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棒のナイト6

「コルザに助けられたと聞いたが、怪我の具合はどうなんだ」

「ああ。もうすっかり癒えている」

「傷は浅かったのか?」

「いや、結構な重傷だったと思うぞ」

 男が言うには、まったく体が動かせなかったという。

「コルザが運んだのか?」

「そんなわけないだろ。誰か集落の人間に手伝ってもらったんだろう。俺は、その時の意識はほとんどなかったから、よく覚えていない」

「そうか。まあ、無事に癒えてよかったな」

「ああ……」

 コツ、コツと静かに駒を置く音が響く。


「体の方は無事に癒えたんなら、家の方はどうなんだ。帰らなくていいのか」

「ああ。俺は、このままノーマの一員として生きていく」

 男の答えに、バルドーは少なからず驚いた。


「……帰らなくてもいいのか?」

「帰るなってことだろ。こんな目に遭わせてきたんだから」

 やはり暗殺か……とバルドーは内心緊張を覚える。


「えーと、それでもここでの暮らしはあんたに馴染みのあるものでもないだろう。その辺は苦労はないのか」

 バルドーは先に感じた疑問を解消しようとした。男がノーマとして生きていくと言ったことに驚いたので、そこを尋ねたのだ。


「俺は……まあ気づいていると思うが、俺はそれなりにいい暮らしをしてきたのだ」

 男の答えにバルドーはうんと無言でうなずく。

「当たり前に美食を食べて、絹の服を着て、いい酒を飲む……一応、身分に応じた責任というものがあったが、それを意識するよりは好きなことをしてきた」

 男が語る淡々とした口調には、それらが失われたことに対する失意などは感じられない。


「それらのほとんどを失くしたわけだ。だが、不思議と不自由には感じなかったのだ。食事は質素なもんだし、服だってあるものを着るといった感じだが……だがやってみれば、そこに不満など覚えなかった。食事は温かくて味がついていれば、どんなに質素でも美味いとおもえるし、服だって暑さ寒さを感じなければ、それで十分だ。この天幕はよくできていて、しっかりと風を防いでくれるから、寒さに凍えるということもない。そして、日が暮れてから見上げる夜空の開放感たるや……」

 男が言った夜空を見上げた時の感覚は、バルドーにも覚えがあった。大きな建物のない広々とした地平の真ん中で夜空を眺める。上から星が降ってくるような、自分が夜空の中に立っているかのような、あの感覚。あのひと時は、確かに格別いいものだとバルドーは思い出し、うなずいた。


 男が傍らに置いていた盃を手に取り、それに入った酒をぐっと飲み干す。

「で、またこの馬乳酒が格別の味でな」

「ああ。美味いよなあこの酒」

「王都でもこんな味の酒は手に入らんぞ」

 王都という言葉を出されて、どう反応したもんかとバルドーは思う。


「……俺は、俺が今までしがみついていたものが途端に大したことのないものに思えた。ここでの生活が快適であればあるほど、そんな気になる。俺は、もう降りさせてもらうことにしたのだ」

「そうか……」

 男の表情に贅沢をしたがる人間にあるような欲の臭いは一切ない。清々しさを感じるほどであった。



「崖下に落ちていたと言うが、この近くの崖と言うとあの辺りか。ここから5マイルンほど行った先の灌木が茂っていて、崖が三段くらいに連なっていてその真ん中の崖のとこを通っていく感じの道の……」

「そうだけど、お前随分具体的に言えるなあ」

「ここらは自分が住んでる土地の領地だから」

「領地全体の地形覚えて把握してんの」

「そりゃあそうだろう」

「いや、そんなもんか?……というか、お前結構強いな」

 盤面は気づけばバルドーが随分優勢になっている。


「見た目に寄らずってか」

「こういうのは、手順を覚えてるだけなんだ。あまり自分で考えて打っていない」

「……手順って膨大な数だと思うんだが、それ覚えてるって相当だろう」

「考えるより確実なら、覚えた方が楽だから……」

 男がバルドーの答えに顔を引きつらせる。その表情の意味がよく分からない。よくわからないゆえに、バルドーは相手がどう動くのかを待つ。待ちながら、バルドーは弟たちはあんまり一緒に指してくれなくなったなあと考える。

 剣術の類は子供の頃のバルドーにとって遊びの一環ではあったが、弟たちにとってはそうではなかった。弟たちと遊ぶには、別の何かが必要だった。その内の一つがこういった盤上遊戯だったが、それもいつからかあまり一緒に遊べなくなってしまっていた。残念に思いつつ、時々バルドーは伯父と指していたのだった。


 男が次の一手を打ってくれた。まだ続きができる、とバルドーは次の手を指す。

「……もう勝ち手が見えないんだが」

「崖から落ちたのは、馬車の輓具か何かが壊されたのか。一頭だけ無事に崖上に残ってたってことは……」

「お前、この件をどうにかするつもりなのか」

「ああ。ここはうちの領地だ。ならばこちらが犯人を見つけなくてはならない」

 バルドーの言葉に、男の手が完全に止まってしまった。困った顔で見返してこられる。


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