集結地、田穂乃平。【改稿版】（７）
兵庫介という武人は常日頃から、自分が忠義心を捧げる飯井槻さまの御為に何が出来うるのかと考えているような、そんな率直で愚直な男であった。
であるのが故、間違いなく兵庫介を使って深志家の御機嫌を取るために、誰よりも早く事実上の敵である深志家の当主【深志弾正】のもとに馳せ参じねばならんことが気に食わないでいる。
命ぜられた通り、兵庫介が皮袋のもとに馳せ参じたらどうなるか？そこら辺の村の山野で遊ぶ童たちにでも容易に想像がつくだろう。
そう、先ず間違いなく皮袋こと深志弾正は、兵庫介の軍勢の到着を大層喜び、喜ぶことでさしもの名家の茅野家ですら深志に靡いていることを内外に印象付け、さらには大いに兵庫介らを歓待する事で、茅野家と深志家の間柄が容易ならざる繋がりにあると思わせるよう、左様仕向けてくるに相違あるまい。
つまり多少強引な歓迎の仕方でも、周囲の者共に茅野家と深志家との蜜月を演出し、昨今噂になっている飯井槻さまと孫四郎の婚姻が既成事実化しているに違いない。そう思ってもらう算段を弾正が組んでいたとしてもおかしくないのだ。
だが、もしも、罷り間違って、本当に婚儀などというフザケタ話がサクサク進んでみろ。ことは飯井槻さまや茅野家の今後の行くゆえを案じる、、、どころの話ではなくなってしまう。
なぜなら今後など無くなってしまうかもしれないからだ。
例えば、婚儀なったあとの茅野家臣たちは、新たにやって来る弾正の内意を受けた深志家の家臣や勝貞の取り巻きにより、じわりじわりと重要な役職から遠ざけられ、深志にしっぽを振るみっともない奴ら以外は領地も削られ、そのうえ戦では深志に忠義を見せるため最前線に投入されて、ジリ貧に追い込まれていくのは目に見えている。
従来からの茅野家家臣である我らは、まるで鋤鍬の鉄が、田畑でこき使われ擦り減らされるように扱われ、はたと気付けば一切合切深志の奴らに乗っ取られ終い。
哀れ我ら家臣一同は、家も土地もすっかり無くして路頭に迷わされるかもしれないのだ。
そうなれば元の茅野家は終わりだ。まともな配下のいない家など、この荒れた世で生き残れようはずがない。
しかし、ひょろひょんに聞くところによると、この他家に先んじて弾正に目通りする案は、なんと飯井槻さま御自ら案出されたシロモノだそうで、あの奔放な性格の姫御前様が一体全体何を考えていなさるのか、到底理解できない話となっていたのだった。
…まあいい。考えるのも疲れた。一先ずこの件に関しては置いておくとしようか……。
兵庫介は兜をくいっと持ち上げ髷との隙間を作り、新鮮な空気を月代に送った。そして田穂乃平へと続く道々を辿り、続々集まりゆく茅野家に仕えし者共の軍勢を見やった。
「それにしても凄い数だな。皆あれか、飯井槻さまの御達しを守り早々に田植えを終わらせて集まっておるのかな」
《左様に聞き及んでますが、それが如何なさいましたか》
「いやなに。我らも言いつけ通り田植えをして参陣して参ったのだが、言い付かった軍勢の数が数なのでな。苗床を作り育て田を耕し水を入れ田植えをするなどはな、我らもその辺は慣れておるので造作もないが、これと並行して多数の兵を領内から選り集め、練兵した上で期限までに参集させるなどは、これまでやっておらなかった故にな、並々ならぬ苦労をさせられたのだ」
《左様でございましたか》
この時代、身分こそ武士またはそれに近しい者とは云えどおおよそ皆、百姓仕事にも精を出していた時分であったのだ。
しかしおかしい。ざっと見回しただけだが、いつもより我が茅野の軍勢。人数が多くないか？
と、兵庫介は
「のうひょろひょんよ。儂の軍勢は飯井槻さまからの言いつけ通りに、いつもの【兵三百に小荷駄二百】を引き連れ参ったが、田穂乃平に参陣する人数は、全部会わせれば如何ほどにあいなるのだ？」
《兵四千。小荷駄二千になると聞き及んでおります》
「総数六千人もか！それはまことか？」
《まことにござります》
「それは、いつもの五割増しに近い兵数ではないか！儂の所にはいつも通りでよいとの御達しであったが、よもやそれは、手違いではあるまいな？」
《手違いではございませぬ。外様をはじめ多くの家中の者達には、しかと〝いつもの数を揃えよ〟との、御社さまからの申し次がございました》
「では聞くが、どこの誰がより多くの兵を供出したのだ？」
《御社様と参爺の皆様方でございますよ》
ひょろひょんの素っ気ない応えに兵庫介は、もしや我ら外様にだけ隠されている事実があるのではないかと、つい訝しんで眉を寄せた。
左様な動作をするのも仕方がなかった。なぜならこれまで彼が見聞し体験した茅野家の兵数が、自領の貫高で催せる許容限度を越えた軍勢を出す事など無かったからだ。
『茅野家の軍役は四条文に従い。所領十貫に付き一人となし、兵数については【三千余人】を課す』
これが【深志四条文】を根拠に一昨年茅野家宛に発行された、軍役に関する【国主家・深志家】との取り決めであった。
言うても、この決め事を実際に決め制定させたのは、彼の憎っくき皮袋。【深志弾正少弼貞春】めであったのだが。。。
もしかすればこの辺りに、兵数のカラクリの理由が隠されておるのかもしれない。その様に兵庫介は疑った。
