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ヴィーザル王国物語  作者: 沙羅咲
精霊の剣
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第2章  司教(2)

 食堂にはすでにバルドルとエフライムが居た。エフライムの後ろにはクリスティーナが控えている。


 さらにテーブルには、バルドルに負けず劣らずの口ひげを生やした老人が一人。ただしこちらの頭髪はすでになく、ぼさぼさの白髪眉の下の細い目は開いているのかどうか、判断するのが難しい。


 総司教イエフ・シャインだった。首都イリジアの神殿長であり、すべての司教をまとめる立場にある。神殿は民の紛争を治め、罪を裁く場所でもあった。各地の神殿で裁き切れない難しい事例が、すべてこのイエフの元へと集められてくるのだ。


 イエフの横には二十歳ぐらいの娘が座っていた。腰まで伸びる真っ直ぐな黒髪が白い横顔に影を落としている。


 ただしその瞳に焦点はなく、何も映していない。セレーネ・シャイン。盲目の身でありながら、女性司教として、イリジア神殿の副総司教も務め、イエフの補佐をしていた。


 アレスがテーブルまで歩いてきたところで、皆が一斉に立ち上がる。アレスが手で座るように合図してから、セレーネのことに気づき、声を出した。


「座ってください」


 その言葉にテーブルについていた者達が、元の位置に腰を下ろした。それぞれの従者たちは王と一緒にテーブルにつくわけにはいかないので、背後に立ったままだ。それはライサも例外ではなかった。アレスの後ろに控えつつ、そっとテーブルの様子を伺う。


 食事が始まって、最初に口火を切ったのはバルドルだった。


「何の用じゃ。城に来るのは嫌がっておったじゃろうに。物好きな」


 言われたほうのイエフが、含み笑いをする。


「相変わらず単刀直入じゃの。バルドル。こんなじじいでも矢避けぐらいにはなるぞ」


 にやりと笑ってみせるイエフに、アレスはひやりとした。アレスが狙われたことはまだ伝えていない。このことが外に洩れて大事にならぬように緘口令を敷いていたのだ。


 アレスとは違い、エフライムがわざとらしく驚いた表情を作って対応する。


「おたわむれを。総司教様に傷を負わせたら、ヴィーザル近衛の名が地に落ちます。我々は陛下の守りであると共に、城の守りの要でもあるのですからね」


 左手で水のグラスを掴もうとして、指先の震えに気づいたエフライムは、代わりに右手でグラスを掴む。


 途端にイエフが、ガバッと目を見開いた。その反応にエフライムがびくりと動きを止めると、しくしくとイエフが泣きまねをはじめる。


「悲しいのぉ。父をのけ者にせんでもいいじゃろうに。近頃の若いものは。じじいはのけ者じゃ。おまえはこの父に文句でもあるのか?」


 これにはエフライムも呆気に取られた。


「あ、あの…あなたを父に持った覚えはありませんが…」


「わしもおまえのような息子を持った覚えはない」


 泣きまねをすぐさま止めたかと思うと、きっぱりとイエフは言い切った。


「いえ、今、あの…父っておしゃったのは…」


「いや、わしがおまえの父だったら面白いじゃろ? 考えたことはないかね?」


「そういうことは考えませんが…」


「冷たいやつじゃの」


「冷たい…ですか?」


「熱くはないじゃろ」


 エフライムは言葉の応酬をしながら気づいた。からかわれているのだ。なるほど。挨拶程度に顔を合わせることはあっても、食事をするのは初めてだった。


 なかなか癖のある人物だとは聞いていたが、そういうことだったかと納得する。そうであれば、相手に乗っておくのも悪くない。


「じゃあ、生暖かいぐらいでどうでしょう?」


「そうじゃなぁ。それぐらいで許してやるか。人の暖かさぐらいが大事じゃな」


「そうですね。やっぱり暖まったベッドの中とか」


「おぬし、そんな顔して意外にスケベじゃな。このじじいも相手にする気か?」


「総司教様がお望みでしたら、考慮はいたします」


 喉の奥にある笑いをかみ殺しながら、エフライムは澄ました顔で言った。ここで臆した方が負けだ。本音とは裏腹に澄ましたエフライムの言葉に、素に戻ったイエフが詰まる。


 軍配はエフライムの方に上がったようだ。イエフは、ついっと視線をそらすと天井を見上げた。


「つまらん」


 とたんにすぐ脇からくすくすと楽しそうな笑い声が聞こえてくる。


「お父様の負けですわね」


 セレーネの笑い声だ。愛らしい外見から想像されるよりも、低めの落ち着いた声が皆の耳をくすぐる。


 エフライムが問うように見ると、その視線に気づいたかのように、セレーネが言葉を続ける。


「なんでも言葉遊びにしてしまうのは、お父様の悪い癖ですわ」


「なんと。悪い癖というか。これは芸人魂というのじゃ」


「まあ、いつの間にかお父様は芸人でしたのね」


「そうじゃ、おまえは芸人の娘じゃ」


「それでは明日から、私は広場に立つことにしますわ。芸人の娘は、やっぱり芸をしなければなりませんものね。竪琴を持っていきますわ。お父様は踊ってくださいますか? 肯定したら、必ず実行しなければなりませんよ。芸人魂に誓ってくださいね」


 畳み込むように言うと、ぐっとイエフが黙りこんだ。


 楽しそうにセレーネが笑う。そして見えぬ目をエフライムの方へ向けた。


「うふふ。今までお父様の戯言に勝つのは私だけだと思っていたのですけれど、私は良きライバルを得たようですね。余裕がおありでしたわ。えっと…ラフドラス伯…バース様?」


「エフライムと呼んでください。シャイン副総司教」


「私もセレーネとお呼びください。親子で似たような呼び名だと、混乱しますもの」


「いいのぉ。若いって。いいのぉ」


 すかさず口を挟むイエフに、セレーネは向き直った。


「若さは関係ありませんわ。お父様も名前で呼び合えばよろしいのよ。まずはイリジア公から始められたら?」


「おっ、それは名案じゃ。バルドル! バルドル! わしはイエフじゃ…って、もう何十年も前から、名前で呼んでおるわいっ!」


 バルドルが額に手をやって、呆れたような表情になる。


「わしらは、おまえさんの漫才に付き合うつもりはないんじゃが…」


「わしも漫才をやっているつもりはありはせん。これは芸じゃ。芸術じゃ。世の笑いを起こしていくという芸術なんじゃ」


 両手を天に捧げるように突き出し、一人陶酔しきったポーズをとるイエフに、わきから合いの手が入る。


「お父様が起こしているのは、笑いじゃなくて、寒い空気です。そういうのを巷では『滑っている』というらしいですわ」


「なるほど『滑っている』…新しい表現じゃな。メモをせんと…って、誰が滑っているというんじゃ」


「おまえじゃ」


 バルドルが斬って捨てた。


「あの…イエフ?」


 アレスがおずおずと声を掛けた。とたんにイエフの表情が改まり、背筋が伸びる。


「なんでしょうか。陛下」


 そこにあるのは、総司教としての威厳がある姿だった。あまりの落差にアレスは全身から力が抜けそうになった。気を取り直して口を開く。


「なんで来たの?」


 アレスの率直な質問に、イエフが片頬を歪ませてにやりと笑う。


「ラオが居ませんのでな。たまには陛下のお側にいようかと」


 バルドルが額に手をやった。エフライムが驚いたように目を見開く。ライサはアレスの後ろから二人の反応を見てから、思わずイエフの次の言葉を聞こうと視線を走らせた。


「ラオが嫌い?」


「そんなことはないんですが、苦手というかですな、会いたくないというか…」


 一般的には、そういうのを嫌いというんじゃないかな…と心の中でライサはイエフに突っ込みを入れた。


 その考えは皆共通だったらしい。アレスやセレーネでさえも呆れた顔をしてイエフを見ている。


「ひとまず二週間ぐらい…いや、三週間ぐらいですかな。セレーネと共に滞在させて頂きますぞ」


 アレスの目が見開かれ、バルドルと視線が交差する。アレスが狙われているということはイエフには言っていないが故に、この時期に彼が滞在するということは頭痛の種であった。


「とっとと帰れ」


 バルドルがわざと暴言を吐く。イエフとの長い付き合いだからこそできることだ。


「いや。帰らん」


 しかし何の思惑があるのか、イエフは力強く言い切ると運ばれてきた前菜に手をつけ始めた。




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