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令嬢は樽と共に  作者: 五十鈴 りく
続編

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65/84

〈24〉幻であれば

「……偽物だ。ラベルはともかく、ナンバリングがされていない」


 あのハゲ――オーレリアはキンブルに対して怒りが込み上げてきた。

 そんなすぐバレるような偽物を寄越すなんて。


「あたしだって偽物だなんて知らなかったよ! 馬車が買えるほどの金を吹っかけられたんだぞ!」


 誘拐犯に逆ギレしてやったが、向こうは怯まなかった。


「そんなことは知らん。『至高の雫』がない以上、人質の交換は――」


 オーレリアは誘拐犯に背を向け、スタスタと歩いて倉庫の戸を開けた。そして、そこで叫ぶ。


「ガルム――っ!」


 現れたのは、茶色の塊である。大丈夫、人ではないからカウントされない。


 頼もしいガルムは、グルグル唸りながら倉庫に飛び込んできた。オーレリアは味方を得てから遠慮なく動いた。

 手前の男の腕にガルムが噛みつき、慌てふためいている隙に他の男の懐へ蹴り込みを入れた。


 ギャッと悲鳴を上げてひっくり返った男を放り、もう一人も同様に蹴った。

 ラングフォード夫人には悪いけれど、この足癖の悪さは生涯直らないかもしれない。


 振りかぶった際にオーレリアの眼鏡が吹き飛んだ。しかし、拾っている暇はない。

 オーレリアはその流れで兄の目隠しをむしり取った。


「オ、オーレリア」

「逃げるよ!」


 手は縄目がきつくてすぐに解けそうもない。

 兄を庇いながら後退し始めると、ラルフが追いついた。


「人質は取り返した。引くよ!」

「あ、ああ」


 ガルムはまだ男に食らいついている。

 他にも仲間が潜んでいるはずで、そいつらが集まってこないうちに逃げないと。


 オーレリアは兄の腕を引っ張り、急かしながら逃げた。とはいえ、土地勘がないのだ。

 適当に小道に紛れ込む作戦であちこち折れ曲がった。気づいたら、ラルフまで撒いてしまっていた。


 いや、しかし、最終的には宿に戻るのだから大丈夫だろう。

 路地裏に入り込み、オーレリアは息を弾ませながら改めて兄と向き合った。


「に、兄さん、無事でよかった」

「オーレリア、無茶するね。妹に助けてもらうなんて、不甲斐ない兄でごめん」


 兄がしょんぼりとした。実際、とても疲れた顔をしている。


「いいんだよ。だって、兄妹だろ」


 助けるのは当り前だ。

 むしろ、できることがあって嬉しい。

 兄はほっとしたのか、ちょっと涙ぐんでいた。


 オーレリアはそんな兄の手を縛っている縄を解きにかかった。固くて苦戦したけれど、ナイフは持っていない。武器を隠し持っているとバレた時に面倒だと思ったから、あえて持ってこなかった。


「あっ、解けた!」


 やっと縄を解くことができ、オーレリアは喜んで兄の手元から顔を上げた。

 その時――。


 兄の肩越しに、向こう側の路地を歩く人物が視界に飛び込んできた。

 ほんの一瞬のことではあったけれど、それは軍服を着たアーヴァインに見えた。


 ここはラティマーから近いから、何か用があって立ち寄ったのかもしれない。

 ただ、アーヴァインは一人ではなかったのだ。

 オーレリアは心臓が口から飛び出しそうになった。


 アーヴァインの連れは、二十代前半くらいの女だ。腰に近いくらいまでスリットの入った紫の(なま)めかしいサテンドレス。ゆるく波打った淡い茶色の髪、厚ぼったい唇、垂れ目がちな目もと、どこをとっても匂い立つような色香だった。


 そんな女がアーヴァインの腕に自分の腕を絡めて寄り添っていた。乱れた下町で、色っぽい女連れで、これをどう説明するのだろう。

 何か事情がある――そう考えたいけれど、そんな事情は思いつかない。


 婚約破棄は絶対にしないけれど、愛人は持つと、やっぱりそういう話なのだろうか。

 アーヴァインを信じてやらなくてはと思う反面、信じていて愛人を作られたら苦しすぎる。オーレリアは結局のところ、恋愛経験も乏しく、結婚を決めた後の男が何を考えているのかなんてわからなかった。


 信じたいなと思うのに、ショックすぎて固まっていた。急に疲れて路地でへたり込んでしまいそうになる。


「オーレリア? 大丈夫かい?」


 このことをもしアドラムの親父が知ったら、アーヴァインは血だるまにされるだろうか。それとも、親父の方が返り討ちに遭うだろうか。親友である兄はどうするだろう。

 幸い、兄は背を向けていたから何も見ていない。


 緊張から解き放たれて疲れたのだろうと妹を気遣っているだけだ。

 どうか、今見たのがアーヴァインのそっくりさんでありますようにと願わずにはいられなかった。


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