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ヴィーザル王国物語  作者: 沙羅咲
精霊の剣
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第4章  信用(1)

 それから数日後。あの日、クリスティーナに散々、彼の気持ちが分からないということと、自分の気持ちが分からないということをぶつけたマリアは少しばかりすっきりした気持ちで仕事をしていた。少なくとも表面上はラオに対して、冷静に対応できる程度には取り繕えている。


「マリア。申し上げにくいのだけれど…クレテリス候はあまり言葉選びが上手な方ではないわ。もしかしたら、それだけあなたにお気持ちがあるということではないかしら」


 クリスティーナの言葉が思い出される。


「確かに私をからかおうとしたり、騙そうとしたりする人ではないわ。でも…子供を生めなんて…酷いわ」


「そうかしら? 私はバース様にそう言っていただけたら、凄く嬉しいわ」


「それは…クリスティーナが愛されている実感があるから…」


「そうかもしれないけれど。好きな方が自分に子供を授けてくださるなら、嬉しいものではなくて?」


「子供だけなんて。私は心が欲しいの。お互いに好きだって思っているということを知りたいわ」


「そうおっしゃるということは、マリアはやはりクレテリス候のことをお慕い申し上げているのではなくて?」


「そうなのかしら…」


 無愛想で、不器用で、何を考えているか分からなくて。どうしてあんな人のことを私は気になるのだろう。そう思うけれど、マリアの頭の中からラオという存在はいなくならない。


 自分の部屋に戻ってベッドに横になっても、気になるのは彼のことだ。今、どうしているだろうか。叩いた頬は腫れていないだろうか。女の手の平なんて避けることぐらいできそうなのに、何故受けてしまったのだろう。


 そんなことを考えていると、自分を呼ぶ声がした。低い男の声が自分を呼んでいる。


「ラオ?」


 また聞こえた。本当の声ではない。仕方なく身体を起こして、ちょっと考えた後で寝巻きの上にガウンを羽織った。なぜ呼び声がするのか、確認しに行くだけだ。本人に会うわけではない。自分自身に言い訳をする。


 ドアをそっと開けてひんやりとした廊下に出た。手元の蝋燭がゆらゆらと揺らめいて足元を照らす。暫くするとまた声が聞こえた。声がするほうは、ラオの部屋へと続く。


 どうしようか迷った末にトントンとノックをすれば、まだ起きていたのだろう。「入れ」と低いがしっかりした声が返ってきた。


 そっとドアをあければ本人がいない。


「こっちだ」


 呼ばれたほうへ向かえば、そこは寝室だった。目の前に窓から外を見ている背中が目に入る。そのそばにあるテーブルにはワインと2つのワイングラス。


「あの…」


「心配するな。何もしない。そこに座ってくれ」


 テーブルの傍にある椅子ではなくて、ベッドを示された。躊躇しているマリアに向かって、ラオは何も言わずにワイングラスにワインを注ぐ。そのうちの一つを手渡されてしまい、マリアは手にしていた蜀台を机の上におく。


「どうぞ」


 なんだろう。いつもとラオの様子が違う。それが気になったが、言われるままにもう一度示されたベッドの上に腰掛けた。そのとたんにすぐ横にラオが座り込んでくる。


 肩と肩が触れる位置に座られて、蝋燭の薄明かりの中で端整な横顔が見える。マリアは自分の心臓が大きく脈打ち、音が早くなるのを意識した。


「この前はすまなかった」


「え?」


「あまりに失礼なことを言った」


「あ」


「一ヶ月、離れている間、ずっとお前のことを考えていた」


「ラオ…」


「それと…これを」


 手渡されたのは、あの日に見た白い包みだ。そっと開けると、中から透き通った六角柱の石が出てきた。片方が紫に色づいていて、その反対側は黄色だ。1つの石の中に紫と黄の二色が入っている。


「綺麗…」


「帰りの川の中で見つけた。お前に似合いそうだと思った」


「ラオ…」


 そっとラオが肩を抱いてくる。マリアは身体の力を抜いて、ラオの肩に頭をもたらせかけた。


「許してくれるか?」


「もちろんよ。私こそごめんなさい。痛かったでしょう?」


「いや。大丈夫だ」


 見れば、まだ薄っすらとラオの右頬は痕が残っている。ことんと肩にもたらせたまま、マリアはうっとりと瞳を閉じた。


 ラオの心臓の音も早い。緊張しているのだろう。この後、どうするのだろうか。口づけをされるだろうか。もしかしたら…その先も? 


 しかしじっと待っていたけれど、口づけも何もない。言葉すらない。ラオは固まってしまったように動かない。マリアはいぶかしく思い、そっと目をあけるとラオの困った表情が見えた。


「ラオ?」


「あ…いや」


「どうしたの?」


「エフライムに口づけろと言われていたが、この体勢ではムリだ」


「なんですって?」


「エフライムに言われた。いや。いい。とにかく協力しろ」


「ちょっと待って。誰に何を言われたんですって?」


 返事を聞くよりも先に、マリアは怒りのために手が震えてくるのを感じた。考

えるよりも身体が動いていた。右手が大きく振りかざされて、ラオの頬を打つ。


「馬鹿っ!」


 思いっきり罵倒して、マリアはラオの部屋から走り去った。








「それで? 何を言ったんです?」


 翌日の午前中。アレスがサイラスやバルドルと打ち合わせなのをいいことに、ラオはエフライムの居室を訪れていた。机の上の書類に目を走らせ、時折サインをしながら、エフライムはラオに話の先を促す。


「お前が言った通りにやっただけだ。だが途中から分からなくなった」


「何がです?」


「口づけろと言われたが、体勢的にムリだった」


 書類をめくっていたエフライムの手がぴたりと止まる。


「それで?」


「できないから協力しろと言った」


「まさか私の名前を出したりしていないでしょうね」


「言った。お前に言われたと」


 はぁ。大きなため息をつく。考えておくべきだった。ラオは変なところで聡いくせに、変なところに知識がない。


「そこでそれを言ってしまったらお終いです」


「そうか」


「そうです」


 コンコンと部屋がノックされた。


「どうぞ」


 ドアが開かれて、なにやら大きな荷物を持った男が入ってくる。


「ラフドラス伯にお届けものだそうです」


 後ろからついてきたエフライム付きの小間使いがおずおずと告げる。


「誰から?」


「それがお名前はなくて…。若い女性から、ラフドラス伯への贈り物だそうです。自分で持っていくと言い張ったのですが、それはできませんので代わりに受け取ったのです」


 一抱えほどある木箱だった。一体何が入っているのやら。


「贈り物は受け取らないようにしてくださいとお伝えしてありましたよね」


「申し訳ありません。どうしても…とおっしゃって」


 恐縮する小間使いにエフライムはこっそりとため息をついた。基本的に彼女たちは良いところの出で、あまり人を疑うことを知らない。ダメだと言っておいても、ほだされてまた受け取ってしまうだろう。叱責するだけ無駄というものだ。


「もういいですから、置いて下がってください」


「はい」


 もう一度身を縮こませて謝罪した小間使いを下がらせると、エフライムは床に置かれた木箱の前にしゃがみこんだ。


 女性からの贈り物というのは、エフライムにとって少なくない。それでも大抵は宝石のついたカフスボタンや葉巻、酒などが多い。このように大きなものは受け取ったことが無かった。


 しっかりと打ち付けられている木箱のふたに手をかけて、開けようとしたときだった。


「あけるなっ!」


 ラオが身体ごとエフライムにぶつかってくる。その勢いで二人はごろごろと部屋の隅まで転がった。その直後に轟音がとどろく。


「なっ…」


 ぱらぱらと降ってくる木片を転がった身体で受けながら、エフライムは絶句した。さっきまで木箱が置かれていた場所の床は焼け焦げていた。



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