傲慢さの代償 (サディアス王子視点)
エセルの代わりに誰を選ぶか。
すぐに思いついたのは、イザベラ・フロックス侯爵令嬢だった。
妃候補の中でフリーダに次ぐ順位であり、その美貌と高飛車な態度からも目を引く存在だった。いつも強気で利口ぶっている彼女なら、仕事もできるのだろうと考えたのだった。
早速、王子はイザベラを宮廷に呼び出した。
「イザベラ嬢、よく来てくれた」
王子は微笑みながらイザベラを迎え入れる。彼女は華やかなドレスの裾を持ち、優雅な一礼をした。
「お招きいただき光栄です」
イザベラの声は甘く、媚びるような笑顔を浮かべていた。
「イザベラ嬢、実は貴女に頼みたいことがある」
彼女は微笑みを崩さず、王子の言葉を待った。
「現在、私は非常に多忙で、公務が滞りがちだ。フリーダが行っていた業務を手伝ってもらえると有難いのだ」
イザベラは少し驚いたような表情を見せたが、すぐに理解したように頷いた。
「もちろん、殿下。私がその任に就けることを光栄に思います」
彼女の返事に王子は満足げに頷いた。イザベラなら、この難局を乗り切る手助けをしてくれるだろうと期待した。
「ありがとう、イザベラ嬢。君の協力に感謝する」
彼女は再び優雅に一礼し、その瞳には野心が宿っていた。サディアス王子はその野心を見逃さず、彼女の力を利用することに決めた。
「では、早速だが、君に任せたい業務について説明しよう」
王子は彼女を執務室に案内し、机に積まれた書類の山を見せた。イザベラはその膨大な量に一瞬驚いたが、すぐに冷静さを取り戻した。
「これらの書類を処理し、次の会議の準備も手伝ってほしい。君の手腕を信頼している」
イザベラは微笑みながら頷いた。
「お任せください、殿下。全力でサポートいたします」
しかし、イザベラが書類に目を通すと、その顔に戸惑いの色が浮かんだ。彼女は書類の束をチラッと見ただけで、その量と内容の難しさに顔色が青ざめた。
「これは……少し大変そうですわね」
どうにか虚勢を絞り出したイザベラだったが、内心では強い不安が渦巻いていた。
「どなたがお手伝いしてくださるのでしょうか?」
「何を言ってるんだ。これは貴女一人の分だ。イザベラ嬢ならできると信じているよ」
その言葉にイザベラは絶望した。
いつもは胸が熱くなる王子の明るく朗らかな微笑も、今の彼女には薄ら寒ささえ感じたのだった。王子が退出した後、机に積まれた書類を見つめながら、イザベラはその場に立ち尽くした。
そして逃げるように宮廷を後にしたのだった。
数時間後、サディアス王子がイザベラに与えた部屋に戻ると、机の上の書類がほとんど手つかずのままであることに気づいた。使用人に問い質せば、自分が退出した後すぐにイザベラは宮廷を出たと言うではないか。
「何と無責任な!!」
王子は怒りを抑えきれず、声を荒げた。自分の信頼を裏切ったイザベラが腹立たしくて仕方ない。
その時、部屋の扉が静かに開き、イザベラの父親であるフロックス侯爵が姿を現した。
「サディアス殿下、お話がございます」
侯爵は丁寧な口調で、しかし厳しい表情で言った。
「殿下、婚約者でもない娘を宮廷に呼び出し、公務を手伝わせるなどどういう了見でしょうか?」
今回、イザベラは内々に呼び出していた。親の許可など何一つ取っていない。
元々、彼女には公務を手伝わせるだけで、婚約者に選ぶ気もなかった。多少は良い夢を見せてやる気はあったが、いくら美女とはいえ性格の悪さが滲み出た女と添い遂げる気はなかったのだ。
「……イザベラ嬢は、非常に優秀と聞いている。彼女の手腕を借りたかっただけだ」
答えたものの、過大評価だったと王子は内心で思う。しかし、侯爵は納得することなく、冷静なまま続けた。
「殿下、娘から話を聞いたところ、任された業務は非常に難解で、一人の令嬢が負うものではないとのことですが?」
侯爵は机の上にあった書類の束を手に取り、その内容を一瞥した。
「文官でもない、イザベラのような何の責任も負わない者が行う業務ではありませんな」
そして深い息を吐き、続ける。
「これを婚約者であるフリーダ嬢にも任せていたのですか?」
「あ、あぁ……フリーダが出来たのだから……」
「そう思っていらっしゃるのなら、殿下はフリーダ嬢の資質を見誤っておられるのでしょう。イザベラには、ここまでの実務能力はございません。だからこそ、娘は妃候補から外れたのでしょう」
気づきたくもない事実を突きつけられ、サディアス王子は言葉を失った。だが、諦めるわけにはいかなかった。
「侯爵、貴方の指摘は理解した。だが、私は国のために最善を尽くしたいと思っている。だからこそ、イザベラ嬢の協力が必要なのだ」
彼の言葉には懇願の色が滲んでいたが、侯爵は冷ややかに頷き、一歩引いて言った。
「殿下、国のためにという言葉は重いものです。どうか、その重さをよく理解し、今後は慎重にしてください。そして、これ以上、娘を巻き込むことは御遠慮していただきたい」
侯爵は深く頭を下げ、部屋を後にした。
サディアス王子はその背中を見送りながら、苛立ちと屈辱を感じていた。
「臣下である以上、王子の私を助けるのは当然だろうがッ!!」
彼は怒りに任せて、手近な書類の束を叩きつけた。散らばる紙片を見ても、彼の怒りは収まらない。恨みがましい様子で、自分を正当化し続けた。
「喜んで身を差し出すべきだろう……私は次の王だぞ!!」
サディアス王子の求めるものは、結局のところ奴隷のように忠実に働く者でしかなかった。命令を聞き、反論せずに働き続ける存在を欲していた。しかし、そんな存在は稀有であり、アイヴァンやフリーダはその中でも特に稀な存在であった。
アイヴァンやフリーダのように無私の心で働く者は、滅多にいないのだ。彼らとて、親に無理やり従わされていたに過ぎないのだ。彼らの忠誠心や勤勉さは、彼ら自身の意志ではなく、周囲の圧力や兄妹を守るために従っていただけだ。
「次は誰に命令すれば良いのだ……」
王子はそのことに気づくことなく、彼の求める理想の臣下を見つけることができなかった。彼の態度はますます傲慢になり、臣下たちとの溝は深まるばかりだった。




