受難(5)
昨晩同様、晩餐会が始まった。
新たにだされる豪華な料理、多くの酒。この用意だけでどれだけの無駄使いかと思うとジョエルは頭が痛くなる。まずは財政面から引き締めなければ…。
そんなことを考えながらラオを見ると、彼が昨晩と同じ場所から立ち上がったところだった。一体何を…。そう思ったのもつかの間。広間の中にラオの良く通る声が届いていく。
「聞いて欲しい」
ざわめきが止まり、音楽も止まる。人々の視線がラオに集中した。
「俺は、この領地を治めるに当たって、俺を支えてくれるものを決めたいと思う」
はい?
あまりのことにジョエルが驚いて目を見張る。
「俺の代わりにやってもらう者を決めたいと思う」
そのとたんにフランツがにやりと笑った。
いや。待て。それはまずい。
ジョエルがラオを止めようとラオの椅子に近づいたときだった。
「まずは徴税人のとりまとめだ。これはこの領地の収入を決める大事なことだ」
ラオの言葉に、ジョエルの足が止まる。
「どのぐらいが妥当で、どのように集めたら公正なのか。それも含めて、考えてもらいたい。それを頼みたいのが、お前だ」
部屋の片隅にいた赤毛の男をラオが指差した。
思わぬ展開に、赤毛の男がきょろきょろと周りを見回す。だがラオが見ているのは自分だった。
「お前は正義感が強い。それに民の生活に精通している。お前がやれ」
「は、はい?」
だが赤毛の男の戸惑いもどこへやら。ラオの興味は別な者に移った。
「集めた金をどのように使うかを決めるのは、お前に任せたい」
ラオの視線の先に居たのは、ちょうど客に出すための酒を持っていたメイドだった。子供が数人、もしかしたら孫がいるかもしれないような年齢の女性だ。
「お前はやりくりが得意だろう。だからお前に頼みたい」
「え? それは…いつも家計は火の車で…やりくりは得意ですけれど…でも…」
「お前がいい。しかもお前は愛情が深く、正しいことをしようとする。だから頼む」
「え? ええ?」
次にラオが指を差したのは、部屋の真ん中にいた貴族だった。つまらなそうな顔でこの晩餐会に出ていた壮年に差し掛かった男だ。
「お前には兵を集めて、治安を守ってもらいたい」
「は?」
「お前は武術に長けている。そして人に教えるのも上手だ。兵を任せるのはお前が適任だ」
そこまで言ったときに、フランツが飛び出してきた。
「ちょ、ちょっと待ってください。閣下。これは何かの冗談でしょう。それぞれ適任のものがおります。すでにその仕事を行っているのです。その者たちの下で、この領土はきちんと治められているのです。そこで訳の分からない者を指名するなど…正気の沙汰と思えません」
ラオはじろりとフランツを睨みつける。
「適任者がいるのか?」
「はい。おりますとも。この領土を治めるための重役を担っているものたちです」
その言葉とともに、フランツの横に着飾った貴族が数人ならんだ。
「なんだ。こいつらは」
「彼らが閣下の代わりに、この領土を治めているものたちです」
ラオはぐるりと顔を見回すと、ため息をつく。
「こいつらは必要ない」
「なんとおっしゃいましたか?」
「こいつらは要らないといったんだ」
解雇。首。なんと伝えたら、角が立たずこの場を丸く収めることができるのかと、ジョエルが考え込んだところで、ラオが再び口を開いた。
「こいつらは私服を肥やすことしか考えていない。俺にも、この領地にも必要はない。どこへでも好きなところへ行け」
並んだ者たちが言われた言葉を理解して、赤くなったり青くなったりしていることには一切関心を払わずに、ラオの視線がフランツに向けられる。
「お前もだ」
「なっ」
「お前もこの土地には必要ない」
フランツの顔が怒りで赤く染まる。
「何が分かる! 貴族が聞いて呆れる。お前は一体何者だ。お前のようなものが領主な訳が無い。どこで入れ替わった! この偽物が」
フランツがラオを指差して怒鳴った。
ラオは冷たい瞳でフランツを見るだけで、何も言おうとしない。
「何も言えないのは、お前が偽者だからだろう」
「ちょ、ちょっと待ってください。この方は本物のクレテリス候です。ヴィーザル城から陛下に任命されて来た本物の領主殿です」
間に入ったジョエルをフランツは睨みつけた。
「信じられるものかっ。お前だって偽物の片棒を担いでいるだけだろう」
「いえ。本物です」
ふぅっと大きくため息をつく音がする。見てみれば、ラオが呆れたような表情でフランツとジョエルを見ていた。
「クレテリス候…なんとか言ってください。あなたが本物かどうか疑われているのですよ」
ラオが玉座のようにしつらえた椅子の場所を離れて、ジョエルたちのほうへゆっくりと歩いてくる。
「何を証明すればいい」
フランツはじっとラオを見てから、意地の悪い笑みを浮かべた。
「今度の領主様は、陛下の遠見との噂だ」
ざわりと広間がざわついた。
ジョエルは思わず額に手をやる。そのような噂がここまで届いているとは、気づいていなかったのだ。
「それがどうした」
「本当に遠見であるのであれば、遠くにあるものが見透かせるはず」
ラオがぐっと詰まったように、黙り込む。ジョエルはこそっとラオの傍によって囁いた。
「いいじゃないですか。もう遠見とばれてしまったんですから、力を見せてしまえば、それでこの場は収まります」
「いや。俺は遠見じゃない」
「はい? あなたは…王の遠見じゃないですか」
「俺に遠見の力はない」
「いや。ちょっと待ってください。遠見の力がないって…どういうことですか」
こそこそと話す二人に、フランツが勝ち誇ったような顔をした。
「やはり偽物だ」
広間のざわめきが大きくなる。
「いえ。本物です」
ジョエルが人々のざわめきを跳ね返すように、叫び返す。
「では証拠を見せろ! 遠見だという証拠を見せてみろ!」
ラオが大きく息を吐いて、ジョエルから離れた。思わずジョエルはラオの腕に手をかけて止める。
「待ってください。どうするつもりですか」
「俺の民だ。俺が守るためには身の証を立てるしかない」
「はい?」
てっきりジョエルは、ラオが逃げ出すか、または遠見であることを否定するかと思っていたのだ。しかしどうやらそれは間違っていたらしい。
「どうやって…」
「俺でもできる方法がある」
「一体…」
ラオは自分を落ち着かせるように息を整えると、広間をぐるりと見回した。
「誰か。カードを持っていないか」
お互いに人々が顔を見合わせた後で、一人がおずおずとカードを差し出した。
「これは貰い受ける」
ラオはそう言って、フランツにざっとカードの絵柄がある表のほうを見せてから裏にし、まとめて束を差し出した。
「一枚抜いて、そのままテーブルに伏せろ」
フランツがいぶかしい顔をしながらも、言われた通りにカードを抜く。
表をそっと見ようとしたとたんに、ラオに止められた。
「見るな。そのまま伏せろ」
不可解さが抜けないままながら、カードをそのまま伏せたところで、ラオがじっとカードを睨みつけた。
「剣のエースだ」
低く響いた声に、フランツが再びカードを手に取った。ひっくり返す。
「剣の…エース」
周りを取り巻いていた人々にざわめきが広がっていく。ラオはカードに手も触れていない。
「これでいいか」
ラオの氷のような薄い水色の瞳がフランツを射抜く。
「これは何かの…間違いでは…」
「俺は触れてもいないぞ。カードを選んだのはお前だ」
フランツがカードを持っていた男を睨む。
「お前もグルかっ!」
「し、知りません。私はたまたま持っていただけで…」
ジョエルが机の上に置かれたカードを広間に居た人々に向けて、高々と上げてみせた。
「クレテリス候のおっしゃったとおり、剣のエースです」
シーンと静まった大広間の中で、フランツはぶるぶると身体に震えを起こしている。
「…ない…」
「なんだ?」
フランツの呟きが耳に入ったラオが聞き返す。とたんにフランツの顔が上がった。
「私の領土をマギが治めるなど、認めない! たとえ陛下の命令でも許すものかっ!」
飛び掛ろうとしたフランツの身体を、ジョエルが後ろから羽交い絞めにする。
「もうあなたの役割は終わりました。フランツ・マクレーン殿。遠見であろうとも、なんであろうとも、この方がクレテリス候です」
「私の…私の領土だ」
フランツの呟きに、ラオは冷たい視線を浴びせた。
「違うな。俺が預かった領土で、俺が預かった民だ」
がっくりと首を落としたフランツを、傍に来たオズワルドに引き渡す。ジョエルは安堵のため息をついた。
「一時はどうなるかと思いましたが…。やっぱり遠見でしたね。まったく…遠見の力が無いなどと、最悪のタイミングの冗談です」
ラオがにやりと笑って、ジョエルにだけ聞こえるような声を出す。
「冗談ではない。俺に遠見の力などない。そのカード、よく見てみろ」
ジョエルが束ごと見るが、どこにも不審な点はない。
「何も…」
そう言いかけたときだった。目の端に何かが映る。
「え?」
自分の目の前にあるのは…剣のエース。
振り返れば、机の上にも先ほどフランツが引いた剣のエース。
「意識的にやったのは初めてだが成功した」
信じられないものを見たように、ジョエルが自分の手の中と、机の上のカードを見比べる。
「一体…」
しかしラオはジョエルの問いには答えずに、ついっと大広間にいた人々に視線を移した。
「さっきの続きだ。呼ばれた奴はあとで残れ」
今度こそ、人々の顔は真剣だった。
帰る帰ると、ごねるラオを引きとめ続けて一ヶ月。
館の中およびクレテリス郡は、ようやく軌道に乗り始めた。
ラオが選んだ人々に間違いはなく、最初は戸惑いがあったが、次々にその役職に対して力を発揮していく。
「一体、どうやってあの短期間で見分けたんですか?」
その夜、ジョエルはラオの居室でいくつかの案件の相談をしている最中に、ふっと尋ねた。
「何がだ」
難しい顔をして書類を読んでいたラオが顔をあげる。
「あの人たちですよ。皆、適任です。この村について、領主の役割について話してから、たった一日でしたね。どうやって彼らの適性を見抜いたんです?」
「別に。分かっただけだ」
「だから、どうやって」
「この村で幸せそうに仕事をする奴らの顔と、それを取り巻く者たちの満足そうな顔が見えた」
「はい? 見えたって…どこで」
「奴らに会ったときだ」
「いや。あの…話が見えないんですが…」
「俺が自分の行く末を決めた。だから奴らの行く末も決まった」
「…」
ジョエルにとっては、本当に意味がわからない。
「説明する気がないんですか?」
「説明しただろう」
「説明になっていません」
ラオがため息をついた。
「何故わかる、どうして見えるなんて聞くな。俺ですらわからん。ただわかる。感じるんだ。俺が動くことによって、どう変わるか…それがわかった」
「あ…」
頭の中を横切るのは、『マギ』の二文字。未来を予見するという噂は本当だったのか…。思わずマジマジとラオを見つめる。
するとラオも逆に面白そうにジョエルを見つめてきた。
「これ以上、何か聞くことがあるか?」
「い、いえ。ありません」
その様子にラオはにやりと笑うと、ジョエルにぽんと書類の束を渡した。
「こっちは通してやれ。こっちはダメだ」
全部読んだにしては短すぎる時間で、綺麗に書類が山分けされている。ジョエルは眉を顰めた。
「ちゃんと読んでください」
「そんな時間はない」
「いえ。でも…」
「大丈夫だ。きちんと分けた」
「いや。あの…」
「お前が右手に持っている束は、やればこの領地が潤う。左手に持っているものは、この領地や民をダメにする」
それって…。ジョエルはじっと紙の束を見つめる。
そんなジョエルを置き去りにして、ラオが寝る用意をしようと部屋の奥へ向かった。
「ちょ、ちょっと待ってください。もう寝るんですか」
「明日は早い」
「はい?」
「城へ帰る」
「そんなことは何も聞いていませんが…」
「今、感じた。俺が帰る必要がある」
「いや。それは、何故」
「数日後に使者が来る。俺を帰せとアレスからだ」
「えっ」
さっさと着替えて寝台に横になったラオがにやりと笑う。
「お前は残って、後を頼む」
「いや。でも」
なおも混乱したままラオを引きとめようと口を開きかけたジョエルは、ラオからかすかな寝息が聞こえてくることに気づいた。
「寝付くのが早すぎますよ」
返事はない。ため息を一つ。そして束を見つめた。
右手が領地を良くするもの、左手が領地をダメにするもの。本当だろうか。一瞬、全部書類を確認しようかと思ってジョエルはやめた。
あのカードのときと一緒だ。何が起こっているのかよくわからないが、領主であるラオがいいと言うのだから、いいのだろう。
マギの領主。
一体どうなることやらと思ったが、意外にも良いかもしれない。なによりも仕事ぶりは真面目だ。
城に帰りたがるのが玉に瑕だが、それ以外はジョエルが教えたことを忠実にやろうとしている。あんなに心配していたのが嘘のようだった。
「ああ。お前」
ジョエルがドアに手をかけたところで、ラオの声がかかった。寝ていたのではないのかと思いつつも振り返ると、目を閉じたままの姿で声だけが届く。
「明日は、水場の傍によるな。お前が水浸しになる」
「はい? 一体、それはどうして…」
「感じただけだ。気にするな」
前言撤回。この領主になれるのは、もう暫く時間がかかりそうだった。それでも最初のころよりは、ずっといい。せいぜい明日は、忠告どおり水場には近づかないようにしておこう。
ジョエルはそう思って、そっとドアを閉めた。
ヴィーザル王国物語 ~外伝:受難~
The End.




