397日目 うずみ(2)
その日カウンターに出ると、店内は珍しく騒がしかった。
「……払えるわけないじゃないですか! 騙しておいて何を抜け抜けと!」
「人聞きが悪いですねー。ちゃんとサインしたじゃないですか。ほら契約書は確かにここに。騙されたのはこっちですよ。期限までに返していただくという約束でお貸ししたのに」
「とにかく無理なものは無理なんですから、これ以上付き纏ってきても無駄です!」
「ですから、仕事払いという手があると何度も申しております。地下労働、湖底労働、ブラックギルド労働、今なら職種は選り取り見取り」
「やーーーだーーー!」
何やら二人のプレイヤーが言い争いをしている模様。大きな声に一瞬怯むも、彼等の意識は互いに集中していて、私の存在に気付く気配はない。
なんだなんだと、私はカウンターのパネルを操作するふりをしつつ、そっと様子を窺った。そして息を呑む。
二人の内の一人が、一週間ほど前に納品したばかりの新作――――【道化少女の衣装セット】を身に着けていたからだ。
丁度今まさに、「ぼちぼち日数経ったしそろそろあの衣装も一般販売するかー」と思って作業しに来たところだったんだよね。
つまり、あのピエロコスはまだこの世に1セットしか出回っていないということ。つまり、その1セットを身に着けているあの女の子こそ、依頼者[うずみ]さんであるということ。
ネームタグを表示すると、予想通り彼女本人で間違いなかった。
因みにお相手の黒ウサ男子は[(・´з`・)]さんという人らしい。
うーむ読めん。便宜上「顔文字さん」と呼ぶことにする。
そんな二人は周囲を憚らずうちで喧嘩しているわけだけども、聞いている限り、うちの業務とは全く関係のないことで争っているようだ。
やれ契約書だの労働だの、全くほのぼのゲーらしからぬ単語が飛び交っている。よもやリアルのいざこざが持ち込まれてるわけじゃあるまいな。
いずれにせよ私の心情としては、「余所でやれ」以外の何物でもない。
そんな訴えを横から投げ込む勇気も到底ないけどね。火に油だろうし。
不幸中の幸いだったのは、この時間二人以外にお客さんがいなかったということか。まあ二人の諍いを見てお客さんが捌けていった可能性も十二分にあるわけだが。
であれば、「触らぬ神に祟りなし」という意見については私も全く横に同じである。私は自分という存在をフェードアウトさせるイメージでゆっくり後退し、奥の部屋に引っ込むことにした。
が、ドアノブに手をかけたその瞬間、運の悪いことに顔文字さんのほうと目が合ってしまう。途端に顔文字さんは、気まずそうに眉尻を下げた。
「や。これはこれはブティックさん。失礼、騒がしくしてしまったでしょうか」
「え、い、いえ。……でも、そうですね、他のお客さんが来たときにびっくりしてしまうと思うので、できれば込み入ったお話は別の場所でしていただければと……」
顔文字さんは存外に良識がありそうな反応を見せたので、それならと、私はやんわり注意を入れさせていただく。するとどういうわけか、彼の顔から汗が噴き出した。
いやいやいや、私滅茶苦茶ソフトタッチに言ったよ? 全っ然、圧なんか込めてないよ?
なんでこんな、私が言い過ぎたみたいな空気が漂っているのか。勿論、逆上されたりするよりかはよっぽど良いんだけどさ。
「大っ変失礼いたしました! 即刻退場いたします!」
「そーだそーだ、さっさと出て行け」
「なにしれっとソッチ側の顔してるんですか! ほら、あんたも来るんだ、ブティックさんにご迷惑をおかけしてはいけない」
「イヤだ。私は行かない」
「このやろ、こっちが下手に出りゃ調子に乗りやがって、」
「あのー、ですからそういったお話し合いは然るべき場所でやっていただければとー……」
「も、申し訳ございません! ……ちっ、覚えてろクソガキが。……では、わたくしはこれにて。ブティックさん、今後とももも太郎金融をよしなに~」
そう言い残し、顔文字さんはそそくさと店を出て行った。
あの人、もも君とこのメンバーだったんだ。私はぽつり、そんな感想を胸中で呟く。
さて、これで問題の半分は解決したんだけど――――――。
つと視線を手前に戻すと、丁度うずみさんも振り向いてこちらを見たところだった。
――――――問題のもう半分は、まだお引き取り願えない模様。
唇を真一文字に引き結んだ頑固そうなこのお客様に、なんて声をかけたらいいものか。途方に暮れかけたその時だった。
何かに張り合うかのごとくきっと見開かれていたうずみさんの瞳が、突然ほや、と溶けた。かと思えばそこからほろほろと、大粒の涙が零れ落ちる。
引き結ばれていた唇はわなわな震えながらゆっくりほどかれ、「ふええ~~」と子どものような鳴き声が漏れてきた。彼女はそのまま膝から崩れ落ちる。
……ええええ!
床にへたり込み、両手で顔を覆って泣きじゃくるうずみさんを前に、私はおろおろと困惑しきりである。
確かにきまくら。でも涙を流す人のことは、二、三、目にした記憶がある。
でもこんな、一切の理性を手放さざるを得なかったかのようなガチ泣きに直面したのは初めてだ。
何ならリアルでも珍しいことだと思う。小っちゃい子とかは別として。
しかも相手はほぼほぼ知らない人で、初対面で、ここにいるのは私だけっていうね。
困ったな、私人を慰めるのとか苦手なんだけど。
弟妹を持つ“お姉ちゃん”という存在が、等しく面倒見が良く包容力のあるタイプだなんて思うことなかれ。
いや、何なら私個人の見解としては、私にはその自負があった。
しかし落ち込む妹を元気付けようとあの手この手を尽くすたび「お姉ちゃんはあっち行ってて」、「うざい」、「別にそういうのいいから」、などと成長の変遷に合わせた拒絶反応を都度示された今となっては、そんなお姉ちゃんパワーへの絶対的自信も灰となって消えているのであった。
とはいえこのまま突っ立っているのは居心地が悪いし、放ってどこかへ行ってしまうのは後味が悪い。私はうずみさんのそばにしゃがむと、「大丈夫ですか?」と声をかけながら彼女の背をそっと摩った。
うずみさんの体は一瞬びくりと震えるも、拒まれはしなかった。呼吸はやがて落ち着いてくる。
お、これは私グッジョブなんじゃない? 慰めスキル成功してるんじゃない?
もしかしたら失われたかに思われていたお姉ちゃんパワーが、この手に復活しているのかもしれない。
おお、いける、いける気がするぞ。今なら気難しい妹のことも、ニュールを前にした猫のごとく手懐けられそうな自信が湧いてきたぞ。
などとうずみさんそっちのけで明後日の物事に思いを馳せていたため、私は少し反応が遅れた。
「……った」
「へ?」
「こ、こわ、かっ……っだ……~~~~っ」
――――――『怖かった』……?
その後もうずみさんが落ち着くのを辛抱して待っていると、やがて彼女は嗚咽混じりに語りだした。
「あの……、お願いがあるんです」
「はあ」
「この衣装、返品できませんか」
えっ。








