ヴェリアスタへの帰還 (フリーダ視点)
遅くなって申し訳ありません。
アイヴァンとリンレイ王女が視察旅行に出発してから数日後。
鬼燈国の宮廷にヴェリアスタ王国からの使者が訪れた。使者は緊張した面持ちで、国王の前に膝をつき、敬意を示した。
「鬼燈国の国王陛下、ジンフイ王子殿下、そしてフリーダ様。本日は我が国の切迫した状況について、アイヴァン様とフリーダ様の助力をお願いしたく参上いたしました」
国王は使者をじっと見つめ、静かに頷いた。
「状況を説明せよ」
使者は深く息を吸い、話し始めた。
「我が国は現在、重大な危機に直面しているのです。政務を担っていたサディアス王子、ユリア王妃、そして首脳陣の大半が病を得て療養することになり、国内が混乱しております。お二人には急ぎ帰国し、どうかヴェリアスタを立て直すお手伝いをしていただきたいのです」
フリーダはその言葉を聞いて驚きの表情を浮かべたが、すぐに落ち着きを取り戻し、国王に目を向けた。
「ヴェリアスタの窮状は理解した。しかし、アイヴァンを今帰すことは難しい」
「そんな……」
「彼は知り合いもいない土地で、己の地盤を築くために身を粉にして懸命に働いている。多忙さゆえに、すぐにヴェリアスタに戻ることは現実的ではない」
ヴェリアスタと鬼燈国間の旅程は数ヶ月にも及ぶほど遠い。
鬼燈国に住む親族などいるはずもなく、まして人種すら違う者たちの中で身を立てるということの難しさは、簡単に想像できた。仕事の都合をつけるにしても、戻りの予定も読めない案件である。鬼燈国側が難色を示すのも無理はなかった。
「そなたらがアイヴァンを求める気持ちも理解できるがな。あやつはどんな困難に直面しながらも、挫けることはない。頭が回るだけでなく、腕も立つ。我が国でも重宝している。流石はヴェリアスタが推してくれた婿殿だ」
使者は居心地の悪さを感じた。アイヴァンはヴェリアスタでは不当に扱われていたことを知っているため、鬼燈国の王が彼の実力を見抜き、重用していることに悔しさと後ろめたさが込み上げてきたのだった。
「では、ヴェリアスタに帰国するのは私一人ということになりますね」
フリーダが静かに言った。
使者はその声にハッとし、改めてフリーダを見つめた。
ヴェリアスタではアイヴァンの実力ばかりが注目されていたため、彼女の存在を意識することは少なかった。少なくとも今この時まではアイヴァンの添え物でしかなかった。
しかし、目の前のフリーダは以前とは違い、自信と落ち着きに満ちた美しい女性だった。
「はい、フリーダ様。是非ともお力をお借りしたく存じます」
「私一人では頼りないかもしれませんが、必要とされるのであれば尽力いたしましょう」
毅然とした様子は、まるで女神のように見えたのだった。
「ならば、私も一緒に行こう」
国王の隣で黙って話を聞いていたジンフイ王子が提案した。その提案に使者は一瞬戸惑った。ジンフイ王子についての情報は少なく、どのような人物かは把握していなかった。
鬼燈国の王家にはアイヴァンを婿に迎えたリンレイ王女とジンフイ王子の二人しか子供がいないことは分かっている。つまり、ジンフイ王子は鬼燈国の跡継ぎであり、国の未来を担う存在だ。使者は慎重な態度を取ろうと心掛けた。
ジンフイ王子は鬼人族の特徴である角と大柄な体格を持ち、威圧感があった。しかし、その目には知性と優しさが宿っており、彼の言葉と態度には温かさが感じられた。使者は次第に安心感を覚えた。
「良い考えだ。不肖の息子だが、何かの役に立つだろう。少なくとも盾くらいにはなるからな」
国王の雑な物言いに、フリーダは思わず微笑みを浮かべる。
「ありがとうございます、ジンフイ殿下。それに陛下、御心遣いに感謝いたします」
国王は重々しく頷き、続けて言った。
「我が国はヴェリアスタとの友好関係を今後も大切にしていきたいと思っている。そのための協力を惜しむつもりはない」
国王の言葉に、フリーダとジンフイ王子は深く頷いた。使者も感謝の意を込めて頭を下げる。
そして更に続けて言った。
「土砂崩れの件についても、我が国から支援金を送ろう。少しでもヴェリアスタの助けになることを願っている」
予想外の提案に、使者は驚き、再び深く頭を下げた。
「陛下の御厚意に感謝いたします。この御恩は決して忘れません」
「困ったときはお互い様だ。これからも友好を深めていこうではないか」
国王は、使者の反応に満足げに微笑み、優しく頷いた。その姿は人々に安心感を与え、自然と信頼を引き寄せるものだった。
謁見が終わり、国王が下がると、フリーダとジンフイ王子はヴェリアスタへの旅の準備に取り掛かった。すぐさま臣下や使用人たちに指示を出し始めた。
「まずは書類をまとめてくれ。外交文書や必要な許可証が全て揃っていることを確認するのだ。それから、以前の親善訪問の際の準備リストを参考に、必要な物品もすぐに揃えてくれ」
「不足があれば、すぐに知らせてください。対応しますので」
使者は二人の真剣な姿を見て、邪魔をしてはいけないと察し、静かに頭を下げて部屋を後にした。
使者が退出すると、二人は動きを止めた。
「ようやく静かになったな」
「皆さん、茶番に付き合ってくださって、ありがとうございます」
悪戯が成功した子どものように笑うジンフイ王子とフリーダの姿に、その場にいた者たちも笑顔で頷き、一礼してから各自の持ち場に戻って行った。
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ジンフイ王子とフリーダは、そのまま王族の居住区に移動し、ジンフイ王子の書斎で一息つくことにした。優雅に茶器に口をつけ、喉を潤す。
「父上の人たらしぶりには毎回感心するよ」
「本当に。あの支援金の話は流石だわ。ヴェリアスタの助けになるだけでなく、貴方の立場も強化されるもの」
ジンフイ王子の言葉に、フリーダは感心しながら同意する。彼の発言力が増せば、自然と鬼燈国に有利な交渉もできるようになるだろう。
鬼燈国の住人のほとんどは、大柄で角を持つ鬼人族であり、その見た目から粗野で暴力的な印象を抱かれることが多かった。その見た目による誤解を逆手に取り、実際には友好的かつ巧妙な外交戦略を展開していた。侵略戦争などという表立った手段を使わずとも、友好的な姿勢と計算された援助で相手国を取り込み、結果として自国の利益を確保する。これが鬼燈国の外交戦略であった。
ヴェリアスタから帰国を促す使者が来ることは、密偵からの報告で鬼燈国側は知っていた。フリーダの帰国もジンフイ王子の同行も計画通りなのだが、唯一、支援金を送ることだけは二人の与り知らぬ提案だった。
「まったく、父上は無自覚にそういう計算をしているんだから驚くよ。上手く使えば金額以上の利益を生むだろうね。本当に勉強になるよ」
ジンフイ王子は茶器を見つめながら、父親の策士ぶりに改めて感心するのだった。




