第6章 真ん中(4)
オージアスの作戦準備の後、夜明けとともにライサたちは丘を降りた。門がそろそろ開く時間だった。松明もぐっと近くに寄ってきている。その先頭にいるのはアルマンと、もう一人。一見してその身なりの良さから貴族と分かる男だった。
じっと門の前に陣取ったラオとライサの前に、ずらりと馬が並ぶ。ライサたちの馬は、ラオに言われて放してあった。ラオが一頭一頭の馬と話をするように言葉を交わしたのち、馬を放し、そのまま馬は何処かへ消えていった。
馬上の貴族がライサの前に来る。五十をいくつか過ぎたころだろうか。ライサの父親よりも老けて見える。アッシュグレイの髪のところどころに白いものが混じっていた。黙っていれば、おっとりとした品の良いおじ様というところだろう。
「とうとう逃げ場が無かったと見えますな。ライサ殿」
ライサはきつい目つきで、貴族を睨みつけた。
「おやおや。怖いお顔だ。私のことはご存知ですかな?」
「ホルスト・シード」
ライサが言葉少なく返す。
「光栄ですな。ようやくお会いできました」
にっこりとホルストが笑った。そして、とんと馬から下りて、ライサの前に立つ。
「お嬢さんに返してもらいたいものがあるんですよ」
ライサが怪訝な表情になる。
「あなたが持っている宝石をね。返して欲しいんです」
「宝石なんて、持ってないわ」
ホルストの声にライサが驚いて答えた。
「いえ、持っているはずですよ。トラケルタ王国に伝わる『不死鳥の心臓』と呼ばれるルビーをね」
「知らないわ」
「おやおや」
ホルストが肩をすくめて見せた。
「隠すとためになりませんよ。バルテルス家の城は、すべて調べたんです。城から出てこなかったということは、誰かが持って出たに違いありません」
ライサは首を振った。知らないものは知らない。
「王からの命令なんですよ。取り返してくるようにとね」
じっとホルストはライサを見つめた。
「六年ぐらい前ですかね。王はあなたに何でも持っていっていいと言って、玉座の木の飾りを下賜してしまった」
ライサは思わず胸元の木彫りのペンダントに手をやった。
「その中にね、実は病床についていた先代の王が隠したルビーが入っていたんです」
ライサの眼が見開かれた。
「それを取り返す方法はないかと、王と共に知恵を絞りましてね。苦労しましたよ。あの城を明渡させるのはね」
「まさか…」
「一度下賜してしまったものを返せとは言えませんからね。あなたたちが、すべての財産をこちらに引き渡すように、ちょっと細工をさせてもらいました」
ライサの脳裏にマギを狩らんと集まった人々の顔が思い浮かんだ。まさかあの騒ぎがライサのせいだったとは。ライサが貰った玉座についていた木製の飾りのせいだったとは。そう思い至ったとたんに、ライサの身体がぐらりと揺れた。ラオが素早くライサの腕を掴んで、危ういところで倒れずに済んだ。
「ところが城の中で見つからない。これは、持って出たに違いないと追い駆けていたんですよ。あなたが持っている可能性が一番高かった」
ホルストがにやりと笑った。
「大丈夫ですよ。ルビーをいただいた後は、そこにいるアルマンにあなたを差し上げることになっていますから。結婚して家庭を築いて、いいじゃないですか。好きな男と一緒になれるなんて、女の幸せというものでしょう」
「いや…」
危うい足取りで、ライサは後ろへ下がろうと足を動かした。膝ががくがくと揺れてしまって、自分の足がどこにあるのか、分からないような状態だった。
「さあ、お返しいただきましょうか」
ゆっくりとホルストの手がライサの胸元に伸びた。その手をライサが跳ね除ける。
「何をするんです?」
「触らないで」
今やライサはラオにほとんどその背を預けるようにして立っている。ホルストが不機嫌に眉を顰めた。
「そのルビーは王家に伝わるもの。本来であれば、あなたの手に渡るものではなかったんです。有るべきものを有るべき場所へ返してもらうだけ。何か不都合がありますか?」
「不都合はないな」
ラオがぼそりと言う。ホルストの視線がラオに向かった。
「ほう。話のわかる人物がいるようですね」
ラオがホルストを見た。
「だが、残念ながら、おまえに時間がないようだ」
その言葉にホルストの眉が持ち上がる。
「私の時間?」
次の瞬間、ラオが手の平を広げて空気を押し出すように、前に向かって腕を伸ばした。その動きに従って、見えない手になぎ倒されるように、人々がそのままバタバタと倒れていく。馬も倒れて、ホルストも一緒に吹き飛ばされるようにして倒れた。
「行くぞ」
ラオがくるりと背を向ける。絶妙のタイミングで門がガラガラと開いて、その向こうににアイテルの弓兵が並んでいるのが見えた。その瞬間に、あたりにバチバチと弾ける音が降ってくる。騎馬兵たちの上に降ってきたのは、小分けにされた火薬だった。木の上から一斉に火薬が音を響かせながら降ってくる。音のために馬が棒立ちになり、兵が振り落とされた。
ライサの前にユーリーが木から飛び降りてくる。
「いいタイミングだろ?」
ユーリーがにやりと笑った。
「こっちだ!」
ラオに導かれるままに三人が門の脇へ向かって走り出したとたん、ひゅぅと一本の矢が飛んでくる。その矢は寸分たがわずに騎馬兵の胸を射た。兵が地面に倒れ伏す。即死だった。それを見てホルストの騎馬軍がどよめいた。
「アイテル軍が弓を射てきたぞ!」
大声が聞こえた。真偽の程は分からない。だが、確かに正面にいたのは弓兵で、そして兵の一人は矢で打ち抜かれたのだ。そしてまた二射目が来た。またしても寸分たがわずに騎馬兵の胸を射ていく。
それを見て、馬上からアイテル軍に切りつける者が出始めた。相対しているアイテル軍も負けじと、弓を射る。みるみるうちにアイテル軍とホルストの軍のトラケルタに属する軍のもの同士の戦いが始まった。
「落ち着け!」
ホルストが叫ぶが、兵たちの混乱の方が酷く声が届かない。お互いの弓に、剣に、あおられるようにして、混戦が拡大していく。
もちろん最初の矢を放ったのは、弓兵たちの後ろから現れたオージアスだった。
「うまいもんだ」
ユーリーが感心する。弓兵の間を縫って、ホルスト軍の兵の胸を射たオージアスの腕前は感嘆に値するものだった。本来であれば味方同士が大乱闘となっていて、誰もライサたちに構っている余裕は無かった。
「こっちだ」
ラオは混戦している兵たちを尻目に国境への道を示した。ちらりとライサが乱闘の中に視線を送る。アルマンはあの中にいるのだろうと思いつつも、オージアスにせかされるようにして、ラオの後に続いた。
国境は街の一番奥に位置している。木枠でできた門の両側に国境警備のものがいて、通行するものの許可証や身分証を確認しているのが常だった。だが、この日は違っていた。故郷の門の前にいたのはいつもの倍の数の警備だった。近づく前に皆の足が止まった。
「はぁ。手回しが良いこった」
ユーリーが呆れたように呟いた。ちらりと後ろを見ると、混乱した中でも徐々に立て直したホルスト軍とアイテル軍の残党が、こちらに向かいつつあるところだった。先頭にホルストがいるのが見える。またしても挟み撃ちされるのは時間の問題だった。




