第6章 真ん中(1)
ライサが連れてこられたところは、大きな納屋の中だった。干草の山のとなりに後ろ手に縛られて、放り込まれる。
「どういうこと? アルマン」
ライサのそばに立っていたアルマンは、悲しそうな瞳でライサを見た後に頭を垂れた。
「許してください」
「どういうことか説明して」
「お嬢様をお助けするためなんです」
ライサの鼻の周りに皺が寄った。目が細められる。
「私を助けるってどういうこと?」
「これ以上逃げ回るのは無理です。お嬢様。ここで待っていたらシード様が助けてくださることになっています」
「シード…」
「シード家の領主、ホルスト・シード様です」
「…アルマン。あなた…」
ライサの言葉が途切れた。シード家はバルテルス家と並んで、古くからトラケルタ国内を治めてきた貴族だった。バルテルス家とはライバル関係にある。ライサは自分のことを見ている背の高い青年を、じっと見つめ返した。
「アルマン、あなた、何をしているの?」
そのきつい物言いに、アルマンの身体がビクリと揺れる。
「あなたはバルテルス家の家人なのを、分かっているの?」
アルマンの視線がライサから外れ、宙をさ迷う。
「私は…」
アルマンが搾り出すように声を出した。
「私は…家人ではなく、普通の家臣になりたかった。普通に賃金を受け取って、家族を養えるように」
「うちの待遇は悪いものではなかったはずよ」
「ええ。旦那様には良くしてもらいました。でも、それじゃあダメなんです!」
アルマンの視線がライサに戻ってくる。睨みつけるような視線に、ライサは圧倒されかけた。
「じゃ、じゃあ、何が不満だったっていうの」
「私は…」
アルマンは言いかけて、ライサの前に膝をついた。ライサと目線が同じ高さになる。アルマンの碧の瞳がぐっと近づいてきた。
「お嬢様。お嬢様はおっしゃいましたよね?」
「な、何を」
「私を好きだと」
ライサが目を大きく見開く。ことある事に呟いた、他愛のない一言のつもりだった。いや、たしかに自分はアルマンを好きだと思っていたのだ。今までは。
「私もお嬢様が好きです」
言葉はいつもと同じ。ライサがアルマンに向かって「好き」と呟くと、アルマンも「私もです」という返事があった。それは二人だけの符丁のようなものだった。そう、ライサにとっては。
アルマンの身体が近づいてくる。ライサは初めてアルマンを怖いと思った。眼を逸らしてそむけた顔に、アルマンの手が添えられて、正面を向かされる。逃れられない状況で、さらに碧の瞳が近づいてくる。
「ホルスト様は、私がお嬢様を娶れるようにと考えてくださいました」
アルマンがにっこりと笑う。その笑顔に、ライサの鳩尾の奥が冷たくなるような感覚を覚えた。
「大丈夫です。お嬢様。お嬢様は私のものですから」
そう言って、アルマンの唇がライサの唇を覆った。それはライサが想像していたような甘いものではなかった。何か分厚い、ぬるりとしたものが、自分の唇を覆う感覚。ライサは頭から血の気がひいていくのを感じた。胃の中のものも逆流していきそうだった。
不器用な、それでいて不躾な口づけ。しかしアルマンはライサの様子を気にせずに、なんども角度を変えてライサの唇を自分の唇で覆い、唇をこじ開けて舌を絡ませ、歯茎を舐め取ると、満足したように息を吐き出してから離れた。
べたべたとした感触がライサの唇の周りに残る。ふき取りたいのに、両手は後ろ手に縛られたままだった。
「お嬢様、この続きはすぐに。今はここまでです」
無邪気な表情でアルマンはライサに笑って見せた。ライサの背筋にぞくりとしたものが這い上がる。
「ホルスト・シード様がいらっしゃるまでは、ここに留めていて欲しいとのことでしたので。すみませんが、そのままで待っていてください。今晩にはホルスト様もここにいらっしゃいます。そうしたら二人の婚礼ですから」
アルマンが鼻歌を歌いながら納屋を出て行く後ろ姿を、ライサは真っ青な顔で呆然と見るしかなかった。




