舞踏会は終わらない
もう何回目だ……と、リオは思った。
赤い絨毯。シャンデリア。壁際でグラスを握る自分。
楽団が、最初の一曲目を奏で始める。
(今度こそ、最後まで)
胸の奥で小さく呟き、指先に力を込める。
曲の流れも、王女の歩幅も、息が乱れる位置も、身体が覚えている。
肩の上で揺れる青いリボンの位置さえ、もう見慣れてしまった。
何度転び、踏み外したか、もう数えられない。
曲が終わり、王女が振り返る。
『リオ様も、踊ってくださいます?』
耳に焼き付いた台詞。
それでも胸が少し締め付けられる。
だが足は前へ出ていた。
「こちらこそ、お願いいたします」
差し出した手を、王女がそっと取る。
指先の震えは前より小さい。握り返す力も、少しだけ強い。
最初の一歩。床を踏む。
次の一歩で裾がふわりと舞う。
三歩目には、呼吸が揃っていた。
視界の端で貴族たちが輪を描く。
ざわめきはいつもより低く、誰かが息を呑む音がした。
胸元の勲章がわずかに触れ合い、乾いた小さな音を立てる。
(ここからだ)
中盤の回転。何度も足を絡ませ、止まってしまった場所。
膝が笑い、喉が焼けても、足だけは前に出した。
指先は汗で滑りそうだったが、それでも離さない。
「そのまま」
囁きに合わせ、腰を支え、くるりと回る。
光が線になって流れる。足元はぶれない。
王女の吐息が、かすかに頬を掠める。
中盤を越え、後半の旋律に入る。
息は上がっているのに、身体は軽い。
王女の表情からも硬さが消えている。
視線が合い、互いに微かに笑った。
あと数歩。
最後の一歩を踏み出せば、この曲は終わる。
その瞬間、左足の踵が、絨毯の縁をわずかに踏んだ。
ぐらり、と視界が傾く。
支えようと腕に力を込めた。
だがその勢いで、王女の体勢が大きく崩れる。
「っ……!」
抱き留めようとした腕と、王女の足と、自分の足が絡まる。
真紅の床が近づき、決めのポーズは転倒に変わった。
悲鳴。ざわめき。こぼれたグラスの中身が、じわりと広がる。
そこで、音楽がぷつりと途切れた。
音も、色も、匂いも、ひとつずつ薄くなっていく。
絨毯は白い霧に溶け、王女の姿も、自分の手も輪郭を失った。
息を吸おうとしても、肺の位置が分からない。
最後の一歩で踏み外した感触だけが、踵に焼き付いている。
――指先には、冷たいグラスが握られていた。
赤い絨毯。シャンデリア。壁際で立ち尽くす自分。
喉の奥で、さっきの転倒の残像がじわりと疼く。
楽団が、最初の一曲目を弾き始めたところだった。




