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ヴィーザル王国物語  作者: 沙羅咲
精霊の剣
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第3章  思案の外(2)

 イエフとその娘のセレーネが城に来てから一ヶ月も経ったころ、毎日のように二人の帰還を促す手紙が届き始めた。さすがに一ヶ月も神殿を空けておくと問題があるのは当然だろう。


 神殿は裁きの場でもある。総司教であるイエフの裁きを必要とするようなことは少ないが、それでも全くなかったわけでもない。その上、普段はイエフの不在時に代行する副総司教であるセレーネまで連れてきているのだ。


「名残惜しいのぉ」


 やむを得ずという風情で、イエフは大げさにがっくりとしたポーズを取ってから、セレーネと共に城を去っていった。


「あいつは本当に何しに来たんじゃ」


 二人が乗り込んだ馬車が視界から消えたのを見て、バルドルがため息と共に吐き出す。それを傍で聞いていたアレスは小さく微笑んだ。


 なかなか癖のある人物だったが、バルドルとイエフの会話は笑いを誘い、食事時間の小さな楽しみだった。それが明日から聞けなくなると少しばかり寂しい気持ちもある。このような形でイエフ・シャインという総司教のことを知ることができて良かったと、アレスは考えていた。


 部屋をぐるりと見回せば、バルドルはまだ窓際で見送るように見えなくなったイエフの馬車の方向へ視線をやっていた。エフライムはアレスの背中を守るように立っている。壁際には居場所がなくて困ったようなライサ、マリア、クリスティーナがいた。


「そういえば本人には聞けなかったけど、イエフとセレーネって、すごく年が離れているよね?」


 アレスがふっと思い出したようにバルドルに尋ねた。バルドルが答える前に、アレスが座っている椅子の前に、おっとりと腰掛けていたサイラスが返事をする。


「副総司教様は、総司教様の養女ですよ」


「え? そうなんだ」


「ええ。神官の方々にはよくあることですよ。見込みのある子供を自分の子供として育てて教育するんです」


 サイラスの説明にアレスは感心したように返事をして、すでに見えなくなった馬車を追って視線を窓際へと向けた。 


「しかし…この一ヶ月、本当に何もありませんでしたね」


 サイラスが何とも言えない表情で呟く。


「まさか何か期待していたんですか?」


「とんでもないっ」


 エフライムの問いに、サイラスは慌てて打ち消すように手を振る。


「食事に毒も入らなければ、どこかから狙われることも無い。静かなもんじゃった。一度仕掛けたら、正体が見破られる前に短期で終わらせるのがセオリーじゃと思うんじゃが」


 バルドルが考えつつ、そっとあごひげを撫でた。


 確かにエフライムが矢を受けた後は警戒に警戒を重ねていたからか、特に表立った動きは無かった。


「諦めたのかな?」


「諦めるぐらいなら、最初からやらんじゃろ」


 アレスの暢気な言葉に、バルドルが渋面を作る。

 ふっとアレスは気になって、壁際の三人に目をやった。ライサは相変わらず緊張した顔をしているし、マリアはいつもの通り感情の含まれない表情でこちらを見ている。そしてクリスティーナは少しばかり青ざめていた。確かにあまり気持ちのいい話ではない。


「三人とも座れば? バルドルも」


 アレスがそう言ったとたんに、少しばかり部屋の空気が緩んで三人がおずおずと部屋の中ほどに進んできた。それでも椅子を用意して座ろうというところまではいかない。ちらりとアレスがマリアに視線をやれば、それで理解したのだろう。


 彼女が隣の部屋まで椅子を取りに行き、漸く三人も椅子に座った。バルドルはどうやら窓際から動く気がないらしい。そのままエフライムとは反対側のアレスの斜め後ろに陣取った。


「どうしたらいいんだろうね」


 アレスはため息をついた。狙われるのは嫌だが、相手が動いてくれないことには尻尾を掴みにくい。


 弱りきって静まった部屋の中、ライサはおずおずと口を開いた。


「あの…」


 とたんに一斉に自分に向けられた視線に思わずたじろぐ。慌てて口をつぐんでしまったライサに、エフライムが微笑んだ。


「何か…思いついたんですね? 言ってください」


「あ…す、すみません」


「謝らなくていいんですよ。最初にアレスが言ったでしょう? ここでは無礼講です」


 ライサの緊張を解くように、やさしい声が部屋に響く。ライサは一度ぐっと自分の胸元のペンダントを握り締めると、勇気を出して話をしようと口を開いた。しかし何から話したら良いものか。







 それは数日前のこと。ライサがついうっかり城の中で道に迷い、下働きのものがいる台所の前にある通路に出てしまったときだった。まさか自分が城の中ですら迷子になるとは思わなかったライサは、誰かに道を訊こうときょろきょろと見回していたところで、台所から出てきたイエフ司教と出くわしたのだ。


 声をかけるには、ここでは身分が違いすぎる。壁際に立って頭を下げて通り過ぎるのを待つのが精一杯だった。


 飄々としたつかみどころの無い雰囲気の背中が通り過ぎるのを待ってから台所の方を見れば、続けて出てきた人影があった。エプロン姿の中年女性は、どうやら台所の仕事をするうちの一人らしい。


「あの…」


 恐る恐る声をかければ、相手もこちらの姿を見て驚いたように頭を下げた。ライサの服装が同じエプロン姿とは言え、貴族たちに仕えるものだと分かったのだろう。


「今出ていった方は…こちらで何を?」


 その言葉に女性は困ったような顔をした。ライサは精一杯優しく見えるように、微笑みを浮かべて、相手を安心させるようにして言葉を続ける。


「別に咎めるつもりではないのです。あの方は、あまり…その…このような場所に出入りされるようなお方ではありませんので、何をされていらっしゃったのかと気になって…」


 それでも女性はもじもじとしていたが、意を決したようにおずおずと口を開いた。


「別に何もされていらっしゃいません。ただ私たちが働く姿を見ていらしただけで…あの方は…どういった方なのでしょうか」


 最後の言葉は不安そうな雰囲気だった。仕事ぶりを評価されていると感じたのかもしれない。ライサは一瞬、どのように答えようかと迷ったが、結局事実を述べることにした。


「あの方は総司教様です」


 女性が虚を突かれたように、目を見開く。


「そのような方が、何故、このような場所に?」


「私もそれが知りたくてお尋ねしたのですが…。特に目的は無かったのかもしれませんね」


 女性を安心させるように言うと、彼女は戸惑いながらもライサの言葉を信じたようだった。最後には笑みを見せてから、頭を下げて去っていった。


 ライサが道を訊けばよかったと後悔したのは、もう彼女の背中が見えなくなったころだ。結局。ライサはあちらこちらとかなりの時間、迷いながら道がわかる場所に戻ってきたのだった。







 ライサの話を聞いて、皆が黙り込む。バルドルも髭を撫でつつ、困ったような顔で黙り込んでいた。


「あの…」


 沈黙に耐えかねて何かを言わなければとライサが口を開いたところで、かぶせるようにバルドルが声を出す。


「イエフは変わった奴じゃが、まず外してよいじゃろう」


 ややほっとしたような皆の視線がバルドルに向かった。


「良くも悪くも、あいつは筋金入りの神官じゃよ。俗世のことに頓着しないんじゃ」


「それに、最初にアレスの食事に毒が入れられたときにも、その後の暗殺未遂の際にも、総司教様は大神殿のほうにおいででしたし…総司教様に近い人々も特に目立った動きは無かったようです」


 エフライムが付け加えるように言うと、バルドルが探るような目つきで彼を見る。それを受けてエフライムは肩をすくめてみせた。


「一応、調べました。私自身はあまり総司教様のことを知りませんでしたから」


「いつの間に…」


 サイラスが感嘆の声を漏らす。


 その声を聞きながら、ライサは穴があったら入りたいような気持ちになっていた。自分が話した話は結果として、イエフ・シャインという総司教を疑うような発言だったのだから。しかもそれがお門違いであったとわかり、頬だけではなくて耳や首まで熱くなるのを感じる。


「す、すみません…。余計な話を」


「いえ。大事ですよ。どんな情報であれ、気になったことは共有しておいたほうがいい。もしかしたら何かを見落としている可能性もありますしね」


 優しくエフライムに微笑まれて、ますますライサは自分が赤くなるのを感じた。


「あの…城の外からの可能性はないでしょうか…。誰かが入り込んだとか…」


 ライサとともに並んで座っていたクリスティーナが遠慮勝ち声を出す。


「外から?」


 アレスが首をかしげてから、ちらりとエフライムのほうへ視線を流したところで、コホンとサイラスが皆の関心を集めるように咳払いをした。おもむろに手元にあった書類を広げ、確認するように目を落とす。


「それについては、私も調べてみました。外からというか、ここ数ヶ月で新たに雇ったものについて…ですが」


「なるほど。それも『外から』じゃな」


 バルドルが納得したように頷く。


「実は、ここ半年ほどで新たな雇い入れが続いています。というのも、3年前に陛下が即位されてこの城に戻られた折には、かなりの人数の引退した者たちを雇いなおしたのを覚えていらっしゃいますか」


 サイラスがぐるりと見回せば、思わずライサ、マリア、クリスティーナの3人が居心地悪そうに身じろいだ。


「ああ。すみません。そういえばあなたたちもそうでした」


「そう言えば、そうじゃな」


 バルドルが今頃気づいたかのように相槌を打つ。憮然とした表情を浮かべるマリア、少し青ざめたようなクリスティーナ。三人を代表するように、おどおどとライサが口を開く。


「あの…でも…私たちは…」


 ライサの言葉を遮るように、さっと片手をあげてエフライムが微笑む。


「わかっています。ラオの推薦には絶大な信頼を寄せていますから」


 見惚れるほどの美しい笑顔に思わずライサは耳の先に熱が篭るのを感じた。顔が赤くなっていなければ良いが…と思いつつ、意味ものなく頬に手を当てる。それをクリスティーナが少しばかり冷たい目で見ていたことには気づかなかった。


 ライサとクリスティーナの態度には気づかないふりをして、サイラスも言葉を付け加える。


「大丈夫です。あなたたちは、信頼に値すると考えて、調べたのは他の方たちのことですから。安心してください」


 サイラスの温和な声を聞いて、ライサはほっと一息をついた。オージアスの遠縁と偽っているが、もともとライサは隣国トラケルタの貴族の娘だ。決して良好とはいえない隣国のことを考えれば、刺客として誤解されても文句は言えない立場だった。


 ぽんぽんと書類を軽く指ではじいてから、サイラスは皆の顔を見回す。


「どうぞ。続けて。サイラス」


 アレスの催促に、サイラスが軽く頷く。


「ええっと。ああ。そうだ。それで、ここ半年ぐらいで、引退が続いているんです」


「どういうことじゃ?」


 バルドルがあごひげを撫でながら尋ねた。


「ええっとですね。3年前にもともと引退していた人々を職場に戻したわけです。本人たちは仕事が辛いので、ある程度落ち着いたところで辞めたいといいまして。まあ、お年の方が多いですから、腰が痛いだの、足が痛いだの、目がシバシバするだの、いろいろあるんです」


 そういうことかと、納得した空気がその場に漂う。


「ですので、この半年、急ピッチで雇い入れを進めてきました。だからと言っていい加減なことはしておりません。基本的に城で働くためには、各地の神官か領主の身元保証が必要です。さらに後ろ盾となる紹介者がいなければ、働けません」


「へぇ」


 アレスが感心したような声を出したので、皆の視線が集まる。サイラスのくるんとした目がますます丸くなる。


「陛下…。知っておいてください」


「ここではアレス。そう呼んでって言っておいたよね」


「ああ。もう。こういうことは、陛下として知っておいてください」


「そうだね」


「そうだね、じゃありません」


 サイラスが文句を言ったところで、エフライムがくすくすと笑い出した。


「ああ言えば、こう言う。アレスも口が達者になりましたね」


「まったくじゃ」


 当のアレスは澄ましたものだ。このぐらいで負けていたら、エフライムやバルドルの相手はできない。それにこういう言葉のやりとりは、ほとんどがこの二人から学んだといってもいい。


「ちなみに紹介者は、すでにこの城で3年以上働いている者か、国政に関わっている貴族であるというのが条件です」


「とはいえ、ある程度の金を積めば、紹介してもらえるシステムがありますけどね」


 サイラスが追加条件を言ったところで、エフライムが口を挟んだ。その言葉にバルドルが眉を顰める。


「金か」


「ええ。豪商の娘などはそのケースです。城で3年以上働いている者のところへ、金で頼み込むわけです。特に人気なのは、身の回りの世話をするメイドですね。一人身の貴族であれば、うまくいけば玉の輿を狙える」


「おまえさんなど、まさに当てはまりそうじゃな」


 バルドルが苦笑するように言ったところで、サイラスが大きく頷いた。


「そういえば、ラフドラス伯爵…ととと。えっと、エフライム付きのメイドに欠員が出たタイミングで、やけに多くの女性の希望者が現れて驚いたんですが…そういうことだったんですね」


 エフライムが軽く肩をすくめた。


「一般論を言っただけですよ。でも情報は洩れていくものです」


「サイラス」


「はい。陛下…あっと。アレス」


「次に人が足りなくなったら、エフライム付きのメイドを欠員にしよう」


 アレスの言葉にサイラスは目を丸くし、バルドルとエフライムは苦笑した。さすがに表情には出さないが、ライサたち三人も呆れてこの小さな王を見ていた。


 コホン。サイラスが小さく咳払いして、気を取り直して先を進める。


「書類上は整ったものがほとんどです。一部、分からないものもいますが、表面上は問題がないという状態でした」


 そう言えば…とライサも思いだす。なにやらオージアスが色々と書いてくれていたはずだ。確かに書類上ではライサもオージアスの遠縁で怪しいところは無い。


「勤務態度については多少は問題がある者もいますが、そんなに酷いというほどではありません。まあ仕事熱心ではないとか、少々サボるとか…その程度です」


「借金はどうじゃろうか」


 バルドルの言葉にエフライムも頷く。


「ギャンブルで借金を作らせて、言うことを聞かせるなんていうのはよくある手ですね」


「借金ですか…」


 サイラスが考え込む。


「耳に入ってくるほどの借金というのは聞きませんが、ギャンブルが好きなものは何人かいますね」


「失礼ですが…」


 今まで黙っていたマリアが口を開く。


「本人の借金だけとは限らないのではありませんか? 親、兄弟などが作った借金の場合ももあるかと存じます。ホール財務大臣閣下は非常に優秀な方だと存知あげますが…」


 そこでマリアはアレスが眉間に皺を寄せて自分を見ているのに気づいた。


「あの…アレ…いえ…陛下?」


「マリア。僕のことはアレスって呼べるなら、サイラスのこともホール財務大臣閣下じゃなくて名前で呼ぼうよ。ラオのことだって呼び捨てでしょう?」


 とたんにマリアの頬が赤く染まる。


「そ、それは…」


 二人のやり取りにエフライムが肩を震わせて小さな笑いを零した。


「何? エフライム」


「アレス。ラオのことを引っ張り出すのはマナー違反ですよ。そこはお二人の間においておかないと」


 とたんにアレスが自分の手を口にやる。しまった…という表情だ。その表情を見て、ライサの心に疑惑が持ち上がる。マリアに視線をやれば、普段は動かさない表情が、困ったような顔になっており、頬がうっすらと赤く染まっている。


「ご、ごめん。マリア。そういうつもりで言ったわけじゃないんだ。別にここでラオとマリアのことをばらそうとか、そういうのはなくて」


 アレスが取り繕うように言ったとたんに、エフライムとバルドルが呆れたような顔をし、サイラスが目を見開いた。


「え? お二人はそういう関係だったのですか?」


「ああ。もう…。アレス…」


 マリアの怒るに怒れない恨むような視線にアレスが小さくなる。


「ごめんなさい」


 素直に謝るアレスを見て、ライサは思わず笑ってしまった。いけないと思ったけれど、それをきっかけに、エフライムやバルドルも笑いだす。


「あ、あの…お二人はその…相思相愛ということでしょうか?」


 サイラスの戸惑うような言葉に、アレスも問うようにマリアの瞳を覗きこむ。


「そこは僕も聞きたい。どうなの? マリア」


「どうって…」


 戸惑って、どのように答えようかと思案しているうちにマリアは心理的に立ち直ってきたらしい。すっと背中をまっすぐにするとアレスを真正面から見据える。


「あの朴念仁との間にどんな関係と進展があるっていうんですか。何もありません」


 言い切ったとたんにドアが開く。許可も得ずにアレスの部屋のドアを開ける者など一人しかいない。皆の視線が集まる中で、予想通り黒尽くめの人物がドアを開いていた。


「戻った」


 ラオがぶっきらぼうに告げる。とたんにアレスの顔に笑顔がひろがった。いそいそと椅子から降りて、ラオに向かって歩いていく。


 昔のように自分から飛びつくようなことはしないが、戻ってきてくれたのが嬉しくてラオの傍にいけば、ラオがアレスを軽く抱きしめてくれる。着いてそのままこの部屋に来たのだろう。黒い洋服の上にはうっすらと白い砂埃が乗っている。顔も少しばかりやつれていた。


 それでもアレスは、ぎゅっと無事な帰りを確かめるように自分からもラオの身体に腕を回してから、ゆっくりと離れて微笑んだ。


「丁度ラオの話をしてたんだよ」


 その言葉にラオが顔をしかめる。


「俺の話?」


「違いますよ。脱線してラオの話になっただけです。元々はここ半年で雇い入れたものたちの素行についてですよ。おかえりなさい。ラオ」


 エフライムが説明してから軽く人差し指と中指を立てて挨拶をする。


「よく戻った」


 バルドルもねぎらいの言葉をかけた。サイラスは思わずマリアとラオを見比べてしまってから、何も言う言葉はないことに気づいて、「よくお戻りになりました」と、労いの言葉だけをかけてため息をつく。


「そろそろ夕刻ですね。今日はこのあたりにしておきましょうか。マリアが言ったことも含めて、もうちょっと調べてみます」


 そう繋げると、サイラスはポンと自分が持っていたファイルを叩いて皆に微笑みかけた。



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