受難(3)
晩餐会が終わり、ラオに従って彼の居室に入れば、とたんにジョエルは睨まれた。
「今日のあれはなんだ」
「あれとは?」
「あの馬鹿げた夕食だ。あれは本当に必要だったのか?」
「必要だと申し上げたではないですか」
「あんな風に挨拶を受けて、一人だけ見世物になる…あんなことが必要なことか?」
彼にしては珍しく、ラオが大きな声を出す。
ジョエルはじっとその様子を見ていた。なんと言われても、歓迎の晩餐会だといわれれば、その主役が出ないわけにはいかないのだ。
見ているうちにラオが身の回りの品を取りまとめて、部屋を出ていこうとする。ジョエルはその行く先に立ち、動きをさえぎった。
「どこへ行く気です」
「俺は帰る」
「いけません」
「なぜだ。俺はこんなところに、あんな馬鹿げたものに出るために来たわけではない」
「ええ。違います」
ラオはさらに何かを言おうとして、自分の言葉が肯定されたことに気がついた。
「では、俺は何故ここに来た」
それをあなたが聞くんですか?
そう言いたい気持ちをジョエルはぐっと堪えて、ラオを見る。
どうやら本気で彼は分かっていないようだ。
「あなたがここの領主です」
「領主なんて俺は嫌だと言った。俺は国王の傍に必要だと言われて城に行ったんだ。そうでないなら森に帰る」
不機嫌な顔のまま、とつとつと語るラオにジョエルはため息をつきたくなった。
まるで子供だ。
しかしここで諦めてはいけない。バルドルからも『根気よく教えろ』と言われてきたのだから、ここで自分が投げるわけにはいかないのだ。
「領主の仕事は、この村の秩序を保って、村人の幸せを考えることです」
とたんにラオの瞳が丸くなる。
「そんなことは偉いやつがやればいい」
「あなたがその『偉いやつ』ですよ。クレテリス侯」
「俺が?」
「領主だと言われたでしょう」
「そういうのは、城にいる偉い奴の仕事だろう」
「あなたが言う『偉いやつ』とは誰です? アレス陛下はヴィーザル王国の全てを治められていますが、お一人で全てができるわけではありません。ヴィーザル王国の中心部であるイリジア州については、バルドル・ブレイザレク国務大臣が治めていらっしゃいますが、それでもお一人で全てを見られるわけではありません」
ラオの顔に張り付いていた不機嫌の表情がとれ、じっとジョエルの言葉を聞いているのがわかる。
いい傾向だ。
相変わらず無表情だが、目に込められていた怒りは消え去っていた。
「ここはイリジア州の飛び地です。ここはクレテリス侯、あなたが治めるようにと、アレス陛下が任命され、あなたはそれを受けたはずです」
じっとジョエルを見つめていたラオの薄い水色の瞳が閉じられた。暫く考え込むように動かなくなったラオを、ジョエルは辛抱強く待つ。
やがて薄い水色の瞳が、再びジョエルを見つめた。
「俺は何をすればいい」
「民の…このグィード村を中心としたクレテリス郡に住む人々の幸せを考えればいいのです」
「何をしたら幸せになれる」
「必要なのは秩序です。多すぎず、少なすぎず、税金を納めさせます。そのためには、間で徴収しているものが正しく集める必要があります」
「他には」
「各地の神殿の司教が、正しく司法を行えるように援助する必要があります」
「具体的には」
「それぞれの神殿の生活を保障することです。民から賄賂を受け取らずとも暮らしていければ、正しい裁きができます」
「その金はどうする」
「だから税金を徴収するのです」
「それから」
「神殿では子供たちが学べるように、優秀な神官を手配する必要があります。神に仕え、正義を尊び、子供たちに知識を与えられる人物を配置するのです」
「あとは」
「治安を守る必要もあります。そのために兵になるものを募り、訓練する必要があります」
「それも税金か」
「そうですね」
「やることが多いな」
ジョエルはようやく息を吐き出して、微笑んだ。
「他にもありますよ。民が望むことは民に聞かなければなりません」
「俺に全部できるだろうか」
真剣に考えているラオを見て、ジョエルはようやく安堵した。
そしてほんの少しだけ思う。これだけ素直ならば、領主として支えるのも悪くないかもしれない。まだほんの少しだけだけれど。
気持ちを悟られないように表情は維持したまま、さらに言葉を続ける。
「だからあなたを支える者を見つけなければなりません」
「俺を支える者?」
ジョエルは大きく頷いた。
「そうです。あなたの意思を受け、あなたの代わりに税金を徴収する者、あなたの代わりに神殿を保護する者、あなたの代わりに兵を募り訓練する者です」
「それが…あの晩餐にいた者たちか」
「はい。あの中から、あなたが自分の民を託しても良いと思ったものを見つけるのです」
「俺の民?」
「ええ。この領地にいるものは、あなたの民なのですよ。クレテリス侯」
「アレスのものだろう」
ラオが陛下のことを呼び捨てにしたのには驚いたが、ジョエルはその驚きを綺麗に押し隠した。
陛下が側近たちと気安くしているというのは、耳にしたことがあったからだ。
「言い方を変えましょう。陛下からイリジア公爵が預かり、さらにそれをあなたが預かっているのですよ。クレテリス候」
ラオが不安そうにジョエルを見る。
「俺は…誰かにものを頼んだことなどない。そんな奴を見つけられるとは思えない」
「あなたが信頼しているものはいますか」
急に変わった話題に、ラオが戸惑う。
「信頼?」
「ええ。そうです。例えば…あなたがいつも守っていらっしゃる陛下を預けるとしたら、誰に預けますか?」
「エフライム」
すぐさま近衛隊長の名前が出てくる。
「他には?」
「バルドル」
イリジア公爵の名前が呼び捨てにされる。ジョエルは軽く驚きつつも、ラオはあの内戦でバルドルと共にアレス陛下を守ったうちの一人だったと思い出す。
「つまり…あの方たちを信頼しているのですね」
ラオの視線がふらりと逸らされて、また戻ってきた。
「そういう…ことに…なるな」
「そうでしょう。陛下を預けるほどではないかもしれませんが、それでもあなたが民を預けるのに信頼してもいいと思える者を探してください」
「おまえだ」
「はい?」
「俺が『俺の民』を預けていいと思うのはお前だ」
ジョエルは一瞬、虚を突かれて、何も言えなくなった。
「お前がいれば、きっと民は幸せになる」
「あ…ありがとうございます」
それだけをやっとのことで言ったころには、ラオは部屋を出ていこうとしていた。
「ちょ、ちょっと待ってください」
呼び止める声にラオがくるりと振り返る。
「お前は俺が信頼できるものを探せと言った。それに村人の声を聞けとも言った」
「いや。言いましたけれど…もう、皆、寝静まる時間です」
ラオの動きが止まる。
「それもそうだ」
「ええ。そうです。ですから明日にしましょう。もうあなたもお休みになったほうが良いかと」
「わかった」
今度はつかつかと戻ってきて、荷物を元に戻すとすぐさまベッドの方へと歩きだす。
今にも眠りそうなラオに向かって、ジョエルは呆れた思いを隠して声をかける。
「ちゃんとその服は脱いでくださいね。皺になります」
そのまま寝ようとしていたのか、ラオは自分の服装にようやく気づいたといった雰囲気で自分の服を見下ろした。
「ああ。着替えよう」
ジョエルは思わず笑いそうになる。
なんと素直な人なのだろうか。なるほど。バルドルが『憎めない奴』と言っていたことをようやく理解した。
まるで大きな子供だ。
「あ。お前」
出て行こうとしたジョエルをラオが呼び止めた。
「なんです?」
「俺のことをなんとか候と呼ぶのはやめろ」
「はい?」
「虫唾が走る」
「いや…あの…では、なんとお呼びすれば…」
「名前でいい」
「はい?」
「名前を呼べ」
「いや。そういうわけには」
ラオが大きなため息をついた。
「世間体か」
「いえ。あ。はい」
「では、周りに人目がないときだけでもいい。なんとか候はやめろ。ラオでいい」
「あ、はい」
「おやすみ」
「おやすみなさいませ」
ジョエルは思わず笑いそうになりながら、そっとラオの居室のドアを閉めた。
なんという領主だろう。飾らないのにもほどがある。なるほど。これが上司となる新米領主殿なのだ。
自分はこの新米領主殿と上手くやっていけるかもしれない…ジョエルはそう思いつつあった。




