第4章 信用(2)
「う…」
自分のすぐ傍のうめき声で我に返る。視線を移せば、ラオの足に大きな木片が刺さっている。
「ラオっ」
「騒ぐな。大丈夫だ」
「しかし…。誰かっ」
呼びかけに駆けつけてきた近衛たちが現れたが、動かして出血するよりはとエフライムの居室の長椅子へと移動させた。それを見ながらエフライムは残った木片を調べると同時に、門のところへ来たという若い娘を探すように部下たちに命じる。
そこへさらにサイラスが現れた。
「エフライム一体…」
部屋を一目見たサイラスは声が出なくなる。焼けた床、木片とラオの血液が床に散らばっている。
「エフライムっ。怪我はっ?」
ようやく事態を把握したサイラスにエフライムは苦々しく微笑んで見せた。
「私は大丈夫です。ラオが怪我をして…」
その言葉に、ひっと息を呑む音がサイラスの後ろから聞こえる。爆発音に気づいて駆け寄ってきたマリアが真っ青になってドアのところに立っていて、今にも倒れそうだ。その後ろには引きつった表情のライサとクリスティーナがいた。
「ラ、ラオは…?」
つぶやくような声を出したのはマリアだ。
「大丈夫だ」
長椅子の上からラオがぶっきらぼうな声を出す。みなの視線がそちらに向いた。マリアは即座に動いてラオのそばに駆け寄る。
「大丈夫です。命に別状はありません。足に木片が刺さって…かなりの出血はありましたが、見てのとおり意識はしっかりしていますよ」
安心させるようにエフライムが言うと、サイラスもライサもほっと肩の力を抜く。
「ラ、ライサ。すぐに陛下のところへ。ラオは大丈夫だと告げてください。しかしまだ油断しないように」
もつれがちになる舌をなんとか動かして、サイラスはライサに指示を出した。それにエフライムがかぶせる。
「近衛からも身の回りを守るように人を出しますが、今は鍵を閉めてお部屋にいていただくように伝えてください。窓にも近づかないようにと」
「はい」
青ざめた顔をしつつも動作は機敏にライサが走っていく。マリアは今にも崩れ落ちそうな表情ながら気丈に振る舞い、長椅子の脇でラオの手を握っている。そんなマリアをクリスティーナが支えていた。
「す、すぐに床屋を呼びましょう」
サイラスが長椅子の脇でオロオロした挙句に、思い出したように口にする。身体の体内のことについては医者がいるが、外傷に対処しているのは床屋なのだ。
「呼ぶな」
ラオが横になったまま顔をしかめながら告げた。
「し、しかしですね」
身体を起こそうとしているのをみて、マリアは震える指でラオの背を支える。身体を起こしたが、足の怪我の部分は周りの布のせいでよく見えない。
「服を…切ってくれ。怪我の場所が見えるように」
ラオを担ぎ込んだまま残っていた近衛の一人が持っていたナイフでそっと服の布を切る。ラオはしかめた顔のまま、じっと自分の足の傷口を見ていた。
「この程度の傷、自分で縫える」
「じ、自分で、ですか?」
「そのぐらいできなければ、山には篭れない」
「あ、穴が開いていますよ?」
ラオに言われた通りに、まだ木片は刺さったままだ。抜こうとして止められていた。
「骨は折れていない。大丈夫だ」
「だ、ダメよ…」
ラオの言葉を遮ったのはマリアだ。
「ダメに決まっているじゃない。お願い。傷を残さないぐらい腕がいい人を連れてきてください。お願いです。財務大臣閣下」
マリアは床に膝をつくとサイラスにすがった。
「お願いです。自分でなんて…させないでください」
マリアが取り乱してすがってくるのを見て、逆にサイラスは落ち着いてしまった。ぽんぽんと軽くマリアの肩を叩くと、軽くうなずいた。
「私の知っている人で、凄く腕がいいと評判の人がいるんです。その人を連れてくるように言いましょう。待っていてください」
サイラスはマリアの目を見て、安心させるようにもう一度頷くと、急いでドアから出ていった。
数時間後、ラオの足はサイラスが呼んできた床屋によって綺麗に縫われ、自分の部屋のベッドに横たわっていた。ベッドの脇にはマリアが変わらずじっと座りこんでいる。
クリスティーナとサイラスはラオの様子を見届けた後に、アレスのほうへ合流するべく退室していった。エフライムたちは木箱の送り主を探しているけれど、まだ見つかっていないようだ。時折城内をばたばたと走る音が聞こえてくるが、この部屋の中は静かだった。
「もう大丈夫だから、お前は自分の場所へ戻れ」
ぼそりとラオが言う。マリアは黙ったまま、俯いて首を振った。頑なにベッドの傍に座り込んでいる。
「ここにいるよりはアレスを守れ。俺の代わりに」
その言葉にマリアは顔を上げた。ラオは薬のせいかぼんやりとした表情で、天井を見つめたままぼそぼそと言葉を吐き出す。
「今回狙われたのはエフライムだ。エフライムとアレスは二人とも狙われている」
「そ…そんな」
「だがエフライムはどうにかするだろう。自分にかかる火の粉は自分で払える男だ」
「火の粉?」
「アレスを狙っている奴は…諦めない」
「ラオ。あなたには…誰が二人を狙っているのか…わかっているの?」
その言葉に苦笑が刻まれる。
「わかっていたら苦労はしない。断片が見えるだけだ」
「あなたは…怪我までして…大丈夫なの?」
「大丈夫だ。今回は…気を取られすぎていた。今はそんな時じゃないとわかっていたのに…」
「ラオ…何に気を取られていたの?」
聞きたいけれど、聞きたくない。しかし思わず口にしていた。ラオの薄い色の瞳がマリアをじっと見つめる。
「お前に」
「あ…」
強い視線に耐え切れないようにマリアは俯いた。視線が落ちた先に微かに見えるポケットのふくらみ。
「あの…石は…あれは…本当はどうやって手に入れたの?」
「言ったとおりだ。旅の帰りに川で見つけた。お前に似合うと思った。いらなかったら捨ててくれ」
慌ててマリアは顔を上げた。ラオの視線は遠く、窓の外へと向けられている。
「気に入っているわ。捨てない。返すように言われても返さない」
マリアの言葉にラオがかすかに笑った。
「そうか」
「ええ」
ラオの瞳が閉じられた。
「もう行け。少し眠る。アレスを頼んだ」
「ラオ」
もう眠ってしまったとばかりに、マリアの声には答えなかった。マリアは、ほんの暫くだけラオの横顔を見ていたが、表情を引き締めて立ち上がり部屋から出ていった。
爆弾騒ぎから1週間。警戒態勢のまま場内は静かに過ぎていた。さすがに人々の顔にも疲れが見え始めている。
その日、バルドルは城で働く主だった者達を早朝から集めて宣言をした。
「陛下は暫くの間、療養のために城を離れられる」
アレスを守るように脇に立っていたエフライムは知っていたのか涼しい顔をして聞いている。逆に慌てたのは財務大臣サイラスだ。
「待ってください。そんな話は私ですら聞いていません」
だがバルドルは動じない。にやりと不敵に笑うとサイラスをなだめるように口を開く。
「昨晩、決めたからのぉ」
「昨晩って…」
思わずサイラスは絶句した。
「出立は用意もありますので2、3日の後に。私とクレテリス侯が付き添います」
エフライムの言葉にサイラスを始めとした臣下の者たちが、アレスに目を向ける。
言われて見ればなるほど、アレスはほんのりと頬が赤く熱を帯びたような顔をしている。体調が悪いと言われればそのように見える。
いつもは影のようにつき従っているラオは先日の爆発物騒ぎで足を怪我したために、今もなお足が癒えず、あれ以来部屋に篭ったきりだ。マリアが付っきりで看病していることはサイラスも知っていた。付き添いと言いつつも、本人の療養も兼ねているのだろうと推察する。
「陛下に判断を仰ぐ必要があるときはどうしたら…」
「わしに決まっておるじゃろ」
サイラスのなけなしの勇気を奮った問いかけも、バルドルの涼しい顔の前に打ち落とされていく。
そのときアレスがコホン、コホンと苦しそうな咳をした。
「大丈夫ですか? 陛下」
エフライムがさっと背中をさする。アレスはゆっくりと頷いた。それを見てバルドルが眉を顰める。
「先日の爆発物騒ぎといい、このところ落ち着く暇が無いために陛下は心身共にお疲れなのじゃ。しばらくの間だけ静養をとのご希望じゃ」
「しかし…どちらへ…」
「それはまだ検討中です。決まり次第、皆様にお伝えします。警備がしやすいところをいくつか候補地にしています。万が一にも、周りからの侵入者などが無いようなところでないとなりませんから」
にっこりと微笑むエフライムを前にサイラスは唸った。部屋の隅にクリスティーナと共に控えていたライサも、四役の一人でありながら何も知らされていなかったサイラスを気の毒に思ったのだから、サイラスの胸の内はどれだけのものだろうか。
「このお話、シャイン総司教殿は?」
「知るわけないじゃろ」
しれっと答えたバルドルを前に、サイラスの眉間の皺はますます深くなった。しかし全てを腹のうちに収めて諦めたようにうなずく。
「…わかりました」
そう。アレスとその側近が言い出したら聞かないことは既によく知っている。一番良く知っているといってもいいだろう。財務大臣という地位についてから、何度振り回されてきたか…。
部屋を退室していくアレスを見ながらサイラスはため息をついた。信頼されているかと思えば、このように自分を抜きにして物事を決めてしまう。自分の中でもやもやとした気持ちが広がる。
自分の気持ちを吹き飛ばすように首を振る。こんなことではいけない。自分が不安な顔を見せれば、城の者達も不安になるだろう。
サイラスはなんとか笑みの表情を作ると、促すように手を叩いた。
「さあ、皆さん。仕事に戻ってください」




