第二十六話:魂の叫び
玉座の間は、絶対零度の魔力によって、壁も床も、薄氷に覆われていた。わたくしの吐く息が、一瞬で白い霧と化す。
その、世界の終わりのような光景の中心で、暴走するセレスティーナ様と、彼女を庇うように立ちはだかる、あのメイドの姿を、わたくしは、冷静に、ゲーマーとして分析しておりました。
(なるほど。ラスボスが、暴走状態に陥っている。そして、それを守護する、重要イベントNPCが一人。これは、特定の条件を満たすことで、ボスを正気に戻すか、あるいは、弱体化させるタイプの、ギミック付きのクエストですわね)
わたくしの、豊富なゲーム経験が、瞬時に、最適解を導き出します。
こういう場合、無理にボスを攻撃するのは、悪手。まずは、NPCから、情報を引き出すのが、定石ですわ。
わたくしは、大戦斧を、その切っ先が床の薄氷を削る、不快な音を立てながら、引きずって、ゆっくりと、メイドの少女へと、歩み寄りました。
「決まっておりますでしょう。この世界の、バグを、削除しに来たのですわ」
わたくしの言葉に、メイドの顔が、恐怖と、警戒に歪む。ええ、ええ、そのリアクション、NPCとして、実に正しいですわよ。
「どきなさい、メイド。あなたに、用はございません」
「お断りします」
(ほう。選択肢を与えずに、即答ですの。これは、強制イベントルートですわね)
「この御方を、傷つけるというのなら、このリリアが、お相手です」
「あなたごときが?わたくしの、相手に?…笑わせますわね」
わたくしは、心底、そう思いました。レベル1のNPCが、レベル99のプレイヤーキャラクターに、戦いを挑むなど、滑稽の極み。ですが、これも、シナリオの一部なのでしょう。
わたくしが、この茶番を終わらせるべく、大戦斧を構え直した、その時でした。
「あなたも、同じなのでしょう!?」
彼女が、叫んだのです。恐怖ではなく、何かを、確信したような、強い瞳で。
「…何が、ですの?」
「あなたも、何かを、守るために、ここにいる!その瞳は、ただの、野蛮な破壊者のものではない!何かを、必死に、守ろうとしている者の、瞳です!」
(な…!?)
わたくしの、完璧なポーカーフェイスの下で、心が、激しく、揺さぶられました。
なぜ? なぜ、この、ただのNPCが、わたくしの、このメインクエストの、根幹にある動機を、見抜いているのですか?
兄様を、家族を、そして、この、わたくしの愛する世界を守る。その、わたくしだけの、神聖な目的を。
(……まさか、このNPC、わたくしのステータス画面でも、読み取っているというのですか…!?)
ありえない。ですが、動揺を、悟られるわけにはいきません。わたくしは、それを、冷たい笑みの下に隠し、言い放ちました。
「ええ、そうですわよ」
その声は、自分でも、驚くほど、冷たく響いた。
「わたくしは、守るために、ここにいる。あなたも、この国も、愛する家族も、全てを。…そのために、わたくしは、彼女を、討たねばならないのです!」
そうだ。これは、感傷に浸る場面ではない。バッドエンドを回避するための、ただの、作業。
わたくしは、再び、大戦斧の切っ先を、メイドへと向けました。
「…そこを、どきなさい」
「わたくしとて、無益な殺生は好みません。ですが、あなたが、それ以上、わたくしの邪魔をするというのなら――」
「邪魔、ですって…?」
彼女の唇から、か細く、しかし、燃えるような声が、漏れる。
「あなたには、分からないのですか! あの人が、どれほどの絶望の中で、今、たった一人で戦っているのかが!」
その言葉は、わたくしの心を、抉りました。
分かりますとも。あの「神託」のビジョンで、わたくしも、見たのですから。彼女が、ただ、災厄として、暴走しているのではないことを。その、魂の奥底で、必死に、何かに、抗っていることを。
「あなたも、見たのでしょう? あの人が、この世界を破壊し尽くす、未来を。…怖かったのでしょう? 愛する人が、家族が、全てが、失われる、あの光景が」
図星でした。
あの、兄様が、血に染まるビジョン。わたくしの心を、初めて、本気で、凍てつかせた、あの恐怖。
なぜ、このメイドは、そこまで…。
「ええ、そうですわよ」
わたくしは、動揺を、押し殺す。
「だからこそ、わたくしは、ここにいる。悲劇の芽は、それが、育ち切る前に、摘み取らねばならない。それが、貴族の、責務ですわ」
「責務、ですって…?」
彼女の瞳から、ぽろり、と、一筋の涙が、零れ落ちた。
「あの人を、殺すことが、あなたの、正義だと、本気で、そう、おっしゃるのですか…!」
その、涙。それは、ただの、演出には、見えませんでした。
わたくしの、ゲーム理論が、目の前の、この、あまりに、生々しい「現実」によって、軋みを上げていく。
彼女は、その場に、膝から崩れ落ちました。
そして、わたくしに、懇願するように、その、小さな手を、差し出したのです。
「お願い、します…! 一日だけ…! たった一日だけ、時間をください…!」
魂からの、叫び。
その、あまりに無防備な言葉に、わたくしの動揺は隠しきれないものとなりました。
「わたくしには、計画が、ございます。あの人を、救うための、最後の、たった一つの、方法が…!」
「…救う、ですって? あの災厄を? 馬鹿なことを。あれは、もはや…」
「いいえ!」
彼女は、叫びました。
「あの人は、最後まで、生きることを、諦めなかった! あなたを置いて死ぬくらいなら、運命と共に生き延びてみせると、そう、誓ったのです! その、気高い魂を、このまま、終わらせていいはずが、ない!」
「もし…もし、私が、彼女を救えなかった時は、あなたの、邪魔は、いたしません。その時は、あなたの、その手で、全てを、終わらせてください。…ですから、お願いです…!」
長い、長い、沈黙。
わたくしの頭の中で、高速で、思考が、回転していました。
クエストログには、ただ、『世界のバグを削除せよ』としか、書かれていない。
だが、このNPCの、この、あまりに、切実な、魂の叫び。これは、一体、何?
もしかしたら、これは、隠された、ルートへの、分岐点なのでは?
ただ、ボスを倒すだけが、エンディングではないのかもしれない。この、NPCの訴えを、信じることで、誰も、死なない、「真のエンディング」へと、たどり着ける、可能性が…?
…いえ、このNPC…メイドの訴えはわたくしの心をこの場に打ち込めてしまっていて、最早、身動きはできませんでした。
やがて、わたくしは、天を仰ぐと、深い、深いため息をつきました。
そして、ゴトリ、と重い音を立てて、あれほど固く構えていた大戦斧を、床に、下ろしたのです。
よろしいでしょう。
この、メイドの、イベントルートに、乗ってみますか。
この、わたくしの、完璧なゲーム攻略に、一片の、悔いを残さないために。
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