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アベル様は、『星姫のミラージュ』のサブキャラクターだ。
ヒロインのステラに思いを寄せるが、最後には兄とステラの仲を応援して身を引くことになる。
読者からも大変人気のあるキャラだった。
しかし、漫画の中でアベル様がリリアーヌと関わる場面はほとんどなかった気がする。
なのに、漫画の記憶ではない私のこの世界の記憶では、アベル様はやけにリリアーヌに絡んでいた。
私が王宮までジェラール様に会いに行けば、呼んでもないのに勝手に二人のお茶会に割り込んできたり、学園でも高等部と中等部で校舎が違うのに、やたらと会いにきたり。
漫画にはそういった話は一切描かれていなかったので、前世と今世の記憶が合わさると、不思議に感じてしまった。
首を傾げる私に、なおもアベル様は尋ねてくる。
「ねぇ、リリアーヌ。本気なの? 本気で兄上との婚約をやめるつもり?」
「え、ええ……。まぁ」
私が曖昧に答ると、アベル様はぱっと目を輝かせた。
「よかった! それがいいよ! リリアーヌ、ちっとも相手にされていない兄上に毎日付き纏って、見ていられなかったもん!」
「さっきから失礼ですわね! 私は必死だったんです!」
私が怒ると、アベル様はごめんごめんと謝る。
それから私の手を取ってぎゅっと握りしめてきた。
「ねぇ、リリィ」
「愛称で呼ばないでください」
「それなら僕と婚約しない?」
「はぁ?」
私はアベル様に手を掴まれたまま、間抜けた声で聞き返した。
「一体何をおっしゃってるんですか」
「だって兄上との婚約は破棄したんでしょう? ならいいじゃないか。僕と婚約し直そうよ。リリィには兄上より僕の方が合ってるって」
アベル様は、笑顔でそんなことを言う。
「お断りします。今は新しく婚約を結ぶ気分ではありませんの。大体、ジェラール様との婚約だってまだ正式に解消されたわけではないのですよ」
「そんなこと言わないでよ。僕の何が不満なの?」
「不満だらけですわ。それに、私はシャリエ公爵家を継ごうと思ってるんです。今は新しい婚約者のことなんて考えている暇はないのですわ」
「えっ」
アベル様は驚いた顔をした。
「リリアーヌ、本気? リリアーヌに公爵の仕事なんてできるの? その前に公爵って何かわかってる?」
「本当に失礼ですわね! わかってますし、できますわ! ……できるというか、ちゃんと勉強したら、将来は多分……できるようになりますわ!」
反論する声が最後の方で弱気になってしまった。
口に手をあてて何か考え込んでいたアベル様は、ふいに笑顔になって言う。
「でも、それなら僕がシャリエ家の婿になればちょうどいいんじゃない?」
「アベル様が婿に来るなんて嫌です」
「僕が君の補佐をするよ。リリアーヌだって今からよく知らない男と婚約し直すよりも、僕の方が気心が知れていていいだろ? ねぇ、リリィ。僕はずっとリリィのことを見てたんだ」
アベル様はいつになく真剣な口調でそんなことを言う。
私は眉間に皺を寄せて、掴まれていた手を振り払った。
「からかわないでくださいまし。私、もう行かせていただきますわ」
「あっ、待ってよ、リリィ!」
「だから愛称で呼ばないでください!」
私はアベル様を無視して、バスケットを閉じてベンチから立ち上がった。
アベル様はまだ付き纏ってきたけれど、全て聞こえないふりをする。
私はこれからシャリエ家の当主を目指す予定なのだ。
アベル様の突拍子もない冗談につき合っている暇なんてない。




