16-3
「それにしても、お兄様。どうして、鏡をとってきたんですの? それも二つも」
祖父に会いに別宅に向かう道すがらグレーテは兄に問う。兄は帰ってくるなり、自慢気にグレーテにあの鏡を見せつけたのだった。
「一個はグレーテの分だよ~」
と兄ははいと手渡してくる。ウルツは帰ってからすぐに渡そうと思ってたのだが、帰宅を喜ばれるどころか怒られてしまったので、渡すタイミングを逃し続けていたのだ。
「これがご褒美だって感じで泉から浮いてきたんだよ。お前、あそこまで行ったのに鏡を取り忘れたんだろー。だから、俺の時に2個浮かんできたんだと思うね」
「……」
グレーテは己の失敗を指摘されて、少し不機嫌になり、手の中の鏡を弄んだ。
「……1個あれば十分じゃございませんの?」
「いーや。これは、各自で持つことに意味があるね。まあ、見てな」
ウルツはそう言うと、急に走り出してその場を離れる。何をしてるんだと消えていく兄をその場で見送れば、手元から兄の声が聞こえた。
『グレーテ! 見えてるか?』
「お兄様!」
『こうやって互いで持ってれば、離れてても会話ができるんだ』
「どうしてですの?」
グレーテが疑問を投げかけると、兄が再び走って戻ってくる。
「この鏡は自分の知りたい情報を見せてくれる道具なんだろう。だから、相手の現状を知りたいと願えばそれを見せてくれる。だから、こうやって互いに連絡を取ることも可能なんだ」
「そうなんですのね」
「お前はお嫁に行ってしまうだろう。なら、これは嫁入り道具として持っていくべきだ。何か困ったことが起きたら、これで連絡してくれればいい」
「お兄様……」
グレーテは兄が見せた心意気にじんわりと胸を熱くさせた。
別宅に行くと、祖母が出迎えてくれる。
「お爺様がお待ちですよ」
祖母がなんだかうれしそうに見えたので、グレーテは首を傾げる。グレーテがそれを指摘すると、祖母は微笑んで教えてくれた。
「お爺様は、あなた達と顔を合わすまでお酒を飲むのをお控えなさったのよ」
「ああ……」
グレーテとウルツは納得した。
「やはり、お酒をお控えになると目つきもしっかりされて、お顔の色も随分と良くて……」
語る祖母の声に安堵が滲む。祖母は本当に心から祖父を労わっているのだと感じられた。
「婆さん、なんだかんだ爺さんのこと好きだよな」
ウルツが小声で話しかけてきて、グレーテはうなずく。グレーテから見て祖父は飲んだくれの頼りない男の人だが、祖母にとってはそうではないらしい。
「まあ、そうじゃなきゃ父さんと歳の離れた叔母さん達が産まれたりしないよな」
兄の言葉にグレーテはうなずく。ブルースの下には8歳違いの叔母と10歳違いの叔父がいた。叔母は近隣に嫁ぎ、叔父は領内の街の一つの代官をしている。
「お酒が飲めなくて不機嫌になってないことを祈りますわ」
「そこまで理不尽な人じゃないだろ」
兄はそう言うが、グレーテが見ている祖父は大体が不機嫌そうに大声を出している姿なので、兄の言葉にうなずけなかった。
祖父が待つ部屋に通される。祖父は一人、ソファに座っていた。どっかりと足を広げて手を組んで前かがみに座っている。
シャンと背を伸ばされればいいのに……とグレーテはすっかり猫背が定着した祖父の背筋を見て思う。
祖父が若い頃は相当格好良かったであろうことはグレーテにも想像がついた。だからこそ、今の祖父の姿が少しみっともなくてもったいないと思ってしまう。
「無事に帰ってきてなによりだ」
そう切り出した祖父の言葉が予想よりも静かで落ち着いたものだったので、グレーテは内心で大層驚いた。
「お前達に譲りたいものがあるのだ」
続ける言葉も静かで聞き取りやすく、この人ってこんなに冷静にしゃべることができたんだとグレーテは感心した。




