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ひょんひょろ(2)

さて皆さま、第三十部の始まりになります。


多くは申せませんが、お楽しみいただければ幸いに存じます。


では、明日ー♪

 無論、深志家は自身に対する神鹿家からの忠勤や忠誠などは、最初(ハナ)から期待してはいない。


 奴らにとっては、茅野家と飯井槻さまへの忠誠心が並外れて高ければ高い程よく、更に家中での評判も低からず、その身分も軽からず、極常識的な判断が下せる男がほしかっただけなのだ。


そんな男が一族と家臣を率い、茅野家と飯井槻さまの為と思い働けば働くほど、結果的には深志家の利益になり、やがては茅野家の結束を徐々に歪ませるのだ。


 そこに無理くりにでも孫四郎が晴れて茅野家の当主となった暁には、家中の敵意は自ずとその男と一党に向かう筈で、そうなったが頃合。この者は哀れ、使い捨てられるようにして粛清される役割を担わされるであろう。


 つまり深志が儂に期待しておる役割とは、茅野家配下の一家臣の忠誠心を自然に見える形で深志側にそれとは気づかせずに転ばせ、これを梃子てこに他の茅野家臣に彼に対する嫌悪感を抱かせる。


本来であるならば深志家と孫四郎にゆく筈の憎悪を、儂に対する歪んだ憎悪にすり替えた上で、皆に寄ってたかって神鹿家を討伐せしめ、旧茅野家臣団の不満の捌け口として達成感を与えることにより、『新生』茅野家としての結束を図るのであろう。


 特に陰ながらかねてより深志側に付こうとした者、主家である茅野家と飯井槻さまに危機が迫る中、何事も成そうとしなかった者などは、頼みもせぬのに積極的に彼を罵倒しつつ攻め寄せて来る事請け合いだな。


 自ら勝手に背負い込んだ負い目が、世に露見する前に早急に潰したいだろうからな。しかも新当主の孫四郎と深志家に恩まで売れると思い込めるのだから、都合よく作られた敵を敗滅させるのは、さぞや楽しいであろう。


 そんな生贄めいた男が主家の屋敷で宴会を開き、あまつさえ莫大な陣中見舞いまで携えてやって来たとなれば、あの皮袋も手を握り喜ぶのも無理はない。


 喰われる予定の鴨が、自ら進んで葱背負ねぎしょって媚びてきたのだからな。皮袋にしてみたら笑いが止まらぬ事であっただろうな。


 そうして出来上がるのが、新たに此の国の(あるじ)となった【深志家】傘下の新生【茅野家】である。


 で、哀れにも忠誠心が高かったために味方に攻め滅ぼされる役割を担うのが儂〖神鹿かぬか兵庫介ひょうごのすけ親利ちかとし〗であるのは、誰の目にも明らかであろう。


 儂が深志の黒幕ならばそうする。それ以外に考えられない。


 無論。そうなる様に深志側の意を汲み取り入り謀略を巡らせたのは、飯井槻さまの意を受けた茅野家の外交担当者であられる茅野甚三郎様であろうことは、想像せぬとも知れたことだ。


 現に皮袋が甚三郎様によろしくなどと申して居ったからな。


 恐らく飯井槻さまは、心に秘めたる真の謀略を隠す為、この儂を出汁にして、深志側に対茅野工作が上手くいっていると思わせようとしているのではないだろうか。

 

 まったく、我が家にとっては迷惑極まりない話だな、おい。


 そして恐らくは此の一件、謀略が失敗した場合も鑑みて企んでおられるのであろうな。飯井槻さまは絶対只では転ばぬ御人だからな。


 どっちになっても、儂は喰わせ犬だな。やれやれ。


 しかし飯井槻さまの事、我らを無碍むげになされる筈がない。これからどうなされる御積りなのか見ものだな。


 でだ、このひょろひょんなる男。この男は、大宴会の場においても抜かりなく策を巡らし、茅野屋敷を知らぬ間に祝いの席に早変わりさせ、しかも外に繰り出して他家の者共をも巻き込んで、大いに盛り上げて回り負ったのだ。


 一連のはかりごとに携わっておらぬ筈はない。


〘全ては御社様の御為にて〙


 儂が行く先々で遭遇するであろう、深志家の人選試験とも呼ぶべき嫌がらせを予測し、或は仕組ませ、何があっても飯井槻さまの御為に耐えられよと、儂に度々言い含み耐え忍ばせたのだろう。


 わざわざ言われずとも、始めから儂は耐え忍ぶつもりであったのだが、ひょろひょんとしては万が一を考慮したのかもしれない。


 これに併せてコイツは、儂が企画した深志勢をあらゆる手で以て誘い出しての分断撃滅、並びに皮袋一人を標的と定めた、神鹿家の全滅と引き換えての決戦を行う策を、無謀な策として切り捨て、さねに託し奴に当てた文を躊躇い(ためらい)もなく飯井槻さまに通報したのだ。


 これに同意見であった飯井槻さまは、御城下の茅野屋敷に着くなり笑顔を絶やさず儂と面会し、儂が目論む策が余りにも無用無益な行いであるとして、やんわりとダメ出しを為されたのだ。


 まあ、今になってみれば飯井槻さまとひょろひょんの言う通りなのだが、いまいち釈然としない。


 だが、未だに儂は、ここまで察していながら飯井槻さまとひょろひょん、そして参爺が画策する手の内がまるで慮れないのだから情けない。


 その上にどうも、彼女らの手の上で儂は傀儡のように踊らされている感じが半端ではなく、はなはだ不愉快に思ってしまって仕様がないのだから堪らない。


 この思いを断ち切るには、コイツに真意を僅かばかりでも話してもらい、乾いた心を解いてもらうしか手が無いのだ。


「……と云う話を此処数日考えておったのだが、何か申す事なぞ無いか」


 ひょろひょんはチビチビやっていた匙を粥に刺し、ゆっくりした動作で兵庫介に顔を振り始める。



 ぶわっ。



 突然、赤みを帯びた煤煙が、ひょろひょんの背後で湧き上がる如くに沸き出でて、大台所中に舞い上がり、兵庫介の視界を(さえぎ)った。


 何事か。兵庫介は喰っていた飯椀に灰が積もるのも気にせずに、椀から視線を外して原因を探る。

 すると、幾つかある大台所の(かまど)の一つから猛然とと煙が立ち上っていたのだった。


 どうやら爺様に煮炊きを任されていた弟子の一人が、火の加減に失敗してしまったらしい。


 その所為で竈で焚かれていた大量の(まき)の一つが割れ、細かい(すす)が火の粉と共に渦を巻き、こちらにも舞い降りる結果となったのだ。


〘火は…〙


 不意に、ひょろひょんが振り向こうとする動作を止め、煙る竈をじっと見据えながら口を開いた。


〘火は、誰でもたやすくどこにでも、燃えるとこなれば放つことが出来まする。されど、これを正しく扱うには、火というものの怖さを知っている者でなくてはなりませぬ〙


 弟子の不始末に気付いた爺様が大台所に走り込んで来て、手にしていた檜の棒で弟子を一発ポカリとやり、すぐに竈の様子を確かめると、火の加減の調節に取りかかった。


「火は、恐ろしいか」

〘恐ろしゅうございまする。特に、野に放った火を甘く見ると、自らもやがては焼かれまするゆえ

「ふむ、確かに。碌に野焼きをやったことも無い者が、無闇に枯草に火を放てば、やがて勢いを増した火に巻かれ逃げ場を失い、しまいには焼け死ぬしかなくなるからな」


 ひょろひょんの、おそらくは、総ての出来事の謎かけであろう言葉の意味について考えていたとき、(くだん)の竈から赤い霧が吹き上がり我らの視界を一瞬遮った。


「今度はなんだ」


 見れば爺様が、僅かな時間で火の調節に見事成功したようで、勢いのある赤々とした火の粉が大台所に雪の如く舞い、瞬く間に効率よく鍋に当たる火の巡りを調え終えていたのであった。


〘斯様に、名人の手に為る火であれば、どのような料理でも美味にするのも必然でございますよ〙


 こちらにいつの間にか振り返っていたひょろひょんの眼は、奴らしからぬ生き生きとした光を放ち、またもこう申したのだ。


〘全ては御社様の御為にござります〙と。


 そして儂はこの言葉を聞いて肩をすくめるほかなかった。


 コイツは飯井槻さまの成そうとしていることが済むまでは、何事も耐えてくださいと言って居るのだろう。そう儂には受け取れたのだ。


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