常世の続き、夢紡ぎ。
飯井槻さまは変な人。
周りもだいたい変な人。
では、おたのしみ下さい。
「飯井槻さまは、ホントに其れお食べになられるんですね!」
珠はびっくりした様子で云う。
無理もない、少し離れれば割りとホンモノの生首に見える出来映えの、肌色あんこ菓子だからな。
「珠よ不思議かの?天下の渡り料理人が、わらわの為なればと、産まれてはじめて造りし業物ぞ? そりゃ喰うであろうが♪ 其れ!お主も喰え♪」
「あっちも食べるのじゃ♪珠も喰え♪」
飯井槻さまと実衛門が、ワッと珠に寄りかかり、料理人の爺様を模した『生菓子首』の右耳をむしって、無理矢理こやり珠に喰わせようとする。
「あらあら、仲がお宜しいことで。お茶でもお持ち致しましょうか?」
「ふむ♪頼むのじゃ!」
「あっちも飲む♪」
「かしこまりました」
ひっつかまれ、無理矢理耳を口に押し込められる珠を横目に、色白美人のふみが何処かに茶釜とか水なりないかと、探るように立ち上がり大広間を見渡している。
宛は、無いんだな。
さっきまでの緊張感はなんだったのか、いきなり現出したほのぼの空間に、思わず兵庫介は立ち眩みした。
「ふみ殿。水なれば此れを、釜の代わりなれば此の焙烙を御使いください」
「あらあら、ありがとうございます」
見かねた羅乃丞が、手持ちの竹水筒と自炊用の炒り鍋焙烙を差し出した。
「でもでも、水を炊く竈はどう致しましょう。あと茶粉も」
宛どころか、何もなかったんだな。
どういう基準で侍女を選別為さって、御側に仕えさせているのか、是非とも飯井槻さまに判断方法を御伺いしたいわ。
まあ、毎日退屈はしなさそうではあるがな。
結局、深志家が奥の間に用意していた茶道具一式で、茶粉は溶かされ上座の松九郎君と皆に饗された。
「さて、件の此のシロモノだが、大広間は弾正親子の回り以外、魚油の灯りしか照らしてはおらなんだとは云え、まさか深志のやつらも此れが、爺様特製〔生菓子首〕とは思わなかったであろうな」
兵庫介はこんな馬鹿なことを思い付き、しかも高価な砂糖やなんだと材料を揃えるのに、大枚を叩いてまで悪戯を貫徹してしまう我主に、心底から笑かせて貰った。
矢張り、飯井槻さまはおもしろい‼
「まあの、大蝋燭でも大広間では暗いからの、気付けはすまいと踏んだからの。ふししし♪ 云うても、恨まれる筋合いでも無かろうて。騙し騙されるのは世の常じゃからの♪」
確かにな。あんたが考え付いた策は、策略と云うより子供騙しの悪戯だからな。
御城に登城の折、爺様に頼んでいた甘い物が斯様なシロモノとは、たれが気づくであろうか?
そう、この策謀は、子供騙しの悪戯大好き♪の、飯井槻さまの考え出した策略で、相手をおちょくる気分満々が基本の策とされていたのだ。
まあ、ここまで云えば分かりそうな話なんだが、実のところまだ壱岐守は死んではいない。
討ち死にしたと思い込まされた弾正や孫四郎や蕨三太夫らには悪いが、こればっかりは事実だから仕様がない。
奴は今も柳ヶ原城で健在の筈であり、またわざと話をしなかった深志家最強の七千五百の軍勢も、穂井田勢と元気に合戦中か合戦に及ぶ直前であろう。
それどころか、深志越前守率いる軍勢のいく末と、彼の生死すらも不明なのだ。
前者に於いては、既に垂水を通じて筋書き通りに寝首を掻く算段が為されてはいるが、実行は本日未明か明日のことになるであろう。
それにまた最強七千五百の軍勢については、飯井槻さまが東の三家共々密かに通じていた穂井田様に、同じく資金援助などを行っている際にわざわざ忠告した、初戦の勝利に驕らず堅実に。を無視って出戦して、しかも野外戦に及ぼうとしているので、確実に負けるだろうとの事であった。
後者については、確かに絵図面を用い待ち伏せ奇襲が決行されたのは、『霹靂』の遠雷に似た炸裂音から解ったが、勝ったかどうかまでは此の短時間で判ろう筈はなかった。
その上に、添谷家の寿柱尼様直卒の規模数百程度の軍勢と、折よく合同出来たかすらも不明なのだ。
まさに生きていてね。左膳ちゃん伊蔵ちゃん♪ 状態なのが実情である。
では何故に壱岐守が討たれた。はたまた越前守軍壊滅などという書状がもたらされたのであろうか?
理由は簡単である。
全部あらかじめ飯井槻さまがご用意為されていた、偽書状なのだから、である。
上手い嘘とは真実に僅かばかり含ませた偽りのことである。とはよく聞く言葉ではあるが、しかし、飯井槻さまに云わせれば、そう云うのは受け取る側の都合に因りけりで、自ずと結果が違ってくるそうだ。
「こう言うのは売り手と買い手の都合での、自ずと総てが決まるのじゃ♪ よもや、何から何まで最初から嘘っぱちばかりなんて話は、人は思い付きもせぬからの、引っ掻けかいも在ると云うものじゃ♪ ふししし♪」
そりゃそうだ。ハナから真顔で嘘しか謂われてないなんて、普通思いはしないからな。
「人はの、その場の雰囲気やら、今までやって来た行いやら後ろめたさも加味しての、自ら求める真実を探ろうと勝手に考えての、勝手に引っかかって呉れたりもする面白い生き物なのじゃ♪」
なので、如何にも今届いたばかりの書状の振りして、実際には起案草案『飯井槻さま』な出来合いを尤もらしく吟味してみせ、それを『さね』こと『実衛門』に読ませていたのだ。
酷すぎる自演もあったもんだ。こんなのに引っかかった深志弾正以下の一族こそ浮かばれまい。
さてさて、そんな悪戯をやってのけた飯井槻さまは、白く極め細やかな肌の御顔をを斜めに傾け、虚ろ気な眼を為さり、広間の天井の隅を仰がれた。
「不確かな時に人がすがるのはの、直ぐに理解できるもの、この場合は確かな文字じゃの。もしもの彼の宴が真っ昼間に執り行われていれば、『生菓子首』なんぞ直ぐ様バレてしまうじゃろう。じゃが夜なれば、しかも名が記された紙札が附けられておれば、そうか。と、納得してしまうものなのじゃ。取っ掛かりとしては最高の引っ掻けであろうが♪」
そう述べる飯井槻さまの物憂げな、水分を多目に含んだ睚は、まさに『日ノ本一との噂も高き美少女』の御麗しき姿と言っても過言ではあるまい。
でも、言ってることは不穏当そのもので、口に『生菓子首の戌亥様』の耳をくわえてモグモグしつつ、旨そうに茶をすすってるんだから、なんだかなー。である。
やれやれ、話を戻そう。
めっちゃザックリ云うと。小手先勝負なら兎も角、深志家相手には例え飯井槻さまであっても、決定打を見出だし得てはいなかったのだ。
深志弾正、壱岐守、孫四郎。
この三人を一挙に屠れれば、ことは簡単なのは解ってはいた。だが、決定打はない。なればどうするか?
「なければ有るよう見せれば良いのじゃ♪ いろいろまことしやかに演出してな♪ それに策謀はの、三十年前に父さまが使うた手を借り受けてもおる。ま、長年苦労が絶えなかった父さまへの、わらわなりの手向けじゃの、ふししし♪」
あの茅野屋敷での談合の折、左様に愉しげに飯井槻さまが仰られたのを、今でもハッキリ覚えている。
三十年前の土豪同士の水争いの折の、神鹿家をはじめ此に関わった土豪連合が軒並み茅野六郎様のわなに引っ掛かり、皆が皆、戦も辞さぬ構えであったのに、結果は一兵も損なわずあれよあれよと配下になってしまったあの事件だ。
確かに此度の一件も、茅野家は一兵足りとも損なわずに事が済みそうで、それを確実にする為に手始めとして行われたのが、此の季の松原城奪取と、弾正、孫四郎親子の捕縛であったのだ。
で、此の手始めの策略。儂がトンビがネズミ親子を捕るのをみて思い付き、考えたモノが基本となりました。て言ったら、左膳や三太夫や家臣たちは驚くかな?
上手くいったことに満更ではない様子の兵庫介は、大広間の床の上で脚を思いっきり伸ばしてあくびをするのであった。




