〈39〉友だち
馬車の中、兄とエレノアが聞き知っている話をしてくれた。
ハリエットの婚約者になったのは、バロウズ伯爵の長男で、自身は男爵位を持つという。
年齢は二十六歳。ハリエットとは六歳差と聞いて、ハリエットが自分よりも年上であったことを初めて知ったオーレリアだった。
エリノアも十九歳で年上なのだが、一番背が高いのはオーレリアである。身長は関係ないかもしれないが。
「まあ、公爵家や皇族を狙っていたのでなければ申し分ない相手だと思うけれど」
「う~ん……」
考えていてもわからない。とにかく、顔を合わせてみないことには始まらないのだ。
馬車はバロウズ伯の屋敷に到着した。もともと、それほど遠いわけではない。
カットガラスが煌めくシャンデリア、金糸の入った緋色の絨毯、壁には白地に金の縁模様が入っている。揺らめく燭台の炎まで装飾品のようだ。
「本日はお越し頂き、ありがとうございます」
赤いドレスと薔薇の生花、ルビー。今日のハリエットは一段と華やかだった。優雅に、それこそ悪びれた様子もなく挨拶してみせる。
その傍らにいるのが婚約者だ。毒にも薬にもならないような男だった。ハリエットの華やかさの影になって存在が薄い。
「リチャード様、ハリエット嬢、ご婚約おめでとうございます」
兄がにこやかに挨拶をして手を差し出すと、ハリエットの婚約者はその手を握り返した。
「ありがとう。ハリエットは僕には勿体ないほどの女性だから、まだ夢を見ているようだけれど」
その夢は悪夢だよ、と教えてあげたいが、オーレリアは我慢してアーヴァインの腕に寄り添いながら進んだ。
「ご婚約おめでとうございます」
アーヴァインが落ち着いた調子で言う。考えが顔に出にくいのは得だなと思った。
「ああ、ありがとう。君たちもその、近いうちに?」
「ええ、そのつもりです」
その問いかけが来たのは、やはり噂になっていたということらしい。オーレリアは少し目を逸らした。すると、ハリエットがオーレリアを見ていて、そうしてニコリと笑った。
瑕疵のない、完璧な令嬢である。この裏の顔など、誰も疑わない。
オーレリアは睨み返しそうになって、それではいけないと思い、こちらも笑ってみせた。扇で隠した口元は別として。
兄たちはハラハラしていたかもしれない。オーレリアに逐一目を向けていた。
それからも、ハリエットと男爵は祝福の声に応え、忙しそうにしていた。
そうしているとやはり、ハリエットはごく普通の、というよりもよくできた令嬢だ。男爵の方がハリエットに引っ張られているような印象を受ける。
オーレリアはもう一人気にしなくてはいけない人物を捜すが、いない。グレンダの姿は見えなかった。
「ちょっと行ってくる」
いきなり椅子から腰を上げたオーレリアに、アーヴァインは口を開きかけたが、それを遮る。
「あたし、グレンダを捜してるんだ」
「……何を言う気だ?」
アーヴァインが軽く目を細める。オーレリアはというと、苦笑してみせた。
「言うんじゃなくて、聞きたいんだ。グレンダの方にはあたしに言いたいことがあると思うから、ちょっと受け止めてくる」
「何を……」
グレンダは、オーレリアが現れるよりも前からアーヴァインに憧れていた。だから、後から出てきた女に掻っ攫らわれて、やり場のない気持ちを抱えている。
恨み言のひとつでも吐かせてやった方が踏ん切りがつくかなと思えた。
勝者の余裕だと思うだろうか。
別にグレンダのことは少しも好きではないのだが、恋する女の子には違いがないから、そう厳しいことも言えない。
しかし、捜してもグレンダは見当たらなかった。
その代わり、取り巻きというのか、友人たちを見つけた。
「今日、グレンダ嬢は来ていないの?」
オーレリアが声をかけると、取り巻き令嬢たちは飛び上りそうなほどに驚いた。
以前、オーレリアが怒鳴ったせいか、令嬢たちは目に見えて怯えていた。頭を揺らしながら、精一杯の愛想笑いを向けてくる。
「こ、これはオーレリア様! グレンダ様なら、体調が優れないとのことで欠席ですわ」
「そうなのか」
仮病ならいいけれど、傷心のために本気で寝込んでいたら気の毒ではある。
今度はいつ顔を合わせるだろうかと考えていると、何故かその取り巻き令嬢たちの笑みが歪んだ。
「でも、正直に申し上げますと、グレンダ様はわがままですもの。わたくしたちもいつも振り回されて散々ですのよ。いくら家柄がよくとも、あれではどんな殿方にも避けられてしまいますわ」
「落ち込んでいらっしゃって、ちょっぴりスッとしたって、きっと皆さん思っていらっしゃ――」
「うるさいよ」
オーレリアは扇で顔の半分を隠しつつ、腹の底から低い声を出した。彼女たちの手からは扇がポロリと落ちる。
オーレリアから放たれる怒りの気がようやく伝わったらしい。
「あんたたち、グレンダの友達じゃないのか? 嫌なら離れればいいんだ。いつもは味方って顔してさ、いないところで嗤ってるんじゃないよ。あたしは友達を悪く言うヤツは大嫌いだ」
優雅な音楽が流れる中、令嬢が低い声で凄んでいるとは誰も思わないらしい。
背後は相変わらず和やかなものだった。先ほどとの違いと言えば、目の前の令嬢たちの顔色が蒼白になっただけである。
腹を立てながらアーヴァインのもとへ戻ろうとしたオーレリアだが、途中でハリエットにつかまった。本当に、何事もなかったかのようにして平然と呼び止めてきた。
「今からお色直しをしますのよ」
「ああ、そう。そのドレス、よく似合ってるのに」
ハリエットは、フフ、と微笑んだ。
「途中までご一緒してくださる?」
「いいよ、あたしも話があるし」
「ありがとうございます、オーレリア嬢」
挑む視線にも怯まない。ハリエットは、火花を散らすでもなく受け流すのだった。




