった。その先にあるのが、悲しい結末だとどこかで知っていたから……」
レイジは全てを取り戻すと言った。それを助けようと思ったし、この世界から帰還を果たすという目的もあった。
けれど、このゲームとして招かれたサードテスター達が、魔王を倒し、この世界の物語に決着をつけた後どうなるのか、それは誰にもわからなかった。わからないまま、そのままでがむしゃらにかけぬけてしまった。
異世界人はいい。勇者達は、別にそれでいい。けれどそんな勇者達の想いが、彼らの願いが蹂躙した後のこのザナドゥの大地に、一体誰が責任を持とうとしただろう?
ケイオスを世界が頼った事も今ならばわかる。神であるロギアも、このゲームの仕組みを定めたクロスでさえ、この戦いが終わった後の事なんて考えもしなかった。
ロギアは世界を滅ぼす事を望んだし、救世主達はこの世界を失敗を帳消しにする為の願望機としてしか見なかった。より確実な、より大きな変化を求める世界の欲望に応じられる者は、あの段階においてケイオスの他にはいなかった。
「私はバカです。バカで、幼稚で……失敗してばかりで。誰かにきちんと想いを伝える事の大切さを、いやというほど知っていたのに。それを……後悔していたのに……」
泣いても悔やんでも、それでも過去は取り返せない。だからいつも未来の為には行動を起こすしかないのだ。
強く血を噛み締めて、拳を握り締めて。まっすぐに、ただまっすぐにオリヴィアを見つめるその眼差しは。もうこの世界に居ない、彼女の姉を思い起こさせる。
「オリヴィア……私は……あなたの事を、友達だって思ってる。大事な……もう、絶対に裏切ってはならない、心から大切な友達だと思っている。だから……だから……っ」
全身全霊で祈るのだ。“世界を変える為”に。
「“世界”――ッ! 私はここです! 聞こえますか、私の想いが? 響いていますか、この胸の鼓動が……! 私はここにいる。私は決してもう逃げない。だから……!」
もう一度だけ。祈りを、願いを、もう一度だけ――友の為に。
「私に……奇跡をッ!!」
オリヴィアの背後で渦巻く円形の光の塊。神の座からあふれだす眩い光がミユキへ収束し、その体を包み込む。
勇者の力を取り戻したミユキは胸の傷に手をかざし、一瞬で時を巻き戻す。口元の血を拭い、大弓の精霊器を変形させ、光の剣へ手をかけた。
「それでも……神の権能はあなたより私に分があるよ、ミユキ」
神域中枢に浮かぶ無数の棺が突如オリヴィアの背後へ落下する。光を帯びて開かれたその内側から這い出たのは、一つ一つが精霊器を手にする勇者の残骸であった。
「心が死んでしまった勇者の残骸は。こちらの世界に召喚されると同時に神域に記録、保存される。オリジナル程の力はないけれど――これが、あなた達の世界を支配する切り札」
ミユキは光の刃を振るい、魔力を放出する。周囲の大地が凍結し、凍てついた大気がきらきらと光を弾く。オリヴィアは自らも剣を握ると、表情もなく亡霊の兵を引き連れ躍り出た。




