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ヴィーザル王国物語  作者: 沙羅咲
外伝(4)
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武官と知識

 数年前。


「聞いているか? ゼイル」


 先生の声にゼイル・ファギルスは、はっと我に返った。そうまだ授業中だった。街の神殿で望む者に学を授けてくれる。薄茶色のさらさらとした髪を持つ神殿長のキユペラが、ゼイルをじっと見つめていた。ゼイルは大きな目を更に大きくさせて見つめ返す。


「えっと…」


 目と同様に大きなゼイルの口から洩れた言葉に、キユペラの薄茶色の瞳が緩んだ。


「たるんでるぞ。ゼイル。私としては、ここを離れる前にできるだけのことを学んでほしいんだけれどね」


 そう。来週にはここを離れて城に向かう。志願兵として。


「すみません」


 ゼイルは素直に頭を下げた。若くして神殿の長となったキユペラの知識は深く、広く、このあたりでは一番の知識を持つものとして知られていた。いや、このあたりだけではなくウクラテナ領一帯で名前を知られているといっても良い。


 それだけに彼の元で学んだことは、ゼイルの力となるはずだ。しかし頭では分かっていても、ゼイルの気持ちは、すでに先に行っていた。来週、そしてその先に。剣として、盾として、王の騎士となることに。そのための第一歩。ウクラテナ軍に志願したのだ。


 そんな気持ちをキユペラは見抜いたのだろう。軽くため息をつくと、その高い背をかがめて、座っているゼイルの視線にあわせてくる。


「君は武官になることを決めた。それは分かっているけれどね。でも、だからこそ、知識は必要だよ。それを忘れないで欲しいな」


 キユペラは穏やかに微笑んで、まっすぐにゼイルの瞳を見た。


「力に溺れるものは、力に滅ぼされる。力とは知識に裏打ちされてこそ、真の力となるのだよ」


 なぞなぞのような問いかけに、ゼイルは問うようにキユペラを見た。答えようとした刹那、他から声があがる。


「神官様、授業を続けましょうよ!」


 そう。神殿の祈りの部屋には、ゼイルだけではなく、このあたりから集まった子供たちと、学びを求めた大人も集まっていた。キユペラは話上手で、毎回の授業によって顔ぶれは変わるけれど、いつも部屋は満員だった。多くなりすぎると、同じ授業を二回やることもあるぐらいだ。それだけにゼイルがぼーっとしていたのは、他の人から見れば解せないことだっただろう。


「ゼイル、後でゆっくり話をしよう。授業の後に部屋に来なさい」


 小声でキユペラはそう告げると、にっこりと微笑んで、立ち上がった。すらりと伸びた背を見せて、ゼイルの前から立ち去ると、授業の続きに戻っていく。


「夜空で方向が分かるという話だったね」


 そういうと、空の星の位置について話を始めた。ゼイルはキユペラを見つめながら、意識を話に戻した。空の星は絶えず動いている。しかし動かない星もある。だからその星を見つければ、道に迷ったときでも戻ってこられると。そしてキユペラの話は夜空の星にまつわる伝説に変わっていった。




 授業が終わってから、キユペラの部屋、正確に言えば神官長の部屋に向かった。扉をノックするとキユペラの柔らかな声が中からする。


「お入り」


 扉を開くと、良いお茶の匂いが漂っている。こじんまりとした部屋の真ん中のテーブルセットには、湯気が立つ茶碗が二つ用意されていた。


「どうぞ。そこへ腰掛けて。タイミングが良かったね。お茶を入れたばかりだよ。いい香りだろう?」


 ゼイルは言われるままに椅子に腰掛けて、茶碗に手を伸ばした。確かにすがすがしい良い香りがする。


「ゼイル。君は来週には城に向かう。あと何回、私の授業を受けてくれるか分からないからね。それで一度ゆっくり話をしておきたいと思ったんだ」


 ゼイルは正面に座った神官をじっとみた。キユペラは穏やかな笑みを、女性とも見間違いそうな顔に浮かべて、ゼイルを見ていた。長い睫毛に包まれた薄茶色の瞳が、ゼイルの目にくっきりと映る。


「武官になるということが、どういうことか、分かっているかな?」


 ゼイルはその言葉にビクリと反応した。何度も父親からされた質問だった。


「神官様も、俺に行くなと言いたいんですか?」


 挑むようなゼイルの態度に気付かないかのように、キユペラは表情を崩さないまま、ゆっくりと首を振った。


「そんなつもりはないよ。ただ武官というのは戦うものだからね。自分の身は自分で守る必要がある」


 意外なキユペラの言葉にゼイルは目を見開いた。キユペラは反対するものだと思っていた。だからぎりぎりまで何も言わなかったのだ。志願が決まって、所属部隊も決まって、いよいよ城に向かう確かな日程が決まってから、ゼイルはキユペラにこのことを告げた。だから今日の呼び出しも、きっと行くなと引き止められるのだと思っていたのだ。


「反対は…しないのですか?」


「君が決めたことだ。私が反対して止めることができるなら、お父さんが反対した時点でやめているだろう?」


 ゼイルは頷いた。そして一口お茶を飲む。それは喉越しもよく、すっと胃の中になじんでいくようだった。


「ゼイル。反対はしない。だが、簡単に死ぬことは許さない」


 ゼイルは顔を上げた。キユペラが今まで見たことの無いような強い瞳で、ゼイルを見ていた。


「力に頼るものは、力に溺れる。力に溺れるものは、力に滅ぼされる。勉強をやめてはいけないよ。ゼイル」


「神官様…」


「知識はきっと君を助けてくれるだろう。例えば君が戦場で迷ったとき、今日話した星を覚えていれば、君は味方のところに戻れる」


 戦場で迷うということがあるのだろうか…と思いつつ、ゼイルはあまりに真剣なキユペラの瞳に押されるようにして頷いた。キユペラの瞳が緩んで笑みが広がる。


「勉強は続けるようにね」


 ゼイルは再び頷いた。キユペラが立ち上がって、本棚から本を取り出す。それは薄い小さな本だった。


「この本をあげよう。これには神々の言葉が書いてある。難しいかもしれないけれど、ゆっくり読みなさい。そしていつでも神様を忘れてはいけないよ。力と知識を持つものを導いてくれるのは、神様なのだから」


 ゼイルの手にしっとりとした革表紙の手触りが伝わる。受け取って中を開くと小さな文字の横に、さらに小さな字で書き込みがしてある。


「それは私が神官の勉強をした時の教科書なんだよ」


 顔を上げると照れたような表情をしたキユペラがいた。先ほどの真剣な表情といい、今の照れたような表情といい、このような表情のキユペラを見るのは、ゼイルにとって初めてだった。


「ゼイル。君に神々のお導きがありますように」


 キユペラがゼイルの頭に手を置いて、祝福をする。慌ててゼイルは本を膝の上に置いて、首を垂れて両掌を胸の前で合わせて祈りの姿勢をとった。しばらくキユペラはさらに口の中で何かを唱えていたが、最後にようやく手をゼイルの頭から離した。


「さあ、行きなさい。お父さんが待っているんでしょう?」


 ゼイルは呆けたようにキユペラの顔を見ていたが、大きく頷くとにやりと嗤って見せた。


「ありがとうございます。神官様。俺…がんばります」


 キユペラも大きく頷いて見せた。


「がんばりなさい」


「はいっ!」


 ゼイルはガタンと音をさせて椅子を弾くように立ち上がると、ペコリと頭を下げた。そして扉を開く。それはまるで未来への扉を開けていく者のようだった。開き、そして閉まった扉を見つめながらキユペラは呟いた。


「我らの神々よ。彼の無事を…。どうぞ彼を守り給え」




 そしてゼイルはウクラテナ城でアレスと名乗る少年と出会い、クラレタの平原での戦いを生き抜き、力を認められて、今はここにいる。この国の中心であるヴィーザル城で王の剣、王の盾である近衛として。キユペラの祝福が効いたのだろうか。


 ちらりとゼイルは視線を移動させた。目の前にいるのが数年前に練習のために剣を交えた少年、アレスだ。堂々たる王様ぶりである。知らずとはいえ、やってしまった数年前の自分に対して、思わずこっそりとため息をついた。




ヴィーザル王国物語 ~外伝:武官と知識~


The End.

ゼイルがアレスとであったのは、「一角獣の旗」の第15章です。王様だとはぜんぜん気づいていませんでした。

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