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ヴィーザル王国物語  作者: 沙羅咲
精霊の剣
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第3章  思案の外(3)

 ぞろぞろとアレスの部屋から出て行く中で、ラオは一瞬だけアレスに視線をやったが、アレスがバルドルとなにやら話しているのを見ると、自分の部屋へと向かった。その後ろにライサとマリアがついてくる。


 エフライムはクリスティーナをエスコートして違う方向へ歩いていってしまった。


 ライサは自分の部屋へと向かう階段のところまで来て、ちらりとラオの背中をちらりと見るが、ラオは気づかずに自分の部屋と向かっているようだ。その後ろにいるのがマリアだった。なんとくモヤモヤとしたものを感じてライサは自分の部屋と戻った。


 言われてみれば、マリアがラオの部屋を片付けていたりしたことに意味が出てくる。だから彼女だけはラオの持ち物を勝手にいじることができたのだ。


 納得しつつも少しばかり寂しい。別にラオを恋愛的な意味で好きなわけではないが、同じ力を持つものとして、少しぐらいそういう話をしてくれてもいいじゃないかと思ったりする。けれど、ラオは口数が少ない。彼から聞く話は、薬草のことだけだ。


「あ…妹」


 そう言えば、前に妹の話をしてくれたことがあった。それぐらいだろうか。それにしても水臭いと思う。


 ベッドに寝転んで染みだらけの天井を見た。もちろん恋愛にうつつを抜かしている場合じゃないのは分かっている。お情けでこの城で働かせてもらっているのだ。


 それでも年頃の女の子として、周りに格好いい男性がいればときめくのも普通のはずだ。多分。


 次から次へと身近にいる男性の顔が浮かぶ。


 ラオはハンサムだ。表情が動かなくてまるで彫像のようだけれど。ぶっきらぼうだけれど優しい。彼女がいるなんて残念。否定はしていたけれど、あの表情を見れば鈍いライサであっても、マリアがラオを意識していることはわかった。ラオがどう思っているかはわからないけれど、マリアは別格になっているのは確かだ。そう思って他の男性を思い浮かべる。


 柔らかい笑みと貴公子のような物腰はエフライム。でもライサが逆立ちしたって叶わないようなクリスティーナがいる。


「世の中って不公平だわ」


 あんな美貌を持ちながら、素敵な男性も手に入れているマリアとクリスティーナに少しばかり嫉妬する。ラオの場合には素敵だけれどマギというおまけがついているが。


「マリアさん…あの人、平気なのかしら」


 どうなのだろう。彼女は知っているのだろうか? ラオが本物だということを。それとも隣の部屋にいるイザベラのように信じていないから気にしない人なんだろうか。


 そして次に思い出したのはオージアスとユーリー。オージアスもユーリーも最近は会うことが殆ど無い。せいぜいすれ違う程度だが、忙しいのだろう。二人とも視線だけでライサに挨拶する程度だった。それもそうだ。この国の王が命を狙われているのだから。


 アレス陛下。ライサの3つ年下だ。素直で可愛らしい王様は皆を魅了している。今はまだ少年という雰囲気だが、数年経てば誰もが目を惹く青年になるに違いない。まさに雲の上にいる存在のはずだった。その王様がライサにまで気安く話しかけてくれるなど想像したことがなかった。


 そんな王様を誰が、何のために狙っているというのだろう。きっと、その人物は王本人のことを知らないのだ。知っていたら殺そうなどと思うはずがない。けれどこの国の為政者がいなくなれば、喜ぶものもいるのだろう。


 例えば自分の出身国であるトラケルタ王国…。そこまで考えて、ライサの背に冷たいものが這う。ヴィーザル王国は豊かな国だ。欲しいと思う他国がいてもおかしくない。


 守りたい。王だけではなく、この国も。自分の国ではないけれど、優しい人たちがいる国を守りたい。どれだけのことが自分にできるかわからないけれど…。


 トントン。


 隣のイザベラが壁を叩く。ライサが戻ってきた音を聞いたのだろう。窓の外を見れば薄暗く、そろそろ夕食の時間だ。一緒に行くというつもりで「トン」と一つだけ返して、ライサは立ち上がった。






 ラオが自分の部屋に入ったとき、一緒にマリアも入り込んできた。怪訝な顔をしてみれば、マリアはため息をつく。


「荷物。まだ荷解きをしていないのでしょう?」


「大したものは無いが」


「なくても出さなければ。前みたいにカビが生えたものが後から出てくるのは困るわ」


 マリアの言葉にラオが軽く顔をしかめる。だが、何も言わなかった。それをいいことにマリアはさっさとラオが置き去りにした荷物を開いた。わずかな着替えと少量残った旅の途中の食料。それと…何かの包み。


「これは?」


「ああ。途中で見つけた。その黒い包みは薬草だ。めったに手に入らないものだ。もう一つは…」


 ラオの言葉が言いよどむ。


 何が入っているか知らないけれど、ろくなものではあるまい。そう思ってまず黒い包みを広げれば、干からびた草がいくつかに束ねられて入っている。この乾した草は、ラオの部屋の隅にあるコレクションに加えられることになるのだろう。


 もう一つの白い小さな包みを開けてみようと、手をかけたときだった。


「お前、俺の娘を産むか?」


 反射的に顔が上がる。今、何か信じられないことを聞いた気がする。まじまじとラオの顔を見ればいつもの無表情なまま、マリアを見ていた。


「な、何を…」


「お前に尋ねた。俺の娘を産むかどうか」


 頬に朱が走る。考えるよりも先に身体が動いていた。つかつかと歩み寄り、左手で思いっきりラオの頬を打つ。バシンと大きな音が部屋に響いた。


「馬鹿にしないでっ。私は子供を作る道具じゃないわっ」


 驚いたような顔をしたラオを置き去りにして、マリアは部屋の外へと飛び出していった。






 ぼんやりと中庭で座り込む。マリアの頭上に月が出ていた。頭に血が上って、そのままここへ辿り着いた。もうとっくに夕食の時間は終わっている。けれど今は食事どころではなかった。


 ラオは口下手な人だ。それは分かっている。それでもあの言い方は無い。自分たちがどのような関係なのか、何もない状態なのにいきなり子供を生むかどうかなんて。まるでマリア自身ではなくて、女という子供を生む機能だけに興味があるような口ぶりに腹が立った。


 とんとんと軽い足音がしたほうを見れば、クリスティーナが立っていた。


「どうなさいました?」


「なぜ…?」


「ここに一人でいらっしゃるのが見えたものですから…。どうなさったのかと」


 マリアはゆるゆると首をふる。エフライムの恋人。きっとエフライムならクリスティーナをこんな気持ちにはしない。言葉を尽くして彼女の心を放しはしないだろう。


「クレテリス候と何かありましたか?」


 びっくりして顔を上げれば、クリスティーナは優しく微笑んだ。


「私も恋する方がいますから。お察ししただけですわ。クレテリス候がお戻りになったというのに、一人でこんなところにいらっしゃるなんて、お二人の間に何かがあったとしか思えません」


 その言葉にマリアは苦笑するしかない。


「私とラオ…クレテリス候の間には、何もないんです」


「え?」


「何もありません」


 マリアはクリスティーナから視線を逸らして、星が出始めた空を見上げた。


「甘い言葉も、優しい抱擁も。口づけも。何もないんです」


「しかし…陛下が…」


「ええ。きっと勘違いです」


「そうなのですか? でも…」


「以前、クレテリス候が私に対してプロポーズめいたことを言ったのです。その場に陛下がいらしたので、勘違いされたのでしょう」


「それでは…なぜ、こんなところに? お体の具合が悪いとか。気分が優れないとか…」


「そうではありません」


 マリアは今度は視線を握りこんだ自分の手に落とし、ため息をついた。


「良く分からないんです。自分の気持ちも彼の気持ちも」


「ショヴンさん」


「マリアと呼んでください。クリスティーナ。私たち…仲間でしょう?」


 マリアが俯きつつもわずかにクリスティーナを見る。クリスティーナは嬉しそうに微笑んだ。


「ええ。マリア。話してくださる? あなたの気持ちを。話すだけでもすっきりするかもしれませんわ」


 マリアは俯いたままで、首を微かに動かしてうなずいた。






 今まで城に居たときと同様、アレスから夕食を共にという連絡が来たので、ラオは食堂へと出向いた。エフライムとバルドルがアレスの傍で座っている。彼らとは反対側にあるアレスの隣が仲間だけで食べるときのラオの定位置だ。


「ラオ、右頬が赤いけど、どうしたの?」


「誰かに叩かれたような後ですね?」


 アレスの言葉に、エフライムも問いかけてくる。


「マリアだ」


 運ばれてきた食事にナイフを入れながら無愛想に答えれば、バルドルば興味津々という表情で尋ねてくる。


「何をやりおった」


「何もしていない。ただ尋ねただけだ」


「何を訊ねたんですか?」


 一瞬、ラオが躊躇した。


「何があったかしらないけど、マリアを怒らせるなんて。謝ったほうがいいよ」


 アレスまで言うと、ラオは憮然とした表情で言葉を返す。


「何故怒ったのかわからん。いきなり平手うちされた」


「ああ。もう。なんかやったんだよ。それ。話したら、エフライムとバルドルがいいアドバイスをくれると思うよ」


 これではどちらが年上かわからないと思いつつ、エフライムとバルドルは笑いを堪えた。さらにちらりと視線を走らせて、エフライムは軽く手を振って給仕をしているものたちに下がるように合図をする。


「さあ。どうぞ。これで我々以外いませんよ」


 準備万端という風情のエフライムをラオはちらりと見たが、観念したかのように口を開く。


「マリアが俺の部屋までついてきて、俺の荷物を片付けだした」


「まあ、もとあなた付きですしね。あなたのところは人手が足りないですから、そのぐらいはいいんじゃないでしょうか」


 エフライムの言葉にバルドルも頷く。


「それで…俺は感じたままを伝えただけだ」


「なんて?」


「アレス。口に物を入れたまま喋るのはお行儀が悪いですよ」


「ごめんなさい」


 アレスは、ごくんと急いで口に入れたものを咀嚼すると再び「なんて言ったの?」とラオを促した。


「俺の娘を産むかと尋ねた」


「は?」


「なんじゃと?」


「え? そんなこと言ったの?」


 三者三様に驚くのを見て、ようやくラオは自分が不味いことをいったらしいと気づいたようだ。


「俺は事実を確認したかっただけだ」


「その前に…もっとやることがあるんじゃないですか?」


「やること?」


「そうじゃ。女というものは、花を贈り、甘い言葉を囁かれるのが大好きじゃからな。そういう手順をすっ飛ばしてはいかん」


「へー。そうなんだ」


「アレスにはまだ早いです」


「そうじゃ。お前には早い。ちょっとまて。ラオ。食後にわしらだけで話し合おう」


 バルドルの言葉にアレスは拗ねた。


「え~。僕だけのけ者って酷いよ」


 しかしエフライムもバルドルも慣れたものだ。


「酷くありません。あなたが歳相応になったらレクチャーしてあげます」


「待て。今、アレスから目を離すのはまずい」


 ラオが冷静に言ったところで、アレスが嬉しそうに目を見開く。


「だよね。だよね。僕も混ぜて」


 ところがバルドルはさっさと給仕していたものを呼び戻すと、サイラスとライサを呼んでくるように言いつけた。


「彼らと一緒に居れば、少なくとも問題あるまい」


「え~」


 アレスの反抗もむなしく、食後は彼らと引き離されてしまった。




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