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XANADU  作者: 神宮寺飛鳥
【勇者召喚】
11/123

覚悟と資質(1)

「まさか、こんな事になってしまうとはねえ」


 しみじみとした口調で語る遠藤の言葉をJJは無言でやり過ごした。

 双頭の竜と呼ばれるボスユニットとの交戦から三日。結論から言えば、ダリア村はまだ無事であった。しかしまだ脅威は完全に去ったわけではなく、村人達は神殿での寝泊りを余儀なくされていた。

 この神殿を拠点としていたJJにとってこの状況は芳しくない。何しろここは既に彼女にとってはプライベートな空間という認識なのだ。他人がずかずかと、それも大挙として自室に押し入ってくれば、不機嫌になるのも当然の事であろう。

 しかし今のJJにとってそんな事は瑣末な事であった。彼女の眉間に寄った皺が消えない理由、それは先日の戦闘の結果から来ていた。


「まさか、あのミサキ君がねえ……」


 遠藤の言葉に唇を噛み締めるJJ。そう、まさか。JJにとってもこんな結末は想定外であった。しかし事実を受け入れない事にはどうにも状況は先に進まない。故にJJは自らに言い聞かせる為だけに、その言葉を口にした。


「……ミサキは、双頭の竜と戦って……死んだ」


 双頭の竜は想像以上の化物であった。強敵、難敵の類ならば予想していたが、あれほどまでに突き抜けた……いわばゲームバランスを無視したような化物が出現するなど、JJにとっても予想の外であった。そうでなければ、もっと必死にミサキを止めた筈だ。


「戦死者……リタイヤしたのがミサキ君だけで他が助かったのは幸いだったけどね。彼女は皆にとって特別な子だったから、傷は残るだろう」

「特別……?」

「JJにとってもそうだろう? 笑顔で近づく彼女の事、君もまんざらじゃなかった筈だ」


 腕を組み、背を向けたまま目を瞑る。その仕草は至って平然。普段のJJそのものだ。

 しかし遠藤は気付いていた。彼女の胸の内がどれほど乱れているのかを。動揺と後悔、罪悪感がぐるぐると大きな渦を巻いている、悲しみの海に。

 遠藤にとっても、JJにとっても。シロウにとってもアンヘルにとっても……レイジにとっても。ミサキという存在は特別な物だった。

 だから今の彼らの中にはぽっかりと大きな穴が開いているのだ。寂しさと呼ぶにはその暗がりは深すぎて、どうにも動き出せずにいる。


「……ねえおっさん、シロウとアンヘルは?」

「シロウ君はあれからずーっと自分を鍛えてるみたいだねえ。アンヘルはそんな彼を能力で助けているようだ」

「それって結局元の鞘って事よね」


 小さく溜息を漏らしてみる。ミサキは居なくなり、状況は全て元通りになった。

 もう村を助けようと叫ぶ者もいなければ、皆で纏まろうと声をかける者もいない。


「でも、まだ終わりじゃない」


 ミサキは命を賭して双頭の竜を退けた。しかしただそれだけだ。竜はまだ、生きている。

 再び村に訪れるまでどれほどの時間があるのかはわからない。一つ確かなのは、ただ執行猶予がついただけで今のままではダリア村は壊滅するのは変わらないという事だけだ。


「これからどうするんだい?」

「そんなの……わからないわよ」


 そっぽを向いたままのJJ。遠藤は頬を掻きながら苦笑し、ゆっくりと席を立つ。


「このままここで何もせずじっとしているのが一番かもね。本当にこの神殿が安全地帯なら、だけれど。僕はね、それはそれで正解だと思うよ。だから元気を出しなさい、JJ」


 立ち去る遠藤の足音を聞きながらJJが手にしたのは一枚のカード。真っ白なそれを束に戻し、何度かシャッフルしてみる。

 ぱたりと、机の上にデッキが置かれた。少女は石造りの椅子の上で膝を抱え、俯きがちに目を伏せて思い出していた。彼女と……ミサキとここでしたやりとりを。


「他人の能力がわかる能力かー! へぇー、すごいねー!」


 神殿の奥に閉じこもっていたJJを無理矢理訊ねてきたミサキ。最初はただ鬱陶しくて胡散臭いだけだった。

 JJにとって人の笑顔というものはあまり良い記憶がないもので、それこそ満面の笑顔で近づいてくるような相手を最初から信じろという方が無理な話であった。


「ねえねえ、私の能力を教えてよ。遣い方も全然わからなくて困ってるんだ……お願い!」


 しかし、いつの間にか。それこそたった数日足らずで、彼女はJJの心に居座った。

 このゲームにログインして、自分勝手に行動して、それで良かった。何にも困っていなかった。けれどミサキが会いに来ると嬉しくて、気付けばそれもこのゲームで遊ぶ理由の一つになっていた。

 顔を上げ、テーブルの向こうを見やる。今でもふっとそこにミサキが現れるのではないかと、そんな事を思ってしまう。けれど頭は冷静に思考を働かせていた。もうミサキは二度とログインする事はないだろう、と。

 これはゲームだ。ザナドゥという世界は所詮ゲームにすぎない。だがゲームだからこそ、このルールは……死亡したキャラクターは二度とログイン出来ないというルールは、決して破られる事はないだろう。

 ミサキはもう現れない。二度と会う事は出来ない。そう考えると寂しさが込み上げた。自分の中にまだそんな気持ちがあるという事に驚きつつ、少女は小さく息を吐く。

 その時である。目の前に誰かが出現するのがわかった。誰かがログインする時、そこには魔方陣が浮かび上がり光を放つという事を、JJはとっくに把握していたからだ。

 思わず身構えた。今ログインしていない人間は二人だけ。そんな事は有り得ないと頭の片隅で失笑しながら、そこに彼女が現れる事を祈っていた。だが――。


「……なんだ、レイジか」


 席についたままのJJの言葉。レイジはそれに何も応えなかった。


「三日ぶりかしらね。もう来ないかと思った」

「ごめん……」

「どうして謝るの? ミサキが死んだから?」


 返事はなかったが、レイジが掌をきつく握り締めたのがわかった。


「だとしたら、私に謝る事なんかないわよ。それにミサキも実際に死んだとかじゃなくて、ただゲームオーバーになっただけなんだし……そんな事もあるわよ。ゲームなんだから」


 別にレイジを元気付けたかったわけではないし、優しい言葉をかけたつもりもなかった。

ただ、事実を受け入れる為に。自分に対してそう言って欲しいからこそ、つい口から勝手に飛び出してしまったのである。


「……ミサキが死んだのは誰の所為でもないわよ。みんなの……そう。全員の責任……って、ちょっと何やってんの?」


 慌てて問いかけるJJ。そこには地べたに這い蹲り頭を下げるレイジの姿があった。

 所謂土下座というものだが、実際にやっているのを見るのはJJにとって初めてである。いや、彼女の人生経験が短い事を棚に上げても、中々お目にかかれるものではないだろう。


「JJ、頼みがあるんだ」

「た、頼みって……男が土下座するほどの事? とりあえず顔上げなさいよ、みっともない……」

「みっともないのは承知の上だ。どうしてもお願いしたいからこうしてる。俺……バカだから、他にどうやって頼めばいいのかわからないから」


 椅子を下りレイジに歩み寄るJJ。目の前で足を止め、少女はゆっくりと屈んだ。


「……ふうん。それで、私に頼みって何かしら?」

「力を貸して欲しい。あの竜を倒す為に」


 僅かばかり眉を潜めただけで反応を留めたのは、その言葉が予測の範疇にあったからだ。だがしかしこの頼みがJJの想定していた通りのものなら、答えもとうに決まっている。


「――だが断る」


 レイジは頭を上げないし何も言わなかった。その気まずさを濁すかのように、JJはゆっくりと語り始める。


「あの竜はこれまでのザコと比べたら別格よ。強さのランクがいきなり跳ね上がってる。ステージ1のボスとしてはどう考えてもおかしい、バランスブレイカーもいい所よ。あれに真正面から挑んで勝利する方法なんて今の私達にはないの。私の力を借りたところで、結果は三日前と同じに決まってるわ。私はまだこのゲームを続けたい。だから断るの」


 深く息を吐くJJ。長々と他人と言葉を交わす事はなかったからだろうか。やけに喉が渇いている。もう話を切り上げよう……そう思い立ち上がろうとした時だ。


「それでも俺は……あいつに勝たなきゃいけないんだ!」


 立ち去ろうとするJJの手を両手で握るレイジ。そのあまりにもみっともない姿に、込み上げる感情は侮蔑と苛立ちだけであった。


「どうして? ミサキの仇討ちのつもり? だったらやめておきなさい。あんたには無理よ。何の力もないくせに偉そうな口を利かないで」

「俺一人じゃ無理なのはわかってる。だから力を貸して欲しいんだよ」


 全く引き下がらないレイジ。JJは歯軋りし、手を思い切り振り払おうとする。


「何か策があって、それを成すだけの力があるならともかく! ただこうしたい、ああしたいって願望を口にするだけならガキにだって出来るわよ! 自分の無力を全部棚に上げて他人に縋ろうなんてそんな甘ったれた話が通用すると……!」


 ――はっとした。なぜならば、とても意外だったからだ。

 レイジはきっとミサキが倒れた事の責任を感じている。自分の所為だと、罪悪感に苛まれている。だからそこから逃れる為に安易な仇討ちを考えているのだとJJは思っていた。

 実際、それは間違いではない。レイジの考えている事は仇討ちであり、己の無力さに苛まれ、罪悪感に魘されていたのは事実である。だが、それが全てだというわけではない。

 レイジは顔を上げ真っ直ぐにJJの目を見ていた。ただ真っ直ぐに。その表情には怒りも悲しみもなく、ただ深い決意だけが見て取れる。真摯に、思いを伝えようと訴えかける瞳。まさかこんな目をしているだなんて。

 どうせこの男はみすぼらしく他人に縋るような目をしていると思っていた。少し小突けば泣き出してまた逃げる、そういう風に考えていた。だからその真っ直ぐな眼差しは……彼女を思わせる眼差しは、JJの言葉を止めるに十分な威力を誇っていた。


「全部JJの言う通りだ。俺には力がない。俺は弱くて情けなくて、美咲に何もしてやれなかったヘタレだ。だけど……それでも、美咲の願いを叶えてやりたい」

「願い……?」


 ゆっくりと頷くレイジ。そうして立ち上がり、改めてJJの手を両手で握りしめる。


「皆を一つにする。そしてダリア村を守り、あの竜を倒す。ただそれだけだ」

「……レイジ……」


 小さな手だ。JJのとても小さな手。レイジはそれを優しく、とても大事なものであるかのように握り締める。その顔があんまりにも切なげなものだから、JJは何も言えなくなってしまった。


「俺一人じゃ無理なんだ。だからJJに知恵を貸して欲しい。俺に出来る事ならなんでもする。本当になんでもだ。だからお願いだ……力を貸してくれ」

「な、なんでもってあんたねえ……っていうか手ぇ放しなさいよ……っ!」

「JJが協力してくれるなら放す」

「バッカじゃないの!? じゃあ私が協力しないって言ったらどうするつもりなのよ!」

「してくれるまで頼み込む」

「ストーカーじゃないのッ!」


 顔を真っ赤にしたJJの悲痛な叫びが神殿内に響き渡り……それから凡そ二十分後。そこには全身汗だくになり、なんとか少しでもレイジから逃れようともがいているJJの哀れな姿があった。レイジは非力だが、それでもJJより膂力は上なのだ。


「わかった、わかったわよ! 手を貸すから! 約束する! だから放して!」

「本当にか? 本当にいいのか?」

「いいからーッ! いいから放してってぇーッ!」


 ぱっと手を放すレイジ。JJは自らの勢いに従い、そのまま派手に転倒した。


「はあっ、はあっ、はあっ! な、なんなのよもう……あんたそんな暑苦しいキャラだったっけ……!?」


 汗だくの手を服の裾で拭いながら肩で息をするJJ。激しい人見知りの所為で他人に攻撃的になってしまう彼女にとって、レイジの行動はあまりにもきつすぎた。

 と、そこへぽたりと白い物体が落下してきた。ボールのようなそれはゆっくりと形状を変え、辛うじてうさぎと呼べ無い事もない状態に落ち着く。


「そいつを持っててくれ」

「これあんたの精霊? 私が持ってどうす……ちょおーッ!?」


 横たわっていたJJの身体を担ぎ上げるレイジ。再び悲鳴を上げるJJを無視し、レイジは勢いよく神殿を飛び出した。

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