第7章 獅子と一角獣(1)
ライサが気づいたとき、目の前に見えたのは見知らぬ天井だった。どこにいるんだろう…とぼんやりした頭で考えたときに、パチンという音が聞こえた。
「起きたか?」
こざっぱりした様子のオージアスが自分の顔を覗き込んでいる。胸元から覗いているのは、新しいシャツの襟だった。ライサが聞いたパチンという音は、剣を鞘に収めた音らしい。オージアスの長い指が、剣の柄から離れていく。その剣の柄にあるのは、ユーリーが持っていた短剣と同じ獅子と翼を持つ一角獣のデザインだった。
「オージアス、用意はできたか?」
「ああ」
ドアが開いてユーリ―が入ってきた。髭面は相変わらずだが、それでも服装が改められている。ライサは思わずユーリーの腰の剣に目をやった。短剣と長剣。長剣は短剣とおそろいのデザインの柄でできていた。やはり獅子と翼を持つ一角獣。
「ここはどこ?」
ライサの問いに、オージアスが答える。
「懇意にしている宿屋だ。ガダストレアの。ガダストレアっていうのは、国境の街アイテルと、首都イリジアの間にある街だ。ああ。そうだ。先に言うべきだったな。ここはヴィーザル王国だよ」
ライサは身体を起こした。部屋の真ん中に立つオージアスとユーリー。そしてその反対側に寝ているのは…。
「ラオ…どうして…」
「覚えてないのか?」
ユーリーが言った。ライサは首を振って答える。
「まあ、大活躍だったからなぁ。死んじゃいない。だがかなり深い眠りのようだ。叩こうが、何しようが、起きやしない」
そう言いながらユーリーは、ぺちぺちとラオの顔を叩いた。眠り込んでいるラオの横顔を見るうちに、ライサはうっすらと思い出す。ホルストのこと、ペンダントのこと、アルマンのことを。
胸元に手をやってみると、あのペンダントは無かった。どこかで落としたのか、うまく思い出せない。
アルマン…。白いうねりの中に消えていく彼の最後の姿を思い出す。好きだと思っていた。そして自分は彼がいなくてはダメだと思っていた。だが彼がいなくなった今、ライサの頭の中にあるのは彼がやったことに対する混乱と、悲しみと、怒りと…後はなんだろうか。あまりにも色々な感情がありすぎて、呆然とするというのが一番近いような気がした。うまく自分の感情を整理できなくて、そのまま置き去りにする。
ぼんやりとラオの整った横顔を見ながら、彼の強い瞳が自分を正面から見つめていたことがあったような気がしたが、頭の中にもやがかかったように思い出せない。ただ、あの白いうねりは自分が呼んだのだ…ということは、どこかで認識していた。あれをどうやって治めたのかは覚えていない。
そのとき、廊下をダダダと走る音がドアの外から響いてきた。
「おいでなすった」
ユーリーがにやりとオージアスに笑いかける。
「ああ」
とオージアスが応じたところで、ドアが勢い良く開いた。
「ラオは?」
かわいらしい声と共に駆け込んできたのは、十二、三歳の少年だった。栗色の髪に茶色の瞳を輝かせて、走ってきたためか頬が紅潮していた。ちらりとライサを不思議そうな顔で見た後で、奥のベッドにラオの姿を見つけて、そのままラオの枕もとに走り込む。この少年が、以前ラオが話していた少年なのかと、ライサは思った。
「ラオ」
ぺたりと少年の両手が、ラオの頬に添えられた。それをぼんやりと見ていたライサの耳にコンコンと軽いノックの音が聞こえる。少年が開いたままのドアのところに立っていたのは、人懐っこい雰囲気を持った細身の男性だった。薄い金色の柔らかそうな髪と優しげな緑の瞳に微笑みを浮かべて立っている。二十代前半で、オージアスたちよりも少し年下のようだ。その優雅な立ち姿に思わずライサは見惚れて、無意識に頬を染めた。
「失礼します」
その男性は柔らかい口調で言うと、軽くライサに会釈をしてから無駄の無い動きでするりと身体を部屋に入れた。そして後ろ手にドアを閉めてから、ユーリーとオージアスの方を見る。
「ご苦労様でした。それで、ラオの様子は?」
ユーリーが肩をすくめる。オージアスが口を開いた。
「どうも意識が戻らない。呼吸はあるんだが…」
「まあ、とりあえず、連れて戻りましょう。ここでは何ですし…」
そして男性がちらりとライサを見た。
「こちらのお嬢さんは?」
ライサは自分がベッドの中にいたままだったのを思い出した。慌てて起き上がる。着の身着のままで寝かされていたスカートは皺だらけで、髪はぼさぼさで、慌てて手櫛で整えたが、上手くいかなかった。それでも精一杯、スカートの裾をつまんで優雅に見えるようにお辞儀してみせた。
「ライサです。ライサ・バルテルスと申します」
ラオの枕もとにしゃがみこんでいた少年が、ライサの挨拶を聞きつけて、ライサの前に歩いてくる。そしてライサに向かってにっこりと微笑んだ。
「初めまして。僕はアレス」
アレスと名乗った少年は、ライサの手を取って、そこに軽く唇をつける。まるで大人の男性がやるような仕草を、ライサは微笑ましい気持ちで見ていた。
「私はエフライム」
細身の男性がエフライムと名乗ったが、ライサの手を取ることはしなかった。アレスの斜め後ろに位置するように立ったまま動かない。
「私…あの…」
ライサは救いを求めるように、オージアスを見て、ユーリーを見た。胸のうちに湧き上がった不安感。こののままでは、この人たちは行ってしまう。ライサは一人で置いていかれてしまうのではないかと思った。母から預かった路銀もいつまでもあるわけではない。それに右も左も分からないこの国で、このまま置いていかれて、自分ひとりで生きていける自信がなかった。なんとしても両親と会うまでは、生きていかなければならないのだ。
「あの…オージアス…私…置いていかないで」
オージアスが、眼を見開いてからユーリーを見た。ユーリーがニヤニヤ笑っている。
「いや…だが」
オージアスが言葉に詰まった。ライサはじっとオージアスを見る。
「お願い」
オージアスを見ているうちに、ライサの瞳から涙が溢れてきた。泣くのはいけないと思うのだけれど、ここで置いていかれたら自分は生きて行けないという、切羽詰った気持ちの高ぶりが、涙に拍車をかける。
「よしてくれ。俺は…」
じっとライサを見つめていた眼がすぃっと逸れた。ため息を一つつくと、さっとアレスの前に跪く。
「陛下。すみませんが、ライサに城での仕事を与えてもらえませんか?」
目の前の少年を陛下と呼んだオージアスの態度に、ライサの眼が見開かれる。自分の目の前で跪いているオージアスと、その前に立っているアレスを見比べた。アレスは軽く首を傾げる。
「彼女の保証人には俺が…いえ、私がなります。お願いします」
アレスがじっとオージアスを見て、そしてライサを見つめた。ライサはその視線に慌ててオージアスの傍に跪いた。
「陛下…?」
ライサが問うような視線をアレスに向ける。
「この方はヴィーザル王国、アレス国王陛下ですよ」
エフライムのやわらかな声がライサの耳に届いた。この少年が…と思いつつも、ライサはさっと表情を引き締めると、すっと頭を下げる。
「お願いします。一生懸命働きますわ」
素直な気持ちでライサは言った。何ができるか分からない。でも一生懸命やろうと思っていた。




