第5章 赦し(2)
朝になり、アレスの命を狙っていたのがクリスティーナであり、すでに夜のうちに捕らえられたと聞いて、サイラスはライサを伴ってアレスの居室に押しかけた。両脇に近衛が立つドアをノックすれば中からバルドルの声で入ってくるように言われる。
正面の椅子には困ったような顔をしたアレスが座っており、その脇にバルドルが立ってサイラスの顔を見たとたんにニヤリと笑った。周りを見回すが、アレスの傍にラオの姿もエフライムの姿もない。
「一体、どういうことですかっ!」
思わず常にないくらいの大声を出せば、バルドルが肩をすくめた。
「すまんな」
素直に謝られてしまえば強くは言えない。仕方なく深呼吸をして気持ちを落ち着けたところで再びバルドルに視線を戻す。
「説明していただけますね」
「もちろんじゃ。まだ陛下にも説明しておらんし」
サイラスが問うようにアレスに視線を移すと、アレスは何とも言えない複雑な表情で微かに笑みを浮かべた。
「僕は顔に出るからダメだって、教えてもらえないことが結構あるんだよ」
その言葉を聴いてサイラスは頭を抱えたくなった。サイラスも城という政治の場に身をおきながらも、腹芸は得意ではない。表情を消すのも上手ではないという自覚があった。
「わしの読みでは、そろそろ暗殺者も痺れを切らすころじゃろうと思っておった。だから一計を案じて、陛下を移すと大々的につたえて出発までの日数で襲わせてやろうと考えたわけじゃ」
「そんな…陛下を囮にするような…」
「無論、そんな馬鹿なことはせん。陛下の代わりに部屋に篭っておったのはエフライムじゃ」
「では陛下はどちらに…」
サイラスの言葉にアレスは、くすりと笑った。
「近衛兵の寮だよ。城の北側にあるあそこ」
サイラスは眉を顰めた。近衛はほとんどが独身の男たちで、城に泊まりこんで警備することが多いので、城の敷地の北側の館を寮にして住んでいる。一度見たことがあるが、狭い上にどこか雑然とした場所だ。
「あんな場所に…。しかも身体が…」
「あんな場所だからじゃよ。まさかそんな場所にいるとは思わんだろう? それにあの咳は仮病じゃ」
「仮病?」
それにはアレスが頷いた。
「ラオが作った薬。病気みたいに見えるだけで本当はぜんぜん平気。それに、他の近衛には内緒で、オージアスの部屋にいたのは面白かったよ。もちろんオージアスと、それからユーリーも一緒にね」
サイラスは鷲鼻で冷静な副隊長オージアス・ザモラの容貌と、ハニーブロンドで体格がいい小隊長ユーリー・エールソンを思い出す。確かに腕利きの二人だ。
「僕がいるなんて知らないから、皆、変な歌を歌ってたり、凄い冗談を言ってたり」
自分の言葉で思い出したようにアレスがクスクスと笑う。一体どんな冗談を言っていたのかとサイラスは少しばかり心配になった。
「それで…ラフドラス伯…バース様は?」
おずおずとライサがここにいないエフライムのことを尋ねる。
陛下の身代わりに暗殺者を待っていたら、それが自分の恋人だったなんて…。
ライサはエフライムの気持ちを想像すると、身が切られる思いだった。自分自身のことだったらとても耐えられそうにない。
だがバルドルの態度は変わらなかった。
「なにやら用事があるといって出て行きおった」
まるで平常時の任務のことでも話しているような雰囲気で言葉が返ってくる。ライサは耳を疑った。
「そのまま行かせてしまったのですか?」
思わず相手の身分が自分よりもはるか上であることを忘れて、語調が強くなってしまったが、そのことにライサ自身は気づいていなかった。一方のバルドルはライサの態度に眉を顰めるでもなく、淡々と答える。そのまま行かせたことの何が悪かったのか、わからないという表情だ。
「行かせたのぉ」
「そんな…クリスティーナはバース様の恋人だったのに…」
思わず呟いてから、ライサはきゅっと顔をあげると一同をぐるりと見る。誰の顔にもエフライムに対する同情が表れていないのを見ると、唇をかみ締めた。
「私…バース様を探して参ります」
居ても立ってもいられない気持ちになって、ライサは退室の許可が出る前に廊下へと飛び出していた。
部屋に残されたバルドルとサイラス、アレスが顔を見合わせる。バルドルがぽりぽりとやるせないように耳の後ろを指で掻く仕草をした。
「エフライムを…止めたほうが良かったかの?」
「止めたほうが良かったの?」
アレスが質問をそっくりそのまま返した。バルドルが困ったような顔をし、サイラスは口を挟む術がなく、二人を見ている。バルドルが大きく息を吐き出した。
「奴は知っておったようじゃ」
「どういうことですか?」
サイラスが首をかしげた。
「エフライムはクリスティーナを怪しいと睨んでおったようじゃよ」
バルドルの言葉に、アレスが大きく頷く。
「そうじゃないかと思った」
バルドルとサイラスの目がアレスに向いた。
「どういうことです? 陛下も気づいていらしたんですか?」
サイラスの問いにアレスは首を振った。
「ううん。僕が気づいたのは、エフライムのクリスティーナに対する扱いがヘンだっていうこと。妙に優しいっていうか…」
その言葉にサイラスは一瞬笑いそうになるのをぐっと堪えて、まじめな声で答える。
「人を好きになれば、誰だって優しくなります」
「そうなの?」
「そういうものです」
少年から青年になろうとしている王は、人を好きになるということを知らないのだ。サイラスはそう理解して、まるで自分の息子を見ているような錯覚に陥った。
だがアレスは納得しなかったらしい。
「エフライムは…」
僕に一度としてクリスティーナを信じろと言わなかった。ラオはあの二人のどちらかといろと言ったのに。後で気づいたら、エフライムは一度としてクリスティーナを信じていると言っていなかった。
そう言おうとして、アレスは黙り込んだ。数年前にエフライムに言われた言葉を思い出したのだ。剣の癖を人に言わないほうがいい。それは弱点になる。
きっとこの場合も同じだろう。
こういうのは言わないほうがいい。弱点になるかもしれない。サイラスとバルドル相手には大丈夫だとは思うが、エフライムはぎりぎりまで手のうちを明かさない。その姿勢を自分も習うべきだろう。
「エフライムは…分かりにくいんだよ」
代わりに言うと、サイラスは分かったような顔をして頷いた。
「そうなんでしょうね」
サイラスとしてはアレスの言葉を思春期の負け惜しみに聞こえていた。若いころは自分だけは気づいていたと言いたいものだ。それならそれでいい。誰でも通る道だと大きな気持ちで受け止めておいた。
バルドルだけが双方の気持ちを知ってか知らずか、困ったような顔をしたまま、再びため息をついた。




