不条理な運命
廊下の奥へ進んだところで王子は立ち止まり、冷笑を浮かべた。
「まさか、鬼燈国に行きたくないとエセル嬢に縋りついていたのか?」
屈辱的な言葉だったが、反論する気も起きなかった。そもそも今回の縁談も、王子が画策したことは分かり切っていた。そうでなければあれほどの大衆の前で、自分を褒め称えるような人間ではないとアイヴァンは知っている。
「貴様のような無能は、エセル嬢に見捨てられるのは当然だろう。だが、安心しろ。私が彼女を救ってやる。貴様の代わりに、彼女には相応しい未来を与えるつもりだ」
サディアス王子の言い様にアイヴァンは違和感を抱いた。
「殿下、まさかエセルを……」
「口を慎め。エセル嬢は身分も容姿も国母に相応しい。彼女には私こそが相応しい。貴様のような無能な男が手にするには過ぎた存在なのだ」
「ではッ!フリーダはどうなるのですか!?」
フリーダがサディアス王子の好みでないことはアイヴァンも知っていた。それでも国王に認められた婚約者である。しかし、公爵令嬢であるエセルを正妃に迎えるというのなら、フリーダは一体どうなるのか。
「フリーダか……あの女も鬼燈国に同行することになるだろう。貴様の供としてな。そのまま帰って来なくて良いぞ」
帰って来なくて良い――アイヴァンは愕然とした。
フリーダまで鬼燈国に送られるなど考えもしなかった。彼女が妃になるためにどれだけ努力してきたのか、サディアス王子のために仕事を肩代わりしてきたことを知っているからこそ、その未来が無になることは耐え難かった。
「フリーダは……フリーダはずっと殿下のために尽くしてきました。その努力をどうして無駄にするのですか?」
「くどいぞ。あの女の努力など、私にとって何の価値も無い。貴様がどれだけあの女を庇おうと有益でなければ、用済みだ」
「それはあまりにも理不尽です……!」
サディアス王子は冷笑を浮かべて続ける。
「貴様が何を言ったところで、貴様の父親は私を支持するだろう。お前の父親は、私に捨てられたフリーダを許さないだろう。そんなに父親の怒りを買わせたいのか?」
今度こそアイヴァンは言葉を失った。
王子の言う通り、父はフリーダが婚約破棄されたとなれば、娘と言えど呆気なく切り捨てるだろう。修道院かどこかに押し込めるだけならまだマシだが、打ち捨てる可能性もある。最悪の場合、その手にかけるかもしれないと思うと背筋が凍りそうだった。
「だが、フリーダが鬼燈国に行けば、少なくとも伯爵の怒りを避けることができるだろう。貴様もフリーダも新しい生活を始めることができるんじゃないか?」
サディアス王子の言葉は冷酷だったが、現実的であった。彼の中ではフリーダを排除して、エセルを選ぶことは決定事項なのだ。フリーダを守るためには自分と共に国を出ることが最善の選択なのかもしれない。
アイヴァンは無言で王子の言葉を受け入れるしかなかった。
「さて、準備を整えろ。明日、鬼燈国の者たちと共に貴様らは国を出て行くのだ」
冷たく言い捨てて、王子はその場を去ったのだった。
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アイヴァンは自宅に戻り、重い足取りで玄関をくぐった。嫡男の帰宅に気づいた執事長がすぐに彼に近づいてくる。
「アイヴァン様、お帰りなさいませ。伯爵様より伝言がございます。帰宅次第、書斎に来るようにとのことです」
分かったと返事をして、深い息をついてからアイヴァンは廊下を進む。
もう夜もかなり更けたというのに、屋敷は俄かに騒がしい。使用人たちがせわしなく行き交い、準備に追われているようだった。突然、長男と長女が長旅に出るというのだから、最低限の体裁だけでも整えようとしているのだろう。しかし、実質半日もないのだから取り繕うのも難しいだろう。
父の書斎の前に立ち、深く息を吸う。そして扉をノックして開けると、書斎には父とフリーダが待っていた。父は書斎机に着き、フリーダはその前に立っている。
「ただいま戻りました」
アイヴァンは一礼し、フリーダの横に並ぶ。
「アイヴァン、よくやった。まさかお前が王家のためにここまで役に立つとはな」
その言葉にアイヴァンは複雑な感情を抱えながら、深く頭を下げた。父の目には息子の幸福など関係なく、ただ王家のために尽くすことだけが全てだという冷たい語り口であった。
「鬼燈国にはフリーダもお前と共に行くことになった。王妃殿下から勧められたのだ。次期王子妃として見聞を広げると良いと。流石王妃殿下だ」
父の誇らしげな表情にアイヴァンは苦々しい気持ちを抱えながら頷く。サディアス王子だけでなくユリア王妃もまたフリーダを排除しようとしていると思うと遣る瀬無かった。
隣に立つフリーダを見れば、動揺した素振りは無い。既に聞いていたのだろう。
「フリーダ。お前もアイヴァンのように、王国のために役に立て。それがお前に目をかけてくださっている王妃殿下や王子殿下への恩返しになるのだから」
「はい。ご期待に添えるよう精進いたします」
何を聞いても不毛なやり取りにしか聞こえなかった。
王子たちがフリーダを王族に迎えることはないし、ましてヴェリアスタ王国の地に足を踏み入れることすら許さないかもしれない。けれど、そんなことも知らず浮かれる父の姿は滑稽でしかなかった。
「では、すぐに準備を始めろ。時間が無いぞ」
父の冷たい指示にアイヴァンとフリーダは一礼し、書斎を後にした。




