季の松原城へ(2)
第二十四部の発送となります。
さて皆さま、土の城ってわかりますか?
安土桃山時代以降に各地で築造された石垣づくりの、今日見慣れた城郭群とは異なり、戦国期及びそれ以前の城郭群は漏れなく剥き出しの土をそのまま土台とした城でした。
かく言う守護職・国主家が居城の[季の松原城]も、当時としては大きな部類の城塞ですが、一山丸ごと城郭化しているだけで、基本は土を削ったり掘ったり盛ったり、山を掘削する際に伐採した樹木をも建材に用いつつ築かれた、土の城であることには変わりません。
まあ、所々補強のために石垣ならぬ河原石で石積みはされてはいますが。まぎれもなく土で作られた御城です。
当時はこれが当り前で、大きさで有名な六角氏の観音寺城や、のちの世になりますが、後北条氏の小田原城なんかは巨大な土の城として有名どころです。特に小田原城に至っては、あんたらどんだけ此の城に全力なんだ!と、思わず言ってしまうほど糞デカい城となっております。
これらに比べれば季の松原城も可愛いものです。
因みに、私がおすすめの土の城は、織田家による四国征伐発動前に、長曾我部家から織田家に対して戦仕掛けないで!と、お願いする際の交渉材料として割譲先に挙げられていた、阿波・畑山城です。
この城、戦略上の重要拠点を抑えている城とは言え、ホントにアナタは城なのか?と思ってしまうほどに可愛らしく小さな城なんです。
そう、まるで田舎に行けば山上でたまに見る。誰が登るんだこれ?的な、あの謎の展望台なノリの御姿をしてるんです。
何度も言いますが、長曾我部家の、いや、織田家にとっても阿波方面の重要拠点に建つ、最重要軍事施設なんです。
それなのに、田舎のショボい展望台にしか見えないのは、何故?
ああ、見れば見るほど、なんと可愛いらしいかたちをしてるんでしょう。
さて、気になった方には検索して頂いて、皆様、第二十四部をつつがなくお楽しみくださいませ♪
では、また~。
「では、此方にてお待ちあれ。すぐに案内する者が参りましょう」
垂水はそう兵庫介に言い残し、蒼泉殿の門前をあとにした。代わりに若い侍が現れ、我らを御殿の中へと招き入れてくれた。
「おいおい。先がえらく遠すぎないか?」
兵庫介が現在居る場所から見ると、皮袋が座するであろう場所が物凄く離れていたのだ。試しに掌に座所を乗せる真似事をしてみたところ、すっぽり乗ってしまった位の遠さである。
あとで皮袋がやってくればもう一度試してみたい。儂の掌の上で偉そうに振る舞う小人の姿が拝めるのだからな。
昔読んだ唐渡の読み物に、仏の掌から逃れられなかった猿の妖怪がいたな。昨今、だんだんと妖怪じみた振る舞いを致す、あの男には最もふさわしい舞台やもしれぬな。
「お伏せなされませ、御隠居様、まもなく参られまする」
ふふっと含み笑い、童みたいな行動をしていた儂を不思議そうに眺めていた付番の侍が、間もなく皮袋が大広間にやって来るからとたしなめて来る。なんだって?もう平伏せねばならんのか。
まだ蒼泉殿の華麗な装飾も煌びやかに描かれた多くの襖画も、ほとんど見れてはおらんと云うに、なんてこった。
何とか儂が見れたのは、玄関にあたる式台の板壁に描かれていた三十六歌仙の肖像画と、龍などがきめ細かく彫り込まれた欄干、これ以外では歩く度に廊下がしなり、きゅっきゅっと音を出す仕掛けに驚かされたくらいだ。
聞けば、三十六歌仙は各々の部屋の主題になっておるようで、例えば歌仙の一人である大伴家持の間は、大宰府があった北九州地方の品が鎮座し、彼の人生が絵巻物様に部屋一面に描かれておるらしい。これは来る前に飯井槻さまに教えてもろうた話だが、三十六歌仙とは、都が平安京と呼ばれていた頃のこと、歌人にして大納言であられた藤原公任自らが和歌の名人を撰んだ『三十六人撰』に拠ったものなのだそうだ。
実のところ儂は、飯井槻さまから説くようにつらつらと伺っても、てんでちんぷんかんぷんで、是すらも覚えるのに苦労した。無論、三十六歌仙の名くらいは以前より存じてはいたが、ずっとそれが三十六果船だとばかり思うていただけだ。八百の神々に選び抜かれた、三十六種類もの旨い果物を載せた船とか、なにそれ、物凄く美味そうではないか。
蒼泉殿は三十六歌仙が題目とされ建てられていると教えられた際、なんと喰えるのか?と、飯井槻さまに問うたところ、なんでじゃ?と逆に問い返されたので素直に答えのだが、あのお方はひいひい腹を抱えて転げまわり大笑いされたのを、今でもつぶさに覚えておる。儂はそういう詩歌の類は本当に疎くて、まるで知らないんだから仕方あるまい。
ひとしきり笑い終え落ち着かれた飯井槻さまは、武家とは申せ、多少なりとも触れておいた方がよいなどと申され、今度、適当な書物を選んでおくので、此度の一件が無事に済み、無事領地に還ったおりにでも取りに参れと申された。
そして儂が御城に出向く準備に励んでおるのをよそに、御自身が大好きな万葉歌人である高橋蟲麻呂の逸話を、さも楽しそうにされておったのだ。
なんだそれ?聞いたことのない蟲の名だな、字から見ても毒虫の類だろう?潰すぞ。
さてさて、歌を詠む変な蟲の話は一旦置いとくとして、兵庫介は大広間?に居並んでおる深志家や他家の家来の只中で独り平伏している。奴らも平伏してはいるのだが皆、大広間の端に寄り並んでおり、この体勢のまま奥に頭を下げ額を板敷に押し付けていたのだ。
こんな状態なので、全く以て前なんぞ見えない。どころか、秀麗な襖絵で彩られていると聞いていた周りの景色も、一切拝めないのがかなり悔しい。だが、気にしていたら負けだと思い直し、耐えて忍んで皮袋がやって来るのをひたすら待つことにした。
「…御出座しぃぃ~~っ」
やれやれ、やっと現れ居ったか。一昨日の新築深志屋敷では微かながらも聞こえてきた衣擦れの音は、この細長くだだっ広い大広間ではまるで耳に届いて来ない。それほどまでに皮袋が座る場所が遠いのであろう。
まあ、仕方あるまい。先の対面では、儂は罪人でもないのに白洲の上に直で座らされ、その上に嫌味までも聞かされたのだからな。
しかし此度は違う。茅野家からの正式な使者として参り、しかも深志家からも参るなら儂がよいとの申し出で、今この場に居るのだから。
あれ?最初のも一応正式な使者のうちに入るのだが、なんか違いがあるのかな?
「皆の者、面を上げられませぇぇい!」
考える間もあったものではなく、儀式は粛々と進みだしていた。
「ははぁっ!」
皆一斉に顔を上げる、わけではない。礼儀上、少し体を揺らし恐れおののくように致さねばならないのだ。あ~もう、ホントめんどくさい。こんなのを考え出した壱岐守を柳ヶ原城から連れ出して来て、一晩中説教してやりたい気分だ!
そんな兵庫介の腹立ちもよそに、つつがなく式は進み続けている。幾度かの、頭上げてぇ~、頭上げない。を繰り返したのち、皆しっかり顔を上げ、前をちゃんと見る事が出来る様になった。
おお! 極楽浄土を描く襖絵が、奥の奥まで連なって彩色豊かに描かれておる!
「茅野の者よ、御前に参られませぇい!」
「ははっ!」
とりあえず返事はしたものの、どうやってあそこまで行くんだよ。歩きか?それとも走りか?そう思っていたら、傍に居たお付きの侍が小声で指図してきた。
「ささ、これより参りまする。そのままの姿勢で前にお進みくださりませ」
へ?
「さあさ、御隠居様のもとまで早よう参りまするぞ」
はあ?なに言ってんの?このままとかバカなの?どう考えても遠すぎるだろうが!
結果。座った姿勢のまま柿色の直垂を引きずり、這いずりながら前進を始めると云う苦行に陥った。
「先はまだまだでございまするぞ。さあさあ、お急ぎくださりませ」
行けども行けども、全く前に進んでいる気がしねぇ…。前に突き出す拳も、引きずられる足の膝も脛も、板間に擦られて段々熱くなってくるし、進むたびに身体を支える腰や背中にも負担がかかってくるのだ。特に膝や脛は、先日の白洲の小石の痛みが、まだ完全に癒えておらぬというのにこの始末である。
もうね、散々な扱い過ぎて泣けてきたわ。
本当に儂は皮袋めに気に入られて居るのであろうか?ね、飯井槻さまもそう言ったよね、ね?
ああ、嘘じゃないと信じたい。
そんな疑問が頭をよぎる中、これ、どう見てもいじめられてないか?儂なんかしたかぁ?いや、してやろうとは思うておったが、などなど錯乱に似た思考に頭が沈んでいく。
はあ…はあ…、はあ。一体全体この大広間は長さ何間あるのか、ふう、よっと、痛って…、ここは極楽浄土の間ではないのか、無限地獄の絵でも描いておけばよい…もの…を……。
〖注意 この大広間×長廊下○は奥行き三十三間(現在の単位でおよそ六十メートル)もあります。無理な姿勢で進まれると健康を損なう恐れがあります。ご注意下さい〗
兵庫介は息を荒げながら横を覗く、四苦八苦しながら脇を付かず離れず同じく進む付き侍の様子が見て取れる。わざわざ付いて来ずともよいのにと思っていたが、奴らはこちらを常に監視しているらしく、儂が何か粗相なり、もしくは皮袋に切りかかろうものなら、即座に対処しようとの腹積もりであろう。まあ、そんなことよりも汗が止まらず困るのだがな。
「そこまで」
付き侍が儂にのみ聞こえる声を発する。
うん、何がそこまでだ?そう思い付き侍の方を見ると、奴は静かに平伏していた。
「平伏なされよ」
成程、此処が終点であるか。兵庫介は額の汗をぬぐい息を整えるのに必死で、次の指示をしてくる若い侍を恨めしく思いつつも、はいはいと素直に従い深く平伏した。
「よい。兵庫介殿よ、面を上げられよ」
さっきまでの脇侍の小声とは違い、いやに張りのある力強い声が聞こえた。これは…皮袋の声音だ。
よし。やっと儂の手の届くところに現れたな。では、じっくりと、その皮が垂れた顔を拝ませてもらおうか。
「ははぁっ…あ⁉」
兵庫介は勢い込んで面を上げたのだが、当の深志弾正は手も届かぬ処に着座していた。
「兵庫介よ、堅苦しゅうせずともよい。寛がれよ」
皮袋と直に面談致すのは今までも幾度かあった。いつもの奴は陣幕の中で床几に座り、苦虫をすりつぶしたみたいな顔をしておったのだが、今、目の前で腰を落としているのは、儂の様な陪臣身分のしがない小領主に気遣いをする、笑顔の優しい男であった。
「有り難き事に御座いまする」
兵庫介は弾正に言われるまま足を崩し楽にすると、これ!とたしなめようとした者も居るにはいたが、よいよいとの弾正の言葉を聞き後ろへと下がる。
「楽になられたようじゃな、では、口上をお伺い致そう」
柔和だった表情を少しばかり硬くして、儂の発言を待つ姿勢をとった。
「我が主、茅野内膳正、四千余騎を率い着陣なされたる由、慎んで言上申し上げまする」
長広間の隅々にまで届けとばかりに、兵庫介の大音声が轟き渡った。
ほう。と、あちこちからさざ波の如き声が漏れ聞こえる。
「四千余騎とな、内膳正殿には毎度御苦労をおかけ致す。国主様に成り代わり御礼申し上げるとお伝えなされよ」
「ははっ! それと我が主よりお渡しせよと、直々に預かりし品々が御座りまする」
「ほう、どのような品であろうかな」
眉を僅かにあげ、皮袋が兵庫介に尋ねる。
「さればで御座る」
兵庫介は懐から綺麗に畳まれた文書を取り出し、大げさに広げてみせた。
「弾正様に謹んで御贈りし奉る。一つ、兵粮一千貫。一つ、銭三千貫文。一つ、馬二十匹。一つ……」
「なんと!まことか⁉」
朗々と読み上げる兵庫介の言葉に、流石の皮袋も眼を剥いて驚いた様子で立ち上がり、しがみ付かんばかりに近寄って来た。おいおい近い、近いから、ああ勘弁してくれ。
大広間に集い居並んでいる連中の様子も同様で、これまでのさざめきが、ハッキリとした声となって辺りを波立たせている。まあ無理もあるまい。斯様な兵粮と銭があらば、この国の土豪の三つや四つ、乳鉢の中の薬草の如く磨り潰せる大兵が養えるのだからな。
かくいう儂も、飯井槻さまより手渡されたこの文を事前に読んだ際、その内容に驚愕し、事実かどうかを運び込まれた荷を確認させたのだからな。そしてそれが、まぎれもない事実であったことに再び仰天させられたのだから。
事の重大さに慌てた儂は、飯井槻さまの自室に走って赴き、茅野家にとって潜在的な敵対者である深志家に、こんな馳走をして問題ないのかお伺いを立てたところ、畳の上で寝転がり歌集を片手で広げ、焼きたてのかき餅をパリパリ喰っていた姫様らしき生き物が『大丈夫じゃ問題ない、惜しまず呉れてやれ』などと宣い、再びゴロゴロしつつ、紙になんか書き殴っておられたのが脳内に蘇った。
「誠で御座ります。お疑いがあれば、是非御確かめあれ」
皮袋は自身の近臣に命じて確かめに走らせると、兵庫介の手をガッシリ握った。
「この苦しい時期に望外の馳走を頂戴し感謝に堪えぬ。痛み入る、誠に痛み入るぞ」
ああ、もう鬱陶しい。そのゴツゴツした手を早急に離しやがれ。
だが、皮袋は感激のあまりか一向に手を放したがらない。やはりここは地獄であったか。
「御隠居さまに申し上げまする。兵庫介殿の申すことに嘘偽りは御座いませぬ」
荷を確かめに走った近習が報告する。
「間違いは、ないのじゃな」
「しかと間違いありませぬ」
当り前だ。ちゃんとこっちは幾度も確認してから納品したのだからな。
「この弾正、内膳正殿の御厚意を生涯忘れぬ。心より感謝いたす!!」
皮袋は言い、茅野家の一陪臣の身分である儂に対して深々と頭を下げた。これに倣ったのか、居並ぶ深志の家臣連中も取り巻きの国衆連中も一斉に頭を下げたのだ。
「御首尾はどうで?」
役目を終えて蒼泉殿から出てきた兵庫介に駆け寄り、右左膳が尋ねる。
「やれやれ膝や脛やらが擦り剥けてしもうた。左膳よ、膏薬を持ってきてくぬか?」
兵庫介は袴をはだけ、真っ赤にスリ剥けになった足を見せつける。
「む、仕った。で、首尾は?」
「上手くいった」
「それは重畳」
にぃ~と、お互い顔を見合わせて笑い合う。気が合うのが近くにおるのは心強いな。
「して、三太夫は上手くやったか」
「殿様の芝居のお陰ですんなりと入り込めましたわい」
「左様か」
「今頃は厩の郭に陣取り、程なく城内を駆けずり始めましょう」
よし上手くいったか、儂が皮袋に手を握らせたのも無駄ではなかったな。
「持ってきた荷はどうなった」
「深志の奴らめ、まるで死骸に群がる蟻の如く、自陣の藏にしまいおりましたわい」
蟻のようにたかってか、浅ましき光景が脳裏に浮かびおるな。
「やや、こちらにお出でで御座りましたか」
いつから居たのか、ふらりやってきた風情で、垂水殿が立っていた。
「兵庫介殿を殿舎に案内し労う様にと、御隠居様から申し付かり参上いたしました」
「左様でありまするか、これはかたじけない」
垂水に礼を述べ、あとは頼むと左膳に申し渡し、誘われるまま儂はあとを付いていく事にした。




