第5章 酒場にて(2)
街の外の馬も共に、街中の小さな宿へと場所を移す。昨晩の宿とは反対の方向だった。客が多いのか、それとも偶然か、三人部屋をあてがわれた。それぞれ自分のベッドを確保したところで、オージアスが口火を切る。
「バルテルス領の追手が、ここまでくるものか?」
独り言のように呟いた言葉に、ユーリーもラオも答えない。ラオは自分のベッドの上で、片足は降ろしたまま片足であぐらをかくように座っている。その目は瞑ったままで、まるで異国の像のようにも見えた。ユーリーの方は窓際の椅子を陣取り、頭の上で腕を組んでいる。ときおり髭を捻っていじっては遊んでいた。オージアスはラオと反対側のベッドに座り込んで、足の上で手を組んでいる。そして、その自分の手をじっと睨みつけていた。
「娘が持っていた石が気になる」
ラオがぼそりと言った。
「石? そんなものを持っていたのか?」
ユーリーが問い返した。それにラオがゆっくりと頷いて肯定する。
「石には想念が宿りやすい。それを感じた」
ユーリーとオージアスの視線がラオに集中する。だがラオはそれ以上続けるつもりは無いようだった。相変わらず目を瞑ったまま、じっとしている。ユーリーがふと考え込むような顔をした。
「どうしたユーリー?」
オージアスがユーリーの顔を覗き込む。
「バルテルスって言ったよな? ライサの家は」
「ああ」
「以前、ちらりと噂で聞いたことがあるんだが、バルテルスの領主が王から宝石を下賜されたっていうんだ。かなり大きなルビーを。だが…」
ふっとユーリーの顔が曇る。
「もう一つ別な話も聞いたことがあるんだよな。トラケルタ王国に伝わる王を示す宝石っていうのがあって、大きくて血のように赤い『不死鳥の心臓』とか言う名前のルビーだとか」
オージアスが苦笑いした。
「そりゃあ、どっちかの噂が間違ってるんだ。王が王を示す宝石を、臣下に下賜するもんか」
ユーリーも破顔一笑する。
「そうだよなぁ。俺もそうは思っているんだ。実は。ただ、まあ噂を聞いた時期にずれがあるから、もしかして…とか思っただけだ」
バサリと音をさせてラオが立ち上がった。そして苦虫を噛み潰したような顔でオージアスを見る。
「娘のことは放っておくという選択肢はあるのか?」
ラオの言葉に殴られたような顔をしてから、オージアスはユーリーを見た。ユーリーが肩をすくめて見せる。それを自分に対する同意と受け取って頷いて見せてから、オージアスはラオに答えた。
「ないな。ここまできたら乗りかかった船だ。最後まで面倒をみよう」
「わかった。地図はあるか?」
「ああ」
オージアスが渡した地図をラオは睨みつけた。
「あの娘の痕跡を追うのは無理だ。だが宝石の痕跡は追える」
「あぁ?」
ユーリーが問うような音を喉からだした。
「言ったとおりだ。娘の行く先を追おうとしたのが間違いだった。だが宝石から発せられる波動は特徴的だ。だったら宝石を追えばいい」
ラオは地図を睨みつけたまま、ユーリーにそう返事をした。ユーリーとオージアスもラオの反対側から地図を覗き見る。ラオがぱっと手を離して、地図を床に落とした。その仕草が、あまりにも呪術めいていたので、ユーリーとオージアスは思わず、足が地図に掛からないように後ずさっ
た。地図が床に落ちたところで、ラオは目を瞑って手をかざす。息を潜めて、二人はラオに見入っていた。音の無い世界のまま、じっとしていたところでラオの瞼がそろそろと開いた。
「見つけた」
その言葉にユーリーが驚いたように目を見開いた。
「ここから東に行ったところだ。地図で言うと、テト。この村だ」
ユーリーがじっと地図を見つめた。
「このテトっていう村…」
「知ってるのか?」
オージアスがユーリーの顔を覗き込む。
「アルマンの親戚がいる村だと言ってたぞ」
「はぁ?」
ユーリーの言葉にオージアスが反応した。ラオは黙って眉を顰める。その二人の反応でユーリーは我に返った。
「いや、今の今まで忘れていたんだが、そんなことを言っていたことを今、思い出した。どこにあるのかって聞かれたんだよ。ほら、俺、あちこち行ってるだろ?」
オージアスがじっとユーリーを睨みつける。
「そういうことは、さっさと思い出せ。ラオに手間を掛けさせるな」
「いや、まあ、いいじゃないか。裏が取れたっていうことで。ラオの能力は本物だってことでさ」
「ユーリー」
「まあまあ。そうと決まれば、明日は早いから、早く寝ないとな」
ユーリーはいそいそと自分のベッドの方へ移動した。オージアスがラオを見る。
「闇雲に突っ込んでいくのはマズイだろうな」
「ああ」
ラオが短く答えた。
「何が必要だと思う?」
オージアスの問いに、ラオが顔をしかめた。
「何故、俺に聞く」
オージアスが肩をすくめる。
「あなたは、未来も見えるって聞いたことがあってね。もっぱらの噂だが」
ラオはまるで不快の意思を込めるように、ため息を吐き出した。しかしオージアスの視線はラオに固定されたままだ。
「俺だって、すべてが分かるわけじゃない」
そう言ってちらりとオージアスと、まるで子供のように期待感の篭った表情のユーリーを見ると、そっと瞼を閉じた。ほんのわずかな時間の後で、ぱちりと瞼が開き、その薄い水色の瞳が現れる。
「武器はあったほうがいいな。それに幾ばくかの準備が必要な気がする」
ラオの言葉にオージアスが眉を顰める。
「どういうことだ?」
「おまえが弓を射ていてる風景が見えた。多分、弓が必要だ。あと火薬の類もあったほうがいい」
ユーリーがおどけたように口笛を吹く。
「オージアスは弓の名手だからな。良く知ってたな」
「風景が見えただけだ。弓の腕前については知らん」
ラオの答えはそっけない。
「無いものは明日、用意しよう」
オージアスが言って、ラオとユーリーの顔を見た。それぞれが頷き返した。
「これで全部か?」
オージアスがラオに確認する。必要そうだとラオが言ったものは全て買い揃えた。ちょっとした出費になってしまったが、それなりに旅費は貰ってきているので大丈夫だった。ユーリーが荷物の山を背負いなおす。殆どの荷物はユーリーが持たされていた。オージアスは店で品定めをするのに忙しく、ラオはじっと渋い顔をしてオージアスの後について歩き、たまに足りない品をぼそりと呟いている。二人が購入してしまった荷物に関しては、まったく頓着していない風情だったので、結局ユーリーがまとめて持つこととなってしまったのだ。
「おまえらなぁ。少しは荷物を持とうとか思えよ」
さすがに荷物が重くなってきたので、ユーリーが文句を言う。それを聞いて一部の荷物を受け取ろうとして、手を出したラオを制してオージアスが口を開いた。
「荷物を持って、重いぐらいがちょうどいいんだ。おまえには」
「そりゃ無いだろう」
「おまえが大人しくしていてくれると、俺達が助かるからな。全部持ってろ」
「ひでぇ」
「人の三倍は喰うんだから、荷物も三倍ぐらいがちょうどいいと思うぞ」
「誰が三倍喰うんだよ。ちょっと多いぐらいだろうが」
「おまえの言う『ちょっと』は、たくさんなんだよ」
「たくさんとちょっとの違いぐらい知ってるぞ!」
ラオが呆れたような顔で、オージアスとユーリーの言い争う顔を見比べた後、くるりと背を向けた。
「ラオ?」
異口同音にラオを呼ぶ。
「買うものは揃った。あとは移動するだけだ」
振り向きもせずに背中で答えると、ラオはすたすたと歩きだした。ユーリーとオージアスは慌ててその後を追う。その背中にオージアスがまじめな声で問い掛けた。
「ラオ。一体、おまえには何が見えてる? 俺達はどうなる?」
ラオの足がピタリと止まる。それにあわせて、ユーリーとオージアスも立ち止まった。
「いいかげんにしろ」
ラオが低い、かなり不機嫌な声で言い放った。そのまるで逆鱗に触れられたかのような言いように、ユーリーもオージアスも一瞬、凍ったように動けなくなる。ラオは背中ごしに振り返って二人を睨みつけた。
「いいか、未来は一定ではない。俺に聞くな」
「だが…」
なおも言い寄るオージアスに、ラオが身体ごと振り向いた。眉間に皺が寄っている。
「おまえは、俺にすべての責任を負わせる気か?」
オージアスが瞠目する。
「俺が言った未来の通りに、おまえは動く気か?」
「いや…」
オージアスの唇から出た声は、掠れて力が無かった。
「だったら俺に聞く意味はない。忠告はする。必要なものも、すべて用意した。他に何が望みだ」
「…」
オージアスは 答えられなかった。それはユーリーも同様だ。オージアスの隣で凍りついたように、ただ立っている。
ラオはくるりと二人に背を向けると、すたすたと宿に向けて歩き始めた。その背中には、不機嫌さが巣食っているように、強烈なオーラを放っていた。慌てて、オージアスとユーリーはラオを追い駆けていった。




