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嵯峨崎の夜の海辺から  作者: 烏羽 港太
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2015年12月4日

2015年12月4日


 雪が降った。

 いや、雪は良い。無条件に心躍る、空からの白い便りである。雪ちらつけば窓の外を見て「おお」と声を上げ、雪積もれば外へ出て無暗に歩き周り、積雪を手に一掬いしては口へ運び、しゃりしゃりと齧って冷やっこさを楽しむのが、私の常である。――雪国育ちなのだ。

 昼は所用に費やした為、白雪の陽光を照り返す美景の中を歩きそびれた。少し物足りないが、夜、外を出歩いた時の事が、今宵の日記の内容である。

 ところで、雪の上を歩き慣れた者なら知っているだろうが、ただの雪は案外に滑らないものである。

 怖いのは、日中に良く晴れて、雪が溶けて水となり染み渡った後、夜の寒さに凍て付いて、薄氷となったものだ。

 これがまた滑ること滑ること、うっかり足を置いたものなら、そのままの姿勢でつつと十数センチも横滑りする事がある。なので夜の散歩の間、私は足を垂直に地面に降ろし、一歩毎に足裏の感触を確かめながら、慎重に歩いていた。

 さて、家の周りを歩いたが、近くにはこれと言った店が無い。何百mか歩けばコンビニの一つもあるが、夜の虫ではない故、灯に寄って行く習性も無く、腹が減った訳でも無い為に、なんとなく寄り付く気が起きない。

 森や、海近くの洞窟など、日中ならば勇んで探検にも出かけようが、冬の夜に踏み込むには、不気味以上に寒くてならぬ場所ばかりで、なんとも行く当てのない夜旅となった。

 音楽プレーヤーを持ちだすのを忘れたが為、流すBGMは自らの、調子外れた歌声である。高音域では裏返る我が声は、夜には案外にきんと響いて、何処よりか苦情など来やしないかとひやひやしたが、周囲に住む人と言えば、同じアパートの住人くらいのものである。そしてその住人達は、恐らく私に苦情を言いはしないだろう。

 何故か?

 何故なら彼等は、海辺の、辛うじて波が届かぬ砂浜に立ち、凍結しているからであった。

 凍結――

 砂上の楼閣とは聞く表現であるが、この場合は砂上の氷塔。先端は鋭角に、錐の形を成して接地面は広い円の、奇妙な氷の塊が、海辺に六つばかり並んでいる。その氷の中に彼等は、生き生きと赤みの差した頬、感情豊かな唇の笑み、何を見たかは知らぬが喜びをぎゅっと押し込めた輝く瞳のままで閉じ込められていた。

 これを見つけたのは、高歌放吟の調子が乗った、散歩の帰り道。気紛れに海辺を眺めたら、きらきらと光るものが有って、それが彼等であったのだ。

 夜の浜辺に立ち並ぶ6つのモニュメントは、内包する人間の背丈に合わせて、大なるは私の背丈ほどに大きく、小なるは2、3歳の幼児であるからして、私の腰程の高さである。

 しかし、どうしたものか――と、私はその時、悩んだ。

 何せ、本当にどうしてよいものか、まるで見当がつかなかったからである。

 此処へ警察を呼ぼうとしたとて、はて、電話を掛けた後に、なんと先方に伝えたものか。人が氷漬けになっていますので、事件性があるでしょうから、警棒や拳銃でしっかと武装して、大人数でお越しなさいと助言すべきなのか。

 救急車を呼ぼうにも、こちらも先方を悩ませるばかりであろう。人が凍っておりますから、湯と毛布を持って来てくださいませ、担架に乗せる際は手が冷たいでしょう、など言おうか。

 随分のんびりと、阿呆な考えを巡らしているようではあるが、いや何、私も混乱していたのだ。

 彼等は氷の中、実に生き生きと閉じ込められて、その様は全く水族館のガラス向こうでじっとするミズダコか、こちらの顔を見て髭だけ動かしている伊勢海老のようだった。

 蛸や海老を、水槽から取り出して床に置いたなら、まあ暫くは動くだろうが、何処かでは死ぬだろう。私の目には、彼等を氷塔から引き出すのは、それと同じことのように思えたのだ。

 好奇心に任せて、氷柱に近づいて行く。

 透明な氷――気泡や、細かな不純物を呑み込まない、何処までも透明度の高いが、屈折率ばかり空気と明瞭に分かれた、清浄な氷。美味であろうなぁと思った。

 いや、本当の事だ。

 冷凍庫の製氷皿で氷を作り、がりがりと齧るのは、歯ごたえと冷たさが相まって、味は無いながら美味である。この氷もそのように、塵や雨の味がする雪とは違って、さぞや美味な氷であろうなと、私はその時、心から思って――

 がりっ。

 と、一番小さな、背の低い氷――つまり、幼児が中に納まっていた氷の、上端を齧ってみたのである。

 途端、耳を塞ぎたくなるような大音声が、夜の浜辺に響き渡った。

 うぎゃあ、ほぎゃあ、あんぎゃあ、ぎゃあ、ぎゃああ。

 子供の声である。

 子供の泣き声は、基本的に嫌いだ。親が必死で宥めようとしているのを、知らぬ顔で喚いている子供だと、まだ何となく愛嬌もあるが――誰も止めるものが居ないで、かと言って迷子なり怪我なりと異変がある訳でなく、ただ己が気に入らない事があると主張する為に喚く餓鬼の声は、蹴り飛ばしたいくらいに嫌いだ。夜に響いたこの声は、そういう類の声であった。

 煩い!

 私は氷柱を蹴り倒し、それで泣き声が収まったのを確かめてから、数十mばかり歩いて、自らの部屋へ戻ったのである。



 眠ろうかと思うてから、一つ、気になる事があった。

 それは、明日の朝、彼等がどのような運命を辿っているのかである。

 氷とは、溶けるものだ。ああも透明な氷であるなら、見事に水になって、砂浜に、沁み一つ残さず消えていって、影も形も残るまいとは思う。

 ならば、内包する人間達はどうなるのだ?

 彼等は未だ、日常を過ごす無邪気な人間の瞳のまま、遠く水平線の果てに待つ、何かの姿を見ようとしているのだろうか?

 日記を此処まで書いて思い出したのだが、そういえば彼等は、全てが海の方を向いたままで凍り付いていた。

 私はなんとなく、今からまた外へ出て、氷柱全てに齧り付き、全て蹴り倒してから、またここへ戻って来ようかなどとも思ったが――

 眠いので、止めた。

 眠る前にテレビを着け、嵯峨崎のローカルニュースを聞く。

 「本日は一日中、10月並みの暖かさで――」

 などと、ニュースは言っていた。

 さて、私が喰った雪は、齧った氷は、なんだったのやら。

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